SO Script ACT・4


最初の手掛かり

「じぃ・・・あ、アシュレイ様っ?!」
『真の闘い方』をたっぷりと披露して上機嫌でグラウンドから出てきたシウスは、予期せぬ人物の出現に喜びとも狼狽ともつかぬ声をあげた。
「何じゃ、もうじーさんとは呼ばんのか。ヌシも成長したもんじゃ。・・・と、久方振りじゃの、シウス。元気にしておったか?」
「そ、そりゃあまぁ一応・・・でもどうしてこんなところにっ!」
シウスは夢でも見ているのではないかともう一度よく目を見開いてこの剣士を上から下まで確認したが、その体格、風貌、見間違えようの無い隻腕は、どう見ても本物である。
「アストラルを離れて、ふと気付いたら五、六年も経っておってな。丁度いいからライアスの顔でも見に行こうかと立ち寄ったんじゃ。そういうヌシはこんなところで何をしておる。アストラルから腕試しにでも・・・」
「シウス、いきなり飛び出すなよ。びっくりしたじゃないか・・・あれ?」
彼の闘いの結果を見届けてから駆けつけてきたラティクスとイリアが話す二人の前で立ち止まった。不思議そうにシウスと横に立つ老戦士とを見比べる。誰?とその目が問い掛けていたが、ラティクスは自分が二人の話を中断してしまったことに気付いた様だ。
「えっと、ひょっとして邪魔したかな?俺達」
「いや、別に構わねぇさ。どっちから紹介するか・・・」
「そちらの二方から紹介して貰えんか、シウス。見たところヌシの連れの様じゃが」
「あ、あぁ」
そう言われてシウスは僅かにラティクス達の方を向いた。
「ラティとイリアはちょっとした縁で知り合って、今は人捜しの旅をしている。ラティは俺と違ってエダール剣術を使うんだが、これが中々強いんだ」
この言葉にアシュレイと呼ばれた男の眉が動いたが、シウスは気付かなかった。
「よせよ、シウス」
「いーじゃねーか。で、イリアはこんな風に見えても格闘術の使い手だ。二人とも、もう直ぐHランクに出場するんだよな」
ラティクスとイリアがこの老戦士に簡単な挨拶をすると、老戦士は髭を蓄えたいかつい顔に似合わず温和な声でこれに応じた。
「儂はアシュレイ=バーンベルト、今はしがない傭兵をやっておる。こやつの父親とはちょっとした知り合いでの、昔からよう知っておるんじゃ」
「え、アシュレイって・・・」
先程、剣闘士達が噂していた人物の名ではないか。ラティクスの反応は老戦士にとっては見慣れたものだったのか、彼の応対は自然なままだった。
「なに、昔は色々言われておったが、今はこの通りの老人じゃよ」
「ラティ、さっき言った魔界大戦の英雄ってのが、この人さ。こんなことを言ってるが、エダール剣術でアシュレイ様にかなう奴は今でもそうそういないぜ」
シウスの説明を聞いていて、ラティクスはその名を思い出した。アシュレイ=バーンベルト、エダール剣術の奥義・・・四聖獣奥義、七星奥義を越えた奥義を編み出したとされる古い時代の剣豪だ。昔、父親から剣術の手ほどきを受けた時に教えられた。
剣術、武術などの系統だった知識はたとえ昔のことであってもかなり正確に伝承される。それが一つの王国を正統な発祥の地とするエダール剣術ならば尚更だ。彼の名は克明に書物に記され、彼の奥義を越えた奥義が後継者に恵まれずに、幻の奥義となってしまったことをも記録していた。
「シウス、すごいじゃないか。そんな人と知り合いだなんて」
「俺じゃねぇよ、・・・親父の知り合いだ」
「シウスのお父さんも、やっぱり剣士か何かなのかしら?」
「あぁ、・・・まあそんなところだ。それより、そろそろ控室に行ったほうがいいぞ。こんな所でのんびりしてると出番に遅れちまう」
ほら、行った行った、とシウスが追い立てるのでラティクスとイリアはまた後で、とアシュレイに会釈した。折角の知人との再開を邪魔してはいけないという配慮もあったのだろう、シウスが拍子抜けする程引き際は鮮やかだ。
