1
金色の光に紅く照り映える森を背にし、眼前には紺碧の海を広がらせて、ここは創造の町と呼ばれていた。描く、刻む、或いは奏でる事を生業とする芸術家と、細工や錬金を手掛ける職人達が創作に励み、またその術を学ぼうとする若者達が集ってくる為に町全体が独特の雰囲気を持つ。
世界に名だたる港町オタニム程にではないが、港に近いこの町もまた、店はいつでも豊富な品揃えを保っている。大きすぎず、小さすぎない。それが世界中から彼等が集まってくる理由なのかもしれない。王都に続く街道に面しているということから海運以外の物流もよく、人の出入りも多い。常に新しい風の入ってくる町は新しい人間に対して非常に開放的だ。
きりきりと音を立てる弦を保ちながら、ロニキスはつがえた矢を的に定める。二の腕の筋肉が浮き上がり、負荷を支えた。
そして一気にその緊張を解き放つ。
的とした木片は鏃を食い込ませて台から跳ね飛んだ。
「だいぶ使えるようになってきたかな・・・」
しかしじっくりと狙いをつけて的を射るのと、実戦で敵を撃つのは大分勝手が違うだろう。正直な所、彼には自らの腕がどの程度ものなのかよく解らなかった。
彼の持つ弓は背丈程の高さを持つ大振りな弓で、いわゆるロングボウと呼ばれるものである。もっと短いショートボウに比べて扱いにくく膂力を必要とするが、その分威力は大きい。使い易く殺傷能力の高い機械式弓もクロスボウという名で存在するらしいのだが、ここイオニスでは入手出来なかった。
「ロニキスさん、怪我してません?」
遠くから白いエプロンをしたミリーが走ってくる。どうやら宿屋の方が一段落ついたらしい。
「手伝いはもういいのか?」
「えぇ。今日はもう終りにしていいって、女将さんが」
ミリーの不思議と愛敬のある性格は、過去の世界でも皆に気に入られた。この町に辿り着いてから随分経つが、その間ミリーは宿屋の女主人に気に入られ、半ば看板娘と化している。魔物に襲われ(と、いうことになっている)仲間とはぐれてしまった身の上を不憫に思ってくれたのかもしれない。
そうしてイオニスで日々の生活を送る傍らロニキスは魔物と渡り合う為に弓の鍛練を行い、またミリーの勧めによって紋章術の手解きを受けていた。勿論、それははぐれてしまったラティクス達を捜しに行く為である。しかし、弓の方は努力に見合うだけの上達を見せたものの、紋章術は一向に使えそうな兆しが無かった。やはり地球人である自分には才能が無いのだと、残念がるミリーを宥めて最近は弓の練習ばかりをしていたわけである。
軽やかな足取りでやってきたミリーは彼の腕のあちこちを覗き込み、そこに幾条ものあざが刻まれているのに眉をしかめた。つがえた矢を放つ時に体勢が悪いと、緩んで戻ってくる弦が腕の内側をかすって傷になる。彼の腕にあるのもその怪我だ。
「あーあ、またこんなになっちゃって・・・ヒール、かけましょうか?」
「いや、大したことはないさ」
痛いことは痛いが、どうせ治しても直ぐに傷つく場所だ。
故に弓を使う者は、特に未熟者は大抵腕を保護するものを装備するものだが、それでも練習中の傷は耐えないものだった。まぁ、あまり格好のいいものではない。
「でも、見てる方が痛いんでかけちゃいます!」
だったらわざわざ尋ねなくてもよいのではないだろうか?と思うロニキスを他所に、ミリーはさっさと回復呪紋の詠唱を始めてしまった。仕方なく彼は弓を傍らに置いて腕を差し出す。黄金色の光は、跡形もなく紫の筋を消し去った。この不思議の力は、やはりローク人に特有のものなのだな・・・相変わらずこの技には驚かされる。
「あ、そうそう」
こうしてとりあえず彼の無事を確認したミリーは、本来の目的を思い出す。
「このあいだのおじいさんがまた助手をやってくれって言ってましたよ。それからこの前のお礼だってこれを預かってきたんです」
手提げの中から小さな袋を取り出すと、金属音がした。
何もミリーだけが働いていたわけではない。ロニキス自身も細々とした仕事を見つけて当面の生活費を稼いでいた。彼等には知る由もないが、移動すらままならないこの状況ではラティクス達と違って魔物を倒し、それらが隠し持っている金品を得ることは不可能だった。この大陸の魔物は、アストラルやムーアに比べて格段に強い。
