SO Script ACT・5


再会、そして再開

一行の足取りは軽く、色とりどりの落ち葉を踏む音すらリズミカルで楽しいものに感じられた。その中でも一際元気なのは、フェルプールの少女のものである。
ラティクスはしばらく忘れていた雰囲気に、安堵感を覚えていた。彼女が傍にいるという当り前の事がこんなに安らぐものだと実感するなんて、今までに無かったことだ。深く息を吸い込めば、身体の底から力が沸いてくる気がする。
「どうしたの、ぼーっとしちゃって。私の話、聞いてた?」
数歩先を歩いていたミリーが立ち止まり、眉の間にちょっと皺を寄せた。ラティクスは慌てて答える。
「聞いてるよ。えぇっと、ロニキスさんが紋章術を使えるようになったんだな」
「そうそう。これってかなり重要なんだからね・・・凄いんだから!
ファイアボルトもサンダーボルトも、ウーンズだってすらすら出来ちゃうんだよ」
「艦長が紋章術、ねぇ。聞いただけだとちょっと信じられないけれど」
「本当なんですよ。マーヴェルさんにも色々教えて貰って、今じゃ相当な腕前なんですから」
ミリー達の連れだという女性の名を出す時に、一応少女はイリアの顔色を伺った。
特に、辛うじてか、異常無しである。
「でも、ひと月もしてないんだろう。紋章術ってそんなに早く上達するものなのか?
ヨシュアはどう思う?」
ラティクスは、すっかり一行に馴染んだ感のあるヨシュアに尋ねた。既に互いに呼び捨ての間柄である。
「人それぞれですけど、話を伺っている限りではかなり才能のある部類に入ると思いますよ。でもその方が、今まで紋章術を知らなかったのだとすると、ちょっと珍しいかもしれません」
「絶対に知らなかった筈だわ」
以前から色々とやらかす人だったけれど、とイリアは思った。
「まさか紋章術を会得するなんて・・・。きっと先生がよかったのかしら、ミリーちゃん?」
「そんなことないですよ」
少女は慌てて手を振ったものの、やはり嬉しいのか笑顔は隠せない。
「で、・・・こっちは大体そんな感じだったんだけど、ラティ達の方は色々面白そうだったんだね。
海賊に、お城に、神殿に・・・ルーンにまで会っちゃうなんて羨ましいよ。
ヴァン王国なんて、魔物がもう強くってそれどころじゃなかったし・・・あ〜あ、私もちょっとでいいから冒険したかったな」
「それどころじゃないだろう」
「わかってるけどね」
「流石はラティの仲間だなあ、言うことが違うや」
シウスが笑う。
「なによ、それ」
ミリーはちょっと膨れてみせるが、つられて直ぐに笑いが溢れてしまう。
この場にいる誰もにとってこんなに爽快な旅路は珍しかった。
黙然と考え込んでいる老戦士、ただ一人を除いては。

体力的にやや劣るミリーやヨシュアの歩調に合わせていたものの、魔物に遭遇することがなく道程ははかどった。何度か道の端に寄せられていた魔物の骸の具合からすると、先行した二人の紋章術師の功績による部分も大きいようである。
そうしてイオニスも間近に迫った頃だった。
エグダートを出てからというものずっと寡黙であったアシュレイは、今もやはり、何かを考えているらしかった。その為に額の皺がより一層深まっている様が苦痛の表情にも見えたのか、ヨシュアが心配して訊ねてきた。
「何か辛そうですが、大丈夫ですか?」
「・・・ん? いや、違うんじゃ。少しばかり考え事をしておっただけよ」
「そうですか」
彼は自分の早合点に照れ笑いを見せ、それからもしばらくアシュレイの隣を歩いていた。
「当ての分からない旅というのも、中々オツなものよな。
といってもやはり、若い者には目的があった方がやり易いのかの」
「案外そうでもありませんよ、色々な場所を見るのは楽しいですから。
それに捜し人なんて、当てが無いも同然ですからね」
「捜し人か。ところで深紅の盾が本当にイオニスに現れたとしたら、ヌシはどうする。仇を討つのか?」
「さぁ、分かりません。前にも言った通り、そもそも僕の仇が深紅の盾である保証はないのですから。それに・・・」
ヨシュアは左手に嵌めた指輪を擦る。彼の癖だ。両親の形見だというそれは、渡り鳥の風切り羽根を精妙に象ったもので、小さな碧玉が一つ飾られていた。
「仇を討っても、両親が返って来る訳ではありません。だったら、生きて僕は妹を捜すでしょう。
でも、そうですね・・・本当に僕の仇が目の前に現れたら・・・妹の居場所をその男に問い詰める必要があるのなら・・・僕の紋章術はその為に身につけたものである、と言ってもいいでしょうね」
「では、イオニスにヌシの捜し人が誰もいなかったら、ヌシはどうするのだ?」
ヨシュアはやっと、アシュレイの真意に気が付いた。
「確かに、ラティ達は仲間を見つけた後はどうするつもりなのでしょう?
