6
その日マルトスは帰って来なかった。
夕闇の漂う時刻、駐屯所で夜勤を任された三人はとりたててする事の無い、ぼんやりとした時間を過ごしていた。夜勤というと、何故だかそれだけで楽しくなって一晩中カードゲーム等に興じる事もあるのだが、今日は今までにない静けさが部屋を満たしている。
心配の余りいつもの元気がすっかり無くなったミリーに、ドーンは掛ける言葉も無く。そして助けを求めようと窺うもう一人の幼馴染みも一体何を憂えているのか、沈黙を守り続けているのだ。
「全く、ミリーはともかくラティは何なんだよ。ぼーっとしちまって・・・」
ドーンは深々と溜め息をついた。
二日後。
「昨日もお父さん帰って来なかったのよ、私、行くわ」
「やめとけって、必要になったら呼ぶって行ってたろ」
「でも・・・もう待っていられないのよ!」
窓の外からミリーの悲痛な叫び声が聞こえて、ラティクスは何事かとドアを開けた。
「どうしたんだ?」
「ラティ・・・」
少女ははっとした様に彼を見る。満足に眠っていないのか、顔色が悪い。彼女の後ろに困った様なドーンが立ち尽くしていた。
「ラティ、お前も止めてやってくれ。ミリーがクールに行くって言ってきかないんだ」
状況が飲み込めてきた。勿論、ラティクスとしてもミリーを病気の危険のある隣町に行かせる訳にはいかない。幾らマルトスの事が心配だとはいえ、彼自身が三人がこの件に関わることを歓迎していないのだ。
「ミリー・・・心配だとは思うけど・・・」
と、軽い羽音がして真白い鳩が舞い降りて来た。伝書鳩である事を示す銀の足輪が付けられている。
ドーンが腕を差し伸べると鳩は迷わずそこに止まってじっとした。手紙を取り出す。
「これは・・・」
「何て書いてあるの?」
「あ、ああ、今読むから」
彼が広げて朗読した便箋には最悪の事態が記されていた。
《クールでの奇病は強力な伝染病だった。法術も殆ど効かない。しかも私もその病気にかかってしまった。空気感染の心配は無いが患者の肌に触れるだけで感染してしまう。潜伏期間は約一〜二時間。発病すると三日程で体中が完全に石になってしまう。もう、クールは駄目だ。絶対に近づくな。》
手紙の最後には確かにマルトスの署名がなされている。ミリーの顔から血の気がみるみる引いて行き、ドーンが彼女が次に起こす行動に気付いて制止の声を発するよりも僅かに早く彼女は駆け出していた。
「待て、ミリー!」
ミリーは直ぐに建物の影に隠れて見えなくなる。だが、ドーンもラティクスも直ぐに追いかけることは出来なかった。たとえミリーが冷静であったとしても二人は掛ける言葉を持たなかったであろう。身内が、死を逃れられない運命に捕えられた少女に一体どの様な気休めが効くというのか。
そういった意味では、彼女が駆け去った事に青年達はほっとしたのだが。
「ミリーの奴、クールに行くつもりだ」
「ドーン、俺達も追いかけよう!」
少女はただ物影で泣き崩れる様な性格ではなかったのである。
クールはクラトスの北にある町だ。出稼ぎに行く者が多い為に町には老人や女子供が多い。
町中にミリーの姿が無いことを一応確認してからラティクスとドーンはクラトスを出た。
道はきちんと整備されているものの、遥か昔この地の人々と敵対していたという魔王が送り込んだ、そしてその魔王なき今では完全に野生化したいわゆる魔物達が人影を目にする度に騒ぎ立つ本能を抑えられずちょくちょく襲ってくる。
一人で走って行ってしまったミリーは大丈夫だろうかと心配しながら彼等は道を急いだが突然視界に影がさした。
「何だ?」
怪訝そうに空を見上げたラティクスが見た物は急降下してくる蜂の化け物であった。
「うぁっっ!」
間一髪で横にかわしたもののそいつは再び上昇して突撃を繰り返す。
「てぇいっ!」
だが急降下にさえ気を付ければ何の事はない。二人は剣を振るってこの巨大蜂を叩きのめした。
「ふぅ、びっくりした。なぁドーン・・・ドーン?」
振り向くとキラービーの死体の側でドーンが苦しそうに顔をしかめている。
「怪我でもしたのか?」
「い・・・いや、何でもない。行こう」
ドーンは駆け寄ろうとするラティクスを制して立ち上がると何食わぬ顔で走り始めたので、じきにラティクスはこの事を忘れてしまった。
その後も幾度かチンケシーフ、リトルバニー、ブッシュワーカーといった魔物に遭遇したが、それらはドーンに言わせれば『ザコ』であって先日死闘を繰り広げた彼等の敵ではなかった。
