SO Script ACT・4


最初の手掛かり

青い海、青い空、遥か遠くから吹き付けてくる潮風。朝日を反射する海面の輝きに、ラティクスは目を細めた。
港では海賊騒ぎで足止めを食っている船員達が、他に行き場があるわけでもなくたむろしている。ドックも満杯であった。そして密度が高い割に港の雰囲気は活気を欠いている。
「波の音、かもめの声、そして汽笛、うーん、いいねえ。これぞ港!」
「あわびはいいぞお」
・・・などとのんびり構えているのは極々一部の者達だけで、殆どの船乗り達は愛すべき海へと出ていくことが出来ずに重苦しい顔をしている。
「うわっ、すごいな・・・」
この船が出ないと破産するっ!と錯乱状態で海に飛び込もうとする商人が取り押さえられてじたばたしているのを横目に、一行はシウスがボートを借りたという人物を探していた。
「まさか、そこの大変そうな人じゃあないでしょうね?」
「違う違う。一番向こうの船の所にいるらしい」
シウスが先に立って歩き、乱雑に木箱や麻袋の積み上げられた中を縫っていく。
「おぅ、あんたか。ボートはそこに出しといたよ。しっかし、本当に行くつもりなのかい?」
「勿論だ。海賊のボスを捕まえたら、船は出してくれるんだろう?」
「・・・ま、本当に捕まえたらな・・・現物持ってこないと駄目だぜ。船長が納得しないからな」
シウスの言った通り、奥の定期船とおぼしき船の前で彼らを待っていた船員は日に焼けた顔をしかめた。
「あんたには悪いが、俺はまず無理だと思うよ」
「なあに、簡単さ。一対三ならこっちの勝ちだ」
「一対三ってあんた・・・」
シウスの物言いに船員はがっくりと肩を落として首を振る。
「正気かい・・・まあそれで海賊が出てこなくなるんなら恩の字なんだがな」
「大船に乗ったつもりでいてくれよ。で、海賊が出る辺りを教えてくれ」
「ああ。船が襲われるのはポートミスを出たこの辺りだ」
船員は地図を指さす。港町からはそう遠くない場所だ。これならボートでも十分行くことが出来るだろう。彼は続ける。
「だから、俺達はこの辺の岩場に奴等のアジトがあるんだと睨んでる。元々、洞窟が沢山あるんだ。船が入るくらいでかいのもあるから隠れるにはもってこいだしな」
「っつうことはこの浜にボートをつけられるんだな。よっしゃ、任せとけ!」
「・・・あんたたち、大変なんじゃないのか?」
こそこそと船員に耳打ちされて、ラティクスは心外そうな顔をした。
「いや、お礼を言いたいのはこっちの方なんだ」
船員がまだ何か言おうとした時、一人の少年が駆け寄ってきた。相当急いでいたらしく、三人の前まで来ると大きな息をして肩を上下させる。年齢は十才を過ぎたか過ぎないか、といったところだろう。
その少年はラティクスのことを見上げるとこう尋ねた。
「お兄ちゃん達、海賊をやっつけに行くの?」
どうやら彼等の話は結構広まっているらしい。ラティクスは曖昧に頷く。
「いや、やっつけに行くっていうか・・・まあ一応そういうことになるのかな?」
青い目をした少年はしばらくじっと彼を見つめていた。「そう」、そしてまた唐突に身を翻すと駆け出して行ってしまった。
「あの子は?」
「この辺りでよく見かける子だ。前の襲撃の時に父親が・・・な」
「そうなの・・・まだ小さいのに・・・」
イリアは不憫そうに少年の去っていた方向を目で追った。
「やっぱり、この事件は早めに解決したほうがいいみたいですね」
「ええ。私達に出来るのなら・・・」
「2人共、そろそろ行かねえか?」
ボートは船の裏側に係留してあるという。シウスが出発を促した。

「流星掌!!」
気合いとともに大の男が吹っ飛んだ。苔の付着した岩肌に叩き付けられてぴくりとも動かなくなる。
「怖ぇー女・・・」
「あら、何か言ったかしらシウス?」
ボソリと呟いたシウスの言葉を聞き逃さず、にっこりと問い返した彼女にシウスはしれっとして言った。
「そのまんまの意味」
「あらあら、どうしましょう?手が勝手に♪」
