SO Script ACT・6


魔王討伐

一体誰が、この星から生物資源を持ち去ったのか。
疑問を持ち続けていた地球人二人は今や、事件の舞台となった遥か過去のロークの地に立ってその原因を目撃していた。
「あれが、星の船なのか」
ほう、とロニキスが感嘆の声を洩らして大地にそそり立つ《隕石》を見つめる。広場、そこは市や祭りを執り行うを目的としてクラート〜ホット間を結ぶ道の中途に設けられた場所だったが、整えられた敷石を深く抉って《隕石》はものの見事に突き刺さっていた。陽光を反射する銀影が原形を留めているのと、周囲への被害が小さい事から、墜落と言うよりは不時着に近いものであったのが判る。
「遠くからなのでよくは判りませんが、少人数用の小型艦・・・この規模だと三人が限度ですね。
三〇〇年前の航宙艦であることを考えると、地球以上に発達した文明と言えるでしょう」
「あぁ。我々の時代でも、地球を凌ぐ力を持っているかも知れないな」
「あまり考えたくはありませんね」
しかしレゾニアという一大帝国を脅迫出来るだけの力を持っている事から、その事実は明白である。もし第三勢力が敵に回るならば、それは侮り難い存在となるだろう。
「・・・しかしだ」
ロニキスは溜め息を吐いた。この来訪者の、第三勢力としての未来の姿を突き止める為にもここは手掛かりを得たい所なのだが、それには少々周囲が騒がし過ぎたので。
「結構な人出ですね。
これだとあまりおおっぴらに調べる事も出来ないですけど、夜になるのを待ちますか?」
「そうするしかないだろうな」
ぐるりと辺りを見回したラティクスが立っているのは《隕石》からかなり離れた場所である。その落下直後は更に多くの野次馬が集まっていたということだが、その勢いは今も余り衰えたとは思えなかった。巨大な構造物が尖塔の様に大地に突き立つ下には、何故かクラートやホットからの出店屋台が立ち並んでいる。商売人達は巨大な金蔓を勿論見逃さなかったらしい。
妙に細長い形をした隕石クッキーや隕石饅頭を手にした子供達が、《隕石》の方へ駆けて行く。イリアはそれを見送って苦笑した。
「まるで観光名所ね」
「ねぇ、イリアさん、折角だから一緒にお店見に行きません?」
ミリーが遥か向こうに見える幟を指さした。薬全品五割引、とある。
イリアの目が光った、様にロニキスには見えた。無論錯覚に過ぎないのだが、それだけの気迫が瞬時に発せられたとでも言うべきか。
「いいわね、行きましょう。
それじゃ艦長、詳しい調査は夜半になってからということで」
「み、ミリーとはぐれないようにな・・・」
「了解しました。では!」
久々に切れのいい敬礼を見せ、副官は少女と一緒に颯爽と人込みの中に消える。
「ロニキスさん、俺達も自由行動にしますか?」
「・・・そうだな。なぁラティ、イリアは前からあんな感じだったか?」
「あんな感じじゃなかったんですか?」
「・・・いや、そうか・・・プライベートでないと判らない事もあるものだよなぁ・・・」
ロニキスは軽く首を振り、ではまた後で、とラティクスから離れていった。一人残されたラティクスは何をして時間を潰そうかと考えたが、早速観光客の団体に巻き込まれて一頻りよろよろとしてしまったので、ひとまずこの場を離れることにした。