先程ミリーの受け取ってきた謝礼はとある老練金術師の手伝いをした時のものだった。創造の町、という土地柄だろうか住人の中には練金で生計を立てている者も多いのである。
彼女はわくわくとした瞳でロニキスを見上げる。
「開けてもいいですか?」
「あぁ。足りる様だったら、それで溜まっていた宿代を払ってしまおう。置いてもらっているとはいえ、いつまでも甘えているわけにはいかないしな」
「そうですね」
過去の世界に放り出されてから暫くはミリーの何とも言えない他を圧倒するエネルギーにたじろいだものであったが、慣れとは恐いものだ。今では日常生活の一部として当たり前の様に受け答えられる。ミリーは楽しげに、軽く結わえられている革紐を解いた。
「すごい、結構入ってますね!この前より随分多くないですか?」
確かに、転がり出てきたフォル硬貨はかなりあった。片手に載せきれないと判ると彼女は茶のかかり始めた草の上に座り込み、広げたエプロンの上で袋を逆さに振る。小さくて真新しい小額硬貨はまるで玩具の様にきらきらとオレンジの日を受けて輝いた。
数えてみると、確かに前回の四、五倍程はあるだろうか。彼はそれを一枚拾い上げてピン、と弾く。
「まったく・・・こんなに細かいものを寄越さなくてもいいだろうに」
「でも、こっちの方がたくさん貰った気がするじゃないですか。それに使い易いですよ」
「まぁなあ。それにしても、どうしてこんなに多いんだろう?」
今までに三回程、老練金術師の助手ということで薬品の計量や実験器具の設置などの細かい作業を手伝ったが、特に変わったことをしただろうか?ロニキスはその日の出来事を思い出そうと、表を示した硬貨を見つめた。
「あぁ、そういえばこの前は彼が体調を崩してしまって練金が出来なかったんだ」
「え?それじゃ、お礼が増えるなんて変じゃないですか」
「そうだよなあ・・・」
「何かの間違いだったりして。使わない方がいいかもしれませんね。他に思い当たる事とか、無いんですかぁ?」
「・・・変だな。それで折角準備したんだからやってみないかと言われて、やってみたんだ」
「何を?」
「練金とやらをだよ」
この世界での練金というものは、『本当に』鉄から様々な物質を作り出す事を指す。それは金だけでなく、大抵の宝石から稀少金属まで、産み出されるものは幅広い。
ロニキスとしては、そんなことが本当に可能であることを目の前で見せ付けられるまで信じられなかった。使われた器具はいずれも原始的なものであったし、薬品も原子量や分子配列を変化させるものとは到底思えない。にもかかわらず老人は酸化鉄混じりの鉄から金やダイヤモンドを作り出してしまうのである。
薬品の中には用意したその日の内に使い切ってしまわなければならないものもあったから、やらせてくれたんだろうなと苦笑混じりに話すが、途端にミリーの顔つきが変わったので少し驚く。
「何を作ったんですか?」
「何だったかな・・・ダマスクスとか言っていたが・・・」
「それで、成功したんですか?」
「いや、実物を知らないからなぁ」
出来上がったのは黒っぽい塊だったから、てっきり失敗だと思っていたんだが・・・と首を傾げるロニキスに、ミリーはぱっと立ち上がって両の拳をぐっと握る。
「ロニキスさん!」
とたんに盛大な金属音が鳴り響いた。
「あ・・・」
慌ててエプロンから大地にぶちまけられてしまった硬貨を拾う二人。
「・・・それで、何なんだ?いきなり大声を出したりして」
元通りに謝礼を袋に戻したロニキスの手を、仕切り直しにぐっと掴んでミリーは言った。
「ロニキスさん、やっぱり私の目は間違ってませんでしたよ!やっぱりあったんですよ、マナの祝福!!」
「ま・・・まなのしゅくふく?」
突然ミリーと手を取り合う格好になってしまって焦りまくる彼には気付かず、ミリーは続ける。
「錬金術は、マナの祝福が無い人には出来ないんです。練金が出来たってことは、ロニキスさんにはマナの祝福があるってことなんですよ!」
「そ、そういうものなのか?」
