SO Script ACT・6


魔王討伐

かつての恩を忘れない者達からの歓待を受けて降り立ったポートミスは、以前の海賊騒動が嘘の様に賑わっている。察するに残党の報復は無く、ラティクス、イリア、シウスの活躍によってあの騒ぎはすっかり落着したらしい。帆を下ろした幾隻もの船が穏やかな波にゆっくりと揺れ、積荷を満載した船のあるものはポートミスに別れを告げて出航する。船乗り達が行き交う港には活気があった。
加えて今は、クラート村近くに落ちたという隕石が人を呼んでいる。船旅を終えた者達は、しっかりとした地面の感触を楽しむ間も無く人の波に揉まれることになるだろう。
ところが町の様子とは対照的に、ムーア城はひっそりとしていた。
「王が、居られない?」
ヴァンエンブレムを示しての謁見の申し込みに、漸く応対したのは大臣のボルクという男だった。その彼の顔色は優れず、苦悩の陰がありありと浮かんでいる。そして眉間に深い皺を刻んだまま、首を縦に振った。
「はい。遠路遥々来られた方々にこんな事を申し上げるのは心苦しいのですが、そうなのです」
「それはどうしてなんですか?」
「・・・客人をこの様な場所にいつまでも立たせておく訳にはいきません。
まずは旅の埃を落とすとよいでしょう・・・話はそれからに・・・」
ここで謁見が果たせなければ情報もエンブレムも手に入らない。王に会えないという予想もしていなかった事態に困惑を隠せない一行は、当然大臣に説明を求めた。しかし大臣は「話は後程」の一点張りである。城外では口にしたくない事であるらしかった。
半ば無理矢理通されたムーア城は、精緻な彫刻が美しい白亜の建造物である。惜し気もなく施された装飾の数々が、他国に比べ軍備に力を入れないで済む結果を示していたが、しかし其処には武装した兵士達が多く見られ、大臣の表情と同じく常ならない雰囲気を漂わせていた。

一刻後。久々に充分な真水で身体を洗ってすっきりとした者達を前にし、やっと大臣はその《事件》を話し始めた。
「もう半月程になりましょうか・・・我が城の地下にある宝物殿に、突如として魔物が徘徊する様になったのです」
「魔物が?!」
これには一同驚いた。全く平和に見えた国でそんな事が起こっていたとは。大臣は重々しく頷いて続ける。
「はい。それがまた、この辺りでは見掛けない凶悪なものばかりで。
扉は一つしかありませんから、中から湧いてくるとしか思えないのですが・・・今はその扉を塞ぐので手一杯の状況なのです。しかし王を、その様な城に住まわせる訳には参りませぬ。そこで、普段は避暑に使う離宮の方に居を移しているのです」
そんな大臣の言葉に、何人かが微妙な顔をしたに違いない。足元に魔物の徘徊する迷宮を置いて平然としていたヴァンの王とは余りにも対照的だったからだ。ムーアの王、そして此処では側近達の意識もまた同様に、他国と異なるのではないか。危険に先陣を切って立ち向かう主君に従うのではなく、ひたすらに護ろうとする。それは平和主義者であったというムーア前王の影響だけではなく、平和な国とそうでない国、その厳然たる状況の違いだ。特に他国の者には、それが如実に現れている風に思えてならない。
アシュレイが尋ねた。
「その離宮の場所は? そちらで謁見することも出来よう」
「・・・そのことなのですが・・・真実の瞳の探索、そして魔王討伐に向おうという皆様方の腕を見込んで、宝物殿の魔物退治をお願い出来ないでしょうか。何しろ、宝物殿の中ということで、集団で戦う通常の戦とは勝手が違います。恥ずかしい話ながら、我が国の兵では事の原因を探ることが出来ません。
しかし皆様方なら、そうではないでしょう」
大臣の期待を込めた視線を受けて、老兵は鼻白んだ。何となく相手の意図が読めたからだ。
「勿論、相応の報酬は御支払いします」
そんな言葉も白々しい。何のことはない、引き受けなければ謁見させないという交換条件なのである。テーブルを挟んだ向いでラティクスが驚いた顔をし、ロニキスは苦笑いを洩らした。彼もまた直ぐに大臣の意図を悟った様だ。
