SO Script ACT・4


最初の手掛かり

城の一室に一人の男が倒れていた。眼帯の印象的な隻眼の男だ。
彼は酷く出血している。その血は上品な衣服を緑に染め、更に床を濡らしていた。
横には汚れた剣を持った手をだらりと下げた人物が立っている。男は何とか立ち上がろうと床を掴むが、血で掌の滑る濡れた音が微かにするばかりであった。
「ウォーレン様、失礼します」
何も知らない一人の兵士が、鍵の掛かっていなかった扉を押し開けて入ってくる。
「ウォーレン様?」
その兵士が状況を把握するまでに数瞬を要した。横たわる騎士団長、血染めの剣、そして立っていたのは・・・

甲高い鐘の音が夜も更けてきた町に響き渡った。この町には馴染みある、しかし一般市民には何の意味も無い音が。

「結局この町にも艦長達はいなかったわね」
「そうですね・・・まさか魔物にやられた、なんてことはないでしょうけれど・・・見つかりませんねぇ」
考えたくもないことを想像してしまい、ラティクスは首を振った。ミリーには法術がある、万一のことがあっても自分で治してしまうに違いない。
「ミリーちゃんがついてるから、大丈夫よ。艦長だって、あれで中々強いんだから」
「本当ですか?」
「えぇ。・・・そういえば、技能書を買ったのよね。結構荷物が増えてきたから、整理しないと」
ラティクス達は約束通りにアシュレイと宿で落ち合い、今はその一室で体を休めていた。鐘の音が聞こえてきたのは、その時のことだ。
「こいつは・・・」
シウスが周囲を制して聞き耳を立てる。不思議そうにそんな彼を見るイリアに、アシュレイが説明した。
「騎士団の暗号じゃ。何か事件が起こったらしいの」
「事件・・・?」
鐘を打つ間隔と強弱によって音は、騎士にしか解らない情報を伝える。その解読はシウスにとって造作無いことだった。アシュレイにもそれは同様だ。
「一体、何が起きたんだ?」
ラティクスが尋ねたが、応えは無い。ハイランダー二人の顔が強張り、次いで驚愕の表情が走った。シウスが呟く。緊張で喉に絡んだ様な声だ。
「嘘じゃないよな?フィアが・・・」
アシュレイは微かに首を振った。
「ライアスを?」
目を見合わせる。
「そんな馬鹿な?!フィアがそんな事をするわけねぇ!」
「同感じゃな。とすればフィアに濡れ衣を着せようとしている曲者は、直ぐにでもアストラルを出ようとするはず。この様子では、既に港は使えぬな」
「だとすりゃ、場所は・・・」
シウスは部屋の隅に立て掛けておいた大剣を掴んで飛び出して行った。余程急を要する事態らしい。間を置かずにアシュレイも武器を手にして彼の後を追う。
「イリアさん、僕達も行きましょう!」
「えぇ!」
残された二人は事情は解らなかったものの、ただならぬ雰囲気に立ち上がった。窓の外から足音が聞こえて来る。シウスのものであろう。急がないと見失ってしまう。
彼等が宿から出ると、ひんやりと乾いた風が頬を掠めた。
「向こうよ」
建物から洩れた淡い光で、長い影を引いたイリアが左を指した。港とは反対の方向である。微かに反響する足音を聞いた気がした。
「急ぎましょう!」
空は晴れていた。衛星の光が煌々と降り注ぐ中、二人の影は町の闇に消えて行く。