こうして一人、当ても無く歩くのは久し振りであった。
「平和、だな」
散策しながら思わず独りごちる。
豊富な水を含んだ大地を覆う空気は強い陽射しに少々蒸し暑い位だが、露天商の作った即席の屋根の下に入れば丁度いい。人の流れに任せるままにのんびりと歩いていると、あまりの麗かさに世界が平和でないのが、何かの間違いではないかと思えてしまう程だ。村や町の様に壁に囲まれている訳でもないのに、魔物一匹襲ってこないのを平和と言わずしてどう表現すればいいのだろう。
それでも、この世界は平和ではない。戦い苦悩する大勢の人々が居り、そしてラティクスの手にははっきりと自身の影を切り裂いた感触が残っている。自らの力至らぬ部分と向き合わざるを得ないのも、平和でないが故のこと。
この風景は、平和ではなく、上辺だけの平穏なのだと覚えておかなければならない。そうしないと、今、この瞬間に戦っている人々、そして故郷に残してきた者達に申し訳ない気がした。
ラティクスは自身の出した結論に頷き、墜落した航宙艦の下まで真っ直ぐ行くと、大きな瓦礫の一つに腰掛けてそれを見上げた。
自分の髪の色の様に薄ら青い空の日だった。
その空を背景にした流線型の船体は、煤煙に塗れて鈍い銀色をしている。とうに鎮火してはいるが、落下当初は激しい炎に包まれたのであろう。縁のひしゃげた大きな裂け目から中に入る事が出来そうだ。多少の差異は見られるものの、形などはラティクスの記憶にある三〇〇年後と大して変わらない。
しかし、受ける印象は三〇〇年後と全く異なっていた。いや、変わったのは観察主、主体たるラティクスの知識である。この物体が聖域を航行する為の船であると理解した彼には、少なくともこの物体がどの様にして空にあったのかに頭を悩ませる必要はなかったし、それどころか中にどの様に人が入っていたのかを想像することさえ出来たのだった。
《隕石》の周囲を飽きもせずにくるくる回っていたフェルプールの幼い子供達が、見上げたまま長いこと動かないラティクスに興味を持ったのか駆け寄ってきた。
「ねぇねぇお兄ちゃん、これって一体何なんだろうねぇ?」
「え? あぁ、そうだね。これは・・・」
ラティクスの口から出たのは、こんな言葉。
「やっぱり、星の船、だったんだ」
子供達の目が不思議そうに見開かれる。
「ほしの、ふね?」
その表情はすぐさま宝物を発見した様なものになり、
「これって、ほしのふねなんだって〜っ!」
と口々に叫んで、最早ラティクスの存在など忘れ去ってこの宝物を見せるべく散っていった。
その嬌声に気付いたのは、イリアと共に買い物を終えたミリーだった。突如上がった「星の船」という喚声に驚いて見回してみれば、そちらには幼馴染みの姿がある。彼は、ミリーを認めて立ち上がった。
「あれ、ラティ、教えちゃったんだ?」
「訊かれたから。でもこの言葉だけじゃ、これが一体何なのかなんて解らないよ。
俺達の時代にも、これは星の船として伝わっていたし・・・」
「そうだけど」
ミリーはかさばる紙袋を抱え直して、星の船を見上げる。
「そりゃあ私だって星の船は聖域の神様の乗り物だと思ってたけれど。
・・・でも、もしかして、星の船ってラティが付けた名前なんじゃないの?」
「そんなまさか」
はは、とラティクスは笑ったが、子供たちの勢いを思いだしてそれは苦笑になった。
「・・・迂闊だったかな」
「ま、私とラティで秘密にしておけば判らないわ」
「恩に着るよ」
二人で顔を見合わせて、どちらともなく笑いが零れた。
「その替わりに、この荷物、ちょっと持っててくれない?
買ってきたい物があるんだ。イリアさんはあそこの店にいるから、そこで待ってて」
「・・・お前って本当にちゃっかりしてるよな」
ミリーに預けられた紙袋の中身は、見事に特価と赤字で書かれた薬品だけだった。