「だ〜〜っ!嘘、嘘、冗談だって!!」
「・・・何だか楽しそうだな、2人とも・・・」
「ちょっとまて、これが楽しそうに見えるのかラティ!?」
イリアの気功掌を警戒しながらシウスが反論したが、ラティクスはやれやれと剣を鞘に収めた。
「とりあえず先に進もう。ほら、イリアさんも大人げないんだから」
岸壁に穿たれた洞窟の中はまるで迷路であった。
が、暫くすると三人は違和感を感じ始める。
あちこちに人の手が加えられている形跡はあり何人かの海賊はいたし、奥まった場所では一寸した貯蔵庫の様なものもあったのだが、元々ここを住み処としているらしい魔物も時折現われてここがそう頻繁に使われる場所でない事を示していたからである。

「こんなに誰もいないなんて。多分、ここはダミーね」
「だみぃ?」
金色に染まる水平線から吹きつける、心地よい海風。
一通り洞窟を回った後、休息をとる為に舟をつけた狭い浜に出るとイリアは海賊の短剣がつけた数カ所の切り傷に薬を塗りながら一つの推論を述べた。ラティクスは水筒を片手に、シウスと顔を見合わせてなんとも言えない顔をする。
「そりゃあ、どういう事だ?」
「つまり、囮って事。だってこの場所は既に知れているのよ。その辺の船乗りが知ってるんだから。この騒ぎが続けばムーア国王が討伐隊を送ってくるのは時間の問題だし、そんな所にアジトを置いておくかしら?」
「まぁ、そうですね」
ようやく話が呑み込めてきた。
「私達が侵入してるっていうのに出てくるのは魔物ばかりだし・・・それに、二、三ヵ所ガスみたいなのが充満してる変な部屋があったでしょ」
「ああ、あそこは俺も何かあるんじゃないかと・・・解ったんですか?」
ラティクスは部屋の様子を思い起こしてみるが、怪しいという事は解っても、どういった目的の為に造られた部屋なのかは見当もつかない。が、イリアは頷いた。
「ガスの主成分は多分、引火性のものね」
「引火・・・性?」
「ええ。あの部屋に敵を誘いこんで火をつければ・・・」
「ドッカン!てか?それなら討伐隊が来てもまとめて始末出来るな」
「そういう事」
やけに嬉しそうに答える。ようやく謎が解けたからだろうか。
「待てよ・・・ってえ事は何か?俺らがあの部屋でフレアボムとか使ってたら、」
「知らぬが仏って言葉知ってる?私も何回か使おうと思ったのよね・・・」
一同しばし沈黙。他にも一寸暗いからといって蝋燭をつけようとしたりとか、ご飯を食べようと焚火をしたりとか・・・いや、焚火は幾らなんでもしないだろう・・・ラティクスの頭の中は一瞬混乱状態に陥ったが、いつまでもそのままではいられないのでとりあえず立ち直った。
「と、とにかく、じゃあ、ここはアジトじゃないって事か・・・でもこの辺で海賊船は消えるっていいますよ」
「多分他の入り口があるんでしょう、幾つか先のありそうな壁もあったし。漆喰がはみ出していたから、後から無理矢理塞いだんだと思うわ」
「よく見てますね」
「そうかしら、仕事柄かも」
「で、どうする?今から探すのかよ、別の入り口。だーっ面倒臭え!」
どっかと座ったシウスが後ろに倒れ込む。無理も無い、ここに来てから既に半日が経過している。その間ずっと暗い穴の中を探索していたのだから疲れも溜まるというものだ。それに加えて今のやりとりによる脱力感もある。ラティクスもこれから何処に存在するのかわからない入り口を探すのかと思うといい加減嫌気がさしたが、ふとある事に気がついた。
「イリアさん、さっき漆喰がはみ出てたって言ってましたよね。それって、ガスが溜まってた辺りですか?」
「ええ。それが、どうかした?」
「あそこでガスを爆発させたら吹っ飛ばせるんじゃないかと思って」
イリアはポン、と手を打ってこの青年をマジマジと見つめた。
「成程・・・ラティ、あなた結構大胆な事言うわねぇ。モノは試し、早速やってみましょ!」
「また歩くのかよぉ」
「何事も挑戦なんだから。ほら、早く」