見送って、アシュレイが尋ねる。
「二人とも、タトローイは初めてなのか?」
「そうだ。今日ここについたばかりで、闘技場も勿論初めてだぜ」
「ほぅ・・・それで、ヌシは一体ここで何をしておる。その様子だとアストラルから息抜きに来たという風でもない様じゃのう」
アシュレイの言葉にシウスは苦虫を噛み潰した様な顔になった。
「訳あり、か?ここで立ち話もなんじゃ、席の方へ行こうか・・・あの二人の戦いぶりにも興味があるしの」
シウスについてくるよう促し、アシュレイは先に立って歩きだす。老戦士はそれ以上何も言わず、シウスの方から話し始めるのを待っている様だった。
観客席に続く扉を押し開くと、どっと歓声が流れ込んでくる。人を縫うようにしてアシュレイはすたすたと中央席に向かって進んで行く。その間シウスはずっと無言だったが、最もよくグラウンドを見渡せる位置を確保して席につくと、諦めて口を開いた。
「多分あんたの想像通り、俺はアストラルを出奔してきた。もう随分経つ。ここにいるのはあいつらの人捜しに付き合ってたまたま立ち寄っただけだ。本当は近寄りたくもなかったんだがよ」
「・・・どうしてじゃ、何か問題でも起こしたのか」
「いや、そんなんじゃない。俺自身の問題だった・・・」
再び口を閉ざしてしまった知人の息子の隣に座して、アシュレイは辛抱強く彼の次の言葉を待った。シウスの心中には今まで誰にも洩らすことの無かった色々な思いが交錯していた様であったが、その整理がつくまで、アシュレイは無言だった。
シウスは最後までこの『自分の問題』を他人に話すことに抵抗を持っていたが、小さい頃からの知り合いである『英雄』に隠し事は出来ない。ようやく、ぶっきらぼうに話し始めた。
「・・・三年前、親父が俺のことを騎士長に推した」
「ほう、ライアスが、ヌシを・・・」
「実の父親の言うことだ。周囲からは色々中傷されたもんだったが、あの時の俺はまだガキで、自分の力に全く自信が無かった。親父の立場を傷つけはしないか・・・とにかくビビッてたんだ・・・」
「それで、ヌシはアストラルを下ったというのか?」
アシュレイは自らと同じく魔界大戦中の英雄とされる友、アストラルの騎士団長を務めるライアス=ウォーレンの決断を聞かされて驚きを禁じえなかった。ライアスは公務に私情を挟む様な男ではない。その彼が息子を高い地位に推したのだ、それは余程シウスの実力を認めていたということなのだろう。ところが、その息子は自らに自信が無いという。
「ヌシ、アストラルを下って一体どうするつもりだったんじゃ。まさか、ただ逃げ出したというわけでもあるまい」
「あぁ。俺は強くなりたかった・・・己の剣に絶対の自信を持てるだけの強さが欲しかった。でなければ他人を束ねる騎士長が勤まるわけがない。俺自身が変わらなければアストラルに俺の居場所は無いと思ったから、俺はアストラルを出た。それが親父を傷つけることになると解ってはいたが、だからといって大人しく、ただ言われた通りには出来なかったんだ。要は、俺が臆病者だったんだけどよ」
「それで修業の旅か・・・その様子だと傭兵をしている風ではないしのう、冒険者といった所か。成程、ヌシにとって父親の威光は重荷だったのじゃな、シウスよ」
「悔しいがその通りだ。このアストラルで騎士を志す者にとって親父はあんたと並ぶ英雄・・・同じ道を行く時に、親父が英雄ってぇのは何かと比べられる。いや、何をやっても比べられる」
「そして、何をやってもライアスには追いつけんのか」
「その度に、俺は自分の無能さを思い知らされた。エダール剣術も親父に教えられたんだ、超一流の師を越えられる奴がこの世の中に何人いる?他人のせいにするわけじゃないが、俺はアストラルの中では絶対に自分に自信を持つことは出来ないと思った」