「あらラティ」
イリアは近づいてきたラティクスの持つ紙袋に気付いた様だ。彼女の足元にも同じ袋が置かれている。
「ミリーちゃんと会ったのね」
「えぇ、あいつ、何か別の物を買いに行きました。イリアさんは何を見てるんですか?」
「特に何を見ている、って訳ではないのだけど・・・」
彼女が居たのは雑貨屋の一つであった。てっきり日用品で切らした物でも買いに来たのかと思ったが、視線を見る限り、何かを探している風ではない。ただ単に、用事を終えてしまって暇を持て余しているのだろう。ラティクスも隣に立って無造作に並べられている品々を眺める。アクセサリーが多いが、こんな場所で売られている物なので、どれも手軽に買えそうなものばかりであった。
「あのイヤリング、素敵だと思わない?」
「どれですか?」
「真ん中の、青い石のよ」
イリアの指したのは、銀の台に薄青色の貴石が留められた一対の耳飾りだ。簡単な細工で値が張るとは思えなかったが、石の色の涼やかさで一際目を引く。
イヤリングと言えば、と、ラティクスはある事を思い出した。
「プレゼントしましょうか?」
「やだ、そんなつもりで言ったんじゃないわよ」
「でもイリアさん、この世界に初めて来た時にイヤリング手放したでしょう?
代わりっていう訳には全然ならないでしょうけど、何かお礼させて下さい」
初め、イリアはひどく驚いた顔をしてラティクスを見つめた。ラティクスは自分がそんなに妙な事を言ったかと心配になったが、彼女はそれから一瞬苦笑し、真顔になり、やがて悪戯っぽく笑う。
「吃驚したわ、覚えていてくれたのね。なら、お願いしようかな」
「これで、いいんですよね?」
「ふふ、ありがとう」
イリアは代金を支払ったラティクスからイヤリングを受け取ると、早速身に付けた。
「よく似合いますよ」
「やぁね。そういう事は、ミリーちゃんに言ってあげなさい」
「ミリーに?」
指さすイリアに振り返ってみると、両手に何やら袋を持ったミリーが戻って来る所だった。ラティクス達の遣り取りには気付いていないらしく、傍まで来た彼女はきつね色の菓子を口にくわえたままの不明瞭な発音で、こう尋ねる。
「プラムアップルのジャムパイ、すっごく美味しいんだけど・・・いる?」
「あぁ、うん」
がさがさと袋の中から、ミリーの食べていたのと同じ焼菓子が出てくる。もう一つの袋の方も、菓子が入っている様だ。篭城でもするつもりなのか、随分と買い込んだものである。
「はい、イリアさんも」
「あら、私のもあるの?」
「皆の分ありますよ。それに夜食の分も買ってきちゃったんです♪」
甘いものに目がないミリーは幸せそうな顔をして袋を抱え直した。
「だからラティ、そっちの買い物袋の方は持っててね」
「そうそうミリーちゃん、ラティがアクセサリーを一つ買ってくれるって。
この際だからおねだりしちゃいなさい」
「本当ですかイリアさん?!」
寝耳に水の風情でミリーが目を円くした。ラティクスにも何故そういう話になるのかがいまいち呑み込めなかったが、ミリーの後ろに回ったイリアがオーバーアクションで首を縦に振れと手を動かすので、取り敢ず頷いた。
「え、でも・・・ミリーもアクセサリーに興味なんてあるのか?」
「当然でしょ、失礼しちゃうわね」
色気より食い気ではなかろうか、という疑問はこの際口には出さない。だが菓子袋に投げられる視線をミリーは察知したのか、
「あっちのお店にあった可愛いペンダントとか、実は目を付けてたんだから!」
と説得力の無い言い訳をすると向かいの露店に行ってしまった。
「じゃ、気に入った物が見つかるといいわね」
「・・・はぁ」
「ラティ、ミリーちゃんのこと、もっと大事にしなきゃ駄目よ?」
「え? あ、はい」
「もう、解ってるのかしら」
「解ってますよ」
「アヤしいわねぇ」
イリアは溜め息をついた。ガールフレンドを差し置いて自分にアクセサリーをプレゼントするなど、他意は無いにせよ無神経としか言えないだろう。それとも幼馴染み同士というのはそんなものなのか。だがミリーだってラティクスがイリアにプレゼントしている現場を見れば、多少なりとも気分を害すだろうに。
おおらかと言えばそうなのではあるか。
「まぁ、そこがいい所でもあるのだけれど」
「何がですか?」
「ラティを好きになった子は気が休まらないわね、っていう話よ」
「はぁ?!」
目を白黒させるラティクスに、解らないだろうとは思いつつもう一言加えてみる。
「さてと、艦長にこれを見せびらかしにでも行ってみようかしら。
素敵な男性にプレゼントしてもらったんですよって」
「は、はぁ・・・」
「冗談よ。ただ、艦に乗ってると中々そういう機会が無いから、若返った気分だわ。
ありがとね、ラティ。・・・ほら、ミリーちゃんを待たせちゃ駄目でしょう?」
早く行ってあげなさいと促されて、ラティクスは最早何も言わず、素直に従った。
女心はよく解らないと思いつつ。