ぐずるシウスを引っ張る様にして再び洞窟内に戻り、その場所に行くとイリアは早速壁を調べ始める。無論火気には充分に気を付けて。
灰色の詰め物は軽く引っ掻いただけでボロボロと剥がれ落ちる。煉瓦も微かに揺らぐ箇所が多い。
「かなりのやっつけ仕事ねぇ。いけそうだわ・・・それにしても、こんな場所にガスを入れておくなんて何考えてるのかしら?」
「さあ?あ、シウスも準備出来たみたいです。離れましょう」
ガスから十分離れた場所では、シウスが既に火打ち石で小さな炎を作っていた。一本道を走って来た二人を見て蝋燭を掲げる。
「出来たぜ、フレアボム貸してくれ」
彼はラティクスから小爆発を起こす火薬の塊を受け取ると導火線に火をつけ・・・そして思いっ切り投げ飛ばした。その飛距離は尋常ではない、ガスの充満する場所までは十分過ぎる距離だった。
導火線の火花が遠ざかって行くのを見もせずに、三人は脱兎のごとく反対方向へ駆け出す。
「逃げるぞっ!」
角を一つ曲がった所で大轟音。フレアボムの爆発が、上手くガスに引火してくれたらしい。僅かな時間差で、目の前を爆風が横切る。
「とんでもない爆発だな・・・」
こんなのに巻き込まれたら運が良くても瀕死の重傷だろう。落盤でも起こった日には一瞬で全滅だ。
土煙が収まるのももどかしく近づいてみると、壁は見事に崩れ去って奥に通路が続いていた。使わなくなったとはいえ、流石に階段から何から全て埋めるという事はしなかった様だ。ひょっとしたら、塞がれてからさほど時間が経っていないのかもしれない。
人は来ない。上手く潜り込めそうだった。
「騒ぎが広まらない内に急ぐぞ!」
剣を抜き、拳を構えて三人は走り出した。

暫く走った所の階段を駆け降りた途端にばったりと髭面に出会う。突然のことに状況を把握出来ずにいる、その後頭部を殴り倒して昏倒させたのはシウス。
角を曲がって二人目。何処に持って行こうというのか身体の半分もある酒樽を抱えている。これはイリアの足払いでバランスを崩しあっけなく自滅した。
次から次へと出てくる人相の悪い男達に、確かにここは海賊のアジトであると確信を持つ。
「せいっ!」
また一人、ラティクスの剣に打ち倒された。
「これじゃ・・・しょうれつはっ!・・・きりがないっ」
「こっちだラティっ」
シウスが見つけたちょっとした物陰に身を滑り込ませるとそろそろ異変に気付き始めた海賊達がすぐ横を走って行った。中々おさまらないゼイゼイという息音に気付かれはしないかと緊張しながらも腰を下ろして頭を抱え込み、出来るだけ気配を潜める。耳の上の方を血液の流れる音が大きい。
「思ったより規模がでかいな」
「このまま行くのは無茶ね」
ナックルを構えた姿勢を崩さないまま鋭く視線を走らせる。
「戻れるかどうかだって怪しいわ、まずいわね。とりあえずここで少し休んでから行くとして・・・もう、全面戦争なんてしたらこっちに勝ち目なんて無いってば」
壁を爆破して出来た唯一の通路に海賊達が集まって来てしまえば潜入は不可能となる。だから今までは半ば強引でも、一刻も早くアジトの奥深くまで入り込む必要があったのだ。それは退路を失うことにも繋がるのだが、選択の余地は無かった。
「だが行くしかねえだろ?なに、なんとかなるさ。ラティはもう平気か」
壁に体を預けたハイランダ−はさして悲観するでもなく不敵な笑みを浮かべる。この根っからの戦士は却ってこの逆境を面白がっている様だ。
「ああ、大丈夫だ」
ラティクスは一度頭を振り、意識をはっきりさせると立ち上がった。

「来た!」
投げやりな足音を立ててだらしなく歩いてくる男がいる。少々酔っているらしく焦点が怪しいが使い物にならない程ではない。充分に近づくのを待ってシウスが襟を掴み、暗がりに引き込んだところをラティクスがすかさず縛り上げた。
「な、何でぇてめえらはっ?」
「騒ぐなよ」
瞬間暴れるが首筋に刃をあてがうと命は惜しいらしく直ぐに大人しくなった。不貞腐れてそっぽを向くのを無理に戻してラティクスは問う。彼に可能な限りの凄味をきかせて。
