SO Script ACT・5


再会、そして再開

そこは王都から相当な距離を隔てた場所だった。王国の中でも辺境と呼ばれる地方である。
しかしながら何時とも知れぬ過去にはっきりと刻まれた道は、ささやかながらも幾つかの集落を存在させていた。かつての宿場町の名残なのかもしれない。もっとも、それも内陸に入り込むとぱったり見られなくなってはしまったが。
そう、魔物の巣窟となった神殿へ向かおうという者は極少数の冒険者に限られるという。そんな人影の無い明るい道は砂色に、広く真っ直ぐと大陸を縦断する形で続いてきた。僅かな緑が乾燥に強い丈夫な葉を鈍く照からせ、遠くに見える峻険な山々は雄大に旅人を見下ろす。東に見える山並みの何処かにはアストラルがあるのだろう。抜ける様に青い空の下を更に進めば道はやがて山地に分け入り、曲がりくねりながら黄砂孕む川を越え、時に山腹に穿たれた洞窟を抜けて伸びていく。そして行程は、ある場所で突然終着を迎えるのだ。
旅人・・・ラティクス達四人は今、その終着地点に立っていた。
固い岩石が大きな崖となってそそり立っている。
自然の壁を、ラティクスは驚嘆の思いで見上げた。しかし彼を驚かせたのは崖ではなく、その壁面だ。
「これが・・・パ−ジ神殿・・・?」
いささか信じ難い思いで誰にともなく尋ねる。
絶壁に囲まれた空間であった。ある角度をもって空から見下ろさない限り決して、ここに巨大な建造物があるなどとは判らないだろう。まるで何かから隠されている様に、ひっそりとそれは建っていた。
目の前には明らかに崖とは異質の石材による建造物が構築されている。けれども不思議なことに、この場に現れているのは巨大な神殿の前面部分だけであった。壮麗な入り口以外は全てその絶壁に没している。
つまりパ−ジと呼ばれる神殿は、岩肌をそっくりくりぬいた中に造られていたのだ。
アシュレイが隣でぽかんとしているラティクスを面白そうに見た。
「驚いたようじゃのう」
「・・・はい。こんなに凄いものがどうしてこんな場所に・・・」
何者をも拒んで黙りこくった神殿は全体から不思議な気配を放っている。
例えるなら、それ自体が一個の生き物であるかの様に息を潜めた静けさを持って、忘れ去られた場所とは思えない程の存在感を示していた。身の丈の三倍はあろうかという扉には、ラティクスと向かい合う形で精緻な細工によって人の顔が表わされ、その祈りの表情は神殿に相応しいものである。
「初めてここに来る者は皆、そう言いおるな。ま、世界の不思議と言ったところじゃろ」
彼の言う通り、確かに驚いているのはラティクスだけではない。イリアやシウスも絶句して神殿を見上げている。驚くなという方が無理であろう。
これだけの建築に費やされた労力を思い、ラティクスは目眩すら覚えた。
彼等が立つのは神殿から真っ直ぐ伸びる道の上。参道として整えられたのであろう路面の舗装は見事なモザイクであり、両脇には彫像が神殿を守るように建てられている。
参拝者の絶えた今となってはその華麗さも乾いた風に寂しいだけだったとしても、少なくとも今、神殿の威容は久々の訪問者を圧倒していた。
「それじゃあ、ずっと驚いているわけにもいかないし、そろそろこれからどうするか考えましょうか」
不思議な神殿には、いかにも何かありそうな感じがした。ここで『真実の瞳』なる秘宝を手に入れられれば、何処に居るのか見当もつかないミリ−を捜し出すことが出来るのだと思うと、心が逸る。ラティクスは急いで懐から紙片を取り出した。
「フィアさんの話によると、隠し扉があるって事だけど・・・」