空には少し雲が出ていて、細目の月光と星明かりは、森の闇を含んで重たい大気の底に凄烈には達していない。辺りには耳がおかしくなりそうな程の虫の音に混じって、獣の声が時折響く。夜が危険だという認識だけは流石にどこの地域でも同じであり、夜半近くともなると誰の姿もなくなっていた。
それまで仮眠をとるなどして時間を潰していたラティクス達が行動を開始したのは、そんな時分である。
「この船は、どうして落ちてきたんですか?」
「さぁ・・・比較的原形を留めてるから、コンピュータが生きていれば解るかも知れないけど・・・」
イリアは角灯を掲げ、船体に一際大きく出来た裂け目を覗き込む。足場を確かめつつ身を翻して中に入るが、不自然な角度に傾いた内部では両手が使えないと不便そうだ。
「待て、今、光を出そう」
ロニキスが呪紋を唱えて光球を出現させて幾つか船体内に放り込み、外にも一つ浮かべた。明るい光に誘われて蛾や羽虫が乱舞する。
「かなり見易くなりました。操縦席の方に行ってみます」
「私は外を調べよう」
彼女が内部を調べている間に、ロニキスは外壁を調べる。ラティクスとミリーの二人は何を調べればいいのかすら解らないので、邪魔をしない様に少し下がった場所で眺めていた。
「ねぇロニキスさん」
「何だ?」
「もしもこの船の持ち主が判ったら、どうするんですか?」
ミリーの問いに、光を近づけて壁の塗装を丹念に調べていたロニキスは答える。
「・・・いずれ連邦と敵対する勢力かも知れんからな、警戒するに越したことはないだろう。勿論、犯した罪の償いもして貰わないとな」
「そうですよね・・・私は、絶対に一言いってやりたいですよ!
あんなに酷い事をして、文句も言えないなんて不公平です!」
「俺も同感です・・・何か見付かりそうですか?」
「いや。普通は識別記号が書かれているものなんだが、剥げてしまったらしい。
イリアの方に期待した方がよさそうだ」
「そうですか・・・」
暫くして、裂け目に金色の頭が覗いた。
「どうだ、イリア?」
「駄目です。落下の衝撃と火災でメイン部は致命的なダメージを受けていて、復旧は無理でした。艦の身元を明らかにする物も、全く見付かりません」
「誰も居なかったか?」
「はい。遺体も無かったので、乗組員は事前に脱出してローク人の中に紛れ込んでいると考えられます」
「・・・・・・無駄足だったか」
「ただ、史実上では無事にウィルスが持ち帰られているのですから、どこかから救難信号が出ているのかも知れません。もう少し手掛かりを探してみます」
イリアは苦い顔をして頭上、即ち操縦席と反対の方向に伸びる通路を見上げた。
「と言っても、船体が垂直になっているので損壊の少ない後方部分が調べられません。第三勢力の特定は望み薄でしょう・・・」
「そうか・・・済まないな、二人とも」
ラティクスとミリーの為にも見付けたい気持ちは山々だったが、ロニキスは少し肩を落とした。
「残念ですけど、しょうがないですよロニキスさん」
ウィルスをばら撒いた敵には腹が立つが、ロニキスに怒りの矛先を向けるつもりなどミリーには全く無い。その彼が落胆してしまったのに気付き、彼女は努めて明るい声を出す。
「折角来たんだし、何か使えそうな物とかないんですか?
これに乗ってた人達って魔王と会ったって事ですよね、凄い武器とかありそうじゃないですか!」
「あ、あぁ・・・そうだな。見たところ、荒らされた様子もない様だ」
「きっと皆、怖がって中には入らないんだと思いますよ。不気味ですから」
ラティクスは昼間の子供達の様子を思い出して言った。昼間、好奇心旺盛な子供ですら、一人も中に入ろうとはしなかった。《聖域から落ちてきた》という事に、大きな畏怖を覚えるからだろう。
「はは、そうなのかもな。・・・イリア、私も中に入るぞ」
「待って下さい、今、退きますから」
そしてロニキスもまた、船体内部に消えた。

待つこと暫し、ちかりという輝きにふと目を遣ると、ミリーが何かを光に翳していた。
「よっぽど気に入ってるんだな、それ」
「うん。買ってもらったペンダントだし、大事にするわ」
にこっと笑った彼女の言葉が不思議と擽ったくて、ラティクスは明後日の方を向く。

