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ドック内では整備士がカルナスの最終チェックを行っていた。昇降ハッチへと歩いてくる人影を認めて声をかける。
「何か?」
「ああ、すまないがそこを通してもらえるかな」
やって来たのは彼が整備を行っていた航宙艦の主であった。整備士は自分がカルナス艦内へと続く唯一の通路を塞いでいることに気付き、慌てて機材を脇に除ける。
「まだ発艦命令は受けていませんが?」
「ちょっとした急用でな。話はこちらで聞いている、もう出せるか?」
艦長は意味あり気な視線を隣の科学士官へと送る。ははぁ、何かあるなと彼は直感したが、上官の行動にそれ以上口をはさむことはせず敬礼を返し艦長に答えた。
「はい!」
「もたついている暇は無い。気付かれる前に発艦しなければ」
昇降ハッチが閉じると同時に今まで何食わぬ顔をしていたロニキスは一転して厳しい表情を浮かべエレベーターポットへと向かう。何事もなく乗り込むことが出来たとミリーが少し安心して隣のラティクスを見ると、彼も小さく頷き返した。
自動ドアの開く間も惜しんで艦橋に入ると、ロニキスとイリアはコントロールパネルに飛び付いて操作を始める。イリアの手の動きなど、まるでやけになっているかの様にすさまじい。ラティクスとミリーがただただ圧倒されている中、タン、とパネルを叩き付けて操作を終えると彼女は間髪入れずに報告した。
「大丈夫です。艦長、直ぐに発艦出来ます」
「よし、昇降ハッチを閉鎖しろ」
「はい」
「あの、二人で大丈夫なんですか?」
「ああ、最初に設定さえしてしまえば後は自動操縦で目的地まで行ける。コンピュータがあるからね」
「へぇ、すごいですね」
「大した事ではないさ」
ラティクスの問いにロニキスはこう答えたが、それには無論、あくまで動かすだけなら、という制約がつく。いくら徹底的な自動化がはかられたとはいえ、機械にも限界があるからだ。動かす者あっての機械。しかしただ走らせるだけなら、二人もいれば十分だった。
艦は滑らかにドックから発進する。それを阻むものは何も無い。司令部からはひっきりなしにカルナスの応答を求める通信が入ってきたが、ロニキスはそれに答えようとはしなかった。彼等の乗艦は既に何人かの人間に目撃されている。向こうが本気で発艦を阻止しようとするならばカルナスに勝ち目は無い。ラティクス達にはあえて話していなかったが無理な発艦、それは賭けであった。
無事に地球大気圏外に出てから一日が経過した。目的地へはまだ数日を要す。
ラティクスとミリーはホロデッキに行ってしまっていたので、艦橋は静かだった。ロニキスはワープ中で映るものも無いスクリーンを眺め、イリアはカルナスのデータバンクから惑星ストリームの資料を呼び出している。
「あの二人がいないと静かですね、艦長」
「ああ。しかし何だな、人のいない艦橋というのは妙なものだ」
「そうですね」
また少し沈黙が続いて、パネル操作の音だけが響く。イリアはこれで何度目か分からない溜め息をそっとついた。ラティクス達の前では控えていたが、今ならば何も問題無い。
「でも惑星ストリームだなんて・・・間違いなく軍法会議ものですよ、これは」
「ふむ、下手をすれば一生どこかの辺境惑星で強制労働だな。だがもう後には引けん」
恐ろしい事を、この上司は何でもない事の様に言う。この自信は何処から来るのだろうとイリアは頭を抱えたくなり、そして聞いてみたくなった。
「艦長、どうしてそんなにローク人に肩入れをするんですか?」
「肩入れ・・・そうだな。肩入れしているように見えるか」
「見えますとも。ラティ達には悪いですけど、傍から見ればどうしてこんな一未開惑星を自らの地位を犠牲にしてまで救おうとするのか理解に苦しむでしょうね。正義感ですか?」
「俺はそんなに立派な正義など持ち合わせてはおらんよ」
「では、同情」
「イリア、」
ロニキスは何とも言えない顔をして彼女のことを見た。
「・・・すいません。今の話は無かったことにして下さい」
やはり、あの出来事が彼の行動の原動力だったのだろう。彼女は顔をコントロールパネルに落として作業に戻る。髪に隠れて横顔は見えない。
一方上官はこの若い部下の言葉の真意を考えかけ、そしてあえて考えるのをやめた。それは今考えるべき事ではない筈だ。
「奇病、か・・・・・・そう、単なる同情なのかもしれん。君を巻き込んでしまった事はすまないと思っている。責任は全て俺が取るつもりだ、後の事は心配しなくていい」
イリアは顔を上げなかった。彼女は唇を噛む。またこの人は勝手に物事を決めてしまう。人に気も知らないで。
「艦長の様な上官を持って私は不幸ですわ」
「俺もこんな身勝手な上官は願い下げだな」
