3
「どうしてるかな、ラティ・・・・・・」
窓から見上げる空はそこはかとなく青を感じさせた。戦艦カルナスで見たスクリーン越しの黒い空とは随分と違う。それが大気の存在の為だと知っていたわけではないが、この空の方がミリーには親しみ易いものだった。
沢山の星々はちらちらと鈴を振る様に瞬いて今にもここに舞い降りてきそうで、この空を幼馴染みも見ているのだろうか。もし聖域の神々がこちらを向いていたら、自分がここにいるという事をどうか伝えて欲しい。離れ離れになってしまってからもう二度も月が巡ってしまった・・・。
この広い世界の中から果たして見つけ出す事が出来るのだろうか?大丈夫だ、と幾度も自分を納得させようとした。けれども離れている時間が長くなればる程不安は募っていく。心が押し潰されそうだった。
「会いたいよ・・・・・・」
そっと呟いてみる。願いは星に届くだろうか。
「ラティの事を考えていたのか?」
「え?あ、ああ、ロニキスさん。違いますよ、えっと、・・・聖域の神様に祈りを捧げてたんです」
彼に今の言葉が聞こえてしまったのかと、ミリーは慌てて両手を振って言い繕う。だが、多分信じられてはいないのだろう。赤くなっているのが自分でもわかった。
「聖域・・・ああ、ミリー達は宇宙をそう呼んでいるんだったな。しかし・・・」
ミリーの反応を知ってか知らずか、ロニキスも彼女の隣に立って見上げる。星空とはこういうものを言うのかと、妙な感慨が湧いた。大気の下からこんなにも宇宙を覗く事が出来るのだと。言葉を濁したロニキスをミリーが不思議そうに見上げる。
「こんな事を言うのも何だが、その聖域に踏み込んでなお、神の存在を信じ続けられるのか?我々にしてみれば神の存在や信仰は、前世紀の遺物の様な物だからな」
地球で神の存在を信じている者達は今では非常な少数派だ。特に地球の外を自由に行き来する様になってから、一惑星という狭い空間で創り上げられて来た『神』という偶像が、あまりに小さな物である事に気付いたのかもしれない。
だが、ローク人は地球人とは感性が微妙に違う様だった。ロニキスの言葉にミリーは心外そうな顔をして、首を振った。
「ロニキスさんが私達より遥かに文明の進んだ世界の人だというのは解りますけど・・・それは違うと思います」
「そうだろうか?」
ミリーは慎重に言葉を選びながら自分の言いたい事を整理しようとした。
「私は確かに聖域に、宇宙に行きましたけどそれは聖域の全てを見たという訳ではないんです。自分が見た事や聞いた事が全てではありませんよね?」
「まあ、そうだが。だが・・・我々にとってはこのロークの存在自体が小説じみた夢物語の様な感じがしてな。神がどうこう言っているのを聞くと、少々ばかばかしく思えてしまうんだ」
今、彼の背中には大きな傷がある。この町に来る直前、魔物に襲われて受けたものだ。彼は行商人より譲り受けた弓・・・アーチェリーの経験によってたまたま自在に扱えた弓だったのだが・・・を使い、その魔物を倒した。傷はあらかたミリーの魔法の様な力で癒された。それはいかにも、どこにでもありそうなファンタジー世界の一シーンではないか。
だが、彼はこのフェルプールと余りにも打ち解けていた為に、いささか彼女に対する配慮を欠いてしまっていた。自分の中の真実を語ることは、時として相手を傷つけることがある。
「じゃ、ロニキスさんはこの世界を信じられないんですか?私やラティに会ったことも、ドーンが・・・あんな事になったのも、全部夢物語だったと言いたいんですか?」
彼女達を襲った現実を否定されたと感じたミリーはあまりといえばあまりな言葉につい感情的になってまくしたてる。
「そりゃあ、私だってあれが夢だったらどんなにいいかと・・・」
「あ、いや、そんなに怒らないでくれ。にわかには信じ難いと、ただそれだけのつもりなんだから・・・」
失言だったとロニキスが慌てて弁解すると、少女はやっと落ち着きを取り戻したが、何か思う所があるのか俯いている。機嫌はまだ治っていないのかとロニキスが心配していると、やがてぱっと輝いた顔を上げた。
「解りました。だったら、ロニキスさんも紋章術を習ってみればいいんですよ。ロニキスさん達が私達に特有と思っている力が自分でも使えるという事になったら、それはきっと世界というのは一つなんだっていう事だと思うんです。私もロニキスさんも同じ世界に住んでいるっていう・・・いい考えでしょ?」
「本気で言っているのか?」