「らしいな。だが、これじゃはっきりした場所は判からねぇぜ」
そう言いながらシウスが書き付けを覗き込んでくる。かの幼馴染み殿の餞別は、流れるような美しい文字だった。神殿には正面扉以外にもう一カ所の入り口が設置されて頻繁に使われていた、という何かの記録の抜き書きだ。彼は眩しい日を透かして周囲を見回したが、視界に入る限り現在立っている場所以外に人工物は認められない。ただでさえ凸凹の多い地形である。入り口の隠し場所など幾らでもありそうで、これから始まる捜索劇を思うと中々に気が重くなった。
「さてと、これからどうするかだが・・・」
「隠し通路を探すのはちょっと後回しにして、ここからちょっと中に入ってみようか?いかにも何かありそうな感じがするし」
「いや、そいつは無駄骨じゃな。中には何も無いじゃろう」
もしかすると隠し通路の手掛かりがあるかも、というラティクスの提案は無情にもアシュレイに却下される。老戦士は他の三人よりはこの場所を知っている。
「そういえば、調査された事があるって言ってましたよね・・・」
ラティクスはやっぱり駄目ですか、と肩を落とした。確かに魔物の棲み処に侵入するのは極力避けた方が賢明だ。
「でもなぁ、はっきり言って、見当つかねぇぞ」
「・・・まぁ、見当がつかないってことはないでしょう」
「なんだよイリア、お前解るのか?」
シウスは怪訝そうに聞き返す。彼女はラティクスから神殿周辺の見取り図を受け取り、直射日光を片手で遮りながら褐色の文字に目を通していた。
「そうじゃないけど。よく使われていた場所なら、必ず人の通った跡があるんじゃないかしら。ここまでの道みたいにね」
「跡?」
「土が踏み固められているとか、こういう斜面だったら足場が組まれてるとか。沢山の人が使うなら、当然使いやすくなってる筈でしょ?そういう場所を探すのよ。隠し通路はその近くにあるかもしれないわ」
「まぁ・・・いいけどよ。どっちにしてもこの辺りを調べてみないとならないってわけだな」
「そうね。神殿はここの地層をくりぬいて作ってあるらしいから、怪しいのはこの・・・」
ラティクスは顔を上げて眼前に広がるそれを見上げた。
「・・・崖ですか」

まるで丘を半分に割ったかの様な岩の表面は長年の雨風に風化し、払えば細かな砂となって零れ落ちる。黄色い砂は更に微細な土となり崖の所々に張り出した場所に降り積もり、植物は僅かなそれへと根を下ろす。そういった場所の一つに人影があった。
一際大きな砂塵が巻き上がる。翻したローブの裾でやり過ごして瞑っていた眼を瞬くと、埃は入らなかったらしいが何となく目蓋の裏側がちかちかした。予想以上に地面の照り返しは強いらしい。彼は、色素の薄い目を細めて遠くを見渡した。
神殿の少しだけ覗く屋根が、太陽を反射して白く輝く様がはっきりと判る。
直ぐ側には細く石ころだらけの道とも言えない道がありはするが、ここまで登ってくるのにはかなり骨が折れただろう。砂混じりの風が、ここではとうに忘れ去られた木々の緑の頭髪を弄んで去っていく。柔らかく瑞々しい糸の様なそれは、綺麗に光を乱反射した。
「・・・困ったな・・・」
小さな呟きが喉から洩れる。彼は溜め息をついて救いを求める様に空を仰ぎ、もう一度周りに目を走らせた。見つかる筈の無い何かを探している・・・そんな視線だった。
そうやってゆっくりと眼下を見下ろし、彼は何かを目に留めた。

殆ど垂直の崖ばかりで壁の様な地形でも、この近辺だけは段丘状になっていた。細い道が半ば埋もれ、獣道の痕跡の様に走る。じゃり、と砂を踏んでイリアは急勾配を一気に登り切った。