夜の町をフィアは走っていた。頭上を、まるで追い立てるかの様に鐘の音が響き渡る。幸いにしてまだ騎士団が出動する気配は無い。人気の無い道を、巡回の兵士を避けながら駆け抜けた。
彼女の心臓もまた、早鐘の様だった。
現実の鐘の音は、彼女がライアスに切りつけて瀕死の重傷を負わせたことを告げている。フィア自身には全く覚えの無い事だった。
逃げているわけではない。幸運なことに騎士団の暗号は、彼女にも平等に事態を告げてくれた。本当の犯人を捕まえることだけが、冤罪を晴らす彼女に残された唯一の手段だ。その機会は今しかないのである。
何故だ。
フィア思った。どうして曲者は私の姿をしてウォーレン様を襲ったのだ?
騎士団長の義理の娘だから。彼女に思い当たるのはそれだけだった。そう、恐らくライアスに最も近づき易い存在だったからだ。しかし一時的にとはいえ、彼の目を欺くだけの変装をやってのける存在を、フィアは一つしか知らなかった。
すなわち、魔物。彼等は時として完璧に人に化ける。
そこに来てようやく合点がいった。アストラル洞窟への侵入者、警備兵二名を殺した曲者の目的はライアスを暗殺することだったのだ。
このことが示す事実に気付いて彼女はゾッとした。魔物は、兵士や使用人ではなく、フィアという特定の人間に変装した。無論、騎士団の紅一点として彼女自身ある程度は有名である。けれども彼女が騎士団長に引き取られていた事や、なによりその容姿までは曖昧な噂では判るまい。つまり魔物は計画的に事を運んでいたということである。前もってアストラルで情報収集が行なわれていたのかもしれない。にもかかわらず、騎士達は、そうした魔物の動きに一切気付かなかったのだ。
魔界大戦以降、「統制された魔物」との戦いの記憶は薄れていき、魔物との戦いと言えば力のぶつかりあいそのものを意味した。それが魔王の意図だったとしたら?
色々な意味で、冤罪を甘んじて受けるわけには行かなかった。だから彼女はひたすらに走る。
町の出口に近い十字路を横切ろうとした時、右手から複数の人影が走って来るのが見えた。兵士ではない様だ。しかし関わりあいを持つのは避けたかったので、フィアは無視して通り過ぎようとした。
「フィア=メルか?!」
暗がりから聞こえたのは、知った声である。今日の午後、ライアスに来客があった。声はその客のものと同じ。さすがに捨て置けず、そちらを向く。
「アシュレイ様?」
「やはりヌシか」
「アシュレイ様も暗号を聞いて・・・私を・・・」
「ヌシ、本物じゃろうな?」
自分を捕らえに来たのかと身構えるフィアに、アシュレイは尋ねた。
「勿論です!!」
力を込めて否定した後、この人が自分を信じてくれているのに気付いて、彼女から微かな笑みがこぼれた。有難かった。
「今、私の偽物を追っているんです。濡れ衣を着せられるわけにはいかないので」
「儂等もじゃよ。おぉ、それはそうとシウスに会わなかったか」
「シウス?いえ、誰にも会っていませんが」
「そうか。あやつも偽物を追っているんじゃよ。全く、シウスときたら真っ先に飛び出して行きおって・・・余程ヌシのことが心配だったようじゃのう」
どうしてアシュレイが、シウスのことを知っているのか。彼女は怪訝そうな顔をする。
「アシュレイ様、それはどういう意味ですか?」
「ほれ、急ぐぞ」
アシュレイはフィアの問いを聞かずに走り始めた。今の会話の間に追い付いて来たラティクスとイリアが横に並ぶ。
「お前達は昼間の」
シウスはアシュレイに同行していたのかと、合点のいったフィアに二人は軽く会釈した。と言っても走っている為によく判らないものになってしまったが。
会話はそれきり途切れ、四人は走ることに専念した。

