7
「ウォーレン様の怪我は、軽くはないが命に別状は無いそうだ」
「さすがはライアスじゃ。不意をつかれても肝心な場所は守っておった」
深手を負った騎士団長は城の一室に寝かされていた。既に傷の手当てはされて、浅い眠りについている。
そろそろ夜が明ける時間であったが未だに城は慌ただしく、そんな中でライアスの容体を確認しに行ったフィアとアシュレイは、ほっとした様子で戻ってきた。無論、彼女の無実が証明された後のことである。
「そいつはよかった。まぁ、あの親父に限ってあんな魔物にやられるなんてことはないだろうが・・・」
シウスも、その報告に安堵したらしい。ほうっと大きく息をついた。
ラティクス達三人は別室でフィアとアシュレイが戻ってくるのを待っていたのだが、彼等が戻ってくるまでの間、シウスはじっと椅子に座って下を見つめていた。
しかし幾ら周囲に勧められても、シウスはライアスに会おうとはしなかった。けれども重症を負っているのは実の父である。フィアは問うた。
「シウス、いいのか?」
「あぁ。親父には会わねぇ」
「確かに私はきついことを言ったが、もしもそのせいでウォーレン様に会い辛いのだったら、気にすることはない。・・・ウォーレン様はとっくにお前の事を許している」
彼女の様子は、昼間に会った時の剣幕とは全く違って穏やかだった。『仲直りするチャンスじゃない?』、イリアの言葉が思い起こされる。ほんの僅かの間に、何が彼女の心境を変えたのだろう?再会の驚きから立ち直ったというわけではあるまい。何よりその言葉の内容に、シウスは意外そうにフィアを見た。
「とっくに?」
「あぁ、アシュレイ様がいらっしゃる前から。そもそもお前がアストラル出た時から・・・怒ってなどいなかったのかもしれない」
フィアは一つ溜め息をついてから続ける。
「ただ、私が許せなかっただけだ。勝手にアストラルから出たお前に無性に腹が立ってな」
彼女は窓枠に手を掛け、外を眺めた。
話が立ち入ったものになってきた様子に、部屋の隅で座っていたイリアがやはり向かいで座っていたアシュレイに尋ねた。
「アシュレイさん、風に当たれそうな場所ってありませんか?」
「どうしたんじゃ、気分でも悪いのか?」
「えぇ。生首に免疫が無かったみたいで・・・」
彼女は苦笑する。アシュレイも、彼女の意図に気付いた様だった。
「そうか、確かに刺激が強かったかもしれんのう。いい場所を知っておるから、ラティも来ぬか?」
「あ、僕は平気なんで」
いいです、と言いかけたが、イリアが彼の腕を取った。
「いっしょに行きましょうよ、ね?」
「本当に平気ですよ?」
「もう、鈍いわね」
イリアは困った顔をして囁いた。アシュレイはわけの解っていないラティクスを面白そうに見ている。
「ほら、いらっしゃいな」
「はぁ・・・」
結局、意味の解らないままラティクスは廊下に連れ出されてしまう。イリアの足取りの軽さに彼は首を傾げた。
「結構元気じゃないですか、イリアさん」
「全然元気じゃないわよ。ね、アシュレイさん」
「そうじゃのう」
「・・・二人とも、一体何なんですか?」
そんな彼等の足音は、重い音を立てて扉が閉じると聞こえなくなる。部屋の中にはシウスとフィアの二人だけが残された。仲間の配慮に感謝しつつ、シウスは外に目をやったままのフィアを見る。
こうして彼女と話すのは随分久し振りだ。話さなければならない事が沢山あるのに、何を言えばいいのか解らない。
「お前が騎士長になったって聞いた時には驚いたぜ」
何気なく口に出した一言に、フィアは思いもかけない言葉を返した。
「当たり前だ、私はお前の代わりに騎士長になったのだから」
「・・・嘘だろう?」
赤い髪の騎士長は、首を振った。感情を抑えた低い声でゆっくりと続ける。
「そう思うだろうな。だが本当だ、少なくとも今まではな。
私はウォーレン様の息子に劣らぬ様に、いや、優(まさ)らなくてはならなかった。それが今まで育ててくれたウォーレン様への感謝の気持ちだったからだ」
顔を俯かせ、小刻みに肩が震えた。
「・・・シウス、私はアストラルを棄てたお前を絶対に許せなかった。必死でお前の痕跡を消そうとしていたんだ」
その様子があまりに普段の彼女とは掛け離れていて・・・信じられないことに泣きそうにすら見え、シウスは思わず口走った。弁解を潔しとせず、決して言うつもりの無かった言葉を。
「フィア、信じてくれ。俺はこの国を棄てたわけじゃない」
「・・・あぁ、そうだった」