「この場合、引き受けない訳にはいかないですかね?」
「むぅ、そうじゃの」
「なら行くしかないだろ。おい、ボルクさんよ、その宝物殿の広さってのはどの位の人数が適当なんだ?」
尋ねるシウスに、大臣は汗を拭きながら答える。
「通路の広さなどから考えると、一緒に戦えるのはせいぜい四、五人といったところでしょう。それ以上になると味方同士が邪魔になります。ただ、宝物殿は規模としてはかなり大きいものです。全ての魔物を始末するには一日ではきかないと思いますが・・・」
「面倒だな」
「ですからこうしてお願いしているのです。
この様な状況が続けば、何時魔物が宝物殿から溢れ出て町の方まで被害が及ぶかわかりませんので」
「・・・それで無事に魔物を倒したとして、王と謁見できるのはいつ頃になるかのう?」
「色々と準備などあるので十日程はかかりましょうか。それから申し上げ忘れましたが、この件はくれぐれも内密に御願いします・・・」
「では、くれぐれも宜しく御願いします」と言い残して大臣は小広間を出て行った。ティニークがむむ、と円眼鏡のずれを直しながら閉ざされた扉を見た。
「なーんか、体よく利用されてる気がするッスね」
「町の安全という意味ではこの件、確かに捨て置けぬがの。まぁ、仕方あるまい」
「ですが十日もかかるとなると、これは予想外の足止めですよ」
「でもでもヨシュアさん、ポートミスでゆっくり羽根を伸ばすのもいいかも!」
「ミリー・・・?」
「もう、マーヴェルさんってば突っ込み厳しいですよ〜」
マーヴェルとヨシュア(+アシュレイとティニーク)の何とも言えぬ視線にミリーが閉口しているのを横目に、イリアがあることに気が付いた。
「十日もあれば、急げばあれが調べられるわね」
「・・・あれって、何です?」
「ラティは覚えてるかしら? ヨシュアが仲間になった直ぐ後くらいに、隕石・・・星の船、でしたっけ? ・・・それがムーア大陸に落ちたでしょう。今までは機会がなくて調べられなかったんだけど」
「星の船? なんだそれは? 隕石の噂なら聞いたことがあるが・・・」
「何の話してるの?」
怪訝そうな顔のロニキスと、冷たい視線から逃れてきたミリーが話に加わってきた。丁度よかった、とイリアは二人に、この時代に航宙艦らしきものが墜落した可能性があるのだと説明する。そしてそれが第三勢力の艦である可能性があることも。
「・・・それって絶対見に行ってみるべきよ!」
石化ウィルスをばら撒かせた張本人の話に、ミリーの表情が固くなる。ロニキスもこれには大きく興味をひかれた様だ。
「第三勢力の艦、か。そういう話だったら、確かに調べる必要があるだろうな」
「はい。だから、ラティには案内をお願いしたいのよ」
「俺でよければ勿論そうしますけど、宝物殿の方はどうするんですか?」
「・・・そうね。とりあえずそっちの方が先決かしら」
「のう、ラティ?」
四人が隅の方で相談しているのを見て、アシュレイがこう提案した。
「もしもヌシ達の方で何か用事があるのなら、こちらは任せて貰って構わんと思うがの。
大体、人数も多すぎるようじゃ」
「でも、悪いですよ」
ラティクスは慌てて手を振った。他の仲間に面倒を押し付けて自分達の事にかまけるなど。
「いいえ、僕もフォスターさんのことで無理を聞いてもらいましたし。お互い様ですよ」
フォスターとはヨシュアの育ての親の名だ。ロニキスに名品の弓を譲ってくれた老人でもあるが、道中、ヨシュアたっての願いで少々の遠回りをして彼の家を訪れたのだった。
「あの時は皆さんに魔物退治までさせてしまいましたし、本当に感謝しています」
「いや、あれは別に大した事じゃ・・・」
「・・・ですから、ラティ達も頼って貰ったって全然構わないんですからね。水臭いですよ」
「そうですわ。ロニキスさんもミリーも、事情があるならそちらを優先させるべきです」