・・・シウスはどう思います?」
「あ、俺か?」
何時の間にやら二人の所までやって来ていたこの男こそ、一番ラティクス達とは長い付き合いなのだ。だが、彼もまた首を振って分からない事を意思表示した。
「知らねぇな。だが、あんなに捜しまくってた仲間だからな。あいつら、一体今まで何してきてたんだか」
三人共に、ラティクスとイリアがはぐれた仲間を探しているという事については散々聞いてきたにもかかわらず、元々ラティクス達が何の目的で旅をしていたかについては一度たりとて聞いた事がなかった。
だから、その疑問はこの場の皆が持っていたものなのである。
「まぁ、その時になったら聞いてみればいいんですけれど・・・全く不思議な人達ですね・・・」
「そういや、残りの一人ってどんな奴なんだ? イリアが随分御執心だったみたいだが」
本人に聞かれてたら技の二、三も叩き込まれそうな事を言う。
「艦長、と呼んでおるからには海軍か何かの上官なんじゃろう」
「軍人かあ? 何処の」
「シルヴァラントかムーアか。海賊というセンも、無きにしも非ずじゃが」
「笑えねぇなぁ」
「なんだ、私は何かの館長かと思っていましたよ」
「おぉ、それも有り得るな」
「何のだよ、何の・・・」
まだ見ぬロニキスを巡っての他愛の無い人物予想をアシュレイ達が繰り広げ始めた頃、件の三人はずっと前方で内輪話に花を咲かせていた。後ろの騒ぎには全く気付いていないらしい。
「ねぇ、ミリーちゃんはずっとそのマーヴェルっていう人と旅をしていたのよね。
そのマーヴェルってどんな人? ・・・別に変な意味じゃなくてよ。どこか変わった所とか、ない?」
「変わった所、ですか?」
ミリーはマーヴェルの事を思い浮かべた。まず浮かんだプロポーションのことは除外する。
「紋章術師の人なんですけど、不思議な技を使う人なんです。口で説明するよりも、後で実際に見てもらった方がいいと思いますよ。今までずっと一人で旅してきたって・・・それがどうかしたんですか?」
「いえね、ルーン達がちょっと気になる事を言っていたものだから」
「“時間軸の封印 ”とか違和感とか・・・俺達以外にも誰かがいる、みたいな事を言ってたんだよ」
詳しい話をラティクスがしてやる。だがミリーはいまいち釈然としない顔をしたままだ。
「それがマーヴェルさんの事なの?」
「いや、それが俺達にも全然わからないんだ」
「大体、私達の他に本来存在しない時間に存在する人がいるっていうのが信じられない話だしね」
「そうなんですか?」
「ええ。時間を超えるなんて、艦長が紋章術を使うよりもずっと滅茶苦茶な事なの。
まさか連邦が追っ手を差し向けてきた、なんて事はないでしょうけど」
油断しないに越したことはないわね、とイリアは付け加えた。
「まさかマーヴェルさんがそんな人な訳ありませんよ。・・・あっ」
ミリーが声を上げる。
「町が見えて来たわよ!」
各人の抱く問への答を持つイオニスは間も無くだ。



「決闘だ!」
「いや、仇討ちらしいぞ!」
「宿屋の前だってよ」
「相手は相当な手練らしい。返り討ちにあうかもな」
町中が騒がしい。いつもの陽気な喧騒ではなく、敬遠と好奇との入り交じった落ち着きの無い騒がしさだ。ある者は眉を顰め、また別の者はその場を見物と店番を替わって貰い、にわかに持ち上がった仇討ちの話は瞬く間にイオニス中に広まって行った。
次第に足を止める人の増えていく四つ辻に、紋章術師マーヴェルと真紅の盾は対峙していた。人が足を止める、いや、思わず止めてしまうのは、夕焼けの紅に塗られた盾の持ち主の威圧感と、怒りの為により一層強い存在感を示すマーヴェルの容貌の所為でもある。
「一体何の事を言っているのかさっぱりわからんな」
剣士は不審そうに皺を二、三、刻んだだけだった。その異名に相応しい盾は、《騎士の盾》と言うにはいささか大き過ぎる。青黒い血飛沫の絶えない戦場にこの色は、さぞや目立つことだろう。そこに刻まれた紋章を見間違えよう筈もない。マーヴェルはその男の自覚を促す為に言葉を進める。
「貴方は、私の両親と兄を殺したのよ・・・!」
「・・・人違いだろう」
「人違い?!」
彼女は叫ぶ。それは華奢な身体から放たれたとは到底思えない声量だった。間髪を入れずに七色の光を宿す宝珠が空を裂き、真紅の盾の足下を穿つと石畳の御影石は易々と砕け散った。相手の本気を悟ったのか真紅の盾の表情が翳る。後退ろうとするその背後で退路を砕く音がもう一つ。
「人違い?! いい加減なことを言わないで!」
マーヴェルは明らかな憎悪の表情を浮かべ、手の上に戻ってきた虹色の宝珠に炎の光を与えた。
「覚悟!!」
「おい、本当にこの男なのか?」