シウスは床の一点をじっと見つめ、アシュレイはこの若者の苦悩を垣間見た気がした。粗野な言動の内で彼は葛藤し、場を変えるという一つの結論を出した後ですら、周囲を傷つけたという事実に苛まされている。それでも、彼はこの道を選ばざるをえなかったのだろうか。
「同じ場所にいる限り、どう足掻いても俺は親父を越えられない。そんな俺がどうして親父の下で働ける・・・多分、親父の顔に泥を塗るのがオチだった」
彼の我流剣は、父とは違う何かを得ようとする心の、一つの表れだったのか?アシュレイは、シウスがエダール剣術を棄てたことを悟った。
「・・・ヌシも色々と大変じゃの。さっき闘っておった時には能天気にしか見えんかったが」
「確かに、俺は難しいことは嫌ぇだよ。剣を振り回してる方が性に合ってんだ。どうして俺なんかを騎士長にしようとしたんだか、親父は」
「いや、ライアスの目に狂いは無いじゃろ・・・それで、今ならば戻れるのか?アストラルに」
「・・・・・・解らねえ。そいつは多分、この旅が終わったら出ると思う」
「アストラルには行かんのか?」
「ラティ達の人捜しに付き合って行くとは思が、親父には会わない。大体、どの面下げて戻ればいいのか解らねぇし」
「フィアが心配しておるじゃろうに、顔も見せんのか」
「はっ、あいつが?あいつに人を心配する様な気配りはねぇよ。・・・アシュレイ様は親父の所に行くんだよな?」
「儂は一応、それが目的じゃからな。父上殿はさぞや心配しておるじゃろうから、ヌシの事は伝えるぞ。駄目だと言っても無駄じゃからな」
「アシュレイ様には勝てねぇなあ・・・」
「何を言うておる、親はいつでも子供の事が心配なもんじゃ。便りの一つも寄越さんのは、相当な親不孝と心得よ」
ぴしゃりと言ったアシュレイが更に説教を続けようとするので、シウスは慌ててこの矛先を逸らせるものはないかと周囲を見回した。
「あ、ラティだ!」
「ん?ヌシの連れか?」
幸い、老戦士の注意はそちらへと向いた様だ。
ラティクスが出てきたのは本当である。初めての闘技場でかなり緊張しながら大観衆の前に姿を現した彼は、早速登場した魔物と対峙した。
「あ〜、駄目だなありゃあ。ガチガチに緊張してやがる」
「しかし中々出来るのじゃろ、彼は」
「まあ、な。いつも通りに闘えれば2、3ランクは一気に制覇出来ると思うんだが・・・」
『さぁ、このHランクに挑戦するのはタトローイ闘技場初参加の剣士、ラティクス=ファーレンス選手です!!彼は一体どんな闘いを見せてくれるのでしょ〜か?!期待の一戦目は・・・これだっ!!』
解説者の声と同時に正面の扉が開き、何かがのっそりと姿を表わした。
この新人がどんな闘いが繰り広げるのかに興味津々の観客達は、急に静かになってグラウンドに注目する。その為、ラティクスの緊張は、否が応でも高まった。
低い唸り声と共に姿を現わしたのはブッシュワーカーだった。武装した小柄な姿は挑戦者であるラティクスを認めて戦闘体勢に入っている。手に持つのは大振りの剣。ムーア大陸に多く生息するこの魔物とは幾度も戦ったことがあり、その性質や戦い方の特徴は熟知している。油断は出来なかったが、ラティクスの緊張は自分の剣を引き抜き相手に向かって構えることで解けていった。

「確かに筋はいい様だな、ヌシの連れは」
「この調子なら楽勝、楽勝。ラティ、次もぶっ飛ばせよ〜!!」
最下層ランクということで、ブッシュワーカーをはじめ、コボルト、スライム、ロバーアクスとラティクスは順調に勝ち進んでいた。いずれも勝負にさした時間はかからず、連続四戦した後でも息に乱れはない。
シウスの声が聞こえたのか、ラティクスは上に向かって手を振った。顔には僅かながら笑みが見られる。大衆の面前で闘うのにも、随分と慣れたらしい。