「ちょっと教えてもらいたい事があるんだ」

敵を出来るだけやりすごし、それが無理なものは徹底的に叩きのめしながら進む。縛り上げて暗がりに突っ込んである男の吐いた場所は洞窟の最深部であったが、幸いにも大半の海賊達は爆発騒ぎのせいで地上部へ出払っているらしく、こちらが息を潜めていれば取り囲まれる心配はなさそうだった。事態はそれ程絶望的ではない。もっともそろそろ持参した薬の類も底を尽き始め、いつまでこの状態が続くかどうかは疑問であったが。
そして、静かになった幾つ目かの曲り角をそっと窺った時。何かがラティクスの耳に届いた。怒声と罵声の飛び交うこの場所で初めて聞く音。
「泣き声・・・女の子の?」
空耳ではない。が、か細い声はこだまして何処からくるのか判らない。
「本当、どこから聞こえてくるのかしら?」
「なんだか気味が悪ぃな」
じっと耳を澄ませて音を辿り、首を振って言う。
「ま、よくわからんが行けばわかるだろうさ」
人気の無い道を曲がった。更に階段を下り、酒気とすえた匂いが鼻をつく。どうやらここが最深層の様であった。

湿気を含んだ重苦しい空気が床を這っている。
決して広いとは言えない部屋に灯されるのは一つきりの小さなランプ。
もうどの位の間、自分はここにいるのだろう。不規則な炎のちらつきに揺れる影をぼんやりと見つめながら、少女は時間感覚のすっかり麻痺してしまった自らの頭に悪態をついた。
全くの不覚だった。自分の姿がどれだけ人目につくかを考えもせずに海岸沿いの岩場で眠りこけてしまったのだから。夕方の海岸は陸から海へと流れていく風の通り道。とにかく暑い夏のこと、すっかりいい気分で寝入っていたところを気付いたら捕まえられていた。
あたしは一人なんだから、あたしを守ってくれるものは無いんだから、もっと気を付けなくちゃいけなかったんだ・・・・そう後悔してももう遅い。しかし不注意の代償としてここに閉じ込められているのだとしたら、それは少々厳しすぎる運命なのではないだろうか。
だがまあ、とにかく次はもっともっと気を付けなければならない。その前にこの状況をどうやって打破するかが先決ではあったが、少女に失うものは余りなかったので、辛抱強く期を待つつもりだった。
だからいざという時の為に、両の爪研ぎは欠かさない。暇潰しも兼ねて少女はぼんやりとした頭を振ると丁寧に、白い毛並みに普段は隠れて見えない武器の手入れをした。しかしそれもたいして長い時間かかるものではない。
「あ〜ヒマ・・・あいつらなにやってんにゃ?」
ついつい独り言の一つも言ってみたくなるというものだ。
出入り口は頑丈で特別に幅の狭い鉄格子で出来ているから、幾ら少女がレッサーフェルプールだといっても脱出は不可能。本当ならば研ぎ上がったこの爪で無礼者を一掻きしてやりたいところだが、生憎とその願いは叶えられそうになかった。
洞窟特有の湿気は自慢の尻尾の毛並みを悪くした。それも、少女の不機嫌の原因だ。
ここに閉じ込められてからというもの、無為の時間が多すぎた。普段はあまり考え事をしない、評する人がいればそれを能天気と言うだろうか、そんな少女もどうして自分ばかりがこの様な仕打ちを受けなければならないのかつらつらと考えさせられた。
その内にそんな自分が哀しくなって泣けてきた。その後、自分を泣かせた周りの者達への怒りで涙腺が弛んだ。
だから少女は常にも増して、出来るだけ考え事をしないようにと努力していたのだ。
それでも、今日もさっき少しだけ泣いてしまった。少女の機嫌は最悪である。
かりかりとした気分は体力まで消耗させる。少女は数度深呼吸すると、懐から手のひらに載る程の小さな笛、オカリナを取り出した。
「あたしの友達はこれとバーニィだけだね・・・」
少女はそっと小さな楽器に頬擦りすると、同じようにそっと口に当てた。
そのまま、一つのメロディーを奏でる。昔から寂しいとき、辛いとき、自分が嫌になったときに慰めてくれた音楽は、今も少女の荒れた心を静めてくれた。