たった今足を掛けた場所が人為的に埋め込まれた足場である事に、彼女は少し安堵する。
「この辺には人の手が入ってるわ。何かそれらしいものが無いか探してみましょう」
後続の三人が追い付くのを待ってから口を開いた彼女に、軽く汗ばんでいるシウスが周囲を眺め見る。
「本当にこんな場所にあるのか?その入り口。隠し扉なんて・・・隠しっつーくらいだ、見つからねぇんじゃないのか?」
「シウス、文句は探してみてから言うように」
ラティクスもシウスに倣って見回すが、丈の低い植物の他には何も無い。が、イリアの言葉はまず外れない事を知っているので、特に不安を抱くことは無かった。
「とにかく、探してみないことには始まりませんしね」
彼は調子を出す様に明るく言う。とにかく前に進まなくてはならないのだから。
「そうそう。ここじゃないかもしれないけど、ここにあるかもしれないし」
「まぁ・・・フィアの言葉が本当なら、何処かにはあるんだろうが・・・」
「ここでぶつぶつ言うとっても仕方ないじゃろう。探すぞ」
率先して近くの岩壁を調べ始めたアシュレイとは違う方向にそれぞれが散る。窪み一つ、石ころ一つ見逃さない様に目を走らせながら、彼等は黙々と隠し扉を探し続けた。
砂だらけの地面と崖、露出した岩石、そして潅木と少量の草。目に入る物はいたって限られている。シウスは何か目ぼしいものが無いかと、まだ誰も調べていない場所に向かった。
首を巡らせた瞬間、影が射した。
考えるよりも先に身体が動き、刃が構えられる。それは自然と影の持ち主に向けられたが、行動を起こした後に彼は、自分が青い空を仰いでいるのに気が付いた。そんな場所に一体何があるというのだろうか?疑問が頭を掠めたが、果たしてそこには逆光に黒く広がるものがあった。魔物か、と構えた腕に緊張が走る。
「驚かせて申しわけない。戦う気は無いんです・・・その剣を引いてはもらえませんか?」
しかし予想に反して背丈三つ程上からは涼やかな声が降ってきた。殺意は全く感じられない。そこで天に向かって翻した刀身を逸らすと、眩い空の下には声の主の姿が見える。少なくとも敵では無いと諒解してシウスは肩の力を抜いた。
「どうしたのかしら?」
少し離れた場所で岩をひっくり返していたイリアは妙な気配に一体何事かとそちらを向き、そして硬直した。何故ならば、彼女の瞳が信じられないものを映していたからだ。
重くゆっくりとした羽音を立てて、と、と地面に足を付けたのは一人の青年であった。
細身の身体をローブに包み、片手には紅い貴石の埋め込まれた杖を携えている。真っ直ぐな翡翠色の頭髪は、長く伸ばされて後ろにやられていた。雰囲気からすると、恐らく紋章術師なのだろう。
が、特筆すべきなのは、彼のその背から大きく広がる・・・白い翼だった。
『天使』という単語が頭の中に浮かぶ。翼はそれが作り物でない証拠にもう一度空を打ち、小さく折り畳まれて青年の後ろに収まった。
「・・・ほう。フェザーフォルクとはまた珍しい」
珍しいものを見たという風にイリアの後ろからアシュレイが呟く。
「え、フェザーフォルクって・・・?」
聞き慣れぬ言葉に彼女は首を傾げたが、とにかくそちらに行く方が先決であった。ラティクスを交えた三人はが急いで駆け寄ると、青年の声が聞こえてくる。
「僕はヨシュアと申します。シウスと呼ばれていたハイランダーの戦士殿、貴方の力を貸してもらえませんか?丁度この壁の上に、隠し扉らしき物を見つけたんです」
青年の端正に整った面を飾る、翡翠を紡いだ様な細やかで長い髪が風に流れる。彼は、剣を収めたシウスに向かってこう切り出した。