「いいものを見つけたぞ」
「それは?」
「応急処置用のキットだ。組成を見る限り我々が使っても大丈夫な様だし、貰っていこう。
他にも色々とあったぞ、使えそうなものがな」
墜落艦での探索を終えたロニキスはそう言って、ラティクスには判別不能の品々を次々に取り出してきた。イリアの方に目立った成果は無かったと見えて、彼女はロニキスの戦利品を眺め尋ねる。
「ひょっとして浄水剤とかありませんでした?」
「何とサバイバルキットまで発見した。濾過器がある」
「本当ですか?! これでヨード味とはおさらば出来るんですね♪」
「うむ。第三勢力を特定出来る物は見付からなかったがな」
「ですが薬の成分から、我々と同じタイプの生命体と推測される事、だけは判りましたよ」
鎮痛剤、止血剤、人工皮膚と指摘してから、イリアは該当する人種は多いですけれど、と溜め息を吐いた。
「何も無いよりはましだったかな。さて、片付けるとするか」
「なら分担して持ちましょう。こっちは俺の袋に入れときますよ」
「ああ、頼む」
今迄する事が無かった分、せめて袋詰めだけでもしようとラティクスは自分の道具袋を開ける。ミリーもそれに続き、ロニキスの持ってきた白い薬箱を手に取った。
「・・・ちょっと火事場泥棒みたいですねぇ、これって」
「ミリー、これは資源の再利用と言うんだ。有効利用でもいいが」
うむ、と自己完結したロニキスであったが、その有効利用すべき資材は少々多い。ラティクスが自分の分担として決めた量の幾らも仕舞わない内に、袋は一杯になってしまった。
「入りきらないな。昼間も色々と買ったから」
「そぉ? 整理すれば入らない量じゃないわ」
ミリーは彼の道具袋の中身を一度空けると中身を選り分け始める。直後に驚愕の叫びが発された。
「ちょっとラティ、このシロップ両方ともちょっとしか入ってないじゃない!」
「あ、それはな」
「混ぜるからね、早く使ってよ!」
「サワーシロップとスイートシロップなんだけど」
「・・・もう混ぜちゃったわ・・・」
所詮どちらもシロップなので味に問題は無いだろうが、変に調合されてアヤしい効果を発揮されると嫌である。微妙な顔で瓶を眺めてみても覆水盆に返らず。
「そういう薬は一目で判るように、名前と開封日時を書いておいた方がいいわね」
「その通りです、イリアさん!」

「全く、ラティったら薬草の束だってばらばらになってるし、」
「リキュールも使い終わったら空瓶はきちんと捨てなさいよ」
「それからスキルブックはちゃんと方向揃えて入れれば、そんなにかさばらないんだから」
「あ〜〜〜っ、食べかけのチーズ、黴びてる〜〜〜っっ!!」

ミリーの小言は次々と続く。その度にラティクスは謝るのだが、「仲がいいものだな」とロニキスはしみじみ呟いた。

「この箱はなぁに?」
ミリーが更に不審そうな声を発して手にしたそれは、小さな木箱だった。
「何だろう?」
「そういうことして要らない物を溜め込むから袋が一杯になっちゃうんだってば!」
反論の余地も無い。彼女が箱を開くと、中から出てきたのは小さな陶器である。
「・・・オカリナじゃない。あ、そっか。ラティ吹けたんだっけ?」
「それって、前にポートミスで助けた女の子が落としたものじゃないの?」
横から顔を出したイリアが指摘した。
「あぁ・・・捨てる訳にもいかなくて、とっておいたんです。すっかり忘れてました」
ポートミスでの海賊退治の話はミリーも聞いていたので、簡単な説明で直ぐに納得する。
「それじゃあ捨てられないね。ねぇねぇ、久しぶりに吹いてよラティ」
「俺はいいよ」
「いいじゃないの。ラティが吹けるなんて初耳だし、私も聞きたいわ」
女性二人から期待を込めた眼差しを向けられて、しぶしぶラティクスは篭手を外す。随分長いこと触っていないのできちんと鳴らせるかが心配だったが、オカリナに口を付けると指が自然に動いた。
柔らかな音色が夜空に吸い込まれ、三人は暫く聞き惚れた。
「綺麗なメロディだな」
「古い曲なんですよ・・・ドーンに貰ったオルゴールも、これの編曲で・・・」
ミリーが曲の由来の説明を始め、ロニキスが興味を持ってラティクスの滑らかに動く指を眺めていると、

「それ、返してっっっ!!!」

悲鳴の様に鋭い声が辺りに響いた。
ラティクスは指を止め、皆が驚いて声のした方向を注視する。一体どうして、そんな場所から声がするのか不思議な場所から発せられたものであった。墜落した船体の一番上、即ち先端に立つ人影があり、それは壁を蹴る力強い音を立てて瞬く間に駆け下りてくる。