「あーーっ、私、信じてました!これでも私、自分の目には一応自信があったんです。これでちゃんと証明されましたよ、よかったぁ・・・。確かにちょっと今はコツが掴めてないかもしれませんけれど、それでロニキスさんも弓の練習に専念してもらってましたけど、やっぱりこれからも頑張りましょう、修練あるのみです、ゴールはきっと近いですよ!マナの祝福があるってことがはっきりしてるんですから、やれば絶対できますよ!あのおじいさんに感謝しませんとね!!」
何故だかひたすらエキサイトしていくミリーであったが、その「祝福」とやらが一体何なのか解っていないロニキスにはどうにも話が見えてこない。
「そ、それがあると何かいいことでもあるのか?」
術師にとっては余りにも当然な事であったので、すっかりその説明を失念していたミリーはそんな目の前の人の表情に気付いてしばし押し黙り、きっちり二拍置いてからその理由に思い当たった様だ。
「えぇっと・・・ひょっとして、知らなかったりします?」
「あぁ。すまん・・・」
困った様にぼそりと答えるロニキス。
「・・・あ、マナの祝福って言うのはですね、紋章術を使う素質みたいなものなんです。ほら、味覚とか、音感とか、天性の才能っていうのがありますけれど、そういうのと同じで紋章力を感じたり、制御したりする能力のことなんです。だから、それがあるっていうことは紋章術が使えるっていう・・・あの、何だか一人ではしゃいじゃいましたね」
少し冷静になると、ミリーは慌てて彼の手を離した。上目使いに見上げると、心配そうな声で小さく言う。
「その・・・もう紋章術の練習なんてしたくありません?・・・迷惑でしたら、いいんですけど・・・」
幾らミリーが指導しても使える様にならなかった経緯があるのだ。断られても仕方ないという気持ちと、是非もう一度やってみてほしいという期待が瞳にありありと表れている。思わず彼は苦笑して彼女の頭に手を置く。
「いや、そんなことはないさ。もう一度やってみよう」
掌の下で、ミリーが嬉しそうに笑ったのがわかった。
ランプの揺らめく炎が少女の伸ばした指先から長い影を引き出す。指はゆっくりと、だが次々に動いて幻想的な軌跡を描いた。
「紋章術の基本は、前に言った通りです。一番大切なのは呪紋を唱えることで、それに合わせて決められた形を描いていきます。意識は額の辺りに集中してやっぱり紋章を思い浮かべて・・・」
夜の帳ははすっかり落とされて、宿屋の一室では久々にミリーによる紋章術講座が再開されていた。机を挟んで二人は相対し、その間には何冊かの本が広げられている。それらの書物を見ながら、彼女は馴れない攻撃用呪紋の印を実演して見せた。
「属性の基本形の描き方はもう知ってましたっけ?」
「あぁ、何となくではあるが」
「それじゃ、とりあえず簡単なので紋章術を発動させる練習に専念しましょう。前はいきなり攻撃用の呪紋から入っちゃいましたから、それで失敗したのかも」
人に教えた経験など無いミリーは、以前ロニキスにファイアボルトやらアイスニードルやら、手近な本に載っていた呪紋を片っ端からやらせてしまったのであったが、流石に無茶をしたのだということは解っていたらしい。
「明かりを作る呪紋が一番扱い易いと思うんで、これで試しましょう。紋章の読み方はそこのページに書いてありますよね」
新しくミリーが買い求めて来た紋章術の手引書には、初歩呪紋の説明が書かれている。言われた通りにロニキスはその場所を見た。確かに以前教えられた呪紋よりは簡単そうだ。
少女は目の前に淡く光る球を作り出して見せ、彼にもやってみるように促す。
「・・・・・・何も起こらんな」
「変ですねぇ。上手くいかなかったのかな・・・何か感じませんでしたか?」
身体から力が抜けていくみたいな感じで、と彼女は尋ねるがロニキスは首を横に振る。本当だった。少女は訳が解らないと言った風に首を傾げ、ロニキスの目を覗きこむ。
「素質はあるし、呪紋も、描き方も正しいし・・・集中の仕方は教えた通りに?」
「あぁ」
掌を眺めながら答える、ミリーはまだ不思議そうな顔のままだ。ロニキスには、どう考えてみても自分に紋章術が使える気がしなかった。悪いと思ったが思わず尋ねてみる。
「その『マナの祝福』とやらだが、本当に私にそんなものがあるのか?やはり何かの間違いとか」
出来もしない事に時間を費やすよりは、弓の鍛練をしていた方が余程有効である。微かな期待を抱いた問いであったが、しかしミリーはきっぱりと否定した。