普段の物静かな様子を全く豹変させたマーヴェルの鬱然とした表情と、何よりも仇討ちの相手の落ち着きぶりに、今までは口出しを控えていたロニキスが流石にマーヴェルを制した。仕掛けてからでは全てが遅い。それをきっと睨み付け、噛み付く様にマーヴェルは断じた。
「間違えることなど・・・有り得ないわ!!」
それ以上止めればロニキスをも撥ね退けかねない勢いであった。
「炎を以て!」
マーヴェルの周囲の空気が変化する。彼女の言葉に従って、その姿を覆う様にして使役されるべく呼び出された火炎が渦を巻いて燃え上がったのだ。その中に息づく何者かが短い召喚の儀に了承の声無き咆哮を上げた。それだけで野次馬達の何人かは恐れをなして列の後ろに回ってしまう。
「其を倒せ」と美しき復讐者は命じた。炎は、深紅の盾に向かい飛翔する水晶球の軌跡を追って集約する。深紅の盾は咄嗟にその盾を掲げて攻撃を弾いたものの、炎の熱さまでは防げず頑丈な盾と宝珠との接触面が一瞬赤熱して、辺りは激しい熱波に包まれた。彼は躊躇わずに盾を投げ捨てた。
紋章術を熟知する者が見たならば、彼女の技が現在は失われた紋章術の一派である事を知っただろう。
それは己の武器を依り代として精霊と呼ばれる存在を召喚する技である。一般の紋章術が炎や雷などの《意志無きもの》を込めた紋章から力を引き出しているのに対し、召喚は地霊、精霊と呼ばれる《意志あるもの》を表した紋章によって、その行使者とは異なる存在を自在に操る点で異なる。
どうして《意志あるもの》達が人に従うのか、疑問に思う者もいるかも知れない。しかし紋章は創造神トライアの言葉である。その神の言葉による命令が万物にとって絶対だというのは、当然の事だ。事実、神の言葉を正しく発さない者、つまり力の足りない術師はことごとく召喚に失敗した。召喚が普通の紋章術に比べて高度な術とされる所以である。
召喚には様々な形態があるのだが、しかし今はもう召喚自体を行う者が無い筈であった。何故ならば、それはこの地から消え去った旧異種族と共に失われた紋章に依るものだったからである。
その召喚によってもたらされた、熱波特有の乾いた匂いが立ち込める。
怯んだ相手に向かい、幾打もの容赦無い攻撃が加えられるが全てが躱されて、時に宝珠が岩を砕く鋭い音が町中に響く。
一見、戦いはマーヴェルに有利に見えた。
しかし防戦一方であった深紅の盾が一度動くと、マーヴェルの身体は軽々と跳ね上がった。その様子にロニキスは蒼褪めたが、これは彼女自らが身を引いた為である。盾を持たない、そして抜刀すらしていない真紅の盾の様子をどう思ったのか、マーヴェルはおよそ紋章術師らしからぬ素早い動きで相手の背後を取った。
「我は封ず、汝、死するべし」
呪詛に似た呪紋は宝珠から炎を解放し、代りに漆黒を纏わせた。ある者には髑髏にも見えるという、生きるものを死せるものに取り換える存在が宝珠に宿ったのだ。
だが顔が強張った。それが身じろぎをして閉じ込められた石の檻から出ようと次第に暴れ始めたからだ。細かい振動を見せる宝珠は、術が不完全であったことを物語っていた。このまま続行すれば呼び寄せたものが暴走してしまうだろう。
かなりの躊躇いが見られたが、元の世界に返した判断は術者として誤っていなかった。しかし隙が生じた所を、当て身を食らわされてよろめいた。空の宝珠が陽光に煌めく。
激しく咳き込み、
「くっ、まだまだ!!」
何時の間にか握られていた短刀の細い刀身は、鎧の隙間から潜り込んで致命傷を与える筈だった。
しかし喉元には剣先が突きつけられる。
「女。命は大切にするんだな」
ロニキスは中途まで唱えかかった呪紋を呑み込んだ。
真紅の盾。
マーヴェルの前に立って刃を突きつける目庇で顔の造作の見えない男に、その存在感に、言い知れぬ悪寒を感じた。今の出来事のみを見ればこの剣士は寛大この上ない人物である。だが、ならば何故マーヴェルは未だしっかりとその人を睨んでいるのか。一体どちらが正しいのか、ロニキスには判らなかった。
その答を待たずに、真紅の盾は戦意を失ったマーヴェルに背を向けると転がっていた盾を拾い上げて立ち去った。たった今自分が闘いに巻き込まれていた事など、ただの白昼夢だったとでも言いたげに。

野次馬を掻き分けて何とか人垣を抜けたイリアの目の前には、膝を折った女性と、その介抱をする上官の姿があった。この女性がマーヴェルという紋章術師に違いない。俯いたまま動かないが、どこか怪我でもしているのだろうか。
「艦長!」
反応を示さない女性に当惑している様に見えたロニキスはしかし呼び掛けに応じ、すっと顔を上げてこちらを見た。カルナスの艦橋でするのと全く同じ様に。けれどもそこにイリアが立ち尽くしているのには純粋な驚きの表情が広がる。心の準備の整っていたイリアに対し、当然のことながらロニキスは全くの不意打ちだった。互いを凝視する数瞬の内に、後方のラティクスが未だ顔色の優れない女性を気に懸ける声がした。