「ええ。私は紋章法術という癒しの力しか使えませんけど、この辺の魔物は強すぎて殆ど身動き取れないんですから、覚えてみる価値は十分ありますよ」
「確かに、それはそうだが・・・」
「ね ロニキスさん、きっと素質ありますって」
意外な展開にロニキスが困惑するのも構わずミリーはどうやって紋章術を教授しようかと思案顔だ。ロニキスは祈る気持ちで空を見上げた。
「一体、何処にいるんだイリア・・・」
神を持たない者の祈りは、何処へ行くのだろう。透明な風がカーテンを揺らし、微かに紅く色づき始めた落ち葉が一枚、吹き込んだ風に乗って来た。
大陸のほぼ中央、港町オタニムの西に位置する都市タトローイは、国と同じ名を冠する王都アストラルへの唯一の窓口でもある。
そこへ至る道は拓かれてはいるが、整備、舗装されてはおらず地面が剥き出しのままで、石畳の敷かれていたムーアの街道とはかなり趣が異なる。大陸の半分以上に岩盤が目立つやせた土地が広がり、砂塵混じりの風が容赦無く吹き付け、河はその砂を含んで黄色く濁っている。アストラルならではの自然の在り方は生物にとって決して楽なものではない。が、ここにも無論魔王の影響は確実に及んでいる。魔物達は上手く自然に適応し、人々の生活を脅かしているのだ。街道を行く時は出来る限り集団になる、それは人々の自衛の知恵であった。
オタニムで定期船を降りたラティクス達はそこで数日間逗留した後に、海を越えて来た商品を運ぶ商人達と一緒にタトローイに向かっていた。戦闘慣れしている三人が歓迎されたことは言うまでもない。
「あ、また枝毛。・・・髪には極悪な環境ね・・・」
馬車の荷台に揺られながらイリアは潮風と砂とにすっかり傷んでしまった金髪を一房摘み上げて嘆いた。
「おまけに埃っぽいし。タトローイに着いたらまず身体を洗いたいわ」
「そうですねえ。僕も喉が痛くて。シウスはいいよなあ、ここの生まれなんだろ?」
砂礫を踏み付ける度に荷台には振動が伝わり、ここの座り心地は御世辞にも良いとは言えない。この状態が何日も続けば愚痴の一つもこぼしたい気分になるだろう。黙っていると気が滅入ってくるので他愛もない話が続く。
「タトローイって、どんな町なんだ?行ったことあるって言ってたよな」
シウスは他の二人に比べると随分と元気そうだ。疲れた様子が微塵もない。旅に慣れている証拠だろう。ラティクスが聞くと、ぐったりした二人に呆れるのにも飽きたのか直ぐに答えが返った。
「ああ、あそこはよく知ってる。でかい町でな、闘技場があるんだ。この国では強さが物を言う、地位や名声を手に入れたい剣闘士達が魔物を相手に闘うんだ。観るのも面白えが参加も自由だから、着いたら一回は出てみるといいぜ」
「アストラルにはタトローイからしか行けないんだろ?」
シウスの表情が僅かに強張った気がしたのは気のせいだったのだろうか。アストラル、という言葉に反応した様に見えたのだが。
そういえば、とラティクスは思い出す。
確か定期船のついた港町オタニムでもシウスはアストラルに行きたくない様な素振りを見せていて、アストラルが話題に上った時のあのあからさまに嫌そうな表情は、幾ら本人が繕おうと努力していても到底隠しきれてはいなかった。
やはり彼にはアストラルに行きたくない理由があるのかもしれない。だが、根掘り葉掘り聞く様な問題でないことははっきりとしている。イリアの方も、それは解っているのだろう。今まであえて聞くようなことはしていない。
「他に道が無いって、どういう事なの?」
「アストラルは、周りが高い山に囲まれていて運河と自然の洞窟でしか行き来が出来ないんだ。道を作ろうにも山が険しいからな。洞窟の方は中が複雑な上に今じゃあ魔物の住み処だから事実上道は運河だけって事になるが。だから、洞窟さえ見張ってれば魔王の脅威も大した事がない」
「つまり、天然の要塞って訳ね」
「そうだな。ところで、前っから気になってたんだが訊いてもいいか?」
シウスはアストラルの話をするのも嫌らしく、話題を変えてきた。イリアは何を訊かれるかと、首を傾げる。
「私に?何をよ?」
「いやな、お前って何ていう種族なんだか解んなくってな。尻尾は無いし、血も俺等と違って赤いし。今まで俺も結構旅してきたんだが、そんな種族見たこと無かったから、不思議でなあ。細かい事は訊かないって言ったけどよ、やっぱ個人的に気になるんだ。・・・ひょっとして旧異種族の生き残りかなんかか?」
「旧異種族、私が?何言ってるのよ、違うに決まってるじゃない。種族・・・ねぇ」