が、途中、『星の船』の遺跡で休息を一度だけとることにする。少々疲れた様子のドーンをラティクスが見かねての事だったのだが、本人に言うと怒られそうなのでラティクスが怪我をした、と言って無理矢理足を止めたのであった。
「この遺跡ってさ、一体何なんだろうな?」
『星の船』が何故船、と呼ばれているのか、いや、どうして昔の人々がそれを船と呼んだのか、現代に生きる者達には理解が難しい。
大地に突き立てられた一本の杭の如く、巨大な塊はそびえ立っていた。三〇〇年前にここに落ちてきたらしいとラティクスは母親から聞かされた覚えがある。それは流線型の金属の塊であった。
改めて見上げれば鬱蒼と茂る蔓草や苔の隙間から銀色の、それが経てきた年月の割にはあまり風化もしていない滑らかな壁面が覗く。墜落の衝撃で破損したらしい縁のひしゃげた裂け目の先には漆黒が広がって、外は明るいのに覗き込む者に恐怖を感じさせた。これが一体何なのか、今日まで判っていないのはひとえに誰もこれを調べようとしなかったからである。
「こんなもんに誰が乗ってたんだろう」
感心した様なラティクスの声にドーンが答える。
「さあな、ミリーの言うように聖域の神様なんじゃないか?・・・やっぱり気味が悪いぜここ、さっさと行こう」
四半時程の短い休憩の後、彼等は腰を上げて先を急いだ。
「ミリーの奴、身だけは軽いからなぁ、もうすぐクールに付く頃なんじゃないか?」
「急がないとな」
かなりペースを上げて、ようやく辿り着いたクールの村はひっそりと静まり帰っていた。
「気味が悪いな・・・」
「皆石化してしまったんだろうか?とにかくミリーを探そう」
ラティクス達は人気の無い往来を駆け抜けて少女の姿を探した。途中二、三軒民家を調べてみたがそこにいるのはベッドの上で、あるいは床に倒れ伏して石化した人々ばかりであり、伝染病がいかに猛威を振るったのかを思い知らされた。
「お前さん方、こんな村に何をしに来たのだい?」
突然、声を掛けられてびくっとする。おそるおそる振り向くと少し離れた所に老人が佇んでこちらを見ていた。こころなしか赤い顔をしている。
「生存者がいたんですか!?」
喜んで駆け寄ろうとすると老人は慌てて手を振って彼等を押し止めた。
「あ、いかんいかん、儂に触っては。儂も感染しているんじゃよ」
「お爺さんも・・・」
「そうじゃ。儂は死んでもここを動くつもりはないが・・・この病気は紋章法術も少し気分を楽にする程にしか効かんし、もしメトークス山の薬草でもあれば病気も治ったかもしれないんじゃがなあ、まったく残念な事だよ。なにしろここではメトークスまで行ける者はみんな出稼ぎに行ってしまっておってな・・・」
赤い顔は高熱の為だったのだ。だが老人は年の功を感じさせる落ち着いた声でお前さん方もこんな所早く出ていきなさい、と勧めた。ミリーの事を尋ねると先程マルトスの居場所を教えると一目散に走って行ったという。その場所を教えて貰うとラティクス達は礼を述べ、やがて死んでいく人に何も出来ないという暗い気持ちを抱えてそこを後にした。
「!」
見事な絵画の描かれた橋のを渡った所で建物へと入っていくミリーを発見する。それをを追って二人も同じ扉をくぐった。そこで見たものはベッドに横たわるマルトスと、立ち尽くすミリー。
「お父さん・・・」
「近づくなっ!・・・私に触れてはいけない」
差し伸べられた手が止まる。
「もう、助からん」
マルトスは奇妙な程穏やかにそう言った。額には汗が浮き出て伝染病特有の非常な高熱が出ていることが見て取れるのに。
いやいやをする様に首を振ったミリーの目から涙が溢れる。
「こんな時にお父さんの側にいる事も、手を握る事も出来ないの?・・・こんなのってないよ・・・」
そのまま床に泣き崩れ、ただ嗚咽だけが洩れた。
何と声を掛ければよいのか分からなくて、青年達はただ沈黙を守っていた。それにマルトスが気付く。彼は掠れた声で二人を傍に呼んだ。
「ラティ君、それにドーン君、来てくれたのか。済まないが、娘を村まで送り届けてくれないか」
彼の最期になるかもしれない望みに、ただ頷いてドーンが一歩前へ進み出る。
「ミリー、・・・行こう」
だがミリーは動かない。マルトスが更に叱咤する。
「ミリー!」
娘は縋る様に父親を見たが、彼はそれきり瞑目したままそれ以上は一言も口をきかなかった。