「そうじゃなくて・・・」
「どうしたんだ?俺に言っておきたい事があったら今の内だぞ。それに君だけならば、今ならまだ戻れないこともない。本当に行きたくなければ・・・戻ってもいいんだぞ」
「私が言いたいのはそんな事じゃありません!とにかくっ」
イリアはパネルに両手をついて突然立ち上がる。そしてつかつかとロニキスの方に歩いて行き、数歩通り過ぎてから足を止めた。数呼吸分の沈黙。彼女らしからぬ長い前置きにロニキスは何を言われるのかと身構えるが、金髪の才女は彼に向き直って悪戯っぽく笑った。
「とにかく・・・私は艦長について行きます。だから艦長は私を正しい方向に導いて下さい、ね?」
「あ、ああ」
予想しなかった反応にロニキスは困惑した様に頷く。それをしっかり確認してイリアは席に戻ると話を続けた。といっても先程までの鋭い語調はない。
「それにしても本当に今回は危ないですよ。仮に無事に宿主の血液を持って帰れたとしても、それで私達の罪が軽減されるとは思えません。やっぱり、独断専行の上官を持った私は不幸ですわ」
確かに地球連邦からしてみれば、レゾニアが休戦協定を申し入れて来た以上ロークという辺境の未開惑星の存在はとるに足らないものだ。これがどこかの先進惑星ならば話はまた別なのであろうが。だがイリアの口調の明るさを知っているのでロニキスも軽く受け流す。
「その時はその時さ。今から思い悩んでも仕方無い・・・おや、ミリー。もう戻って来たのか、早かったな」
「・・・ごめんなさい・・・」
いつの間に入って来たのか、後ろにはミリーが立っていた。
「あぁ、貴方が謝るような事ではないわ、ミリーちゃん」
「でも、私達のせいでイリアさん達まで危険な目にあっているんでしょう?」
「その原因は私達にあるのよ」
「けどイリアさん達のせいじゃない。無関係なのに、それなのに・・・」
「違うわ。連邦に所属している以上、私達は無関係なんて言える立場ではないの。それに今の話、不幸だ・・・とは言ってみても、ストリームに行くのを渋っている訳じゃないんだから。これしか方法が無いっていうのも事実だしね」
本当にすまなそうな顔をするミリーに、自分の言葉がはからずも彼女を傷つけてしまったのだと気付いたイリアは慌てていいのよ、と笑顔を見せると少し前に星空の戻ったスクリーンにに目を向けた。
「そろそろ惑星ストリームね」
「あの、その惑星ストリームって一体何なんですか?」
少し後から入ってきたラティクスが口にしたのはごく自然な質問だったが、イリアは首を振る。
「それが私達にもよく判ってないの」
「我々が以前深宇宙探査を行なっている時に偶然発見したんだ。地球人が宇宙に出る以前に超高度な文明を持っていたと言われているが、実際には何も判っていない」
「それで、そこに何かあるんですか?」
「我々がタイムゲートと呼ぶものだ」
「たいむげーと?」
「そうだ。それを使って過去のロークに行く」
タイムゲート・・・すなわち時の流れを自由に行き来する為の門である。
「タイムゲートの仕組みも私達にはまだ解明できていなくて、それで立入禁止区域になっているのよ。・・・過去のロークに行って宿主から血液を入手する・・・これが私達に残された最後の手段というわけ」
「アスモデウス・・・それが宿主の名前なんですよね?」
「ああ。何でも三〇〇年前のロークに君臨していた魔王、という事になっているとレゾニア人共は言っていたが。ラティ、知っているかね?」
「ええ、名前だけなら。でも、そういう事はミリーの方が詳しいんじゃないかな?」
話を振られるとミリーは恥ずかしそうに手を左右に振った。
「私?本当は知ってる予定だったんだけど、私は・・・あの、あんまり勉強しなかったから、実は詳しくないの、全然。ごめんなさい。でもアスモデウスっていうと、北の方からやって来た悪魔で、そのもの凄い力は諸王国の軍隊でも手が出せなかったっていうわ」
「典型的なファンタジーって感じねぇ。今のロークには勿論いないのよね?」
「はい、やっぱり三〇〇年位前に倒されたみたいですよ」
「そうか・・・何にせよ、そんな奴から血液を採取しなければならないのか。簡単な事ではないだろうな」
「さしずめ魔王退治、といった所ですね、艦長。・・・あ・・・艦長、間もなく惑星ストリームの軌道上に突入します」
「わかった。降りる準備をしよう。二人は転送室に行っていてくれ。イリア、君は司令部の方へこの間作成した文書を。さぁ、急ぐぞ」
操作パネルの前で、イリアは再び、誰にも判らない様にため息をつく。惑星ストリーム。以前に一度だけ訪れた事のあるその星を、彼女達が発見した未知の扉を思い出す。今の彼女の最大の懸念は・・・
(生ける門・・・タイムゲートの守護者は私達を受け入れてくれるのかしら・・・?)