てっきり否定されるかと思ったが、意外な言葉が返される。不思議そうな顔をするシウスに彼女は顔を上げずに続ける。
「アシュレイ様から少し、話を聞いた。お前がアストラルを出たのは逃げる為ではなく、ここに戻ってくる為だったのだとな。・・・だがシウス、もしもお前が一言、必ず戻ってくると約束してくれたなら・・・どんなに楽だったか」
「お前・・・」
シウスには信じられなかった。彼が棄てようとしたものは、残された者に覆い被さっていたのだ。
再会したフィアの剣の腕は短期間で驚く程に冴えて、騎士長に恥じないだけの強さを有していた。その強さが何処から来たものなのか、考えもしなかったのだ。シウスは目を伏せる。
必ず戻ってくる、そのたった一言が足りなかったばかりに。今更ながら自らの短慮が悔やまれた。
「俺は、自分が周りに迷惑をかけたことは解っていたが・・・すまない。お前には相談するべきだった」
「当たり前だこの馬鹿が。黙って出ていく奴がどこにいる!・・・だが、もうそんなことはどうでもよくなった」
「許してくれるのか?」
「さぁな。そんな権利は私には無い」
彼女は思い出す。今の地位に立つまでに彼女にかけられた周囲の期待は、シウスにかけられたそれよりも遥かに少ない筈だった。にもかかわらず常に期待される束縛感は、時に心を苦しめた。
「お前に過度の期待をしていたという意味では、むしろ私の方が責められるべきかもしれない・・・だからまぁ、相殺ということにしておこう」
「お前なぁ、そういうことで片づく問題なのかよ・・・」
呆れたシウスだったが、顔を上げたフィアの表情はいたって真面目である。感情の昂ぶりは抑まったのか、既にいつも通りの様子に戻っていた。
「大体、お前は自分のした事が間違っていたとは思わないのだろう?」
「そりゃあな。今でも、ここを出たのは正しかったと思ってる」
「私はな・・・お前の立場になってみて初めてわかったのさ、期待されるということの辛さが」
横を向き、きまり悪そうに言う。許した、と言えるのかどうかは解らないが、とにかくシウスに対してのわだかまりに決着をつけたフィアの顔は、昔のままのもの。共に育った家族であり友人としてものだった。
シウスはもう一度、心から謝った。
「すまなかった」
「もういい、過ぎたことだ」
フィアは微かに笑うことでそれに答えた。
それからしばらくの間二人は沈黙し、かなり明るくなってきた窓の外を眺めていたが、短い嘆息を洩らした後に彼女は一転して厳しい顔で話を切り出した。
「ところで気付いたか?この暗殺計画が周到に準備されていたということに」
「準備?」
「そうだ。あの魔物は、お前の名を知っていただろう」
確かにそれは事実である。ダースウィドウは姿を見ただけでシウスであることを理解したのだった。
「あぁ。俺も妙だとは思ったんだが・・・まさか、俺がここを出る前から監視されてたってことか?」
「恐らくな。多分、アストラル全体が奴等に把握されているのだろう。今までは魔界との関係が小康状態だったから、我々も油断していた・・・」
「力押しだけじゃないってことか」
「魔王は侮れん。シウス、それでもお前は行くのか?ここには戻らずに」
フィアがシウスに何を求めているのかはよく解った。この国を守る、それが騎士団の任務だ。
直ぐに騎士団に戻ってきて欲しい。痛い程にその思いを感じながら、しかしシウスは首を縦に振った。
「あぁ。悪いが、もう少しだけ、な」
「何の為に。お前はもう十分に強くなったのだろう?」
「今、凄ぇ奴を一人見つけたんだ。まだ剣の腕は未熟だがとんでもない才能を持ってやがる。俺はそいつがどんな風に成長して行くのか見てみたい」
そう言った彼の目は輝いている。フィアは、彼の同行者である青年を思い出した。薄青い髪のあの青年は、確か長剣の使い手だった。
「ラティクス、か?」
「そうだ。今まで色んな奴を見てきたが、あいつは本物だ」
しばらく目の前の人を見つめた後に、ふっと目を逸らして彼女はいつも通りの口調で言った。
「・・・そうか、ならば何も言わん。だが、必ずここに戻ってこいよ。今度こそ私を失望させるな」
「解ってるさ」
「・・・そろそろ朝だな。もう宿に帰ったほうがいいだろう。シウス、アストラルを発つのはいつになる?」
「さぁ?相談しないと何とも言えないが・・・」
「そうか。だが一眠りしてから行くのだろう?」
「多分そうだろうな」
じゃあな、と短い言葉を残してシウスが部屋を出て行くのをフィアは見送り、それからきつく窓枠を掴んだ。どうして彼は、いつも他の所を見ているのだろう?
