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「あーもぅ、まっっったく!」
ペリシーは、朝陽がまだ顔を覗かせたばかりの雲一つ無い空に向けてぶつぶつと言う。その吐息は出る傍から白く凍えて、それがまた一層彼女の機嫌を悪くした。尻尾の毛を丸く膨らませ、寒気を叩きつける風から、少しでも身を守ろうとマストの裏に廻って発作的に足を踏み鳴らす。
「どーしてこう寒いワケぇ?!」
そもそもレッサーフェルプールとは南方に住まう種族なのであるが、勿論、彼女がこうも寒がるのは、耐性云々を論ずる以前にその着衣に問題があるからであった。今は流石に厚い毛織りのマントを一枚巻き付けているとはいうものの、その下に纏うのは身にぴったりとした薄手の衣服なのである。それは原始の名残を残す彼女の獣足でも脱ぎ着し易く仕立てられているのだが、防寒には全く役立ちそうにないものだ。
「寒いのなんて身体を動かせば直ぐに気にならなくなるッスよ?」
ところがペリシーの見るからに寒そうな衣服にもまして寒そうなのが、ひょいと現れたティニークの上半身裸の格好であった。どうやらこの強くなる事に余念の無い若者は、ペリシーが甲板に上がってくるよりも早くに日課となっている獣人化の制御訓練を始めていた様だ。首に晒を一本引っ掛けている所を見ると、乾布摩擦も訓練に組み込まれていたらしい。
ティニークの姿を見て更に寒くなったのか、ペリシーは嫌そうな顔をした。
「あたしはねぇ、寒いのがいっちゃん苦手なの!
こんな寒い所に来るって知ってたら、ラティ達になんてついてこなかったよ!」
「またまた。そんなこと言ったって、格闘の早朝特訓したいって言ったのはペリシーでしょ」
狼男の指摘通り、むぅ、と黙った猫娘はここ数日ずっと、慣れない早起きに挑戦している。ムーア城で初めて会った二人だが、お互い体術に興味を持ってる為か、はたまた波長が合うからなのか(とは託宣者の多用する言い回しである)、既に親友と言っていい気安さで声を掛け合う仲だった。特にペリシーにとって、ティニークを含めた一行はバーニィを除けば初めて得る友人達である。
故に彼女は膨れっ面を直ぐに引っ込めて、こう出来るのが嬉しくて仕方ないというきらきら光る眼で狼男を指さした。
「だってティニが面白そうなもん持ってるからさ、やっぱ気になるじゃん」
「面白いもん・・・ねぇ・・・・・・あの装丁は、てっきり幻の裏桜花かと思ったのに」
指されたティニークはぺリシーの心境に気付く筈もなく、ムーア城で譲り受けた奥義書の巻物がとんだ自分の勘違いだったのを思い出して溜息を吐く。
「まさかネコ奥義だったとは・・・俺の目も節穴ッス。
リズム感も音感も無い俺には、ネコは流石に体得出来ないッスよ・・・」
「そりゃそーよ、あんたネコじゃないんだから」
「いやまあ、それはそうなんスけど」
そんな会話を続ける合間にもペリシーは始終身体を動かし、寒さを少しでも紛らわせようとしている。レッサーフェルプールに伝わる古式格闘術は、彼の種族が得意とする舞踏を発祥としている為に習得が特に難しいと言われるのだが、ティニークの見る限り、じたばたとしたペリシーの動きからはその才能があるのか判然としなかった。
「それよりさー、早く喧嘩の仕方教えてよ。だからこんなに早く起きたんだよ?」
「喧嘩って・・・違うんだけどなぁ・・・」
「は〜や〜く〜っ!」