意外に強いこの新人に観客席は盛り上がる。最初は大丈夫なのかと心配そうであったシウスは、この経過に大いに満足した様だ。まるで自分が勝ち進んでいる様に興奮し、今にもグラウンドに落ちそうな程身を乗り出している。
『それでは、最後の闘いです!』
解説者がこのランクを締めくくる闘いの始まりを告げようとしたその時、突然勇壮なトランペットが響き渡った。
『こ、この曲は・・・チャレンジャーです!ラティクス選手に、挑戦者が現われました!!!』
「え、何だ?」
グラウンドのラティクスは戸惑い、闘技場全体が騒がしくなる。解説者は急いで挑戦者についての詳細が書き込まれた書類を受取って目を走らせた。
『ち、挑戦者はロード=フットウェル選手、故郷から出稼ぎに来たという働き盛りの三十五歳!だ、そうです。それでは、ロード選手、どうぞ!』
重々しく開かれた扉から現われたのは、男だった。がっしりとした体格は鍛え抜かれ、細身のラティクスと比べると受ける印象が二周りは大きく見える。
「ヴェルカントか・・・」
ラティクスはムーアで相手にしたことのある北方民族を思いだした。風貌、肌の色、そういった特徴から、この挑戦者がヴェルカントであることが判る。てっきり海賊とか蛮族だとか、物騒な言われようしかされていないのかと思っていたが、こうした真っ当な場所にもいるかとラティクスは妙に感心してしまった。
挑戦者は礼儀正しくラティクスの前に立ち、一礼した。得物は巨大な棍棒、これは民族的な武器らしい。ラティクスは他にも武器を持っているかと探ってみるが、それ以上のことはよく判らなかった。
「突然の挑戦、まことに失礼する。が、貴殿の闘い振りを見ていて、つい手合わせ願いたくなってな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
A〜Hの八段階にランク付けされている戦闘では、捕獲された魔物対選手の闘いが行なわれ、魔物の強さに応じて、つまりランクによって五戦全勝した勇者には賞品が与えられる。しかし、時々この選手に対する挑戦者、という者が現われることがある。それは魔物相手に選手が素晴らしい闘いを見せた時、見ているだけでは我慢できなくなった者達が申し込み、直接その選手と闘うというものだ。手続きを踏めば誰でも挑戦者となることが出来る。希にシウスの様な飛び込み挑戦者も現われたりもするのだが・・・。
ラティクスとヴェルカントの挑戦者は互いに向かい合って構えをとる。今度こそ解説者の声が闘いの開始を告げた。
「おいおい、何だかすげぇ事になってきたな・・・」
「確かに。久々に見応えのある試合じゃ」
挑戦者の力でねじ伏せる様な攻撃に、力では格段に劣るラティクスは受け流し、それによって相手に生じた隙を狙うという闘い方で対抗している。二人の攻防は拮抗していたが、一見挑戦者の方が押し気味にも見える。土埃が立たないようにと水を打ってあったグラウンドを棍棒が叩き、跳ねが上がった。
「くっ!!」
一瞬目を庇い、体勢を崩したラティクスを返す得物が狙う。間一髪でのけぞり避けたが、そのまま後ろに倒れ込みそうになってしまった。しかしこれは剣を地面に突き立てることで自重を支えて堪える。直ぐに身を翻しざまに剣を引き抜き、構え直してラティクスは十分な間合いをとった。
「中々やるな」
「そっちこそ。挑戦してくるだけのことはあるよ」
当たり前だ、と男は言って再び頭上からの猛攻を開始する。今度はこれを盾で受けたが、一撃一撃を受け止めるごとに盾越しに重く衝撃が伝わってくる。腕が痺れてきた。更に三度棍棒を弾いた所でラティクスはそれ以上を盾で防ぐのを諦めて、初めて積極的な攻勢に転じた。
それら一切を見ながら、アシュレイは全身の血が騒ぐのを押さえられなかった。総毛立つ程の興奮を感じている。久々の熱戦で、周りはこれ以上は無いという位うるさかったがその声すらも、老戦士には聞こえていなかった。