「あたしぃのトモダチなんだから、返せって言ってるのぉっ!!」

鋭い爪を持った猫の手がラティクスの手からオカリナを奪おうと伸ばされ、彼は思わずひょいと除けた。そして一拍遅れ相手の顔を見て仰天する。紋章術の灯に照らされたのは、なんと話題にしたばかりのレッサーフェルプールの少女だったのだ。
「君はっ・・・!」
「返して! 返して返して返して!!!」
「ちょっと落ち着いて! 危ないって!」
紅い瞳に涙さえ浮かべ、少女は物騒な両の手を振り回した。とても危なくて近寄れたものでない。
引っ掻き攻撃から逃げ続けるラティクスは他の三人に助けを求め、イリアが慌てて割って入った。この場に入れるのは、反射神経のいい彼女だけだったろう。
「あなた、海賊の洞窟にいた子よね。私達の事は覚えてる?」
繰り出す爪を悉く躱されながら、こうイリアに穏やかに尋ねられ、流石に少女は冷静になってしぶしぶながらも動きを止めた。
「・・・うん」
「このオカリナは、あなたがポートミスに落としたのを拾ったの。だから返すわね。
あなたの名前を教えてくれないかしら?」
「名前?」
「そうよ。前に会った時には訊きそびれちゃったから」
ラティクスは、やっと攻撃を止めた少女の手にオカリナを握らせて安堵の息を吐いた。シウスはレッサーフェルプールを愛想の無い種族だと評していたが、パワフルで怖いというのが彼の感想だった。その少女は、イリアの質問に首を傾げている。
「教えるのは嫌かしら?」
「うぅん。でもそんなの無いよ。あたしはあたしだもん」
「名前が、無いの?」
「皆、色んな名前で呼ぶから、あたしはあたしの名前なんて知らないの」
真顔で答える少女が天涯孤独の身である事など、当然判らないのでイリアは怪訝な顔のままで更に尋ねる。
「御両親はあなたのことを何て呼ぶの?」
「そんな昔のコトなんて忘れちゃったぁよ。気が付いたら一人だったし。
あたしのトモダチはこれとバーニィだけだもの」
バーニィ、というのはこの星に棲息する兎を大きくした様な動物のことだ。穏やかな性格で人によく馴れるのだが、友人にするには少々穏やか過ぎて張り合いが無いだろう。それはオカリナにも言えることである。
「本当に一人なのか?」
ロニキスに念を押されて、少女は怒った風に頷いた。
「うん、何か悪い?」
「いや・・・」
「何さ、はっきり言えばいいじゃんよ!」
四人は反応に困り視線を交わす。オカリナはきちんと持ち主に返され、これで彼等と少女との関わりは断たれている。一行の道程が危険なものである以上、他人の事情に深入りしない方が懸命なのは全員が理解していた。しかし自らの名さえ持たない者を、ただ見過ごせる者もまた、居なかったのである。
何故、オカリナを手にした少女はポートミスで別れた時の様に、直ぐにでもこの場から駆け去ろうとはしないのか。どうして声を掛けられるのを待っているのだろうか。
それは、誰かと関りたい気持ちがあるからでは、ないのだろうか。
「寂しくないのか?」
「寂しい?」
オカリナを握り締める手が、瞳が微かに震える。寂しいのだな、とロニキスは思った。誰の庇護も受けず、語らう友も無く、寂しくない訳があるものか。
「寂しい?」
誰かにそんな事を問われたことすらなかったのだろう。不思議そうな顔が、言葉の意味が心に染み透ると同時に歪んでいく。終には大粒の涙が一粒零れ落ち、少女は慌ててそれを拭った。
「寂しくなんてない・・・どーしてそんなコトゆぅんよっ・・・?」
「そういう風に見えたが、違ったら済まなかったな」
「そーだよ。そんなヘンなコトゆーなよ・・・ゆーからっっ!」
噛み付きかねない語気とは裏腹に、涙は止まらない。俯く少女から押し殺した嗚咽が洩れる。このレッサーフェルプールは、一体どの様な経緯で自分の名すら知らぬ不遇に身を置いているのだろう。
「泣きたい時は好きなだけ泣けばいいのよ。あなたは今まで、ちょっと人との縁が無かっただけなのね」
ぺたんと腰を落とした少女の頭を、屈み込んだイリアが優しく撫でてやると、泣き声は大きくなった。
「ねぇ、友達になろうよ」
「・・・トモダチ?」
「そうよ。私はミリー、あなたの名前も決めないとね。どんな名前がいい?」
にっこりと笑ったミリーにつられて、涙目で見上げた少女の口の端も少しだけ上がった。
「綺麗で可愛いーのがいい」
掻き消えそうな小声で告げる。
「ラティ、何かそういうのない?」
「えっ、あ、そうだな。ポチとかどうだ?」
「センス悪いわ。ロニキスさんは?」
ミリーはてきぱきと指名していく。少女を元気づけたい一心なのは解るが、センスが悪いと断言されたラティクスは少し悲しかった。それはともかくとして、ロニキスは少女のふさふさとした白い尻尾を眺めて暫く考え、そして答えた。
「尻尾がペルシア猫みたいだから、ペルシア・・・芸が無いか」
「なら、ペルシア神話にちなんでペリ、っていうのはどうです?」
「イリアさん、それどういう意味なんです?」
「美しい妖精よ。または妖精の様に美しい女性」
「ロマンチックでいいですねぇ」
「でもちょっと座りが悪くないですか?」
ラティクスには、ポチもペリも同じ様に聞こえる。
「そうねぇ。じゃ、この娘は結構人見知りするみたいだからペリ・シーでどうでしょう、艦長」
「Peri-Shy・・・Perishyか。ちょっと変わってるが、いいんじゃないのか?」
ミリーにも異存は無い様だ。後は名付けられる当の本人が気に入るかどうかである。
「ペリシー・・・?」
「どうかしら?」
自分の名を口の中で転がして、少女の顔が綻んだ。
「うん。すっごいすっごい、すっごい気に入った!」
そして、また瞳が潤む。
「ねぇ・・・・・・何で、悲しくないのに涙ぁ出るんだろ・・・?」
「嬉しいって事だよ」
「そうなの?」
「ああ。だから泣いてもいいんだよ」
ラティクスの言葉に、ペリシーは猫の耳の付いた頭をこっくりと頷かせた。