無論、今まで一人で生き抜いてきた彼女の身体能力には、目を見張るのもがあった。だから当然、直ぐに奥義を使いこなせる様になるだろう。
ティニークには到達しえない一つの境地に、いずれ彼女は立つのだろう。
それは剣術であれ、紋章術であれ、全く同じ事なのだが。そして全く仕方のない事だが。
「全くウラヤましい人ッスねぇ、ペリシーは」
ティニークは急に肌寒く感じられた烈風を振り払って、ペリシーに向き直った。
魔王アスモデウスの軍勢と、最も激しい戦いを繰り広げているのがシルヴァラント王国である。北の地より現れ出でる魔物は、世界のあらゆる場所を闊歩して人に害なそうと牙を剥くが、それでも前線にあたるシルヴァラントの大地に流された血はどこよりも多い。全てを覆い隠す真白い雪が無ければ、緑青の国と呼ばれただろう程に。
王都では、人化した魔物が紛れ込むのを恐れたシルヴァラント王によって厳戒体制が敷かれ、隣接する港は閉鎖されていた。これは一行が後に知った事であったが、ムーア王の厚情によって出された船足の速い中型船《セントエルモ》は、彼の王家の紋章を掲げていた故に、例外的に入港が許されたのである。
そして港に降り立った彼等は、来訪の理由を問うべくシルヴァラント城から遣わされた兵士にヴァンエンブレムを示し、その目的を告げた。
無音の町。
凍り付いた空気の漂う表通りは、厳かに凛として旅人を迎えた。
「人通りが・・・全く無いですね・・・・・・」
ヴァンやムーアとは趣を異にし、暗い色合いの葉を付けた木々。何よりも厚く降り積もった雪が、ここが新たなる異国であることをラティクス達に思い知らせる。
そんな中で、ヨシュアは張り巡らされていた寒気除けの分厚い緞帳を捲り、窓を掠めて後方へと流れ行く粉雪をずっと眺めていた。久し振りの故郷の姿には、その想起させる思い出が如何なるものであったとしても、深い感慨を抱くのだろう。
「僕の記憶だと、この町にはもっと活気があって、こんな感じではなかったのですが」
「すると城の使いの話は本当だったんだな。夕刻からの外出禁止令というのは」
「やはりアストラルやムーアの事件で、ここも魔物を警戒しているのでしょうか?
まぁ確かに、ここの魔物は格段に凶暴ですからね」
そうロニキスに言った時、ヨシュアは何かを感じて、向かいへと視線を転じた。そこにはヨシュアとまるで同じ様に、外を眺めるマーヴェルの姿がある。だがシルヴァラントに充ちる常より強い魔力の為なのか、今は特に、出会った当初から発されていた違和感が大きく思われた。
目の前の麗人の姿と、その気配の不一致。それは何処からもたらされる作用なのか・・・彼女の使役する精霊の気配だとでもいうのだろうか? ・・・ヨシュアはこれまでに何度か抱いた疑問を、今回もまた首を振って棚上げした。和気藹藹として旅を続けるこの一行にも、不文律は存在するのだ。即ち仲間に対する余計な詮索は、ヨシュアにとって不思議な程、皆から強く忌避される。
その謎の人マーヴェルの視線の先には、永遠に返されることの無い巨大な砂時計の像と、それを見守る様に建つ薄絹を纏った女神像がある。
「不思議な、像ですよね」
「あ・・・えぇ、そうですね・・・」
馬車が止まり、御者を務めていた兵が、目の前の広い階を示して下車を促した。シルヴァラント城へと至る長い階段もまた町と同じく真白く、ただ兵士達の足跡が多く残っている。
しかし不思議なことに、階段の麓に建つ女神像には、薄い雪すら積もっていなかった。
「ひょっとして、古の紋章術に通じる貴女なら知っていましたか?