「それはありません。おじいさんにも確かめたんですよ、ロニキスさんが練金出来たってこと。練金っていうのは、マナの祝福を触媒にして鉄を別のものにすることだって教えてもらいました。だから優秀な紋章使いじゃなくても練金術師にはなれるんだそうです。ロニキスさんが呪紋を全然使えないなんていうことは絶対ありません」
この世界ではマナの祝福が賢者の石ということか。何となく感心しながらも、ロニキスは考え込む。ミリーはどうしても自分に紋章術を会得して欲しい様だ、ここは自分が使えないということを証明するか、さもなければ使えるようにならなければ、この紋章術講座は延々と続くだろう。迷惑ではなかったが、一生懸命なミリーを前にいつまでもそれを習得出来ないというのは何となく後ろめたい気がした。
ここは真面目に考えなければならない。
「ではミリー、私が今まで紋章術が使えなかった理由というのは一体何なのだろうか?」
「さぁ・・・やっぱりコツが掴めてないからじゃないですか?私はお父さんが法術師でしたから、小さい時から紋章術は見慣れていましたし。ロニキスさんは最近見たばっかりなんですよ?そんなにぱぱっと使える様になるものじゃないですよぉ」
「じゃあ君は、習ってから直ぐに使えるようになったのか?」
少女は大きく首を振った。
「全っ然、そういうわけじゃありません。ただ・・・」
「ただ?」
ミリーは口元に手を当てて昔を思い出した。彼女は勉強があまり好きではなく、呪紋に失敗した経験は数えきれない。けれども、彼女とこの地球人には決定的な違いがあった。
「私は覚えが早かったとは言えませんけれど、失敗した法術でも何ていうか、手応えみたいなものはあったんですよ。ロニキスさんみたいに何も感じないことは・・・ありませんでしたね」
「術師というものは、何かを感じるものなのか」
「えぇ。さっき言いましたよね、力が抜ける感じがしないかって。私の場合は失敗するとそんな感じがするんです。あと紋章と術師の相性っていうものもあって、自分で扱えない呪紋を使おうとすると、はねつけられる感じを受けますね。それで私は法術しか使えないんですけれど」
「何も感じない、ということは無いんだな」
「変ですよね。絶対に使える筈なのに」
ミリーははっとした様子で自分の掌とロニキスのそれを見比べた。
「やっぱり、私とロニキスさんは違うっていうことなんでしょうか・・・」
こうして一緒に話し、笑い、生活を一緒に送ることの出来る相手が決定的に住む世界を異にすることを否定する為に、ミリーはこの術を教えようとした筈だった。それが却ってお互いの違いを示す結果になってしまうとは、皮肉なものである。が、彼は少女を傷つけない様に、控え目にそれを肯定した。
「少なくとも、紋章術に関してはそういうことになるのかもしれないな」
「そんなの変です、絶対使える筈なんです!」
少女は首を振った。
「同じ世界じゃないですか。私、知ってます。地球だって同じ聖域の、星の海の中にある場所で、繋がっていて・・・だったらトライア様は同じに力を貸して下さる筈ですよ!」
「気持ちは解るが、事実として私には君の様な能力は無い様だぞ」
「うーん・・・どうしてなんでしょう?何か原因があるんじゃないでしょうか?紋章術が使えない何かが・・・それが解れば・・・」
「・・・では、まずは私とミリーの違いをはっきりとさせないといけないということか」
この『違い』は世界の異ではない、条件としての違いである。
ミリーには、最後まで付き合うべきなのだろう。ロニキスは机の上で手を組み直し、先程ミリーの生み出した光球を見る。この力の根源は一体何なのか。思えば、彼女からその事をはっきりと教えられた覚えが無かった。
ふと思い起こして机に積まれていた『紋章術の手引き』という文字の刻印された革表紙の本を開き、目次を見る。思った通り・・・当たり前だが・・・そこにあった『第二章:紋章の起源』と銘打たれた頁を探し出して一際大きくつづられたローク文字を読んでみた。
「『ルーン』」
「え?」
「それが魔力の源なのか。ミリー、ここに書いてあることについて教えて貰えないか?」
「・・・そういえば、こういうことって教えてませんでしたっけ」