「ゲートよ!私達の願いを聞いて欲しい どうか私達を三〇〇年前のロークへと導いて貰いたいのだ 」
古代の廃虚だった。丁寧に切り出され、磨かれていたであろう石柱が地の上に積み重なり、辺りには草が生い茂っている。所々ぽっかりと開けた広場の様なものは、大地に埋め込まれた奇妙な意匠の石版。風が強く吹き抜け、上空の雲は休む暇もなくちぎれ飛んで行く。人の気配は無かった。
惑星ストリームの一面の廃虚の中で、それは見渡す限りで唯一原形を保ったままそびえ立っていた。巨大な石の骨組みだけの建物、とでも言ったらよいのだろうか。何の為に建てられたのか一瞬理解しかねる不思議な形の建物、まるでオブジェの様な。それがタイムゲートだった。
ロニキスはタイムゲートに向かって語りかける。別に気が触れているわけではない。其処には、確かに何かがいるのだ。その事を知っている数少ない人間が、彼だった。
「!」
「イリアさん、これは?!」
「静かに、これが守護者よ。恐らくはタイムゲートの濫用を防ぐために設けられた時の監視機構・・・本当に高度な技術だわ・・・」
語りかけられる言葉に反応して不意に何もなかった場所に気配が生まれ、ラティクスはたじろいだ。これが守護者なのか。
気配は瞬く間に膨れ上がり建物そのものが息づき始める。それはやがて知性を持つ柔らかなものへと変わっていった。音という伝達手段ではなく心の中に直接それ、守護者は語りかけてくる。ロニキスは用件を問う守護者に臆する事なくタイムゲートの使用目的を告げた。
守護者は暫し沈黙し、拍子抜けする程あっさりとその願いを受け入れた。
『よかろう、武器や通信機等を全て捨てよ。異世界に持ち込むことはまかりならん。ならば、門を開こうではないか・・・』
言葉が終わるか終わらないかの内に、高く澄み切った、何かが弾け飛ぶ様な音が響き渡って建物の丁度中心に力場が生まれたのが解った。
「開いた・・・?」
「私達の歴史の流れから見て、少なくとも間違いを犯そうとしている訳ではないということね、これは。でもまさか、本当に開くなんて」
イリアはこのタイムゲートをかつての古代文明が歴史を調査する為に造った、学術用の施設であると考えていた。守護者はタイムゲートがその本来の目的に沿った使用をされるべく設けられた存在ではないのかと。そういった意味では彼女達があっさりとゲートを通ることが出来るのもあまり不思議では無いのだが、やはり驚きを禁じえない。
「ひょっとしてこの中に入るんですか?」
ミリーがぽっかりと暗い口を開けたゲートをこわごわ覗き込む。時折闇をプラズマが駆け抜けるのを見て本当に?と身を震わせた。対照的にラティクスは過去へ行く、という非現実的な状況に興奮を抑えきれない様だ。尻尾がぴんと立っている。
「早く行きましょう、ロニキスさん!」
「そうだな、時間が無い」
例えるならば、ゲートは舞台の様にせり上がった円石のその中央に、回転する六角形の平面として現れている。そこに続く石段を四人は登って行き、ついにその正面に立った。フェイザーとカルナス艦への通信機を外したロニキスがまず踏み込み、それにミリーがえいっと続く。二人とも直ぐに闇に呑まれて見えなくなった。ラティクスもそれに従おうとしたが、イリアが階段に蹴つまづいたのを見て立ち上がるのに手を貸した。
そしてゲートに飛び込んだ途端、ラティクスは自分が大きな力をに翻弄されるのを感じた。体が何処かに行ってしまう・・・転送される感触に似ている様な気がしたが、確かめる暇もない。急速に意識が遠ざかっていく。
(・・・ドーン、待ってろ。今、助けてやるからな・・・)
そして、暗転。