「大丈夫ですか?」
「・・・誰?」
突如として現れた者達に、マーヴェルは警戒しているらしい。つい先程まで真紅の盾とやりあっていた興奮もあるのだろうか、透明な宝珠が持ち主の身を守る様に目の前を浮遊し薄く輝きを帯びる。だが彼女はまろび出てきたミリーに表情を緩めた。
と、同時に宝珠は力を失って地面に落ちた。自分のの足下に転がってくるそれを拾おうとミリーが身をかがめて手を伸ばす。だが指先が触れるか触れないかの内にみるみる亀裂が走り、澄んだ音と共に無数の虹の欠片となった。呆然としたミリーに、「私の力不足よ」とマーヴェル。
「・・・マーヴェルさん! あまり無茶しないで下さいよっ、殺されちゃうかと思ったわ!」
「ミリー・・・」
ミリーは立ち上がろうとするマーヴェルを抑えて怪我を確かめた。それを見つめていたマーヴェルは、小さく言った。
「心配かけて、ごめんなさいね」
先ほどまでの様子がまるで夢だったかの様な具合である。
一方ロニキスはマーヴェルの手当てをミリーに任せ、シウス達と共に野次馬を追い払っていた二人の方にやってきた。
「ラティも無事だったのか! ・・・どうした? イリア」
「艦長、おモテになるんですね」
本来なら感動の再会といきたいところだが、いったん再会してしまうとそれまでの不安や焦燥はあっさりと立ち消えてしまうもので。イリアは努めてこの年上の上官に興味深げな顔をしてみせる。視線の先は当然、麗しの紋章術師。何かを察したロニキスは珍しく慌てた。
「おいおい、今の状況を見ただろ? 会って早々何を言い出すんだ!」
「あら、何を慌ててらっしゃるんです? 何かやましいことでもあるんですか?」
「あのな・・・」
「ミリーちゃんから聞いたんですよ、色々と。そこの人の為に行き先を変えたとか変えないとか。最初はヴァン王都に行くつもりだったのでしょう?」
「そうだが、それが何か・・・」
「結構傷つきましたから」
ロニキスの言葉を遮って背を向けたイリアの顔が、ラティクスの位置からはよく見えた。笑みの形となる口元と少し潤んだ瞳は明らかに再会の嬉しさの表れだったが、その目がロニキスには言うなと語っていた。表情とは裏腹の固い語調で彼女は話を続ける。
「この状況下、魔王討伐軍を募るヴァン城で待機するのが得策だという事に艦長もお気付きだったのなら、どうしてエグダートからアストラルに渡ろうとしたのです? これで私達とすれ違ったりしてたら、どうするつもりだったのですか?!」
「そ、それはまあ・・・そうだな・・・」
「何か艦長の方に正当な言い分があるのなら、是非教えて下さい。・・・・・・無い様ですね」
ここでイリアは瞬時に表情を引き締め、険しいものにすると艦長に向き直る。ロニキスの方はてきめん冷や汗をかいているが、事情の解ってきたラティクスは結構複雑な人だな、と呑気に感心していた。
「いいですか? 我々には時間が無いのです。ロークには既に第三勢力と思われる艦が到達しています・・・隕石の落下として。実際に航宙艦を確認した事ではありませんが、しかし楽観視する材料もありません」
何時の間にか相手はすっかり士官の立ち居振る舞いに戻っており、姿勢といい口調といい、こいつはまるで私的な助言ではなく公的に糾弾されている様だな、とロニキスは思った。今までにも幾度かカルナスの艦橋でこんな風に叱られたことがあるが、まさかロークの町角でこんな風に進言されるとは思わなかった。だが考えてみればそれも当然だ。現在の彼等は進退を共にする間柄であるのだから。
「運や勘に頼るのも結構です。ですが、それ以前に最低限の論理的思考に従った行動をとって頂けなければクルーは当惑するばかりですわ。そして困るのは艦長自身なのですよ? 私がいない時こそもっと慎重に行動して頂かなければフォローのしようが無いのですから」
そして何よりも、この得難い副官は自分の身を気遣ってこんなことを言ってくれている。だからロニキスはきまり悪そうに頬を掻いた。確かに、いちいちもっともな事なのだ。
「悪かった」
「結果がよければフォローだって要らないんですけどね」
やっと、イリアは素直に笑った。
ラティクスはもっと凄まじい状況を想定していたので、これだけでこの件が終わってしまったのが正直意外であった。拍子抜け、と言うには別の意味でかなり異様な光景ではあったのだが。
「取り込み中かい?」
「もう終わったよ」
「そりゃ、意外だな」
「俺もそう思う」
その答えに苦笑したシウスは、他の皆の方を示した。離れた場所でイリア達の話が終わるのを待っていた様だ。避難していた、とも言うかも知れない。
「なら、改めて顔合わせといかねぇか?」

「マーヴェルさん、気分悪いとか痛いとかありませんか?