「よくよく考えてみると、な。もしかしたらこういう事をきちんと勉強していない所為なのかもしれないぞ、私が紋章術を使えないのは」
真顔で答えるロニキスに、あれぇ、そうでした?と少女は今までの表情を消し、きまり悪そうに笑った。椅子を立って彼の横から顔を出すと、ルーンと書かれた文字を指で辿って素早く目を走らせる。
「んー・・・そっか、昔なんでしたよね、今って」
何が可笑しいのかくすくすと声を立てながら、細い指で微かな音を立ててめくられる数枚の頁。長いまつげに縁取られた瞳はとても綺麗だった。柔らかい光の中、ほんのりと青みがかった白目に薔薇色の虹彩がよく映える。
重要と思われる数段落をまるで昔語りの様に朗読し、彼女はロニキスに目を戻す。
「ここに書いてあるのはロニキスさんの言う通り、魔力の・・・紋章術の根源は『ルーン』という存在だってことです。っていうよりも、魔力の源を『ルーン』と呼んでいたみたいですね」
「みたいというと、本当は違うのか?」
「ええ、私達の時代ではこう習いました。この力の源は神様なんだって」
トライア様は力を貸してくれるはずだ、と目の前の彼女は言った。
トライア・・・それはローク人に信仰されているもの・・・創造神と呼ばれているもの。
「ルーンは神への祈りの中から紋章術を生み出した種族だと言われています。三百年経つと、色んなものの解釈って変わるんですねぇ・・・」
ミリーは実に興味深そうに他の本も引っ張りだす。勉強は嫌いなのだと自分で言っていた割には、どうしてなかなか熱心だ。
「神か」
唐突に答えが閃き、自分自身のはじき出したそれに思わず笑いが洩れた。確かに自分とミリーは全く違うのかもしれない。
「どうしたんですか?ロニキスさん」
「いや、ちょっとな。なぁミリー、紋章術に信仰心は必要か?」
「聖職者じゃないんですから、そんなの要りませんよ。神託を受けようっていうならともかく・・・現にルーンが力の根源だって思われていた時代だってありますし、それにお祈りとは無縁みたいな魔物だって呪紋を唱えるじゃないですか」
正論である。しかしミリーはもう一つ付け加えた。
「祈らなくても神様はいるんです。神様がいる限り、紋章術は使えるんですよ」
「そういうものなのか。もう一つ聞いてもいいだろうか」
「えぇもう何でも聞いてください。多分絶対、私が基本を教え忘れてたからロニキスさんが紋章術を使えないんですよ。やっぱり最初の勉強が肝心ですよね!」
けれどもミリーが耳にしたのは、まったく予想外の問いだった。
「魔物にとって、神とは何だろう?」
しばし返答につまり、まじまじと相手を見る。からかわれているとも思えないので彼女なりに考えてみたが、結局どう答えていいものか解らなかった。よく解らない答えを返すしかない。
「え・・・魔物にとっての神様ですか?・・・魔物を創ったのだってきっとトライア様ですからね、神様は神様なんだと思いますよ。でもどうしてそんな事を聞くんですか?あんまり関係無いと思うんですけれど」
「あぁ・・・何でもないんだ。ちょっと聞いてみただけさ」
ミリーは不思議そうな顔のままだ。何でもない、ともう一度言って曖昧に笑う。流石にこの少女には言えなかった。自分が神の存在を認めていないなどとは。
ここは神が確かな重みを持って存在する世界だった筈だ、と彼は嘆息した。
彼女の言う『信仰心』とは神を慕い、敬虔に祈りを捧げる事を指している。神の存在を否定することなどかけらも考えてはいないだろう。そして恐らくこの世界で紋章術を操る誰しもが、少なくとも『神』が在る事を確信している。
もしも本当にそんな存在の力を借りようとするならば、多分・・・自分はこの世界の『神』を知るところから始めなければならないのだろう。
どうしようか、そう自身に問う。
「ロニキスさん、何だか変ですよ。具合でも悪いんですか?」
「いや、大丈夫だが」
彼は首を振る、確かに我ながら馬鹿げた仮説だ。
神を信じた所で一体何が変わるというのだろうか?そんなものは人の創りだした偶像に過ぎない。
「・・・だが、郷に入っては郷に従えと言うしな」
ロニキス=J=ケニーは、そう呟いて自らの意志を確認する。まぁ、やってみなければ何事も始まらないものだ。