マーヴェルもそう言い切って、私も御迷惑をかけてしまいましたし、と付け足す。ティニークが勢いよく頷いた。
「そんなコト言ったら、俺なんて迷惑そのものじゃ無いッスか。こういう時くらいお役に立たせて下さい!」
「そうすると、宝物殿に行くのがアシュレイさん、マーヴェル、ティニ、シウスと僕。五人になりますから丁度いいですね」
手際よく話を進めるヨシュアに、シウスが苦笑した。
「おいおい俺の意見は聞かねぇのかよ・・・たく、別にどっちでもいいけどさ。
ま、お前ら最初から隕石に興味があったみたいだし、気を付けて行ってこいよ。どうやらこの国も、安全じゃねぇらしいしな」
それから意味深に笑ったシウスの顔を見て、ラティクスは思い出した。時には仲間に頼ることも必要だと、以前もポートミスで彼に教えられたのだ。
「どうするラティ? 確かに時間のロスは少なくなるけど」
だから、ラティクスは力強く頷いた。
「皆に任せましょうイリアさん。俺達の事情も、やっぱりないがしろには出来ませんしね。
直ぐに出発しましょう、早く戻って来られるように」

「あいつらが自分達の事を話す日が来るのかな」
「余計な詮索は無用じゃろ?」
「きっと、いずれ時期が来ますよ。さぁ、僕達は僕達のやるべき事をやりましょう」
訳ありの四人がムーア城を出るのを見送ってから、残りの者達は宝物殿に向かった。場所を訊くのを忘れていたが、魔除けの紋章を隙間無く刻んだ巨大な扉から何処が宝物殿なのかは容易に知れた。
宝物殿はムーア城の中心部から地下にかけて広がるもので、大臣の言う通り出入り口は一つしかない。それは城内にありながら独立した場所なのである。控えた兵士達の話によると、扉そのものは盗賊への対策として大変頑丈に造られているものの、たまに内側から異様な音がする事があり、何時破られるかと気が気ではない様子だ。
「おお、早速取り掛かって頂けるとはありがたい!
是非これをお持ちになって下さい、宝物殿内の見取り図です」
内部への進入にあたって装備などを確認していると、やって来た大臣が畳んだ紙を手渡した。それが見取り図だと知り、皆が目を丸くする。
「あいや〜、とんでもなく広いんスね。こんなに入れる宝があるって事ッスか?」
「ムーアは長い歴史を持つと共に、昔から芸術に大変造詣の深い国でもあります。武具は勿論、数々の書物、絵画、調度品など、収めるべき品は多く、これでも手狭なのですよ」
「歴史と言えば、ヴァン王が、旧異種族が最初に降り立った地がムーアだと言っていましたが・・・?」
ヨシュアが尋ねると、大臣は旧異種族ゆかりの品も勿論あるだろう、と頷いた。
「確かに、その様な伝承も残っています。今でも時折、旧異種族の遺した品々から啓示を受けて絵画を描く者もこの大陸にはおりますし、メトークス山には隠された旧異種族の遺跡があるという話も聞かれます。ですから何らかの縁があったのは事実でしょうな」
「だとすると、魔物がその宝を狙っているという可能性があるかも知れないわ。旧異種族の遺産には、強力な武器が多いから・・・」
「鋭いの、マーヴェル。強い武具・・・確かにあの時代の品には、今では製造が不可能とされるものが多い」
「ま、ここでぐだぐだ言ってても始まらねぇ。扉を開けてくれ!」
「はい、解りました。それから宝物殿の品ですが、中にはそうした強力な武具も多くあります。差し上げる訳には参りませんが、どうぞ使って下さい」
そう言って大臣は王家所有の紋を刻んだ鉄製の大きな鍵を二つ取り出し、一つをアシュレイに渡した。残りの一つで扉を開く。そこで内部からの物音の正体が判明して、大臣の表情が更に険しくなった。扉内側は炎でもかけられたか無残に焼け落ち、中に仕込んだ鉄板が剥き出しになっていたのだ。しかも幾つもの凹みが出来ている。
「これは・・・宝物が心配ですね」
「宝が目当てなら、傷付けられてはいないと思うが・・・何処から来たか判らない以上、持ち去られた可能性はあるかのう」
「我が国の宝が一体どうなっているのか、気が気でありません!