とりあえず傷の手当ては終わりましたけど、何かあったら言って下さいね」
「ありがとう。もう大丈夫」
しっかりと自分の足で立てる様になったマーヴェルを、金髪の女性がじっと見つめていた。
「・・・・・・」
「何か?」
「い? いえ、は、初めまして。私、イリアと申します」
「あ・・・私はマーヴェルです」
会釈を交わすと、赤くなった顔を隠す様に慌てて横を向き、そこにいたミリーに小声で囁く。
「確かに美人だわ」
「でしょう♪」
少女は当然です、という顔をした。
「そちらの人達はミリーと一緒に来たの?」
「そうよ、マーヴェルさんに紹介するわね。これがラティで、今挨拶したのがイリアさん。それからシウスにアシュレイさん。ロニキスさんもこの人達は初めてよね。あれ、ヨシュアさんは?」
「ヨシュア、さん?」
「ヨシュアなら真紅の盾を追って行きおったぞ。
無茶をするなと言っておいたから、まあ平気じゃろう」
眉の動いたマーヴェルに、アシュレイが言った。
「何ですって? どうして止めなかったんですか?」
「ならばラティ、ヌシはどうやって止めるのだ?」
「・・・そうですね」
「案ずる事は無い。直ぐに戻ってくる筈・・・もう来よったわ。
若い者はやる事が速いの。どうだった?」
「アシュレイさんの言う通りでした」
ヨシュアは首を横に振る。それの意味する所は彼等二人にしか解らない事だったが、ミリーは頓着せずに話を進めた。
「それから今、来たのがヨシュアさん! ラティとイリアさん以外は私もエグダートで初めて会ったのよ。・・・あら、マーヴェルさん、どうかしたの?」
マーヴェルは上の空だった。
「マーヴェルさん、具合悪いの?」
「い、いえ。何でもないわ」
「貴女が真紅の盾に両親と、兄を・・・?」
ヨシュアが訊く。マーヴェルはどこかぎこちなく頷いた。しかしその奇妙さに気付いたものは少なく、ヨシュアは気付いていなかった。
「奇遇ですね。僕も両親を殺され、今は生き別れになった妹を探して旅を続けているところなんです。犯人については確信を持てないのが痛いところなんですが」
「そう・・・」
マーヴェルはヨシュアの顔をじっと見つめ、それから白い翼に目を移した。翼はフェザーフォルクにのみ与えられる、余りにも目立つその血統の証。
「でも私には・・・・翼は無いですから・・・」
「・・・そうですね」
翼さえ無ければこの人を妹と、淡い期待さえ抱けたのだが。
「僕の妹は・・・」
だから、次のヨシュアの言葉は運命に対する多少の負け惜しみであっただろう。
「多分生きていれば、綺麗というよりは可愛いという感じになっているでしょうしね」
対してマーヴェルは、一寸目を細めただけであった。辺りは急に暗くなってきていた。夕闇が立ちこめてきたのである。
「とりあえずどこかに入らないか? 話をするのはその後でもいいだろう」
ロニキスがそう促し、それから彼は、改めて初めて見る男ばかりの面子を見回してぼそっと呟いた。
「君の方だって状況は似たようなものに見えるが」
「あ〜ら、そうですか」
しっかりと聞いていたイリアの表情に、余計な事を言ったとロニキスは後悔したが後の祭りである。



イオニスに数ある酒場の内の一つ“クラリネットと幻の三味線”亭はこの日も、宵の口からやかましい客を迎えていた。年齢層も格好も様々な八人であったが、広くない店内はそれだけで満杯で、後から来た常連達はちらっと店を窺うと入るのを諦めて別の場所を探しに行った。そんな日もある。
「親父っ! 酒を八つ寄越せや!」
席に落ち着くと、直ぐにシウスが叫んだ。
「何よ、その頼み方」
「そうだよ、もう少し丁寧に言えよ」
「違うわ。“酒”って何? 漠然と言わないでよ。色々あるんだから!」
まだどこか虫の居所の悪いらしいイリアが、向かいのシウスに指を突きつけた。反射的にシウスがのけ反る程の勢いは常人に真似出来るものでない。
「俺は飲めりゃ何でもいいんだよ!」
「あっそう。じゃあこの人だけ一番安いのでいいわ。
くどいわよぉ。翌日になったら頭ガンガン★するんだから」
「おっおい!」
「冗談よ」
焦るシウスに真顔で返す。
「マスター、あとは何があるのかしら?」
「そうだなぁ、美丈夫なんてどうだい?」
「いいわね。それ頂戴」
「イリアさん、妙に詳しそうじゃないですか?」
「男なら細かいことは気にしないものよ。おじさまは?」
「男なら黙って船中を冷やでな」
「お、通ですわね♪」
「じゃあ、料理の方は適当に・・・って、適当でいいですよね?」
「そっちは何でもいいわよ。美味しければ」
「すいません、ありましたらエスカルゴをお願いします」
「あのぉ、私はパインシェイクで・・・」
「あいよ!」
「・・・そ、そろそろいいか?」
人数が多い分、注文にも時間がかかる。だがそれにしても本題が中々始まらない。今後の事を相談したかったロニキスが恐る恐るが尋ねたが。
「あら、ごめんなさい」