声からして男性ではあったが、はっとする程の麗人であった。女性と言っても誰も疑わないだろう。白い翼がこれ程よく似合う容貌も珍しいのではないか。
「その話、本当なのか?」
シウスは不審そうにこの翼ある人物・・・フェザーフォルク・・・を見るが、彼はその視線を全く気にしていない様で真顔のまま頷く。
「ええ。岩にふさがれているんです。生憎と力仕事は苦手で・・・」
ヨシュアと名乗った青年は自らの腕を見せると苦笑した。シウスのものに比べると、華奢としか言い様のない細腕だ。元々、空を飛ぶ身体は神によって可能な限り軽く創られている。フェザーフォルクに力仕事程似合わないものは無いだろう。
「・・・よし、まかせろ。いいよな、ラティ?」
まんざら嘘をついている風にも見えなかったので、彼は二つ返事で引き受けることにした。既に彼の周りに集まっていた仲間からも一応の了解を得ると、ヨシュアは頷いて大きな翼を広げた。

フェザーフォルクの言う通りの場所に、更に上の岩棚へと登る道があった。ふわりと宙に舞う姿を追って行くと、彼は一つの大きな岩の前で翼を畳む。どうやらそこに隠し扉があるらしい。
何の変哲もない岩ではあるが、ラティクスの背丈よりも大きく二抱えではきかない大岩だった。岩壁に立て掛けられる様に鎮座している。
「こいつは見るからに怪しいのう」
「この岩の下に隠し扉があるのかしら?」
横から回り込んだイリアが岩の下に何か見えないかと動いていたが、岩と崖とは密着していて「駄目ねぇ」とやがて匙を投げる。
「よっし、俺が動かしてやるぜ」
早速シウスが手を掛けた。
こんなに大きなものが本当に動くのか?イリアは疑ったが、シウスの全身に筋肉が浮き上がって小刻みに震えると、微かにそれは揺らいだ。顔が赤くなり、力を振り絞ると大岩はゆっくりとだが彼に引きずられて動き、今まで覆い隠された部分が現れる。その怪力には彼女も思わず溜め息をついた。
「凄い、動いた・・・!」
ヨシュアが心底驚いた風に呟く。この作業を依頼した彼にしても、案外本当に動くとは思っていなかったのかもしれない。つまりはそれ程に岩が大きかったのだ。
確かに、とラティクスも心の中で同意した。馬鹿力だな、などとは本人の前ではさすがに口に出せなかったが。横ではアシュレイが『儂だってあれ位動かせるわ』と言いつつも目を細めてその大岩を眺めている。
岩があった場所には一回り小さな穴が開いていた。そうは言っても大の大人が立って歩ける大きさである。覗いてみると暗く、周囲が明るい分、中は何も見えない。ヨシュアもラティクスの後ろからその穴を見て、僅かに躊躇ったらしく小さい溜め息をついた。
それにしてもどうしてこんな人が、それもたった一人でパージ神殿に入りたいと考えているのだろう。ラティクスはふと思う。冒険者くらいしかここには近づきもしないというのに。もしかしたら、この人は紋章術師みたいだから何か調べに来たのだろうか。それとも目的が・・・同じなのか。
視線を穴の中に彷徨わせていたラティクスだったが、その間にヨシュアは意を決したらしい。顔を上げると振り返ってシウスに短く礼を述べ、暗闇に向かって歩きだした。
「あ、あの・・・」
「何か?」
怪訝そうにヨシュアが振り返る。女性と見紛う程に美しい造作の容貌に見つめられ、ラティクスは魅入ってしまわないよう努力しなければならなかった。
「一人で大丈夫ですか?」
「あぁ、僕の事は気にしないで下さい。・・・すいませんが先を急ぎますから」
やんわりと、だがはっきりと拒絶されたのが解ったのでそれ以上ラティクスは何も言わなかった。ヨシュアは再び早足に歩き始める。
「ちょっと待ちな」