シルヴァラントを守護するこの像の事は」
他の仲間達が揃うのを待つ間、女神像を見上げたヨシュアは白い息と共に、穏やかに語りかける。
「ヨシュアさんは、御存知なんですね。
こんなに旧い物の事を覚えている人なんて、滅多にいないと思いますよ」
マーヴェルは像をじっと見つめたままで応える。ヨシュアと目を合わせるのを避けているのか、本当にこの像が気になるのか、ヨシュアには量りかねた。
「とても綺麗な砂ね。何で出来ているのかしら?」
雪に足を取られながら小走りにやってきたミリーが、砂時計の分厚い水晶越しに中身を指した。それは、薄紫に光る小さな飴玉程の物体だ。転びそうになったミリーの様子に苦笑していたラティクスも、彼女の隣に立つと眼を円く見開く。
「本当だ。・・・不思議な像だなぁ・・・一体何だか、二人は知ってるのか?」
マーヴェルがどうぞ、と譲ったのでヨシュアが問に答える。
「これは、かつて旧異種族、ムーア人がこの地に張った守護結界の礎です。砂として詰められているのは魔力の源となる石で、ほら、力を失うとあぁして白く砕けて、下に落ちるんですよ」
「ムーア人が造った物なのか?」
「えぇ。シルヴァラントにも、ムーアと同じ様に旧い物が沢山残っているんです。
かつては彼等の大きな都があったと聞きますしね。砂時計も、その名残でしょう」
「結界って、魔物除けなのかしら?」
「さぁ・・・普通用いられる術とは異なっているので詳しいことは・・・方陣の一種、ということしか・・・ここの王家の宮廷紋章術師だった父なら、知っていたかもしれませんが」
答えるヨシュアの隣には、後続の馬車だったアシュレイ達もやってきており、この老兵は足を止めると、今までの話が聞こえていたのか口を開いた。
「《神秘の雫》が一つ《輝紫玉》の力を借りて、シルヴァラントの町に降り掛かる、大いなる厄災を常に払い続ける像なのだと、ジェランド殿は言っておられたな」
「父が・・・?」
「昔、戦の激しかった頃に、シルヴァラントの強さの理由を尋ねた事があったのじゃよ。どうして世界で最も強い魔物共を食い止め続けていられるのか、をの。果たしてどれだけの力でもってシルヴァラントを護っていたのか確かめる術は無いが、魔石が尽き、結界の失われる日が、近い未来でないことを祈りたいものじゃ」
「そうなんですか、父が・・・・・・。
あぁ、皆さん揃った様ですから、もう行きましょうか」
辛い思い出を振り払う様に、衣服に薄く積もった雪を払うとヨシュアは階段を上り始めた。止める者はなく、皆が彼に従う。
だから、その時魔石が一つ砕けて淡い虹色の光が空中に溶け消えたのを知ったのは、最後まで名残惜し気に砂時計を見ていた少女だけだった。
足早に階段を上りながら、ミリーは隣のマーヴェルに問い掛けた。
「あの砂、マーヴェルさんの宝珠に雰囲気が似てたわ。色は一寸違うけれど」
「そうかしら?」
「ほら、最初に使ってた、壊れちゃったやつ。《神秘の雫》っていうのと関係あるんですか?」
ミリーも法術師の一人として、未知の紋章術に興味があるのだろう。今回に限らず、マーヴェルやヨシュアには機会がある度に質問を欠かさない。勉強が嫌で逃げ回っていたかつての姿からは想像も出来ない姿勢だが、学びが生きる術と直結する現実は、彼女を確実に成長させていた。
マーヴェルは少し考えてから、こう答えた。
「そうね。あれは真紅の盾を倒す為に、特別に作った宝珠だったから・・・素材は同じだし、似ているかも知れないわ」
「そうなんですか?」
「えぇ。《神秘の雫》と私達が呼んでいる物は、私の宝珠と同じ虹金剛石から精製される、魔石の総称なの。魔石、と言っても力を引出す方法はもう失われてしまったから、今は唯の宝石に過ぎないのだけれど」
「ひょっとして、紫だけじゃなくて色々あるんですか? 虹っていう位だし」