それでは、くれぐれも宜しくお願い致します・・・!」
内部は窓が一つも無く、壁に取り付けられた弱い光の灯火だけが頼りだ。換気はきちんと為されているのか、思ったよりも空気は悪くない。五人がシウスを先頭にして長い廊下を歩き始めると、扉は直ぐに閉められて錠が掛けられた。先程アシュレイに渡された鍵は、扉を内側から開くためのものだったのだ。
「まず魔物が何処から侵入してくるのかを確かめんとな。そうしないと幾ら倒してもきりがない」
「一度、一番奥まで行ってみましょうか?」
「そうするかの」
かなり歩いたが、廊下はまだ終わらない。そこで何かの気配を察したかアシュレイが右手で長剣を抜き放った。
「・・・四体、居る」
ふっと空気が動き、シウスは氷の匂いを嗅いだ。次の瞬間、前方の闇から凍てつく冷気と共に無数の氷の礫が襲い掛かる。ブリザードの呪紋をまともに喰らった彼の前半分が見る間に白くなり、二三歩後退した。しかし巨体が盾になって後方への被害は少ない。
「炎よ!」
マーヴェルの呼び掛けに熱を持った宝珠が飛び、即座に吹雪を食い止めシウスの周囲を温める。ヨシュアが回復呪紋の詠唱を終えて凍傷を治癒した。
「面目ねぇ!」
礼を言う暇もあればこそ、闇に向かって走り込んだシウスの目が慣れ、魔物の正体が明らかになる。獣の姿をした術師系の魔物メフィティスが二体に、無数の牙に猛毒を持つ正体不明の生物、ペトロゲレルが二体。魔物術師が既に次の呪紋詠唱の唸りを上げているのを、見事な跳躍でシウスを飛び越したティニークが蹴り倒す。それから棍で胸元に鋭い突きを二発。逃げ出そうとしたもう一体には振り向きもせずに後ろ蹴りを入れ、それは見事に頸部に決まっていた。闘技場の乱入者は伊達ではない。
その間に目標を変更したシウスはペトロゲレルに切りかかり、これを一刀両断した。ところが切り分けた両方が瞬く間に成長を遂げ、それぞれに襲い掛かってくる。これがこの生物の厄介な所だが、直ぐに方法を変えて紅蓮剣で焼き尽くすと、何とか大人しくなった。もう一体はアシュレイがやはり紅蓮剣で倒している。
「シウス、大丈夫ですか?」
「ああ、回復ありがとうよ。こいつは、気ぃ引き締めて行かねぇとな」
「・・・こやつらムーアの魔物でない・・・シルヴァラントにいそうな奴じゃ。何故こんな場所に・・・?」
焦げた匂いの漂う場所を急いで後にし、宝物殿の最奥、最も貴重な宝の置かれる場所へと一路向かう。見取り図のお陰で複雑に入り組んだ通路に迷うことはなかったが、其処此処に徘徊している魔物は侵入者を倒すという目的を持っているのだろうか、直ぐに寄ってきて攻撃を加えてきた。魔物側も遠近バランスの取れた集団で襲ってくる為、連携が上手く行かないと容赦なく身体が傷付けられる。唯一回復の出来るヨシュアだが、誰かを回復する間は攻撃呪紋、特に全体攻撃が出来ないので不自由だ。
こうして幾度もの戦闘を重ねていく内に、線の細いフェザーフォルクの疲労は極限にまで高まっていった。
「・・・ふぅ、ミリーの方が回復が得意なんですよね。慣れない呪紋は身体に堪えます」
「大丈夫ですか?」
魔物の追撃を嫌って整然と並べられた鎧の間を走り抜け、由緒ある剣が掲げられた壁の下で遂に顔面蒼白になったヨシュアは座り込んだ。マーヴェルが薬を出そうとしたが、手を振って断る。
「えぇ。心配しないで下さい、直ぐに治りますから」
「ヨシュアさん・・・」
「ヨシュア、これなど使ってみたらどうじゃ?
儂に紋章術はよく解らぬが、この杖、敵を叩くには丁度よい様じゃ」
アシュレイが、何処から見つけてきたのかやけに豪華な杖を持ってきた。儀杖用にも見えるが、造りそのものはかなりしっかりしていて滅多なことでは壊れそうにない。強度強化の紋章でも彫り込まれているのだろう。ヨシュアはそれを受け取り、縋るように立ち上がった。
「はい、ありがとうございます。どうやら暫くは呪紋も使えないですし、どれだけ通用するか解りませんが、そうすることにします」
「皆さーん、下に降りる階段がありましたよ! ここを降りればもう着きますよぉ!!」
ティニークの能天気な声が響く。よく見れば、これでもかという程に両手を振っているのが微笑ましい。
「僕は大丈夫です、行きましょう。心配かけたくありませんから」
ヨシュアは優れぬ顔色のまま、そちらへと歩いていった。マーヴェルは俯き、小さく呟く。
「私も、嫌われたものですね」
「・・・何があったかは知らぬが、あやつとしても引っ込みがつかないのではないのかの?