とイリアは悪びれた色もなく答える。
「あの・・・私気分が悪いので外にいます・・・。ごめんなさい・・・」
マーヴェルがそっと席を外せば、
「へいお待ち! 冷えてますぜ」
店の親父が盆一杯に注文の品を置いてやってきた。
「よっしゃあ! 来た来たあ!!」
「あ、シェイクは私です」
「これ美味しい! ちょっとラティも飲んでみなさいよ」
「あ、ほんとだ!」
「むむ、中々の上物だの」
「おじさん違います! 私パインっていったのに、これマンゴー味です!」
「お茶も追加でお願いします。あとアクアベリィ一皿」
「・・・・・・」
ロニキスは悟った。これは紛れもなく飲み会のペースである。
イリアが敵に回った以上、話なんぞ始められるものか。

彼等は実によく食べ、よく飲んだ。旅の道中ではまともな食べ物にありつける方が珍しいので、町に立ち寄った時の反動が大きいのかも知れない。特に油を使った手間のかかる料理や、あまり多量に持ち歩けない酒類などを、ここぞとばかりに詰め込むのである。酒が進めば話も進み、ヴァンの気候風土の話から大きな森に一人で住む老猟師の話、勇猛果敢で名高い王様の話、タトローイ闘技場のモンスター捕獲隊の話、最近落ちた隕石の話、果ては機転の利いた宮廷楽師に騙された間抜けな魔物の話まで、尽きることを知らなかった。
そして数時間が瞬く間に過ぎ。
「まったく・・・」
彼は眉間を押さえた。そこにはにわかに信じられない光景があった。
酒の席の常として、そこには介抱する側とされる側が発生する。それはいい。だが、この介抱される側に回るとは到底思えなかった副官が、目の前に行き倒れて寝息を立てている状況は想定した事が無かった。余程自分が悪かったのか、それとも彼女の性格が変わったのか。或いは勤務外の彼女はいつもこんな感じなのだろうか。色々と考えられる。
「イリア、風邪引くぞ」
ゆすってみるが、起きない。眠っているというよりも、泥酔して意識が無いと言った方がいい。
「ラティ、起きろ・・・」
右に同じだ。
「ミリーまで・・・参ったな・・・」
仲良く床に並んでいる三人に頭を掻く。有翼種の青年はテーブルでうつらうつらとしていたが、どうしてうちの連中はこうも豪快なのだろうかと思ってしまう。向こうにハイランダーの青年も倒れているので、時代の差という訳ではない様だが。
「まあよいではないか。ラティもイリアも懸命にヌシらを捜しておったのだから。少しばかり羽目を外した位、大目に見てやっても罰は当たらんよ。そこに転がっとるシウスは別だがの」
「アシュレイさん・・・そうですね。よく会えたと私も思いますよ。全て彼等のお陰です」
ロニキスの見たところ、かなり飲んでいたアシュレイは素面も同然だった。飲み方を心得ている所がシウスとは違う年季というものを感じさせる。その時、ラティクスが気が付いて立ち上がった。
「あ、ロニキスさん・・・」
すいません寝てしまって、と席に着こうとしたところバランスを崩してばったりと倒れる。頭が痛むらしい。これでは二日酔いならぬ当日酔いだ。
「そろそろ引き上げ時ですね」
「だな」
「・・・そういえばマーヴェルが戻ってないな。ちょっと探してきます。ちょっとここをお願いします」
「あいわかった」

天空には旅の目印となる星々が輝いている。最もよく見えるのは七星と呼ばれるひと連なりの星座だった。其処にも見えない力が満ちている。そして聖域自体にもまた。その力を借りる術を手に入れたのは、ひとえに復讐の為だった。殺された両親、そして兄への。
「これが運命だなんて・・・酷すぎる・・・!」
彼女は幾度目かわからない同じ言葉を、再び繰り返した。それは絶望の響きを持ち、空を見上げる姿はただ哀切だった。そして夜闇に溶け込んでそのまま消えてしまいそうな儚さがあった。
「泣いてるのか?」
彼女はそっとその白い指先で涙を拭い、声の聞こえた方を向くと首を振った。ロニキスとは知りあって間も無いが、わざわざ外に出て自分を探しに来てくれたらしい。仲間としては当然の行為だが、今まで一人で生きてきたマーヴェルには馴染めないものだった。ミリーの気遣いも同様だった。馴染めないが、不思議と心が温かになる・・・今まではそんな事を感じる心すら凍りつかせようとしてきたのに、今では意味が無くなってしまった。また一つ、涙が零れそうになる。
「済まなかったな、騒がしい連中で」
「いえ、皆さんとても楽しい人達ばかりで」
「そうか。なら、よかったんだが」
マーヴェルの表情をロニキスは別の意味に解釈した。「昼間の一件が尾を引いているのだろう、皆と一緒に騒げないのも当たり前だ」と。
「そっとしておいた方がよかったのかな」
「いえ、もう大丈夫ですから」
店の直ぐ外に一人で立ち尽くすマーヴェルを見つけた時、ロニキスは彼女が何時間もの間、何を考えて続けていたのだろうと考えた。
