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クラトスに帰って来た夜。
ミリーはある決意を固め、人目を避けながら町の外へと向かっていた。石畳に跳ね返る小さな足音は直ぐに周りの空気に吸い込まれてしまって、この未熟な法術師の存在に気付く者は誰もいないだろう。
衣の裾が軽く風に乗ってなびく。気持ちのよい夜であった。
「ごめん、皆・・・」
頭の中では分かっているのだ。
一人だけでメトークス山に登って無事で済む訳が無い事、そして万が一無事にたどり着いたとしても時間がかかりすぎてしまうという事。
けれど少女にはこの衝動を抑えることは出来なかった。どんな結果になろうとも自分はこの今の行動を後悔することは無いだろう。街道に出た所で、一度だけ町を振り返って心の中で自分の事を気遣ってくれた青年達に別れを告げる。
一際大きな音を立てて風が吹き抜けて行った。
「待てよ」
背を向けて歩み去ろうとした瞬間。
ミリーに唐突に声が掛けられる。
はっとしてそちらに向き直ったミリーが見たのはゆっくりと近づいてくる一人の幼馴染みであった。
「・・・ドーン・・・」
「一人で行くつもりだったのか?」
うつむいて返事をしないミリーにドーンの胸は詰まった。
どうしてこの少女は一人で何でも抱え込んでしまうのだろうか。
「メトークスに薬草を採りに行く気なんだろ?」
ずばりと言い当てられてミリーが驚いた様にドーンを見る。
「お前の考えている事なんて、何でもお見通しさ。あんな危険な所に一人で・・・」
「ごめん・・・」
済まなそうに顔を伏せてしまったミリーに、ドーンは首を振った。違う、こんな事が言いたいのでは無い、彼女の行動を責めているのではないのだ。
「顔、あげろよ」
「え?」
「元気出せよ・・・。薬草さえあればきっと親父さん元気になるから・・・、な?」
「うん・・・でも・・・」
そう、それは単なる気休めでしかない。薬草が効くという保証は何処にも無いのだ。けれど彼は言わずにはおれなかった。
「俺は、お前が悲しんでいる顔を見るのが一番嫌なんだ・・・!」
ドーンは一度視線を落とし、それからミリーに静かに、けれどもはっきりと言った。
「ドーン?」
「俺は・・・」
今言わなくてはいけない。もう、彼には余り時間が残されていないのだから。
「お前が・・・」
口ごもりそうなのをおして、あと一言、言葉を舌に乗せようとした瞬間ドーンの身体を焼ける様な激痛が走った。身体中から力が抜けて、たまらず地面にしゃがみこむ。
「う・・・」
「ドーン、どうしたの?大丈夫 」
ミリーは何事が起きたのかと金髪の青年に駆けよろうとする。
「近づくな!い、いや、何でもないから・・・」
「でも・・・あ、ちょっと待ってて、人を呼んでくるから 」
顔を歪めて苦痛に耐える人間を放っておけはしない。慌てて少女は走って行ってしまった。動転しているせいで、青年の言動が少し妙だったという事には全く気付いていない。
遠くから扉を叩く音がする。
「ラティ!ドーンが・・・ 」
再び苦痛の波が彼に押し寄せた。最後のチャンスは失われてしまったのかもしれないと、朦朧とした頭を振ってドーンは苦笑し、舌打ちをする。
「全く、いつも困った時の第一声は『ラティ』・・・なんだよな・・・」
「大丈夫かっ?」
マルトス達の事が気掛かりながら、やっとのことで寝付いた所をミリーに叩き起こされて、彼女のあまりの慌てぶりに驚いたラティクスが駆けつけるとドーンはまるで何事も無かったかの様にそこに立っていた。
「ドーン、大丈夫?」
「はぁ?何の事だよ?」
心配そうなミリーにドーンはあっけらかんとした顔でとぼけてみせた。
「だって、さっき・・・ 」
「何でもないって言っただろ?早とちりすんなよ、立ちくらみだって」
やれやれ、とドーンはおどけてみせるとラティクスにも何でもない、と笑ってみせた。
「それよりラティ、メトークス山頂に薬草採りにいこうぜ。ミリーの親父さんを助けるんだ。ミリーのやつ放っとくと一人で行っちまうから、危ないったらありゃしない」
「ミリーが?」
驚くラティクスにごめんなさい、とミリーはぺこっと頭を下げる。ラティクスは呆れながらもミリーらしい、と内心納得してしまっていた。
「そうだな、俺もこのまま何もしないと絶対後悔すると思う・・・メトークスはクールのもっと先か」
「あぁ、あそこはフェルウォームが出るから気を付けないとな。ミリー一人じゃ到底無理だよ。いいか、今度何かあった時は遠慮なんかしないで相談するんだぞ、分かったな?」
たしなめる様なドーンの言葉にラティクスもうんうんと同意し、ミリーは温かい言葉に涙が溢れそうなのを必死に抑えながら笑顔を見せて頷いたのだった。