5
ここで話は銀河標準時間にて数日前に遡る。
ロークから遥か離れた地球は地球連邦本部。
「艦長、司令部の方まで至急いらして頂けますか?」
長期休暇を終え、連邦本部C棟で乗艦手続きをとっていた壮年の男性は背後からの声に振り向いた。
「イリアか。司令部へ?」
「はい、至急、との事です」
一応規則で定められているので儀礼的に胸に留めた身分証明書を明示しながら、彼に声を掛けた女性はきびきびと答える。
連邦のぴったりとしたスーツに身を包んだ金髪の、若いすらりとした中々の美人であった。
「分かった、直ぐに行く」
そう返事をして再び男性はやりかけの作業に戻ったが、何故か彼女はその場を動かない。
「他に何かあるのか?イリア」
「いえ、実は私も呼び出されていますので・・・あの、一緒の方がよいかと」
「そうか。じゃあ一寸待っていてくれ、直ぐに終らせる」
受け付けの登録用コンピュータのキィを叩き、指紋・網膜照合を完了する。登録完了のデータをインプットしたIDカードが電子音と共に吐き出された。カードには《UF一〇一カルナス戦艦艦長ロニキス=J=ケニー大佐》とある。
薄いセラミック製のカードを長い指で取り上げて床に置いたトランクを持ち、彼女に準備が出来た事を知らせる。
イリアは小さく頷いて歩き始めた。
連邦本部は幾つかの建物からなっており、各施設は長く、広い廊下によって繋がれている。防弾ガラス張りの巨大な窓から遥か眼下に小さく行き交う人々が見えた。
最近は地球連合の必死の地球緑化運動によって所々緑が目立つ様にはなってきたものの、全体的な印象は灰の一語に尽きる。
眺める度に陰鬱になる街だ。
薄青い金属とも石とも言えないパネルを敷き詰めた床は音を余り反響させず、上司とその部下はざわめきの中を足早に通り抜けて行った。
黙りっ放しなのも気まずいので自然、会話が始まる。
「艦長、休暇は如何でした?」
「ここの所しばらく忙しかったから十分羽を伸ばさせて貰ったよ。まぁ、首都圏からは殆ど出なかったがね。確か君も休暇をとっていたそうだが、君の方はどうだったんだ?」
「えぇ、私は研究所の方に戻っていました。新しい論文が中々思う様に進まなくて」
イリアの言葉に、やはり、とロニキスは溜め息をつく。
「殆ど寝てなかっただろう?」
「やっぱりわかっちゃいますか」
苦笑するイリアだったがいつもの彼女からするとやや血色が悪く、目の下には薄く隈が浮いていた。
「前回の航行では仕事が多くてまとまった時間が無かったものですから・・・実はここ数日徹夜だったんです」
「論文というとあの、タイムワープに関する理論の。確か君も提唱者の1人だったな」
「はい。何分新しい分野なものですからデータ収集に時間を取られてしまうんです。根気が無いとやっていけませんよ。でも惑星ストリームの発見がありましたから」
イリア=シルベストリ科学士官。階級は中尉。彼女は史上最年少で連邦科学技術博士号を取得し、その後も数々の優秀な論文を発表して学会を驚愕させた連邦の中でも一、二を争う才女として名高い人物である。
彼女が何故、純粋な研究者としてやっていける連邦の関連研究施設での地位を手放し艦隊に勤めているのか、その明確な理由を知るものはいない。単なる天才の気紛れなのか、深い信念に基づいた行動なのか、生憎彼女のデータには艦隊への志願理由は明記されていない。
「しかし、艦隊に勤めていると研究がし辛いだろう。前々から思っていたのだが、どうして引き抜きの話の時に断わらなかったんだ?君なら断われただろうに」
「いえ、私、実は好きなんですよ、この仕事。狭い研究室ばかりじゃ気も滅入りますし」
イリアはそう微笑し照れたように髪を掻き上げた。
「艦長はどうなんです?気に入ってますか、この仕事」
「私か・・・さて、どうだろうな」
ロニキスは僅かに肩を竦ませて答えをはぐらかした。
イリアもあえて追及しようとはせず、ただくすりと笑った。
この二人は身分上は現在、所謂上司と部下の関係であるが、直接彼女が配属されたのは約一年前であり、二人はそれ以前からの知り合いであった。実際にはそんなに固苦しい関係でもない。
それにはロニキスがそれ程偉ぶらない類の人間であったという事や、イリアが周囲から一目置かれる才女であったという事も影響していたのだろうが、何故かこの二人は妙に気が合うのであった。
「それにしても、どうして我々が呼ばれたのだろう。何か問題でも起こったのだろうか?」
問題とは、前回の任務の事を指す。しかし考えてみても特に問題となりそうなことは、何一つ思い浮かばなかった。
「さぁ、私も理由は解りません。行ってみればはっきりするでしょう。司令部も気紛れですから」
疲れた様な女性士官の声にロニキスは何とはなしにだが、波乱の予感を感じた。幸か不幸かこの予感は外れない。
戦艦カルナスが地球を離れたのはそれから十数時間後のことであった。