「その通りよ。色によって違う精霊が宿っていると言われていて、主に《熱赤玉》《乾黄玉》《湿緑玉》《冷青玉》《輝紫玉》の五つに分けられるわ。あの像に使われているのは、アシュレイさんの言った通り、特に強い力を持つ紫の玉」
マーヴェルの講釈を、ミリーはただただ関心して聞いている。
「マーヴェルさんて、本当に物知りなんですねぇ。妖精論の技能書にも、そんな事は書いてませんでしたよ? もしかして《神秘の雫》がどういう力を持ってるのかも、知ってるんですか?」
「そんなに詳しいことは解らないけど」
マーヴェルは何かを思い出す様に少し眉根を寄せると、やがて答えた。
「虹が司る力は掛け橋。人と人に非ざるもの、此岸と彼岸、時には、神の世の内と外を、虹は繋ぐもの・・・だった筈。あの結界は、多分高度な召喚を用いた紋章術で作られているから・・・強大な異界の力を引き込む為に、沢山の虹が必要なんだわ。・・・あぁ、だから、この虹も騒いでいるのかしら?」
マーヴェルは小さな袋を取り出すと口を開けて、かつて砕けた宝珠をミリーに見せた。
「本当だわ、光ってる・・・」
二人は知るべくもなかったが、この明滅する虹の光こそが、ヨシュアが疑問に思った気配の源であったのだ。
「確かにこれはヴァンの秘紋だな」
ロニキスの示した《真実を知る者》を意味する紋章を、手に取って矯めつ眇めつしていたシルヴァラント王は、素早く傍らの大臣に何事かを囁くと下がらせた。しかし、未だ謁見の間には衛兵が立っており、人払いを命じたという訳ではない様だ。
「まさか真実を知るべき者が・・・父が心待ちにしていた者が、私の代になって現れるとは。
ともかく、私は責務を果たさなければならないな」
シルヴァラント王、コリウァンドル・コリファンダレス・シルヴァオールは、自ら立ち上がってロニキスに紋章を返すと、謁見者を見渡した。一昨年に逝去した前王を継いだという少し小柄な青年は、他国の三王に比するとかなり若い印象を与える。また、王家の紋を刻んだだけの簡素な銀環を填め、武骨な鉄杖を握り、魔導銀の鎖帷子を身に纏った姿は、王というよりも一介の冒険者といった風情であった。
勿論、彼は冒険者というには威厳を湛えすぎていた。しかし穏やかな視線に威圧はなく、彼が謁見者の顔触れを確かめ始めても、ラティクスやミリーといった若輩を不要に緊張させることなどなかったのである。人見知りの激しい筈のペリシーですら、誰の後ろに隠れようともしなかった。
そして王は、ヨシュアの前で歩を止めると尋ねた。
「其方、名を確かヨシュア=ジェランド、と?」
「はい」
「するとその翼、ジェランドの名、其方は先代の宮廷付紋章術師ジェランド殿の、久しく行方知れずだったという子息殿なのか?」
「あ、はい、仰せの通りですが・・・?」
ヨシュアは、己の出自に話が及ぶのをまるで予期していなかったらしい。彼にしては珍しく返事が遅れ、かなり驚いた様子を見せる。反対に、王は俄に明るい表情を浮かべた。
「ジェランド殿を襲った非運については、私も父より聞き及んでいる。よくぞ無事であったな。
しかも、そのエンブレムを託された者の一人として現れる事になろうとは・・・英雄の血は争えぬものだ。妹殿も息災であるのか?」
「いえ、あの時、賊に連れ去られたまま・・・一度も会っておりません。
でもいつか会えると、僕は信じています」
「・・・そうか。では再開の暁には、またここを訪ねてくれ。城には、ジェランド殿を慕っていた者も多いからな。・・・おぉ、やっと戻ってきた様だ」
大臣が小箱を捧げ持ち、また二人の兵士が白い絹布を被せた人の背丈程の物を恭しく運んでやってくる。王は、兵士達が謁見の間の中央にそれを据えるのを待って、周囲の者を下げさせた。
「さて・・・我が王家に伝わるものを、其方達に示すには少々準備が必要でな」
王は、そう言いながら慎重に布を外した。下から現れたのはきらきらとした光であり、燭台の炎を実によく照り返している。だが、余りに奇妙な形をした物であった。