長い間、探し求めていたものが今そこにある。
シウスが「中々出来る奴」と評していたことから、確かに淡い期待は抱いていた。しかし、目の前にいるのは単なる腕のいい若い剣士ではない。まだ未熟で洗練されておらず、気合いと情熱で操られている剣だが、根幹には常人に無い感覚が存在することをアシュレイは見抜いていた。
天性の才能だ。
修練や実戦で得た経験を取り込み、確実に行動に反映する能力。第六感に近い所で相手の動きを予測し、最善の体勢を瞬時に弾き出すその力は、戦いの中に身を置くものにとって得難い力である。何故ならば、それは経験の前段階に位置するものだからだ。
ラティクスがごく自然にその才能を発揮していることが、自らもそれを有するアシュレイにはよく解った。思えば、これを肌で感じたからこそあのシウスが素直に相手の才能を評価したのだろう。老戦士は改めて彼の成長ぶりに舌を巻いた。
そしてもう一つアシュレイの目を引いたのはラティクスの双眸だった。
ひたむきさを感じさせる瞳で相手を見据え、動きの一つ一つを読み取って自分の行動を決定した剣先に迷いは無く、乱れが感じられない。強い視線はそのまま、信念を持つ剣の軌跡だった。
ラティクスは相手が今までの戦いで消耗しているのを確信しているかの様に、一転して間断ない攻撃を加え続けている。剣と棍棒の打ち合わされる鈍い音が石壁に反響する。
この者になら、自分の経験を託せるかもしれぬ。年甲斐も無く緩みそうになる涙腺を堪えながら、アシュレイは既にあることを決めていた。

がっちりと握手を交わした二人に、惜しみ無い拍手が注がれた。
ラティクスの勝利に終わった対決であったが、勝者にも敗者にも称賛と名誉は同様に贈られるだろう。閉場時間の迫っていたということもあって最下層ランクの試合とは思えない程に沸いた闘技場では客に酒が振る舞われ、場は更に熱気に包まれた。
「すごいじゃないの、ラティ!」
ヴェルカントの挑戦者と共に控室に戻って来たラティクスを、薬箱を抱えたイリアが待っていた。
「あれ?イリアさん試合は・・・」
「ん?キャンセルしちゃった♪だってまさかラティがあんなすごい試合するなんて思わなかったんですもの、手当てしなくちゃね。二人とも、そこに座って」
体中傷だらけの二人を半ば強引に座らせる。イリアは手早く籠手やら脚絆やらを取り外して打撲、切傷、擦過傷と患部の確認を始めた。傍らの小卓には準備よく水の入った壷やたらい、そして清潔な布が用意されている。
「痛っっ★」
「ちょっとガマンしてね〜。死ぬ程しみるけど傷は全然深くないから」
「そんなぁ・・・いたたたたっっ!」
「はいはいロードさんも動かないで。動くともっとしみますよ」
彼女特製の消毒薬は、化膿をよく防ぐがとにかくしみる。あまりの痛さに閉口したのか、ヴェルカントの戦士は治療がラティクスよりも一足先に終わると礼の言葉もそこそこに控室を立ち去った。傷の治りのよさに驚くのはもう少し先のことだろう。
逃げられた・・・ラティクス恨みがましげにそれを見送って、涙を浮かべながらまだ続行している治療に耐える。そこに、シウスとあの老戦士が姿を現した。
「ラティ、すげぇ試合だったな。あれ、イリアは何やってんだ?」
「傷の手当て。ラティに任せておいたんじゃ心配だから、試合に出るのは取りやめにしたの」
だって消毒もせずに直接薬草を貼りかねないんだから、彼女はそう小さく呟く。だから最初に彼女がスキルから学んだのは薬の調合方法だった。
「ラティクス、じゃったの。ヌシの闘い、見事だったぞ。久々にいい試合を見させてもらった」
「いや、俺なんてまだまだですよ」
「確かに細かい所はまだまだ粗削りだが、シウスが言うだけのことはあるぞ。時に、ヌシの使っているのは純粋なエダール剣術ではないと見たが」