町から少し外れた山肌に、アストラル洞窟はぽっかりと口を開けていた。入り口には折り重なった姿が二つ。既に動かなくなってからしばらく経っている。
驚異的な速さでここまで一気に走って来たシウスは荒い息をつきながら、淡い光の中でその死体がアストラル兵であることを確かめた。鋭利な刃物らしきもので一撃にやられている。その傷は見覚えのあるものであった。
「こいつは・・・ダースウィドウにやられたんだな」
とある魔物の真空波で出来たものと、全く同じ傷である。
曲者はここからアストラルに侵入した。恐らく、目的を遂げた後はここから脱出するつもりなのだろう。
或いはもう逃走したか・・・
洞窟に逃げ込まれているとすれば一人で追うのは危険だ。どうすべきかを思案したが、彼には先回りしているという確信があった。
その勘は正しかった様だ。直ぐに、砂を蹴る音が近付いて来た。
「やっぱりここに来たな・・・」
足音がゆっくりとしたものに変わる。しかし異形の者を予期して身構えたシウスが目にしたのは、意外にも青白く浮かび上がったフィアの姿であった。
「・・・・・・フィア。事情を説明してもらおうか」
「お前は・・・?」
誰何する声は聞き慣れたものである。
本当にフィアがライアスを傷つけたのか?シウスの中を不安がよぎった。まじまじと見つめた姿形は全く本物と変らない。
目の前のフィアは、行く手を阻むのがシウスだということに気付いた様だ。追っ手を警戒して焦っているのか、叫びに近い声で懇願した。
「シウス、見逃して!あなたと私の仲でしょう?!」
信じられないものを聞いた。
シウスの口から安堵の溜め息に混ざった失笑が洩れる。
「貴様、偽物だな」
「何を・・・言っているの?」
目の前のフィアは心底不思議そうな顔をしたが、それが演技でしかないことをシウスは理解していた。
「確かにお前は上手く化けた、完璧だ。だが詰めが甘かったぜ!」
大剣の刃が衛星の光を受けて白く輝いた。得物と同じく白銀の頭髪を逆立て、彼は牙を剥く。
「本物のフィアならこう言うはずだ。『シウス、《見逃せ》。《お前》と私の仲《だろ》?』ってな。あいつは俺に似て汚ねぇ男言葉しか使わねぇんだ・・・正体を見せろ、偽物が!ぶっ殺してやる!!」
「くっ・・・」
偽フィアは剣を突き付けられて後退る。もう人の姿をする必要無しと判断したのか、その輪郭がぼやけ、歪んで別の形となった。
その上半身はほっそりとした女のもの。しかし腰から下は節のある虫の腹部であり、そこから三対の人の足が生えている。それらの足がきちんと靴を履いているのが悪い冗談の様だ。
蜘蛛の化け物、ダースウィドウ。曲者の正体はシウスの睨んだ通りのものだった。
ダースウィドウは邪魔者を消そうと、素早く手を振り上げた。洞窟の警備兵達を屠った真空波の構えだ。シウスが身構えたその時だった、後方から怒りに凍えた声が発されたのは。
「もう少し人の姿でいたらどうだ?貴様もその醜い姿を隠していたいだろう」
巨大な体に似合わず素早く振り返った魔物が見たのは、もう一人のフィアだった。本物である。
魔物は悔しげに舌打ちする。
「もうばれてしまったか」
「よくも馬鹿にしてれたな。それ相応の覚悟をしてもらうぞ!」
研ぎ澄まされた短剣、愛用のバゼラートを構えたフィアの後ろには、ラティクス達三人も散開している。勝ち目無しと判断したのか、ダースウィドウは自らの影に溶け込むとするりとシウスの後方に抜けた。彼等お得意の瞬間移動である。
「お前等に関わっている暇は無いのでな!」
耳障りな笑い声を残して蜘蛛女は洞窟の中に、滑る様に消えて行った。
「待てっ!!」
シウスよりも先に、フィアがその後を追って行く。ラティクス達が駆け寄ってきた。
「シウス、怪我は無いか?」
「あぁ。それより早くフィアの奴を追わねぇと」
「そうだな。行こう!!」
洞窟の入り口からは、湿った空気が流れ出している。先にラティクスとアシュレイがその中に飛び込んだ。続いてシウスが中に入ろうとした時、思い付いた様に隣からイリアが話し掛けてきた。
「ねぇ、シウス」
「何だ?」
意味あり気に笑ったのが、妙によく見えた。
「彼女と仲直りする、いいチャンスじゃない。頑張りなさいよ?」
「なっ・・・★」
一瞬固まってしまったシウスを残して無責任にも彼女は行ってしまった。何か微妙に、しかし絶対に勘違いされている気がする。
結局シウスがラティクス達に追い付くまでにはやや時間がかかってしまった。