「まだ、何か?」
少々神経質そうな声で応じる青年に、動かした大岩に寄り掛かっていたシウスが眉を上げる。
「フェザーフォルクの冒険者なんて聞いたこと無いぜ。お前等みたいな種族は一生を山で暮らすんじゃなかったか?」
シウスの問い掛けに彼は沈黙した。煩わしそうな表情が一瞬浮かび、冷ややかな眼差しが向けられる。
「それは高地民族・・・ハイランダーとて同じことではありませんか?アストラル王国から下ることは確か・・・」
その眼がシウスの後ろに立ったアシュレイを捉え、彼は先を言い淀んだ。が、発されなかった言葉をシウスは理解したらしい。
「余計な詮索はするな・・・って言いてえのか?」
低く抑えられた声は、シウスが少なからず腹を立てた証拠である。視線がぶつかり合い、その火花さえ散りそうな雰囲気に慌ててイリアが割って入った。
「ちょっとちょっと、二人とも!」
呆れた表情で双方の顔を見比べられて、彼等はギャラリーが何とも言えない顔をしているのに気付いたらしい。ヨシュアはふっ、と息を吐いた。
「・・・すみません。大人げ無かったですね・・・」
「・・・おう」
シウスも気まずそうに眼を逸らす。
「ま、言いたかねぇんなら別にいいんだけどよ。ラティ、行こうぜ」
明後日の方向を向きながらぼそぼそ言うと舌打ちして、彼はヨシュアの横を擦り抜け通路の奥に消えていった。ラティクスはどうすればいいのか迷ったが、青年の事が気になったのでとりあえずここに留まることにする。アシュレイが彼に忠告した。
「ハイランダーの冒険者に『都落ち』は禁句じゃよ」
「そうですね。折角手を貸して頂いたのに、失礼な事を・・・」
ヨシュアは申し訳なさそうな顔をする。が、その謝辞はシウスというよりも、むしろアシュレイに向けられたものの様であった。まだシウスに対する反感が消えてはいないらしい。
どうやらちょっとした誤解が生じている様だ。一応本人の名誉の為に、アシュレイはシウスの行動に注釈を加えてやった。
「あやつは、ああいう性格だからの。素直にものを尋ねるということが出来ん」
「え?」
意味がよく解らないらしいヨシュアは小首を傾げる。イリアがシウスの去って行った方に目をやって溜め息をついた。
「基本的に・・・、お節介で世話焼きなんですよね」
「そういう事じゃな。つまりのう、シウスもあやつなりにヌシのことを心配したんじゃよ」
「そうなんですか?」
彼は柳眉をひそめて信じられないといった風に呟いた。その気持ちは三人にもよく解る。
「とてもそうは見えないでしょう?私たちと初めて出会った時もそうだったし。ね、ラティ」
「ちょっと強引なところもあったけど、シウスには色々と助けられたからなぁ・・・」
二人は思わず笑いを洩らす。彼の世話焼きの犠牲になった武器屋を思い出してしまったからだ。
彼の厚意は、時に粗野な振る舞いに隠されて見えにくくなる。シウスって、あっちこっちでこういう誤解を振り撒いていたんじゃあ・・・ふとラティクスはそんな事を考えた。
「でも、貴方もよっぽどのことがあるんじゃないのかしら?そうでなきゃ、シウスを怒らせるようなことは、ね」
「・・・彼の言った通りなんです。有翼種・・・フェザーフォルクの僕のような者が方々を旅して回っているなんて、どう考えても普通じゃない。奇異の目で見られますし・・・だから、出来るだけ周囲と関わりを持たないようにしてきたんですけれど・・・」
イリアに問われたヨシュアは目を伏せた。確かに敵でもないハイランダーを怒らせるなど愚の骨頂である。それなりの理由というものがある筈だったが、しかし彼は言葉を濁して話そうとはしない。