数十本の白金の骨組みが螺子で繋ぎ合わされ、まるで塔の様に組み上げられている。その基部には、五色の気泡を有す水晶球を配した硝子盤が嵌められており、更に上部に向かって奇妙な膨らみを持つ円盤型の硝子と、爪の先ほどの小さな鏡が、明らかな意図を持って鏤められていた。
ヨシュアをはじめとしたローク人達には、それが一体何なのかを想像することすら出来なかった。
しかし。イリアは隣のロニキスを見る。
「艦長、あの鏡とレンズ・・・何かの投影器に見えますね」
「・・・あぁ。だが、一体どこに映すんだ? スクリーンも何も無いが」
「確かに」
そんな地球人の小声の遣り取りが続く間にも、王は奇妙な作業を続けた。大臣の持つ箱からシルヴァラント王家の紋章とおぼしき物を取り出し、嵌め込まれた宝玉を器用に外す。これを白金の棒の一つに取り付け、脇から白金細工の塔に差し込んだ所で準備は終った様だった。
「すっかり待たせてしまったが、早速、教えるとしよう」
と言われたところで、何が始まるのか見当の付く者などない事を、王は分かっていたらしい。一同の反応を待たずに、話を続ける。
「我が王家に伝わっているのは魔界の入り口の場所についてだ。
それはシルヴァラント大陸の南東にある島にある、と。そして・・・・」
水晶球が淡い輝きを放ったかと思うと、そこから数条の細い光が導かれシルバエンブレムを飾っていた宝玉に当てられた。同時に筒全体に輝きが滲む。宝玉を通った光が再び分かたれ、今度は鏡の小片に当たると反射を繰り返しながら塔の内側を駆け登ったのだ。
その様子は実に美しく、しかしラティクスらを驚かせたのは別の事だった。
広間一杯に淡い光が降り注ぐ。
「凄ぇ・・・一体何だってんだ・・・?」
シウスの洩らした一言は、全員の心境に共通していただろう。そして地球人二人には、もう少し別の感想も混じっていた。
彼等の頭上には突如として地図の如き白い大陸と青黒の海、そして点々と存在する島が現れたのだった。
天地が逆転していた。まるで鳥の眼を刳り貫いたかの様な光景は、決して絵画で現されたものでなく。「立体映像・・・?!」イリアの呟きをロニキスだけが耳にする。
ヨシュアが問う。
「王よ、これは・・・?!」
「我が王家に伝えられし魔晶・・・ムーアの遺術だ。尤も、私達には魔晶を覗く術しか与えられていない。判るか? 大陸の南東、その小さな島に、魔界の入り口がある」
王の鉄杖が、大陸のどの部分からも離れた、目を凝らさなければそれと判らない白い点を指し示した。
「こんな場所に、魔界の入り口が?」
「そうだ。其方達には船を一艘、与えよう。いずれ魔界遠征の際には使うがいい」
「ありがとうございます。・・・ですが、この魔晶を扱える方は王の他にいらっしゃるのでしょうか」
博学だとはいえ、流石のヨシュアも王家秘伝の術は知るべくもない。彼でさえ無理なのだから、このやたら繊細で奇怪な投影装置を壊さず使いこなせる者はないだろう。王は慣れた手つきで頭上の幻影を消し、安心させるよう答えた。
「そのことなら心配は無用。島の位置を書き込んだ海図も用意させるからな。
魔晶のまやかしを其方らに見せたのは、ただ、これが《真実の一片》であるからだ。伝えよと命じられたものを、曲げる訳にはいかぬ」
その時、イリアが弾かれた様に周囲の仲間達に眼を走らせた。咄嗟に声が出ないのか、唇が微かに震える。彼女の様子に、ロニキスだけは何かを思い出したらしく頷いた。解らず、ラティクスは尋ねる。
「どうしたんです、イリアさん?」「鍵よ」
「鍵、ですか・・・?」
話の飛躍に着いていけず青年が口篭ると、シウスが間怠っこし気に説明を求める。
「おいイリアにロニキス、俺達にも解る様に言えよ」
「《鍵は自らを導き、鍵は鍵を導く》、だったか?」
そう応えながらロニキスが差し出した鍵の、最も強く輝く部分にイリアは力を込める。すると呆気なく雪の文様をした金剛石は外れた。丁度、大きさは先程の魔晶ほど。
「えぇ、そういう事です!