「にゃっ?」
少女の薔薇色の頭髪から覗く白い耳が動く。複数の足音。誰かこちらにやって来るらしい。
オカリナを奏でるのを止めてより一層耳を澄ませれば、話し声も聞こえてくる。
「あたたたたっ・・・ったく、どうして海賊の親玉があんなに人間離れしてんだよ・・・」
「そんなこと言われてもな・・・そりゃ親玉に聞いてくれよ」
ずるずるずる。
湿った地面と積み荷を包むのによく使われる麻袋の擦れる音が、足音のリズムに合わせて響く。
「本当にこっちに出口があるのかな?」
「そこはそれ、嘘だったらその親玉さんには覚悟しといて貰わなきゃね」
「この中にフレアボム入れるのなんてどうです?」
「あら、いいわね」
「それにしても重いぜこいつ。倒すより運ぶ方が大変だ」
声と足音と、そのずるずるは次第に大きくなってきた。
「ここって・・・牢屋、よね・・・?」
「誰か入ってるのかな?」
鉄格子の開閉するギィギィ耳障りな音。
「ふぅん、結構ため込んでるんだ」
「そりゃ海賊ってくらいですから」
ところが、話し声はそれきり跡絶えてしまった。緊張から体を強張らせていた少女はほっと息を吐くと再びオカリナに口を当てる。まだ一曲も吹き終わっていなかったのだから。
「あら・・・?」
ここは数多くある牢の内の一つである。もの寂しげなメロディーが流れてきて、イリアは首を傾げた。
海賊の首領、蛮族ヴェルカントのボスを締め上げて秘密の出入口を聞き出したのはシウスである。ボスというものは大抵、非常用の脱出口を持っているものだという彼の意見通りに首領は隠し通路の位置を喋った。どの様にして海賊の心を動かしたかは推して知るべし。
イリアがその巧みに岩壁と同化させてある扉を引き出そうと四苦八苦していた時、そのメロディーは聞こえてきたのである。ラティクスにも、直ぐに彼女が動きを止めた原因が判った。
「笛だ」
「すぐ近くから聞こえてくるぜ」
「よし、行ってみよう」
彼等は一旦、作業を中断して更に奥から聞こえてくる笛の音の方向へ向かう。三人は、足音を忍ばせてゆっくりと近づいて行った。どうやら、牢屋の中から聞こえてくる様だ。
「女の子・・・!」
「誰?!」
ラティクスが声を発するのと少女が叫ぶのはほぼ同時であった。
海賊の奴等に違いない、少女は尻尾を逆立てて叫んだ。
「また縛るんでしょ!」
「・・・は?」
相手がわけが解らず目を白黒させていることなど、少女には解らなかった。こんな場所に海賊以外の何かが現われることなど期待していなかったし、たとえ海賊以外のものでも今の彼女にとっては全てが敵であったのだから。
「グルグルにするんでしょっ?!」
そう、海賊達は体の柔らかいレッサーフェルプールを警戒して、実に『グルグルに』少女に縄をかけた。今度はどこかに連れていこうというのに違いない。
しかし、いきなり敵意剥きだしでかみつかれた方は戸惑ってしまう。
「え・・・と・・・俺達は・・・」
ラティクスが返答に困っていると、何事かと後ろから覗き込んだシウスが顔をしかめる。
「何だ、レッサーフェルプールじゃねーか」
「レッサーフェルプール?」
「何だか知らねえが愛想の無い種族だよ」
「あら、可愛いじゃない?」
「いいや、そいつは外見だけ。中身はひねくれてんだ」
どうやらシウスはこの種族に対してあまりよい思い出が無い様である。イリアは首を傾げた。が、恐らくさっき耳にした泣き声はこの少女のものだったのだろう。とにかく放っておくわけにはいかない。彼女は素早く海賊から没収した鍵で鉄格子を開き、出来るだけこの少女を警戒させないようにゆっくりと近づいた。
「私達はあなたを助けにきたのよ」
「嘘っ」
「嘘じゃないわ、海賊をやっつけて今から帰るところなのよ。あなたも一緒に行きましょう?ポートミスに帰るのよ」
「・・・・・・」
少女はほんの少し警戒を解いて、疑いの入り混じったまなざしを向ける。一応、こちらの話を聞く気にはなったらしい。
