SO Script ACT・4


最初の手掛かり

「はぁっ!」
すらりとした足は見事な弧を描いて相手の顎を狙う。それを僅かな動きで避けて幾重にも麻布を巻いた剣の鞘を叩き込もうとすると、風に揺れる穂の如く柔軟に身をかわす。一撃が重い分、次の動作へ移行する時の隙は格好のチャンスとなる事を格闘家は知っていた。一度床を蹴った反動で拳で鋭く鳩尾に突き出す。
「何のっっ!」
だが、どうやら相手の方が一枚上手だった様だ。予想以上に素速く動いた両手に弾かれて二度バック転を決めると双方共に動きを止めた。
「ったく、なーにが『護身術を一寸だけ』だよ。そりゃ詐欺ってもんだぜ」
シウスはやや乱れた息を整えながら汗を拭った。
「確かに」
「何よ、ラティまで。シウスの方がずっと強いじゃない」
ラティクスから水の入った革袋を受け取ると一口飲んでイリアはマストの作る細長い影の中に入って火照った顔を庇う。
遮るものの何も無い天から降り注ぐ太陽の光は容赦無く白っぽい甲板を熱し始めていた。周りは見渡す限りの明るい海と水平線と空。
今、彼等はムーア王国からアストラル王国へと大陸間を結ぶ連絡船に揺られていた。海上に魔物は出没せず、航海は比較的安全なものであったが、船旅はとかく時間がかかる。戦いの勘を鈍らせない為にも彼等は毎日朝方と夕刻の二回、剣と格闘の訓練を行っていた。
「お客さ〜ん、甲板壊さないで下さいよ〜」
隅のほうへ追いやられていた若い船員が情けない声を上げたが誰も意に介さなかった。

ラティクス達がこのアストラル行きの船に乗ったのは数日前のこと。そして、道具屋バダムからの仕事を終えてポートミスへ入ったのは更に数日前のことであった。
大きな期待を抱いて門をくぐったそのポートミスでも、ロニキスとミリーの消息は杳として知れなかった。もっともポートミスはムーア王国の王都。人も多く、情報収集が完全であったとは言い切れない。しかし、魔王アスモデウスに接触するという最終目的を考えるとロークの四王国の内でも比較的平和なムーアに留まって聞き込みを続けるよりは、よりアスモデウスの影響の強い地へ向かう方がロニキス達に出会える確率が高いのではないか、つまり、ここの港から他の大陸へ渡った方がいい。足が棒になる程歩き回った末に、ラティクスとイリアはそう結論を出さざるを得なかった。
が、運悪くポートミスから隣の大陸の港町オタニムへ定期的に出されている連絡船は最近勢力を増してきた海賊の一派の所為で運航が見合わされていた。以前は多少の被害はあったものの、ある程度武装した船ならば乗り切れた為に数隻の商船が船団を組んでそれに付随する形で連絡船が出されていたのであったが、海賊の規模が大きくなるとリスクを恐れた商人達が船を出さなくなり、必然的に連絡船も途絶えてしまったからである。
その状況はラティクス達がポートミスの武器屋から『品物』である巨大でふざけたウサギの石像を往路の二割り増しの時間をかけてホットへ運び、再び戻って来る間、ずっと続いていた亊だった。二度目、つまりいざとなったら海を渡るつもりで彼等がポートミスの町に入った時には、あちこちの店で輸入に頼っている品物や海産物が不足している有様なのである。
要するに海賊騒ぎが収まる気配は無かった。

「どうだったんだ?・・・って、駄目だったみたいだな」
二度目のポートミスで宿屋に腰を据えてから三日目の夜、シウスが燭台の灯の下で退屈そうに技能書の頁を繰っていた。
今日も一日歩き回ってきた二人は立っているのも辛そうに椅子に腰掛ける。水差しから注いだ水を一気に飲み干して一息付いてからラティクスはテーブルに突っ伏した。
「疲れた・・・・・・」
イリアも同様に天井を仰ぎ見ながら呟く。
「全っ然、駄目。かけらも無いわ」
ポートミスの人込みに揉まれるのもいい加減三日目になってくるとその疲労も尋常なものではない。しかも一日中歩き回っていたのである。別れてしまった仲間を捜して、二人ともすっかりポートミス通を自負出来る程にこの町の地理を知り尽くしてしまっていた。
「明日はちょっと無理かも。もう歩けないわ」
「これでも定期便が無いせいで人が少ないんですから、王都ってのはとんでもない所ですねえ」