《神に祝福されし地》の王たる陛下にもう一つ、御伺いしたいことがあるのです!」
ムーア王の言葉をイリアが発したのを聞いて、ラティクスにも合点がいった。成程、この若き王ならば、あの奇妙な鍵の謎を解き明かしてくれるに違いない。
「まさか、鍵自体に鍵穴の場所を示す地図がくっついてたなんて。ムーア人も変な事考えるよねぇ」
「それを言ったら、シルバエンブレムだって同じだよな。そういえばあれ、地球でみたホロなんとかと似てなかったか?」
「うん、似てた似てた! ラティもやっぱりそう思ったんだ〜」
「どうやってるんだろうな、あれって」
「不思議だよねぇ」
翌日、ラティクスとミリーの二人は自分達に合う防寒服を探して町中を歩いていた。宿で借りた外套を羽織ってはいるものの、下は普段着なので中々寒い。これからの予定を考えると、充分な準備が必要に思われた。
ムーア王より託された鍵の飾り石からシルヴァラント王が教示したのは、《古都》と呼ばれるムーア人の遺跡であった。最大にして最古とされるその遺跡は、入り口部分が崩れ落ちた瓦礫によって埋もれており、立ち入ることは出来ないという。魔王が破壊したとも、ムーア人自らがその様にしたとも言われているが、真偽は不明だ。
「鍵が示しているのは、破壊された地上部ではない。恐らく、地下迷宮への隠し通路だろう」
魔晶の結ぶ像はラティクス達には変哲無い岩壁としか映らなかった。しかし、シルヴァラントの民には知られた場所であったらしく、王はその《晶術師の壁》の位置を地図に書き込むとシルバエンブレムと共に、一行に手渡したのである。
新しい手掛かりを得たラティクス達は、ヴァン王国へと戻る前に示された遺跡に向かうことを決めた。だが、厳しい寒さは油断ならぬ敵である。既に、怪我の治りきっていないシウスが残ることを宣言していた。また、喧嘩の特訓に励むのだというペリシー(彼女の場合はただ寒いのが嫌なだけかもしれない)と無理矢理付き合わされた格好のティニークも、ここに残るらしい。恐らく彼等だけを残していくのを心配していたイリアも、同行を見合わせる可能性が高いだろう。なにしろ、シウスの怪我を診られる者が誰もいないのだから。
白々とした陽の射す大通りは、初めて見た時の静けさが嘘の様に、大勢の人々が行き交うのを見ることが出来た。
「それにしても寒いよね。どっかでお茶でも飲もうよ」
「確かに冷えてきたな。ん? あれ・・・マーヴェルさんじゃないか?」
「ほんとだ!」
ラティクスが見付けたのは、寒々しい木立の陰で佇んでいる彼女の姿だった。ミリーはお茶に誘うつもりなのか直ぐに駆け寄って行ったが、幾らも行かない内に立ち止まった。
「おい、どうしたんだよ?」
「ううん・・・でも、何だか今のマーヴェルさん、話し掛けられる雰囲気じゃなくて。
考え事、してるみたい」
怪訝そうな顔をしたミリーは、戻ってくると「邪魔しちゃ悪いから、行きましょ」と、ラティクスの背中を押したのだった。