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ひんやりとした空気が頬を撫でて、それでラティクスは薄目を開けた。
(あれ?俺どうしたんだろう・・・確かタイムゲートに・・・)
そうだ、過去だ。にわかにはっきりとしてきた頭で彼は今の状況を思い出し跳ね起きた。周りは薄暗くよく見えなかったが、静かな波の音と足元の砂が、ここがどこかの浜辺である事を教えてくれた。
(ここはどこだ?それより皆は・・・)
立ってみると五体に感覚が戻って来た。特に怪我も無い様だ。眼を凝らすと、少し離れた所に誰かが倒れているのが見えた。シルエットだけが浮かび上がる。女性だ。
「イリアさん!大丈夫ですか?!」
ラティクスに抱き起こされると直ぐにイリアにも意識が戻った。
「え・・・ええ。何ともないわ。ありがとう」
「立てますか?・・・他の皆はどこにいるんでしょうね。多分近くにいると思うんだけど、暗くて」
「そうね。・・・でも、段々明るくなってる感じがするわ。夜明けみたいね」
「それじゃあちょっと待ってみましょうか?」
体に付いた砂を払い落としてぐるりと見回す。確かに今は明け方らしく、周囲は少しずつ明るくなって色々なものが見えはじめる。そしてラティクスはある事に気付いた。
「あれ、この風景・・・見た事あるぞ」
「知ってる場所なのかしら?」
「はい・・・あ、そうだ!ここはクラトスの海岸ですよ、間違い無い」
多少岩の形や向こうに見える木々の生え方が違うものの、彼は確信を持って断言した。ここからすぐ北にクラトスの町がある筈である。
「ここならそんなに広くないから隅々まで知ってますよ。随分明るくなってきたからそろそろ捜してみましょうか?」
「心強いわね」
しかし、幾ら捜しても砂浜には誰もいなかった。ラティクスとイリア以外は動く影すらない。
浜の端からラティクスは小走りで戻ってくると首を傾げた。
「おかしいなあ・・・この辺にはいないみたいですよ?いれば絶対わかるはずです」
「そう・・・それじゃ、いないのかもしれないわね。私が転んだせいで飛び込むタイミングが大幅にずれたから、離れ離れになっている可能性が無いわけではないし」
「どこにいるのかわからないってことですか?」
厄介な事になってしまった。イリアはラティクスに頷き返すと険しい表情を浮かべた。アスモデウスからウィルスを入手する、それだけでも成功するかどうか解らないのに、何処へ転移したかも知れない二人を捜し出さなければならない。それはロニキスの方も同じであろう。彼ならばこの状況下でどんな行動をとるだろうか。イリアは上官の事を思った。
「通信機は全て置いてきてしまったし、今のままじゃどうしようもね・・・。でもこれだけ捜して艦長達がいないっていうことは、別々に飛ばされてしまったと考えてもいいと思うの」
「俺にはよく解らないけど、町の方へ行ってみたらどうでしょう?何か判るかもしれませんし」
「ラティはこの辺の地理には明るいのよね」
「まぁ庭みたいなもんですから」
「あなただけが頼りだわ、ラティ」
今まで教えて貰うばかりだった地球人に何かを教えることが出来る。そんな事実を少し嬉しく思いながら行きましょう、とラティクスはクラトスの方向を指さした。
「町はむこうです」
そこは町というよりは村であった。
アスモデウスを見つける前に、まずミリー達の行方を突き止めなくてはならない。ラティクスの道案内でその入り口まで来た頃には、太陽は天頂への道程を三分の一ばかり終えていた。
「へえ、クラトスも昔はこんなに小さかったんだ」
村と外を区切る壁はラティクスの知るそれとさして変わってはいないが、壁の内側の風景は三○○年後と全く違っていた。
「やだ・・・よく考えてみたら私のこの格好・・・」
そしていざ村の中へ入ろう、という時にイリアがある事に気付く。
イリアが着ているのは地球連邦の制服だ。材質もデザインもロークの物とはあまりにも違い過ぎる。今まではさして気にならなかったのだが・・・。
「確かに、思いっ切りアヤシイですよね」
「そうよねぇ」
「じゃ、ちょっと待っててくれます?俺が探して来ますから」
彼女は済まなそうに頭を下げる。
「ごめんなさいね。さすがにこんな格好で聞き込みをするわけにもいかないし。きっと今頃、艦長も困ってるかもしれないわ」
思わずその場面を想像してしまってお互い笑みがこぼれた。
「なるべく早く戻ってきます」
元々が王都から遠く離れているということで旅人が珍しいらしく、道すがらラティクスは何度も村人に話し掛けられた。どうやらラティクスの思った通りここはクラトスの前身である、クラートという村であった。三〇〇年という時の隔たりはあるものの、流石にラティクスの鎧のデザインが怪しまれる事は無く、言葉も不自由しなかったので彼は胸を撫で下ろす。
(こりゃ、確かにイリアさんの格好だったら厄介な事になったな。気付いてくれて良かったよ、ほんと)
クラート村はクラトスとは違ってプラムアップルという果物の産地であり、村中に植えられた赤い実のなる樹木は涼やかな木陰を作って風に揺れている。穏やかな場所だった。
さて、とにかく服を見つけなければならない。といっても、ラティクスはこの時代の通貨を持っていなかった。当たり前である。それに気付いたのは村の中ほどまで来た時であった。
(しまった、考えてみたらどうやって服を手に入れればいいんだ?)