「今日はどれくらい歩いたんだ?」
大変だな、とは思いつつ今日は一日宿でのんびりしていたシウスは二人に聞いた。
「ずっとよ。目に付くお店には全部入って話を聞いたわ」
「・・・はぁ。何か連絡手段でもあればこんな苦労しなくても済むのにな。イリアさん、俺、もう嫌ですよ」
「私だって体力がもたないわよ。・・・かといって、船が出ないことには身動きがとれないしねえ」
人手は一人でも多いほうがいい筈なのに、二人ともシウスに仲間の捜索の手伝いを頼もうとはしない。特殊な事情があったし、元々筋違いの頼みだということがよく解っているからだ。
シウスもそれは承知していたが、何となく自分だけが疎外されている様な状況が不本意でないと言えば嘘になる。
「大変だな」
何と言っていいかわからなかったので、短くそうとだけ答えた。
本来ならばバダムからの仕事が終わった時点でシウスとラティクス達の縁は切れた筈であったが、現在シウスはこの、未来から来た二人と共に行動している。今も彼は二人の事情を知りはしない。だが、知らないことが多くても三人の気がいたく合っていたのは事実であり、仕事が終わった後にすぐさま別れるのは双方にとって惜しまれる事であった。だからラティクスが彼を引き留めたのだ。そして勿論シウスは快く応じた。
けれども、まだ相手と自分の間には距離があるようだ。シウスはそう思った。
「船ねえ・・・いつ復航するか。二十日は無理だろうって噂だぜ」
ハイランダーはぼそっと酒場の船乗りから聞いた話を教えた。もう二十日も待てばムーア王室も何か手を考えるだろう、というのが港の人々の一致した見解らしい。平和ボケのこの国ではこうした問題への対応が遅いと、北方系の船乗りは肩を竦めて答えたものだ。
「二十日?」
「あぁ」
「本当に?」
「俺が嘘言ってどうすんだよ。ま、とにかくどうしようもないみたいだな」
ラティクスとイリアにはそのような暇は無かった。一刻も早く先を急ぎたいのである。
「もうこの町にも見切りを付けていい頃なのに、そんなに長い間ここで足止めされたらたまらないわ。何とかならないかしら・・・」
「聞くが、そんなに急ぎの用事なのか?」
「ええ」
ラティクスが僅かにイリアに視線を送ったが、彼女は頷いた。
「急ぐの」
ラティクスとミリーの曖昧な記憶によれば、魔王アスモデウスは丁度この時期に姿を消している。宿主が死んでは元も子もない、この世界の住人に倒される前に接触せねばならないのだ。一刻を争う事態ではある。
「そんなら、手がねえわけでもない。やるかやらないかはお前らの自由だが・・・」
心の内は見えなくとも真剣そのものの彼女の顔に、シウスは日中から酒気の入った船乗り達と冗談混じりに交わした一見無謀とも思える計画を話し始めた。
話が始まって直ぐにラティクスの空色の瞳が丸くなった。イリアも怪訝そうな顔をする。
「シウス、それ本気で言ってんのか」
「無理な話じゃあねえぜ。ま、船乗りどもは出来っこないって頭から決めつけてたがな。だがようは要領の問題さ」
「私には無茶にしか聞こえないけど」
「嫌だったら待つだけだな。二十日以上はかかるぜ。ムーアの王様が重い腰を上げるのが大体二十日後。実際に船が出るのは一か月以上後になるだろうって勘定だ」
「難しいわねえ・・・」
もっともな意見にイリアは葛藤している様だった。
海賊、ヴェルカント一味(船乗りからの情報だ)の討伐に出かける、とシウスの提案はこうである。
勿論勝算はある。とりあえず首領を捕まえてこのポートミスの船乗り達の前に突き出せば、彼らは喜んで船を出してくれるだろう。往々にしてこうした組織は烏合の衆であり頭がいなければ何も出来ない。その頭を潰してしまえば暫くは動きを抑えられるだろうという論理により、海賊との全面戦争をする必要は無かった。奇襲をかけ、首領を捕らえる。言ってみればそれだけの話だ。
シウスは得意気に言った。
「な、そんなに目茶苦茶な話でもないだろ?」
「ま・・・そう言われればそんな気もするなあ」