「・・・一体何処に行ったんだ?あの偽者め・・・」
途中で見失ってしまったのか、立ち尽くしたフィアが短剣を鞘に収める。
周囲は漆黒ではなかった。
アストラル洞窟はただの洞窟ではない。天然の洞窟に旧異種族によって手の加えられた、遺跡である。洞窟は細かい区画ごとに扉で仕切られており、部屋になっている場所、通路になっている場所、そして広間の様な場所など様々な用途に用いられていたことがわかる。そんな洞窟には驚くほど沢山の青白い灯が、紋章術によるものなのか、消える様子も見せずにちろちろと一行の姿を照らし出していた。
「こんな所で迷ったら大変ね」
「多分、偽者も僕達を迷わせようとしてるんじゃないですか?」
道はかなり入り組んでおり、その上一度閉まったら二度と開かない一方通行の扉まである。今から一人で戻れと言われたら、ラティクスは途方に暮れてしまうだろう。しかし、その点は大丈夫だとハイランダーの三人は請け合った。この洞窟の地図は、アストラルにいる者ならば誰でも頭に叩きこんであるものらしい。
「曲者は多分タトローイに下りようとしているのじゃろうから、儂達もそっちに向かえばいいのではないかの。まぁ、追い付けるじゃろ。ここは庭の様なものだからな」
「あいつはアストラルに浸入する時に、タトローイ側の兵士を殺しています。逃げる時も当然そこを通るでしょう。そうと決まれば・・・」
怒り心頭のフィアを先頭にし、ラティクス達は古に作られた長い階段を下り、滴り落ちてくる地下水の作った水たまりを越えて、行きは運河で遡った道を下って行った。
途中、同胞を逃げ延びさせようとする為なのか本来ここに住み着いている魔物達が執拗に攻撃をしかけてきたが、この一行では敵の方が不運であったろう。いずれもまたたくまに仕留められ、踏み越えられていくことになる。
そこでラティクスが目にしたのは、フィアの用いる見たこともない剣術であった。
飛翔剣である。
複数本の剣を自在に操るその技は、剣がまるで意志を持って空中を舞い、敵を攻撃している様に見えることから名が付いたというが、フィアの周りに繰り広げられたのはまさしくその通りの光景だった。
左手の指輪が炎の輝きを発すれば、彼女の手を離れた二本のバゼラートは正確にアームドナイトの急所を襲った後に、少しも勢いを殺さず戻ってくる。この炎の指輪、アストラルリングを使いこなせる者だけが飛翔剣を会得出来るのだが、彼女の技は華麗の一言につきた。
中でも特別に気を高めて仕掛ける黒烏剣(レイヴンソード)は、剣そのものが炎の気を纏って敵を薙ぎ倒す。その技量は並みの戦士など足元にも及ばぬものであり、アストラル騎士長の実力をまざまざと見せ付けられた気がした。
「フィア、随分腕を上げたな。びびったぜ」
「当たり前だ。伊達に騎士長をやっているわけじゃない!逃げたお前と一緒にするな!」
また一匹、マンドレイクの化け物が恐ろしい悲鳴を上げながら黒焦げになる。隣でもう一匹を輪切りにしたシウスは肩を竦めた。こんなのとどうやって仲直りしろってんだ?
そんな本人の意志とは裏腹に、少し離れた所で戦っていた三人の会話というと、
「あらぁ、結構いい感じですね。息もぴったりですし」
「そうじゃのう。似合いの二人じゃな」
「そうなんですか?」
「・・・ラティ、恋愛関係に鈍感って言われない?」
「いや、まぁ・・・そうかも」
いたってのどかであった。勿論その間も攻撃の手を休めているわけではない。二人以上に敵を倒し、道を切り開いている。
外の見えない洞窟内での時間経過は感覚に頼るしかなかったものの、常人ならば到底無理な時間で一気にタトローイに下りたのは真夜中をかなり回った頃だろう。出口からほど遠くない場所でようやく彼等はダースウィドウの目立つ影を発見した。追っ手がここまでやってくることはないだろうと、たかを括っているのか必死に逃げている様子ではない。しかし、洞窟から出られてしまえば二度と見つけられないだろう。
「レイヴンソード!」
フィアの投じたバゼラートがうなりを上げてダースウィドウの足を切り裂き、返ってくる軌跡でその首を捉える。かろうじて影に逃げ込むことで蜘蛛女は身を守った。
「しつこい奴等だ!」
だらだらと足から体液を滴らせながら、少し離れた場所に現出したダースウィドウの形相は凄まじい。まさか追いつかれるとは思っていなかったらしく、完全に逆上している。
怒りに逃げるのを忘れたか、それともここで始末しておこうと思ったのか。魔物はラティクス達めがけて真空波を立て続けに放った。
「空破斬!」
すかさずラティクスの繰り出した衝撃波がこれを打ち消す。隙を逃さずにイリアが飛び込んで鋭い蹴りを見舞い、流れる様にその体勢から気功掌を打ち込んだ。
その間に距離を詰めたシウスが腹の部分にざっくりと切り付け、更にアシュレイが雷鳴剣を振り降ろす。一瞬の間に深手を負って悲鳴を上げたダースウィドウは再び影に逃げ込もうと身を沈めた。
「そうはさせん!」
上半身が地面に呑まれていく寸前、ダースウィドウの胸元に輝くバゼラートが突き立てられた。アストラルリングが持ち手の心情そのままに赤く燃える。ダースウィドウは最期の力を振り絞って影から這い上がり、短剣を深々と食い込ませた者に鋭い爪を見舞おうと手を振り上げた。
フィアはその動きに気付いている筈だった。しかし、手を放さない。代わりにシウスの大剣が曲者の腱を断ち切った。
二人は言った。
「言った筈だ、相応の覚悟をしろとな」
それがダースウィドウの聞いた最期の言葉だった。次の瞬間、フィアは逆手に突き刺したバゼラートを切り上げる。動脈を捉えた傷から夥しい量の体液が流れ出し、魔物はくたりと息絶えた。
「さぁ、早く戻ろう」
フィアが何の感慨も無く得物を引き抜くと、心得たアシュレイが死骸から首を落としてマントに包み込んだ。
彼等の父であり、或いは親友である人の安否が気遣われる。夜が明けてから船で戻るという道もあったが、一刻も早く帰る為に彼等は洞窟を引き返した。