小さい村ながら日用雑貨を扱う店はきちんとあったが、まさかただで譲ってくれとも言えないので途方に暮れていると、すぐそこの民家の軒先に干してある洗濯物が目に入った。
(いや・・・やっぱり盗んじゃあ、いけないよな・・・)
そうは思いつつも、ついふらふらと寄ってしまう。ぽつりぽつりと建物が点在しているクラートは家々の間に塀がなく開放的な造りになっていたので、侵入するのは簡単だった。
「あら、どうかしたんですか?」
ラティクスが物干し竿の横で仁王立ちになって葛藤していると、後ろから声を掛けられた。ここの住人らしい、老婦人だ。
「いえ、あの・・・」
「何かお困りの様ですけれども?」
「あ、ええ、ちょっと訳ありで・・・」
しどろもどろになって旅の連れの服が必要なのだと簡単に説明する。するとなんという幸運か、親切な老婦人は嫁に行った娘の物でよければ、と一着の服を譲ってくれた。
「本当に貰ってもいいんですか?」
「構いませんとも。ずっと仕舞っておいてもタンスの肥やしになるだけだから。困ったときはお互い様、遠慮せずに受け取ってくださいな」
ラティクスは彼女に感謝し、ありがたくこの厚意を受け取ると礼を言ってイリアの所へ飛んで帰った。
「ありがとう、ラティ」
見ちゃ駄目よ、と物陰で着替えたイリアにその衣装はぴったりと合った。今までの服自体がラティクスのセンスとはかけ離れたものであった為に、こちらの方がかえって自然に見えたのだが口には出さないでおいた。
「やだ、これ私にぴったり」
「似合ってますよ」
「ありがと。お陰で助かったわ、さすがにさっきの格好じゃ身動きとれないものね・・・。これで村に入れるわ」
「旅支度をしないといけませんしね。それで、それなんですけど俺達全然お金持ってないんですよ。どうしましょう?」
これは深刻な問題である。先立つものがなければ魔王退治どころか明日の生活もままならない。イリアも事の重大さに気付いた様だ。二人で考え込む。
「お金か・・・あ、ラティのその鎧売るとか、どう?」
「いや、それはまずいでしょう。いつ魔物が出るかわからないから危険ですよ」
「そうねえ・・・でも私の服っていっても、こんなアヤシイもの買ってくれるとは思えないし。他に売れるものなんてあるかしら?」
イリアは暫くラティクスを上から下までじろじろと見て無いわねえ、と首を振った。
「どこかで働かせて貰うとか?・・・そんな暇ないわね」
「魔物が時々持っていたりすることもありますけど、今、必要だからなあ」
「そうなると・・・ま、仕方ないか。ラティ、こんなの売れると思う?」
イリアはどこからか取り出した物を見せた。手のひらに載っているのは一対のイヤリング。
「あれ、イリアさんイヤリングなんてしてましたっけ?」
「普段はしてないわ。規則違反だから」
どう?と聞かれてラティクスはそれを見た。彼自身鑑定に自信があるというわけではなかったが、純粋な黄金色の輝きを放つイヤリングは非常に高価そうに思えた。
「金ですね。かなりいい値段がつくとは思いますけど・・・ひょっとして大切な物なんじゃないですか?」
「まぁ大切じゃないって言ったら嘘になるけれど、今は目の前の問題を片付ける方が先決でしょ?」
持ち歩いているという事は何かとても大事な物ではないのか、そういう疑問がラティクスの頭をかすめたが、問題解決ね、と笑って彼女が先に立ってしまったので特に追及はしなかった。
再びクラート村へと入る。
「駄目ね、全然。尋ねようにもこう人がいないんじゃ、話にならないわ」
「田舎も田舎みたいですから、この辺りは。でも、だからもしここにミリー達が来てたら絶対わかるはずですよ」