ペリシーと名付けられたレッサーフェルプールの少女がすっかり落ち着くのを待ってから、一行はポートミスに戻ることにした。まだ明け方には程遠い時刻だったが時間は惜しかったし、ムーア城の仲間達のことも気になる。ペリシーを一緒に連れて行くかについては当然議論の余地があったが、行ける所までは一緒に行こうという結論を出すのに時間は掛からなかった。
何の手掛かりも見出せなかった航宙艦を名残惜しげに見上げ、ふとイリアはペリシーに尋ねた。
「あなた、上の方から降りてきたわよね。そこに入れそうな部屋はなかったかしら?」
「あったよ。ベッドがあったから使ってた」
こともなげに答えたペリシーに、イリアもロニキスも顔色を変える。
「文字の書いてある物が何か残っていなかったか?」
「うーん、わかんないけど見たげようか?」
「あぁ、頼む」
二つ返事で引き受け、ペリシーは素晴らしい跳躍を見せる。僅かな出っ張りを足掛かりに、一気に壁を駆け登っていった。
「すごく身が軽いのね」
「ああ見えて、レッサーフェルプールの力はかなり強いんですよ」
「リズム感と音感もいいっていうよな」
「そうそう」
ラティクスとミリーがそんな話をしている間に、ペリシーは戻ってくる。その素早さから何も見付からなかったのだろうと思われたが、あに図らんや、彼女は何やらしっかりと銜えていた。
「ハイ、これしか無かったよ」
「見付かったのね! ありがとう、助かったわ!」
それは一冊の小さな手帳だった。イリアはそれを受け取るのももどかしく頁を繰る。
「どうだ?」
「珍しいですが・・・ハードコピーの個人的な日誌の様です。見て下さいこの部分を・・・」
明らかに血相の変わったイリアは、ロニキスに表紙裏の署名を示した。
「ファーゲット中央生命科研? 科学研究所だと?」
「ファーゲット・・・何処かで聞いたことのある名前だと思いませんか」
「あぁ」
「ロニキスさん達、犯人を知ってるんですか?!」
「同じ名を・・・知っているといえば、知っている。
まだそうと決まった訳ではないから詳しくは話せないが・・・」
「とりあえず、この手帳の中身を全部見てみない事には、何とも言えないのだけれど・・・」
勢い込んで尋ねるラティクスとミリーに、煮え切らない表情の地球人二人は、顔を見合わせた。