イリアには悪いことをしたが、放っておけなくなってしまったのだ。異性としてどうこうという問題ではなく、彼女の思い詰めた様な、死に急ぎかねない様子が余りにも目に付いてしまった。それを見過ごす人間であったなら、彼は今の様な仕事についてはいない。時折至極直感に走った行動をとってしまうのが彼という人間であった。だから副官の寿命が縮んでいくのである。
もう少し見ていて安心できる位にならないものだろうか、というのがロニキスの願いだ。
真紅の盾にまともに相手にされず、しかも敗れた今、彼女はその後を追うのだろうか。そうなればロニキスに彼女を引き留めることは出来なかった。
「あの・・・お願いがあるのですけれど・・・」
「何だ?」
強い決意を湛えた瞳が見上げていた。
「私、一人で旅を続けようと思っていたんですけど、やっぱり皆さんとご一緒できればと。迷惑でしょうか?」
「・・・とんでもない。こちらからお願いしたいくらいさ」
マーヴェルはやっと、薄化粧の様な笑みを見せた。つられてロニキスも笑った。安心したからだ。彼女を魔王退治に連れていくのかはともかく、もう暫くミリーやラティクス達と一緒に旅をしてみたならばきっと、もっと明るい笑顔が見られる様になるに違いない。
店の扉が開く音がした。
「無粋じゃったかの」
「アシュレイさん・・・それにヨシュア、さんも」
アシュレイの横に付いた有翼種の青年ヨシュアも会釈する。
「何か、ご用ですか?」
「ああ。ヌシらに少し話しておきたい事があっての」
アシュレイは、つい先程まで酒の席にいたとは思えない真剣な顔をしていた。
「聞くか聞かないかは無論自由だが・・・儂の知っておる真紅の盾の話だ」
「真紅の盾の?!」
マーヴェルの表情が変わり、昼間のものと同じになった。ロニキスは少々恨めしい気分になったが、アシュレイを責めても仕方のないことだ。
「ヨシュアは聞きたいそうだが、マーヴェル、ヌシはどうする? つまらぬ昔話かもしれんがの」
「聞かせて下さい」
「私は席を外した方がいいですか?」
「当事者以外にあまり他言したい事ではないが、秘密でもない。
話す機を窺っておったのは事実じゃが・・・別に聞いても構わんよ。まぁ、儂としても真紅の盾が仇だという者が出てこなければこんな話をするつもりはなかったのじゃが、今日、あやつの生きた姿を見て確信したのでな」
店に戻ろうとしたロニキスだったが、その言葉に足を止める。夜風が強くなり、立ち話には向かなかったが、アシュレイは目に入りそうになった前髪を払っただけで、あくまでもこの場で話をするつもりらしい。彼は目の前にヨシュアとマーヴェルを置き、淡々と語り始めた。
「あやつは名をデル・アーガスィという。
かつてこそ、その名を馳せた剣士じゃったが、今ではその名も忘れかけられておる。真紅の盾の通り名の方はまだ生きている様だがの。あやつとは魔界大戦の折には幾度か戦場を共にしたことがあってな。友人、という程の付き合いではなかったが、まあ戦友といったところか」
固唾をのんでマーヴェルとヨシュアはアシュレイの言葉に聞き入っている。
「大戦が終わった後、儂等二人はさる王族の命を受けた。それは、映し出したものとそっくり同じものを作り出すという秘宝、現身の鏡を探索せよというものじゃった。ヌシらも、噂位は聞いたことがあるのではないか?」
「シルヴァラントにもそんな話がありました。何でも、神秘の鏡だとか」
「そう。しかし噂話の常として、真実というもんは欠片も入っておれば上等じゃ」
「・・・真実の瞳の時もそうでした」
そう呟くヨシュアに頷き、アシュレイは続けた。マーヴェルは沈黙を守ったままだ。
「儂らはその鏡を発見した。それは紛れもなく、映したものを複製する鏡だった・・・しかし、それは映した者を取り込んで魔の眷属と為し、邪悪な影を生み出す魔王の創りし魔鏡だったのじゃ。誤って己の身を映し出してしまったあやつは、取り込まれおった」
「そんな・・・そんな事があるんですか?」
信じられない話にロニキスが思わず声を上げると、アシュレイは少し短い左の二の腕を見せた。勿論布の巻かれたその先は無い。
「この腕はその時、影にやられたものだ。本物の様に実に上手く振る舞うものだから初めの内はすっかり儂も騙されて、その油断がこの様よ。恐らく、それまでに幾人も取り込まれてきたんじゃろ。魔鏡の話自体が魔王の罠だったという訳じゃ。影が儂を殺そうとしたのは、魔鏡の存在を知られぬ為・・・とは言っても、もう儂が壊してしまったから魔王も悔しがっておるかもな」
「しかし、魔王は何故そんなことを・・・?」
「はっきりとしたことは解らぬ。取り込まれた者達から我等の情報を得たとも、影達は間諜として使われたとも考えられる。しかし幾ら頭を振り絞っても、その時には所詮推測の域を出なかった。肝心のデル・アーガスィは姿を消してしまっておったからな。
じゃが、何年もすると不穏な事が起こり始めた。魔界大戦で名を上げた者達が、不可解な死を遂げるようになったのじゃ。シルヴァラントの偉大な紋章術師、ジェランド殿もまたその一人じゃった・・・」