「じゃあ、この辺りにはそもそもいないっていうことよね。そうするとその・・・ホット、だっけ?その町の方へ行った方がいいのかしら?」
「行くしかないでしょうねぇ」
一通りの聞き込みをしてみたが、収穫はゼロ。判ったのはここから少し北にあるホットという町の方が人捜しには向いているだろう、という事だけだった。一旦二手に分かれたラティクスとイリアは村に一軒しかない宿屋の前で落ち合い、互いの情報を交換する。昼の日差しがかなりきついので木陰で休んでいると、イリアはロークの建物が珍しいのか子細に宿屋を観察していた。
「ねえ、ラティ。この箱、郵便ポストみたいだけれど、三〇〇年前のロークでも郵便というシステムはあるのかしら?」
「システム、ですか・・・」
ラティクスは戸惑いながら答える。
「俺達の世界じゃ伝書鳩での手紙の受け渡しが一般的だけど・・・大抵村ごとに飼ってるんですよ。個人的に持ってる人もいるし。でも、鳩に限った話じゃないんですけどね」
「それは別の動物でもって事?」
「ええ、他の鳥もよく使いますし。あ、そう言えば」
「・・・何よ、思い出し笑いなんかして」
「ミリーが昔、猫を伝書猫にしようとしてたっけ。あいつ猫好きだから」
ラティクスはよく晴れた空を見上げた。この空の下にミリーもいるのだろうか。イリアも同じ様にラティクスの横に立っている。考えている事は同じだろう。全く知らない世界で、今最も親しい者と離れ離れになってしまったことが心細く、不安なのだ。
「猫?」
「どっから連れてきたんだか、茶虎のやつに一生懸命何か教えてましたよ」
「で、どうなったの?」
「ムリムリ。普通やる前にそう思う筈なのに、あいつどっか抜けてるから」
「あら、でもそういうのっていいじゃない?」
不安を吹き飛ばす様に笑いながら、二人はこれからの旅支度を整える為にその場を後にしたのだった。これが、二人の旅の始まりである。
丁度その頃。
「ックシュン!」
「どうした、風邪か?」
「誰か、この『麗しい』ミリーちゃんの噂でもしてるのかな?」
「・・・・・・」
確かに同じ空の下、何処かの国の街道沿いを歩いている人影があった。
色付き始めた木の葉が紅く、また風も秋の気配を帯び始めている。
少女の言動に返す言葉を持たない壮年の男性はとりあえずの沈黙を守ったが、少女はそんな相手の様子に全く気付いていなかった。
「ま、いっか。それより早くロニキスさんの服探しましょうね。また変な目で見られちゃうから」
「おお、そうだったな」
ミリーの言葉に、ロニキスは改めて自分が身に纏っている地球連邦の制服を見遣る。この世界では目立ち過ぎる格好だ。先程も通行人が一人、警戒した視線を投げ掛けていった。
この世界、そう、過去のロークで意識を取り戻した時、ロニキスの傍には現在隣を歩いているこの少女しかいなかった。
残りの二人、イリアとラティクスが僅かにずれたタイミングでタイムゲートを通過した事など知るべくもない彼であったが、彼等と具現地点が違ったのかもしれない、という可能性を思い付くまでにさしたる時間はかからず、だからこうして歩いている。
ここが何処であるのかすら判らないのだ。まず人の集まる場所へ行かなくてはならない。
そしてそれには初めにロニキスの格好を何とかすることが先決だった。
イリアも苦労しているのだろうな、と一人苦笑するとミリーが横でにこにこと笑っている。
「な、何だ?」
「私がカッコEの選んであげますからね、服。どんなのが似合うかな?」
「わ、悪いな・・・適当でいいんだが・・・」
どうも今まで自分の身の回りにいなかったタイプである、謎のペースを持つ少女だ。これからの事を考えると一寸眩暈がしたロニキスであった。