マーヴェルが気に病むことはない」
「そう言って下さると、気が少し楽になります・・・すいません。
・・・さぁ、私達も行かなくては」
泣いている様に見えたのは、揺らめく灯火の起こした錯覚であった様だ。アシュレイは一人立って暫し黙した。ヨシュアは初めからマーヴェルに、というよりはマーヴェルの存在自体に不信感を持っていたが、その事と今の態度とは関係ない様に見える。警戒ではなく、怒り。
原因は、闘技場であったという口論だろう。
「若いの・・・」
結局アシュレイはそう呟くと、ゆっくりと皆の後を追った。

「嫌な感じだな」
「絶対、ここッスね」
不調のヨシュアを庇う様に立ったシウスとティニークは、それぞれに得物を構え直した。
ここは宝物殿の最奥である。広い部屋ではないが、棚に置かれた小振りの宝箱一つ一つに収められた品々は計り知れない値打ちを持っている。上階とは打って変わったじっとりとした空気に、まるで洞窟の中にいる気さえして鳥肌が立つ。
「おい、隠れてないで出てきやがれ!」
シウスの吼える様な一喝に、部屋中から黒い靄が滲み出してきた。するすると凝集して、それは闇色のドレスに身を包んだ妖しい女性となる。
「女の人ッスか?!」
「違う、魔物だ!!」
頭上の豪奢な燭台が唐突に強烈な光を持って部屋全体が煌々と照らし出され、その背中から蝙蝠の如き巨大な翼を生やした魔性は艶然と微笑んだ。その翼すらもが衣装の一部であるかの様にしっとりと輝き優美に揺らめく。全身に濡れた光を湛えたそれは、手近な宝箱を一つ開くと指輪らしきものを取りだして一しきり弄び、軽くこちらに放り投げた。指輪は絨毯の上を転がって、ヨシュアの足元で止まる。それの何が面白いのか、底冷えのする声音で笑った。
「アスモデウス様からの御命令で、もう目ぼしいものは取り返したのだけど・・・ここの装飾品、趣味がよくていいのよねぇ・・・だから離れがたくって。それが多分、あんた達の気に触ったのよね」
「どうやって此処に入ったんだ?」
「少しでも隙間があれば、大した事じゃないわ。他の奴等を喚んだのは私だけれどねぇ。それはこういう風にあんた達に邪魔されない為」
「一体何が目的なんだ?!」
「そんなことまで教える義理はないわよ。さぁあんた達の質問には答えた、私の質問にも答えなさい。
あんた達風に言って、≪光の剣≫みたいなものが他の場所にもないか、知らない?」
ゆらりと一歩踏み出した魔性に向かって即座に技が繰り出せる体勢を取りながら、シウスは他の仲間達が臨戦態勢に入ったと感じた。何時攻撃を受けても大丈夫だという確信を得て、吐き捨てる。
「≪光の剣≫? そんなもん、知る訳ねぇだろ! それに知ってたって教える筈がない!」
「あらぁ、残念ね。素直に答えれば楽に殺してやったものを。まぁ、土着民族風情に多くは期待しないわ。
我が名はサキュバス! あんた達、じっくり時間を掛けて殺してあげる!!」
サキュバスの艶笑が酷薄なものになり、瞬時に鬼気が色香に取って代わる。生白い腕が踊る様に動くと、明るい光に黒々と落ちる自身の影が膨れ上がり、次々に魔物が這い出てきた。
「ブリザード!」
なけなしの精神力を奮い立たせてヨシュアが猛吹雪を巻き起こす。ペトロゲレルの一群は見る間に凍り付き、動きを止めた。彼は豪華な杖を握り直し、手近な一体を渾身の力を込めて殴打する。魔物は鈍い音と共に欠片になって砕け散った。
「ヨシュアさん、あったまいいッスね〜」
成程、と感心したティニークが早速それを真似、次々に棍で砕き切った。
「! メフィティス共、やっておしまい!!」
サキュバスの顔が醜く歪み、髪を逆立てて怒鳴りつける。追い立てられる様、魔物術師は一斉に呪紋を唱え始めた。その内容はやはり攻撃範囲の広いブリザードだ。しかもサキュバスの影からは早くも次の魔物が召喚され始めていた。
「させるかよっ!」
ブリザードの多段攻撃は致命傷になりかねない。シウスはメフィティスに向かって衝霊破を放ち、圧倒的な気にのけ反った一体を斬り伏せる。しかし背後から新たなペトロゲレルの攻撃を受けて激しく咳込み、跳び退った。魔物の数は多く、知らぬ間に五人はすっかり取り囲まれている。
「こいつはちっとやばいかもな。ん、何だ・・・身体の動きが・・・?」
「多分ペトロゲレルの毒です、動かないで!」
膝をついたシウスにマーヴェルが駆け寄り、背中の怪我を診る。筋肉が強張って後ろを振り向けないシウスが叫ぶ。
「どうなってんだ?!」
「無駄無駄、さっさとやられてしまいなさい!」
「まずはあいつを叩かんと駄目じゃな・・・マーヴェル、シウスのことは任せたぞ!