「あら、ワケありレベルだったら私達だって負けないわよ?聞かせてよ、どうしてこんな所に来たのか。『袖摺りあうも他生の縁』ってね」
彼女の言葉に他の二人も頷いた。
無理に訊きだす話ではないが、シウスの心配した通り、危険なパージ神殿内部をこの青年一人で行かせるのは非常に危険に思えた。もしも目的が同じならば行動を共にした方がいい。結局、皆シウスと同じ気持ちだったのである。
もっとも、彼女が引用した地球の諺の意味を他の二人は正確に把握してはいなかったのだが。

薄暗い通路の途中に立っていたシウスはいらいらしながら後ろを振り返る。紋章術によって灯された光が不安定なちらつきを見せながら、大きな扉を照らし出していた。ラティクス達はまだ来ない。
あのフェザーフォルクはまだ気分を害したままだろうか。だが、向こうもそれなりの発言をしたのだから仕方ない。
何となく嫌な気分で舌打ちした所で、足音が聞こえてきた。
てっきりラティクスだろうと思って見ると、驚いたことに大きな翼がある。麗人は少し離れた所で立ち止まると彼を見つめ、ぽつりと言った。
「妹を捜しているんです」
どう返していいのか解らずにいるシウスに、ヨシュアはもう一度繰り返す。
「幼い頃に生き別れになった妹を、捜しているんです・・・」
こんな話をするのは一体何年振りだろう。ヨシュアは思った。それなのに今日は既に二回目だ。胸の内では幾度となく思い出してきた記憶の筈なのに、言葉に出すのが酷く辛い。一言一言話す度に、残酷な現実が心を傷つける。
覚えているのは身を切る様な寒さの中で炎を上げて崩れ落ちる我が家と、折り重なって地に伏す父母の姿。その血まみれの翼に縋ろうと必死で伸ばす手は決して届くことは無い。乱暴に引き摺られ、引き離される。彼自身の翼も又、鋭利な刃によって切り裂かれ寸分も動きはしなかったが、混乱と恐怖とによって痛みは感じなかった。
去りし日、その悲劇の最後の記憶は・・・意識を失う瞬間に聞こえたのは、必死に兄を呼ぶ妹の声。泣き叫ぶ悲痛な声は、それ以来彼の脳裏を離れない。
「両親は殺されました。僕は崖下に突き落とされましたが、一命を取り留めることができました。ですが、妹は生死すら定かではありません・・・仇は忘れようも無い・・・あの圧倒的な殺意の眼差しと、世に二つあるとは思えない真紅に彩られた紋章の盾・・・!」
ぎり、と奥歯を噛む音すら聞こえそうだった。シウスはヨシュアの話の中に聞き慣れたとある言葉を見つけ、驚愕する。
「真紅の紋章の・・・盾?そいつぁもしかして・・・エダール剣術の使い手の中で最も名高い・・・」
「・・・アシュレイさんと同じ事を言うんですね。彼は否定しましたけれど」
「・・・あ、あぁ、そんなはずはねぇ。俺の勘違いだ・・・」
恐らくアシュレイも又、彼と同じ思いであったのだろう。シウスは首を振る。無駄な希望を持たせるわけにはいかなかった。ヨシュアは残念そうに肩を落とした。
「・・・そうですか」
何となくこのフェザーフォルクに同情してしまったシウスは、彼を吹っ飛ばさないよう注意して軽く、あくまで軽くその肩を叩いた。
「要するに、お前も《真実の瞳》を探してるって事だろ?・・・行こうぜ。一人じゃ奥は辛いだろ?」
「・・・はい」
こっそりとその様子を覗き見していたラティクス達三人が、何事も無く話がついたことに安堵の溜め息を洩らしたことは想像に難くない。
そうしてやっと姿を現した彼等に向かってシウスが叫ぶ。
「おう、遅ぇぞ!何やってんだ?」
「あら、ごめんなさい」
イリアがヨシュアに向かって片目を瞑ると、青年は小さく微笑み返した。