不思議そうな顔のシウスにイリアは何と答えるべきか少し迷った。だが、この点においては本当の事を言っても差し支えないだろうと判断する。ここで何も言わない方がかえって怪しい。
ちなみに旧異種族というのは今はもう絶滅したらしい人型の知的生命体、とのことだが、無論彼女の親類縁者にその様なアヤしい者はいない。
そこで、彼女は答えることにした。
「Human、よ」
そこだけ彼女の母国語に特有のイントネーションがかかった言葉は不思議な響きを持っていた。ラティクスにとってもイリアが自分達を称する時には地球人(Earthian)、としか言わなかったので初めて知る事だった。シウスに至っては知る筈もない。
「ヒューマン?聞いた事ねえなあ」
「まあ、少数派だから」
もっと聞きたそうな顔のシウスに短くそう言って話を終わらせた。あまり詳しく話しては、彼にイリア達の特殊な状況が知れてしまって厄介な事になってしまう。それとなく話を逸らそうと、ラティクスは荷台から身を乗り出した。
「そろそろタトローイじゃないか?今、看板が見えたから」
「そう?やっとこの揺れから解放されるわね」
街道を山脈に向かって一度大きく右折して暫く進むと遠くに町をぐるりと取り囲む外壁が見えてきた。それに伴って今まで土肌も露だった地面にやっと舗装が施され、行き来する人々が増える。ラティクス達の乗っている様な商人の車や乗り合い馬車、徒歩の旅人・・・心無しか使い込まれた武器を携える戦士然とした人々が多い。ラティクスが指摘するとだから闘技場がある為だとシウスから答えが返ってきた。成程、と納得している間に荷馬車は止まったので、気のいい商人に礼を言って別れ、街門をくぐる。
「よし、宿屋行きましょう」
「こんな昼間からか?」
「ちょっと早すぎますよ・・・あ、いや」
イリアの座った視線が全てを決定した。流石にシウスも反対出来なかった様である。
(イリアさんって・・・怖い)
今日の午後はまるまる潰れるだろう、ラティクスは随分埃っぽくなり、繋ぎ目に砂の詰まってしまったバンデッドメイルの掃除でもしようかと考えて雑踏に紛れて行くイリアの後ろ姿を追って行った。
「闘技場ってまだやってるのかしら?」
湯から上がってイリアは上機嫌だ。普段は魔物を蹴り倒している所ばかり見ていて気付かなかったが、上気した頬や華奢な首筋に金の髪がかかって、黙っていれば可愛らしい。
「ああ。やってるぜ」
「俺達は行ってみようと思ってるんですけど、なあ、シウス」
「イリアは行くか?ここにいてもいいけどよ」
ラティクスとシウスの二人部屋はそこそこの広さがあり、ソファも置かれていた。ゆったりと腰を掛けて上気した頬を扇ぎながらイリアが心外そうな顔をする。
「あら、勿論行くわよ。人の集まる所なんでしょう?やっと一息つけたしね。二人は出場するの?」
「ああ、俺は出たことあるからいいんだが、折角来たんだからな。ラティが出るんだってよ」
「本当?」
「はい。人前に出た方がロニキスさん達見つけ易いかと思って」
「そんな事言って、実は自分が出てみたいんでしょ?」
「まぁ、ちょっとは興味があるかなー、なんて・・・」
頬をつっ突かれてしぶしぶラティクスは本音を白状する。
「でも面白そうね。なら私も出てみようかな?」
「また汚れますよ」
「あら、それはラティ達も同じじゃない?」
よし、と手を打ってイリアが自室に準備をしに出て行くと、ラティクスは安堵の溜め息をついた。シウスが綺麗に研き上がった剣を鞘に収めて隣に座る。
「そういやあ、お前らの故郷って何処なんだ?俺はこの辺りなんだけどよ」
「え?あ、ああ・・・俺は、ムーア王国の南だけど」
「イリアは?」
「さあ、俺は知らないなぁ。・・・知り合ったのは最近だから」
ラティクスの言ったことの半分は本当だ。彼女の人格の大部分はあの素晴らしい『機械』の世界で形成されたものなのだろう。しかしその世界をラティクスがよく知っているとは御世辞にも言えなかった。
シウスにそんな事を細かに話すことも出来ない。ラティクスは僅かな罪悪感を感じたが、仕方のない事だった。
新しい格闘服に身を包んだイリアが戻って来たので三人は闘技場へと足を向けた。
「何の音だ?」
突然大きく沸き上がった歓声に驚くと、そこにそびえる建造物が闘技場だった。
闘技場の中には登録所、出場者の控え室があり、奥が観客席へ通じている。観客席と闘技が行われるグラウンドには屋根が無く、これでもかとばかりに焚かれた篝火の煙も茜色から深い青へと変化する空に吸い込まれていくのだった。