「ええ。俺の父が教えてくれたんですが、そんなことを言っていました。自警団のリーダーをやっていたから、多分実戦向きにあちこち変えていたんだと思います」
「ほぉ。中々出来ることではないな。ヌシの御父上は相当な手練だったのじゃろう」
「はい、本当に強い父でした」
「でした、というと御父上はもう・・・」
「殉職でした。多分、父も本望でしょう」
「それは、悪いことを聞いてしまったな」
「構いませんよ。随分昔のことですし」
ラティクスの表情が翳ったが、それは直ぐに元に戻る。イリアとシウスは初めて知った彼の過去に言葉無い。イリアの手は止まったままだ。
良い遺伝と、そして教師に恵まれたのだな・・・もしも父親が生きていれば彼の腕はもっと成熟していたかもしれない。アシュレイはラティクスの父親の死を心底惜しんだ。ラティクスは、才能はあるとはいえまだ未熟だ。アシュレイが長年探し求めていた後継者となるだけの器にはまだ足りない。
「実は、ヌシ達に一つ頼みがあるのだが、聞いては貰えんじゃろうか」
「え・・・俺達に?」
「儂をヌシ達と同行させて欲しい」
「同行?」
ラティクスは驚いて相手の言葉を反芻するが、アシュレイの顔は真剣そのものだ。
「けどどうして・・・」
「ヌシ達に興味があるからじゃよ。知っておるかどうかはわからぬが、最近の剣闘士達の質の悪さは目を覆いたくなる程じゃ。その点ヌシ等は、筋がいい。シウスやヌシがどういう風に成長していくのか、見届けたくなったんじゃ。なに、年寄りの道楽だと思ってくれ。それにそちらのお嬢さんの腕の程は、結局見そびれてしまったしの」
「えぇっと・・・皆がよければ俺はいいと思うんですが・・・」
昔の剣豪が自分のパーティに加わりたいと言っている。想像もしなかった事態にラティクスは混乱した。頭が真っ白になって何も考えられない。彼は返答に困って後の二人に視線で意見を求める。同時代の住人であるシウスと、そもそもローク人でないイリアにはラティクスの動揺を理解出来ないだろう。
「俺はいいぜ。腕の良さは折り紙付きだ」
そうシウスが言えば、
「袖触れ合うも多生の縁、ってね。こうなったら一人も二人も変わらないわ」
「何ですか、それ」「地球の諺よ、シウスだって立派に仲間なんだし、増えてもいいんじゃないの?」イリアはラティクスにそうでしょ?と肩に巻こうとしていた包帯を持ったまま耳元に囁いた。
「おぉそうじゃ、シウス、儂に『様』なんぞいらぬぞ。ヌシに言われると何だかこそばゆいわ」
「そんなもんかなぁ」
「じーさんの方がこっちも言われ慣れとるからのぅ」
アシュレイとシウスはラティクスが思案する中、のんびりと会話をしている。
「それじゃあ、アシュレイ・・・さん、よろしくおねがいします」
歴史上の人物をさん付けで呼ぶのは何とも奇妙な気持ちであったが、いずれ慣れることを願いながらラティクスは頭を下げた。
「こちらこそ無理を言って申し訳ない。早速じゃがラティクス、ヌシはアストラルに行く気はあるのか?シウスの話では人捜しをしているとか」
「ラティと呼んで下さい。・・・全く手掛かりが無いので、行ける場所には行こうと思っています。アストラルへはこの町しか行けないんですよね。この町で手掛かりが得られなければ、あまり行く意味は無いかもしれませんが・・・」
「でも折角船も出ていますし、どちらにしても行く方向でいるわよね?ラティ」
「ええ。アシュレイさん、本当にいいんですか?当ての無い旅ですよ」
「構わぬよ。儂の今までの旅自体、当ての無いものじゃったのだから。今ははっきりとした目的が出来た」
「え?」
「なに、こちらの話だ。ヌシ、怪我の手当てはもういいのか?」
「あら、忘れてたわ。こんな所にも傷つけて・・・」
「あたたたたたっ!!」
肩口にたっぷりと消毒液をかけられて、ラティクスは悲鳴を上げた。