「全く、あいつは馬鹿で鈍感で、人の気持ちなんてお構い無しだ」
彼に残って欲しかったのは、この城の為だけではない。
本人に面と向かって言えはしないが、彼女自身がそれを切実に望んでいた。そんな口に出さない感情を理解しろと言う方が酷というものかもしれなかったが、思いを全く気付かれないのは辛かった。
彼はよき好敵手を見つけ、今はそれしか目に入っていない。彼女は溜め息をつく。
「でもまぁ、信頼されてはいるということか・・・」
いずれ彼が戻ってくる日まで、いや、戻ってきてからも、私はこの国を守って行こう。
勿論、自らの意志で、信じる通りに。
「おいラティ、起きろ!」
「・・・ミリー・・・リ・・・ームで変なもん出すなよ・・・」
「なに寝ぼけてんだ、もう昼はとっくに過ぎてるぞ!」
ゆさゆさと揺すられて、ラティクスは重たい瞼を開ける。眩しい。
「フェルウォームの大群・・・」
目を閉じた。
「ったく、本当に寝起き悪いなぁ」
呆れたシウスは、無理矢理毛布を引き剥がしてもラティクスがまだ寝ているのでアシュレイに助けを求める。しかし、彼が揺すってもラティクスの返事はいまいちはっきりしない。
「寝る子は育つと昔から言うからの」
アシュレイがもう一度、肩を揺すっていると、イリアが顔を出した。
「フィアさん達が来たわ。お城からの使いみたいよ」
「そうか、早く行かないとな。その前にまず、こいつを起こさないと・・・」
結局、フィア達が待たされたのは言うまでもない。
「すまんな。先を急いでいるのかと思って早めに来たのだが、起こしてしまったか」
兵士を二人従たフィアに、シウスが首を振った。
「いや、こいつの寝起きが悪くてな」
「すいません・・・」
ラティクスは頭を掻く。
「して、王からの使いとは?」
アシュレイが尋ねると、フィアは居ずまいを正して使者の顔になった。
「魔物討伐に対する王からの報償金です。お受け取り下さい」
兵士がずっしりと重い箱を差し出す。装飾の施されたそれを開けると、中にはかなりの大金がつまった袋が入っていた。
「こんなに・・・」
イリアは驚いたが、報償金の額とはそういうものらしい。貰っておけと、シウスが目配せした。フィアは続ける。
「それから人を捜しているということでしたが、手掛かりが何も無いのでしたら、パージ神殿を訪ねてみてはいかがでしょう?」
「パージ神殿・・・真実の瞳か?」
「真実の瞳?」
ラティクスはアシュレイに尋ねるが、代わりにフィアがそれを説明した。
「真実の瞳は、それを持つ者の望む光景を映し出すという秘宝です。実在するのかははっきりしませんが、当てが無いのなら行ってみる価値はあるかもしれません」
「その神殿というのは、どこにあるんですか?」
「タトローイから北西に位置しています。タトローイとトロップを結ぶ道から分岐して、神殿への道もあります」
「それなら、丁度通り道ね」
地図を思い浮かべながら、イリアが言う。
「だが、あの神殿には何も無い筈じゃぞ。今までに調べに入った者達も何人かおる」
フィアは頷いた。
「はい。しかし、あの神殿にはもう一つの入り口があると言われています。まだその入り口を発見した者はいません。元々、魔物の巣窟ということで本格的な調査は行われていませんから、真実の瞳が実在する可能性はあります」
「成程」
フィアの顔には疲労の色が濃い。恐らくラティクス達が城を去った後にも眠らずに、パージ神殿について調べてくれていたのだろう。彼女は小さく折り畳んだ紙片を取り出した。
「城に神殿についての記述があったので、写しておきました。隠し扉の位置を示すものではないかと思われますが、お渡ししておきます」
「色々ありがとうございます」
それを受け取って、ラティクスは開いてみた。神殿周辺の簡単な地図と、何行かの文章が褐色のインクで書かれている。
「古いものなので、信憑性はありません。ですから判断はそちらにお任せします。では、我々はこれで」
兵士達が一足先に宿を出て行く。一礼して身を翻そうとしたフィアは、ふと思いついてラティクスに耳打ちした。
「馬鹿な奴だが、シウスをよろしく頼むな」
「あ、はい」
「フィア、お前ラティに何て言ったんだよ?」
「何でもないさ、それじゃあな。ラティクス、シウスには言うなよ」
からからと笑いながらフィアが去った後、しばらくラティクスはシウスに問い詰められることとなる。
それを眺めつつ、イリアはようやく形ある手掛かりを見つけられたことに感謝した。これで当ての無い町巡りに一旦、終わりを告げることが出来る。尋ね人は今頃、何をしているのだろう。
彼等の無事を祈って、彼女はラティクス達に出立を促した。