ラティそれって何だか上手く丸め込まれてるんじゃあ?、とイリアは思ったが彼女にもシウスの提案を却下する理由は無い。それどころか案外に実行可能ではないかと思い始めていた。ラティクスの剣の腕は自警団員であったというだけあって魔物を寄せつけない。また、そのラティクスの腕を見込みがあると褒めたシウスこそ、およそ我流とは思えない大剣の腕を振るっているのである。
彼等がいれば、海賊など大したことはないのかもしれない。
イリアも海賊というものは知っていたが、それはあくまでも宇宙空間を星の海と見立て、そこで狼藉を働く集団の事。風や人力の代わりに反物質で動く航宙艦を駆る者達だ。本物の海を渡る海賊には興味があった。
「このままずっと足止めされるよりはましかもね」
ましってのはなんだよ、とシウスに睨まれてしまった。そこで、イリアはふとある事に気付く。
「ひょっとして、シウスも手伝ってくれるの?」
「なに言ってんだよ、当たり前じゃねえか・・・なんだ、じゃあまた俺を無視して話を進めようとしてたのか?」
予期せぬ言葉を浴びせられたらしく、彼は憮然とした。
「大体なあ、お前ら俺を抜きにして色々するなよ。人探しだって、一声かけてくれれば手伝ったんだ」
ちょっとした不満。他の二人は気まずそうに顔を見合わせる。
「シウス・・・別にそんなつもりじゃ・・・」
「ああ解ってるさ、悪気がないっつーことくらい。ったく、だがなぁ、俺ってそんなに頼りにならないか?」
シウスは更に言った。
「仲間だろ?」
そして、ふいと立ち上がって彼は部屋を出て行ってしまった。その唐突な動きに二人は声を掛ける暇も無い。
「・・・悪い事しちゃったかしら、シウスに」
唖然としてシウスを見送ってから先に口を開いたのはイリアだった。ラティクスに言っているのか、それとも独り言なのか、どちらともつかぬ口調だ。
「どうしてもね・・・頼ってしまったら事情を話さなきゃならなくなるだろうし、私達の事で彼を煩わせるのも悪いもの。でもそれで嫌な思いをさせてたらどうしようもないわね・・・」
ラティクスも頷く。
「せっかく同行してもらったのに、ポートミスでは俺達だけで行動する事が多かったから。仲間なのに」
「後で謝りましょう、シウスに」
「許してくれるかな?」
「さあ・・・彼がどう思っているのかはよく解らないけれど・・・」
部屋がしんとした。
イリアは難しい顔をして何か思案しているらしく動かない。
ラティクスは、シウスの胸の内を考えた。何をどう言っていいのか解らないが、謝らなくてはならないのは確かである。自分達のことにばかり目が行って、つい新しい同行者のことにまで気が回らなかった。恥ずべきことであった。
扉が開いた。出ていった時よりはややゆっくりと入ってきたのはなんとシウスだ。予想より余りにも早い彼の帰りに二人は驚く。
「シウス!!」
「どうしたんだ、二人ともそんなに驚いて」
「でも何しに・・・」
「『何しに』?勿論船を都合しにさ。最近、定期便の船乗りが酒場に入り浸ってるからな、何杯かおごってボートを借りられるように話をつけてきた。それに海賊をやっつけたらとっとと定期便を出してもらわないとならないから話しておいたんだが、まぁさすがにその辺は半信半疑だったみたいだな」
シウスはそのマメさをいかんなく発揮したようだ。俺だって一応役に立つだろうとその目が言っている。彼も彼なりに不運な境遇の二人を心配して数日前から定期便の船員達と面識を作っていたのだろう。
「シウス、俺達が・・・」
「おっと、何も言わないでくれ。別に俺はお前らのことを詮索するつもりはないんだ。ただ、俺も連れてってくれるんだろ、一緒に」
あの憮然とした表情は、ひょっとしたら演技だったのかもしれない。にやりと笑みを浮かべてこう言われてしまっては、頷き返すしかないだろう。
「ああ、よろしく頼むよ」
ラティクスのその一言で全てが伝わったのかもしれない。シウスの表情に僅かに安堵が混じった。イリアが言葉を添える。
「シウスがいないと無理だもの、こんな無茶な事」
「あぁ、任せろよ。さて、そうと決まったら今日は早目に寝るとするか。準備も色々あるだろうし」
「私は部屋に帰るわね」
イリアは内心ほっとして席を立った。「おやすみなさい」
「おやすみなさい、イリアさん」
明日は命懸けな、忙しい日になりそうだった。