考えて見れば、イリアさんって説得ばかりしてるかもしれないな。ラティクスはそんなことを思う。

「あたしはかわいー小鳥になりたいんだから放っといて!」
ポートミス港にボートをつけるや否や、名を名乗りもしない少女は盛大にあっかんべーをすると陸に上がって四本足で駆け出した。
「あらあら・・・」
イリアは少女を追うに追えず、ボートの中に立っている。
最終的には彼女が説得に成功して何とかこの少女をここまで連れてきたのであったが、少女はボートの中でもむっつりと黙りこんで最後まで一行と打ち解けようとしなかった。しかし、イリアは勿論、ラティクスも何となくこの少女を憎めない。
「あ、ちょっと・・・」
転ぶよ、というラティクスの声は間に合わず。
「いったぁ〜〜!」
海から陸に上がっていきなり走るからである、猫耳に猫手猫足を持つ彼女は猫にもかかわらず敷き石に足を取られてしまった。体が倒れたその拍子に何かが地面を転がる。が、それには気付かなかったのか少女は直ぐに体勢を立て直すと、今度こそ一目散に視界から見えなくなってしまったのであった。
「なんだよ、助けてやったのにあの態度は」
「まあまあシウス。きっと怖い思いをしたんだから」
イリアにたしなめられてもシウスのご機嫌は余りよろしくない。
「あれ、いいのかな?あの子何か落として行ったけど」
ラティクスは少女が転んだ場所でオカリナを拾い上げた。勿論、それが少女の数少ない友であったなどとは知る筈もなく。また、この楽器が再び彼等を巡り合わせることになるとは誰一人として思いはしなかった。
そんな少女の一件は予想外のことであったが、ラティクスが約束通り定期便の船長に麻袋に詰めた海賊の首領を引き渡すと、彼等によって海賊騒ぎが一段落ついたという話はたちまちにして港中を駆け巡った。
港中の誰もが喜び、さっさと定期便に乗船してしまっていたラティクス達の元へ感謝の言葉を述べに来るものが後を絶たない。ただでさえ魔王や魔物の話で暗いご時勢、こういう胸の空くような話に久々に明るい気分になったのだろう。
「私達はボスを捕まえただけなのにねぇ・・・もしまた海賊が来たらどうするのかしら?」
「ま、いーんじゃねーの?なんだかんだ言って結構な人数やっつけちまったからな」
「でもこんなに感謝されると何だか気がひけちゃうよ・・・早く出ないかなあ」
勿論、明日早朝に出航する定期便のことである。
彼等が港に帰ってきたのが正午を回った頃であり、現在はとっぷりと日も暮れている。その間、何人の訪問を受けたか判らない。幾ら感謝の言葉を述べられても、本人達は居心地が悪くなる一方である。
そこに、本日最後の訪問者がやってきた。たまたま外の風に当たっていたラティクスは、その訪問者を見て驚く。
「君は・・・」
甲板を小走りに来たのは少年だった。灯火に青い目が煌めく。
出発の時に、やはり同じ様に駆け寄ってきた少年だ。ラティクスは何か言おうとしたが、その暇も無く少年は「あの、これ」と、何かをラティクスに押し付け、直ぐに身を翻した。
「ちょっと待って!」
少年は立ち止まり振り返った。
「これは?」
「それ、お礼」
「お礼って・・・」
「海賊のせいでうちの父さん死んじゃったんだ・・・それ、父さんのお守りなんだけど、仇討ってくれた兄ちゃんに持っててほしいんだ」
ラティクスの手の中にあったのは小さな飾りものである。ラティクスは慌てて首を振った。
「貰えないよ、そんな大切な物」
「俺はいいんだ。父さんと同じ位立派な海の男になるんだから。だから、それ兄ちゃんにやる。きっと役に立つよ」
一人でここに来るのは余程勇気がいったのだろう、少年は赤くなりながら頭を下げると直ぐに行ってしまったので、ラティクスはそれを受け取ることにした。彼としても、その感謝の気持ちを無下には出来ない。恐らく少年には少年なりの決心というものがあったのだ。
「・・・父さんみたいな、か・・・」
自分と似た境遇の少年が残したのは、海の男が持つという護符だった。ラティクスの手はそれを握り締める。