闘技場では主に剣闘士と呼ばれる戦士達と、闘技場の擁するモンスター捕獲隊によって捕獲された魔物との一対一の闘いが繰り広げられる。その光景は今宵も全く変わることなく剣の打ち交わされる連続した金属音と魔物の咆哮、そして歓声とが入り混じって一種独特な雰囲気を醸し出すしていた。
夜の始まりだというのに闘技場は観客で溢れ返っている。老人から親に連れられて来た子供まで、客層は幅広い。席は階段状になっていてどこからでも剣闘士達の戦いが見える様になっており。これで幾百人とも知れぬ人々の視線を集める事が可能となるのだ。
「こんなに大勢の前で闘うなんて、ちょっと恥ずかしいわね・・・」
意外な闘技場の広さにイリアが戸惑った様に眉根を寄せた。
「こういうの苦手ですか?」
「ちょっとね。それにしてもこの賑わい、剣闘士って人気あるんだ」
眼下では比較的端正な顔の剣闘士が闘っている。黄色い声が飛ぶところからすると随分人気がある様だ。ミカエルとか言うらしい。シウスが面白くなさそうな顔をしてイリアの目線を追う。
「ここいらで専門に稼いでる奴等はどいつもこい姑息な技ばっか達者になりやがって本当に骨のある奴は少ねぇさ。人気取りの素人だって混じってる。魔界大戦の時と比べたら質は数段落ちてるって話だ」
「よく知ってるな」
「知り合いに大戦の時の英雄がいてな。ま、今じゃいい年いってるがエダール剣術の使い手としちゃあ五指に入る腕前だ」
話すシウスの横顔を強い風が打ち付ける。闘技場の中央に生まれた風の柱が刃となって粘状のスライムを四散させるのが見えた。
「呪紋も使っていいのか?」
「ああ、道具の規定以外は何の武器を使っても、呪紋を使っても問題無ぇ。勿論、技もな」
既にあちこちで呪紋を見慣れていたイリアは特に声に出して感想を洩らさなかったが、眼だけは驚嘆に見開かれている。このウィンドブレイドの呪紋以外にも、ラティクスとイリアの出番までにはかなりの時間があったので幾度か呪紋の発動を見ることが出来た。
ラティクスとイリアが観戦に興じている内に、腹が減っては戦は出来ぬとばかりにシウスが串焼きやらサンドイッチやらを売店で買い込んでくる。
「酒はさすがに飲めないが、ここの食い物は中々うまいぜ」
早速観客席に陣取って頬張っていると、ラティクスの耳に近くにいる剣闘士らしい男達の会話が聞こえてきた。
「・・・おい、知ってるか?アシュレイ=バーンベルトがお忍びでアストラルに帰郷するらしいぞ」
「アシュレイって、あのアシュレイか?」
「それ以外に誰がいるんだよ」
「だってここ数年姿を消していたってぇ話じゃないか・・・驚いたな・・・」
剣闘士達の声は興奮しており、その話題の人物がかなりの有名人らしいことを示していた。誰だろう?ラティクスは首を捻った。何処かで聞いたことがある様な気がするのだが・・・。
「なあシウス、アシュレイって誰だか知ってるか?」
答えは無い。その代わりにかどうかは知らないが、一際大きい歓声がわき起こった。
「あれ?イリアさん、シウスは?」
「・・・あそこよ。まったく、よくやるわよねぇ・・・」
彼女が溜め息混じりに指さした方向を見ると、そこは闘技場のど真ん中。
大剣を振り回しながら、シウスが喜々として戦っている。
「腑抜けの剣闘士に真の闘い方を教えてやるんですって」
「はぁ・・・そうなんですか・・・」
自分は出場しないとか言ってなかったかな?ラティクスは再度、首を捻った。
その剣士は既に老境に入っていた。
白熱した闘いの繰り広げられる闘技場を見据える眼光は鋭く、気配は波一つ立たぬ湖面の如く静かだ。心得のある者ならば一目見ただけで、彼が卓越した技量の持ち主であることを感じるだろう。
しかし彼自身は、鍛え抜いた身体が今ではもう衰えを隠しきれないことを知っていた。そして豊かな経験も、それを生かしきれる器が無いことには何の意味も為さないものだということを、彼の不具の身体は嫌という程証明していた。
観客達が大きく沸く。見ると、一人の戦士が観客席から豪快に飛び降りて文字通りの飛び入り参加を果たしていた。太刀筋は力強く、かなりの腕であることがわかる。
我流剣の様だが、確かに乱入するだけの技量はある。彼が納得しつつ乱入者の顔を確かめた。
「・・・ほ、これは奇遇な。あの小僧がこんな所にいるとはな」
下で闘っているハイランダーは見間違えようもない、旧友の息子ではないか。懐かしさと同時に、記憶の中の少年がすっかり成長している事に時の流れの早さを感じる。
彼は、一つ頷いて観客席を出て行った。