ティニ、援護を頼む!」
「解りました!」
「了解ッス!」
二人が哄笑を上げるサキュバスに迫る。アシュレイが蒼龍醒雷斬を繰り出す瞬間、主人を守ろうと寄ってきたペトロゲレル達をティニークが旋風棍で勢い良く薙ぎ倒す。真向から龍気を受けた魔性は胸元から黒い霧を噴いて蹌踉めいた。それを好機とアシュレイが踏み込んだが、漂う霧は槍の形を為し、彼とティニークとに降り注ぐ!

「ペトロゲレルの毒は猛毒で、まず神経が麻痺します。それから耐性が無いと傷口から全身に壊疽が広がります。だから急いで治療しないと・・・あぁ、でもまさかあんな魔物がいるとは思わなかったから、薬があったかしら?!」
部屋の隅で、そう早口に言いながらマーヴェルは薬箱を開く。そこにアシュレイとティニークの防ぎ切れなかった魔物が次々と襲い掛かってきた。
「・・・くっ!」
「にぃさっ・・・ヨシュアさん?!」
「ここは僕が食い止めますから、貴女は早くシウスを・・・!」
最初の一撃を耐えたヨシュアは杖を振りかぶって手近な魔物を殴打し、その頭部を叩き潰した。ウィンドブレイドなどの簡単な呪紋を唱えて牽制し、隙を見て打撃を与えているが、元々体術に通じている訳ではないので何時まで持つかは解らない。マーヴェルは迷ったが、結局シウスの手当てを優先した。適当な場所に小さな傷を付け、毒血を流して毒の回りを遅くするのだ。
「どちらにしても薬は無いんだろう? 俺の事はいい、魔物を倒す方が先だ!」
「戦いならば私が行きます、だから、お願いだから動かないで下さいっ。命に拘るんですから!」
しかしその制止を振り切って大剣を手に再び戦列に加わろうとするシウスを、マーヴェルはその華奢な腕からは信じられない程の力で押さえ付けた。彼女も必死なのだ。
「放せっ!!」
「放しませんっ! そこまで言うのなら、荒療治しますよ!!」
「望むところだ!!」
売り言葉に買い言葉、シウスは自分を痛いほど押さえつけたマーヴェルの両手が急激に冷えて行くのを感じた。背後の彼女の半眼が青白い光を帯びていることは知るべくもなかったが、思わず身が竦む。
「我慢して下さい。痛いですからね!」
恐ろしく冷たい掌が押当てられ、傷口が燃えるように熱くなった。堪え切れずに爪が絨毯を掻き毟ったが、マーヴェルはもう片方の腕で強くシウスの肩を押さえつけている。やがて彼女は静かに告げた。
「氷の精霊で患部を凍結しました。これで暫くは毒の進行を抑えられます。痛いでしょうが、死ぬよりはましですから」
「・・・ありがてぇっ・・・!」
マーヴェルは痛いと言ったが、今は凍傷同然で全く感覚が無い。麻痺が始まりかけていたので少々動き難いが充分戦えそうだ。マーヴェルは応えずに苦戦しているヨシュアの援護に回った。シウスが目を走らせると、サキュバスの生み出す闇槍を躱し続けるアシュレイとティニークがいる。そこでシウスは急ぎ、余計な攻撃を加えるサキュバス周囲の魔物を始末に向かった。
「シウス、動いて大丈夫なのか?!」
「ああ、マーヴェルのお陰でこの通りさ!」
不意の加勢は敵側の意表を突き、シウスは幾体もの魔物を地に沈めた。数を頼みに攻めてくる魔物の反撃は、倒した数に反比例して弱くなる。
魔性は金切り声を上げた。
「えぇい、ちょろちょろと!」