「それは・・・僕の父です・・・!」
ヨシュアが声を上げるのと、マーヴェルの肩が一瞬震えるのは同時だった。しかしあまりに小さな動きだったので、夜闇に紛れて誰にも見えることはなかった。
「ヌシの名を聞いた時に、もしやと思ったのじゃよ。マーヴェル、ヌシの家族の事は知らぬが、何かしら魔物を脅かす術を持つ者ではなかったか?」
「はい・・・そうだと、思います・・・」
「つい先頃も、アストラルの騎士団長が暗殺されかけた。どの戦士も、そう易々と殺されるような者ではない。余程内部に通ずる者でなければ出きぬ芸当だとは思わぬか?」
「それが、真紅の盾の仕業だと言うのですね」
「そう。しかも恐らくジェランド殿を殺害したのは本体の方じゃろう。所詮、影は本体を越えることは出来ん。もしも真紅の盾が直接手を下したというのなら、本体である筈じゃ」
「だからあの時、僕に確かめてみろと・・・確かに、あの真紅の盾からは生気というものが感じられませんでした。代りに、魔物とは違いますが何か禍々しい力を感じました・・・」
「紋章術に通じた者ならば或いはと思ったが、その通りの様じゃったな。
ヌシらの目にしたあやつは真紅の盾の“影”だ。魔に操られるだけの、ただの空ろの抜け殻よ」
では、ロニキスがあの時に感じた悪寒もまたその魔によるものだったのか。
「それでも、あいつは強かったです。私はそれにすら歯が立たなかった!」
マーヴェルが拳を握り、唇を噛んだ。
「曲がりなりにもエダール剣技で五指に入る腕前と呼ばれる奴じゃからの。それが魔に堕ちれば手に負えなくなるのは当然じゃ。例え影であったとしても、並の者に太刀打ちは出来ぬ。
しかし儂がヌシに話したかったのは、本当に仇を討ちたいのならば真紅の盾の本体を探せ、ということじゃ。なに、ヌシはまだ若い・・・老いる一方の儂とは違っての。己を磨き、強くなれ。さすれば、自ずと機会はやってくるもの。そうは思わぬか?」
穏やかに諭す様なアシュレイの言葉に、マーヴェルの肩から力が抜けた。彼女は深く頷いたが、衝撃を隠せないのか地面の一点を見つめたまま俯いている。
「アシュレイさん、疑う様で失礼かも知れませんが、僕の家族を殺したのが真紅の盾だというのは本当に事実なのでしょうか。僕にはマーヴェルさんの様にはっきりとした記憶がある訳ではないので・・・」
「断言するのは難しい。だがジェランド殿の功績と、ヌシの見た赤い盾。それにヌシとそう年の離れていないマーヴェルの家族が確かに真紅の盾の手にかけられたというのなら、あやつに確かめてみる価値はあるのではないかな? 信じる信じないは、ヌシの自由じゃが」
「そうですね・・・」
沈黙が降りた。かなり肌寒くなってきており、気付かない内に時間がかなり経過した様だ。風も止まず、やがてマーヴェルがショールをかき合わせるとアシュレイに向って頭を下げた。
「色々とありがとうございました。それでは、もう夜も遅いので・・・」
アシュレイの話に、何か思う所があったのだろう。足早に去って行った彼女を見送って、ヨシュアがぽつりと洩らした。
「彼女、何か隠してますし、いまいち何を考えているのかよく解らない節がありますね」
「・・・まあ、確かに」
ロニキスは認めた。彼女の思い詰めた様子には、やはりヨシュアも気付いていたらしい。しかしヨシュアは顔を曇らせ、マーヴェルの消えた方向をずっと見つめたままで指摘した。
「僕が言うのもなんですが、簡単に心を許すのは危険な気がします」
「そういう風には見えなかったがの」
「というか・・・彼女から生命の息吹が感じられないんです」
「まさか、彼女も影だっていうのか?」
「そこまでは言いませんが・・・むしろ、死者に似た雰囲気を感じます」
二人は、ヨシュアが一体何を言っているのかと思ったが、勿論、彼は真面目に話しているのであった。幼い頃から紋章術に慣れ親しみ、魔力の偏在に敏感な青年は、マーヴェルの中に何を見たのだろう。それは青年自身にも不可解なものであったに違いない。彼は困惑の表情を見せていた。
「とは言え、高度な紋章降霊術を使っても、ゾンビと呼ばれる死霊しか作り出すことはできませんし、霊体はあそこまで姿を現世に残すことはできませんが。
・・・僕の思い過ごしだといいんですが・・・」
「悪い方向に考えたくはないな」
「それは僕だって同じです。もしかしたら、という話ですから。すいません、変なことを言って」
ロニキスは否定しながらも、ヨシュアの言う事が真実なのかもしれないと感じた。初めて見た時に感じた印象は、まさしく総毛立つ様な人外のそれだったのだから。
「・・・寒くなってきましたね」
「さて、そろそろ酔っ払い共を回収しに行くか。図体のでかいのが一人おるしの」
そうして連れ立った彼等は店に戻ってみて驚いた。
意識を取り戻した酔っ払い共が何と、再び飲み始めていたからである。