「素早いと言って下さいな!」
軽やかに宙に舞って闇槍をいなしたティニークは三回転半を決めて見事な着地をし、三つ編みを片手にくるくると振り回して挑発する。いきり立ったサキュバスが鋭い爪を振り上げて襲い掛かっていくが、そこで、それは自分が三方を取り囲まれているのに気が付いた。
「何時の間に?!」
「ティニの方ばっか見てるからだぜ!」
大剣が背を大きく抉る。
「いやぁ、照れるッスよ!」
新たなる槍が生み出される前に、腹を鋭く突く。動きが止まり、真っ黒な血が口から零れ落ちた。
「ぐぅ・・・」
「命運尽きた様じゃな、昇天召されいっ!」
アシュレイの放った朱雀衝撃破に、ついにサキュバスは崩れ落ちた。しかし、まだ息は絶えていない。観念したのか凄絶な笑みを浮かべながら、それは黒い血と共に呪詛の言葉を吐き続ける。
「・・・なによ・・・土着民、風、情、が! いい気に・・・られるのも今の内よ、もう直ぐ・・・アスモデウス様が、さぃ・・・きを完成、なされるわ・・・」
「何じゃと?!」
「あんた達に・・・勝ち目なんて、無い・・・あぁ、・・・いい・・・気・・・味・・・・・・」
怪訝な顔をしたアシュレイの問には無論応えず、そして、消え入るように静かになった。
しかし、凍り付いた言葉がまだ漂っている気がして、三人は動けない。
「・・・何なんだ、こいつの最期の言葉は?」
「解らん。だが、嫌な感じじゃの。大体、こやつらが何を盗りに此処に入ってきたのかがはっきりせん」
「ロクでもない事ってのだけは、はっきりしてますケドね」
確かにはっきりしているのは、それだけだ。
「・・・無事に、倒したようですね・・・」
「ヨシュア、そっちも大丈夫だったか!」
振り返ると純白の羽根を魔物の返り血に染めたヨシュアが、大儀そうに頷いた。
「えぇ。マーヴェルに助けられました」
「いえ、私こそ・・・それより、ひとまず戻りましょう。シウスさんの傷は、直ぐにきちんと処置しないと危険です」
シウスが顔を顰めた。
「確かに、少しずつだが、麻痺が広がってきてやがる」
「僅かとはいえ、既に回ってしまった毒は取り除きようがありませんから・・・」
「その様じゃな。残りの魔物は後でまた倒せばよかろう。ヨシュアよ、回復呪紋は使えるかの?」
「それが・・・もう精神集中出来ないんです。こうして立っているのもやっとで・・・」
「そうか。まぁ言っても栓無いことじゃ、もう一踏ん張りするか」
全員が満身創痍の状態だが、手持ちの薬で手当てをすれば出口に辿り着けない事はないだろう。
「この部屋にキュアストーンだけでもあるといいんですが・・・あら、これは・・・」
使えるものが無いかと棚を調べていたマーヴェルが何かに気付き、床から光る物を拾い上げる。それは最初にサキュバスが放り投げた指輪だったが、彼女の顔が綻んだ。
「なんだ、そいつは?」
「メンタルリング・・・精神賦活の魔力を持つ指輪です。ヨシュアさん、どうぞ使って下さい」
「あ、すいません・・・」
ヨシュアは一瞬躊躇ったが、指輪を受け取って右手に嵌める。ふぅ、とメンタルリングは淡い光を放ち、彼の身体を包み込んだ。
「確かに、気力が充溢していくのを感じます・・・これなら・・・!」
そして彼は静かにキュアオールの詠唱を始めた。