俺達は今、再びシルヴァラントを目指している。
パージ神殿深層部で驚愕の「真実」の一片と真実の瞳を入手することは決して容易いことではなかった。だが、勿論不可能な事ではなかった。
俺達は死を賭した戦闘を幾度となく繰り返しながら旧異種族の遺跡を彷徨った末にその目的を達し、ついに魔界への扉を開く地へと向かうべくこの道を辿っているのだ。
以前と同じだった。同じ様にこの道の途中でかの村を経たのだった。
ちらちらと舞う粉雪は本当の寒さの中でしか見ることが出来ない。
灰色の空から途切れなく落ちてくる羽の様なそれらは、見事に哀しく無残な地を覆い尽くしていた。風が音を立てて地を駈ければ大きく雪煙が立つ。
何もなかった。
俺が立つのはかつてドゥルスのあった場所だ。唯一残った村の入り口を示す門を前にして、俺は、ひょっとしたらこの門の先の空間は切り取られて何処かへ持っていかれてしまったのではないかという疑問すら抱いた。それ程までにここには何もなかったのだ。
「畜生、本当に何もねーじゃないか!」
シウスが寒さで嗄れた声で吐き捨てた。
「これでは生存者もなにもあったものではないですね・・・酷い」
ヨシュアが痛まし気に目を伏せる。
ミリーが飛び出して門を抜け、かつては人が生きていたそこへ、積もった雪に足を取られながら走る。そして立ち止まった。
「嘘でしょ・・・?どうしてこんなに何も無いの?私達、場所を間違えてるのかしら」
俺はミリーの後を追ってやはり村の中心と思われる場所に立ち、ぐるりと辺りを見回した。三方向を崖に囲まれたこの地形は見間違えようもない、確かにドゥルスのものだ。
「ミリー、確かにここだよ。ここが、ドゥルスだ」
ミリーは信じられないといった風に(俺だって信じられない)ふらふらと歩いていき、首を振った。誰よりも優しい彼女はこの光景にショックを受けたのだろう。
「今日はここで野宿する?」
「あ、イリアさん。・・・そうですね、今夜は吹雪きそうですし」
「艦長達が今、よさそうな場所を探してるわ。崖の隙間に風のしのげる場所がありそうだって」
「イリアさんはこういうのって平気ですか?」
「平気って・・・平気なわけないじゃない」
「そうですよね。すいません変なこと聞いて」
彼女は俺を凝視して、俺の思いを看破したらしい。
「ああ、そういうこと。私達の文明は多分、もっと危険な兵器を持っているんじゃないかってことよね」
外套の襟を掻きあわせた。
「持っている。必要とあれば艦長はそれを使うことが出来るわ、勿論場合によるけれど」
「人って、こんなにあっけないものなんですか・・・こんな、こんなのって酷いじゃないですか」
イリアさんに言っても仕方のないことだということは解っていた。ただ、彼女の冷静さに無性に腹が立ったのかもしれない。
「弱者に価値が無いなんて、私は思わないわ」
俺は肩をそっと押された。
「さあ、行きましょう。ミリーちゃんも一緒に・・・風邪を引くわ」
その夜、俺は寝ずの番をかって、焚火の炎を見つめていた。とても眠れなかった。
「ミリー、寝た方がいいよ」
「なによ、ラティだって眠れないんでしょ?」
「うん、まあ・・・」
ミリーが毛布を被ったまま隣に座った。
「それに寒くて寝られたもんじゃないわよ。ここの方がいいわ」
それきりどちらも口を開かなかったので、枯れ木のはぜるパチパチという音だけが聞こえる。吹雪くかと思われた雪は、夜中にはすっかり止んで上には嘘のような満天の星空が広がっていた。
「ラティ」
「何?」
「絶対に魔王を倒そうね。許せない」
「当たり前だろ」
「うん。・・・ねえ、明日さ、レミアちゃん達のお墓作ろう。この村の人達みんなの」
「そうだな。せめてお墓くらいないと浮かばれないもんな」
墓と言っても何も入るものは無い。だが、形ばかりのものでも無いよりは随分とましだろう。ヴァンやシルヴァラントの調査隊はそこまで気が回らなかった様だから。
「あ、そうだ。今夜ってさ、サンタクロースの来る夜なんだよ。知ってた?」
「サンタクロース?」
そんな話をしたこともあったかもしれない。ひどく昔の事に思えるけれども。
ミリーは少し笑って先を続けた。
「そ。こんな夜に鈴のついたソリをトナカイに引かせて来るんだって。真っ赤な服を着たおじいさんが」
「じゃ、そのサンタクロースってのは還暦なんだな」
「・・・それ、ひょっとしてボケてる?」
「・・・うん」
氷よりも冷たい視線を投げ掛けられるかと覚悟したが、予想に反してミリーはけたけたと笑いだした。
「そんなに可笑しいか?」
「うん、可笑しい。よかった、ラティがいて」
「どうして」
「なんかね、怖かったんだ。私達って自分よりも強いものには、本当に取るに足らないものなんじゃないかって。そしたらドーンやお父さんのこと思い出しちゃって・・・同じことだから。でも、そんなこと関係ないもんね。私は私で、ここにはラティがいるんだもの」
そうか、ミリーも俺と同じことを考えていたのか。謎の第三勢力、彼らから見れば俺達は単なる資源に過ぎない。そして地球・・・あの星にとって、俺達の存在は一体どれ程の価値を持つものなのだろうか・・・。
そう、自らの価値は絶対的なものでなければならない筈なのに、俺はそれを他に求めていた。だから怖かった。
「実は俺もさ。俺は強くないから、どうしようもなく怖くなる」
イリアさんみたいに強くないから、その言葉は口に出さなかった。
その時、ある気配を感じた。
「誰だっ!?」
キュッキュッと雪を踏み締める音が近づいてきたかと思うと、雪明かりでぼんやりと明るい中にある人物が顔を出した。
「あなたは!」
「こんな所におるから誰かと思ったらお前さんか。奇遇じゃのう」
「それはこっちの台詞ですよ。なんでこんな所にいるんですか?」
そこにいたのはシルヴァラントのあの老人であった。
「ラティ、誰?」
「おや、可愛い子じゃの。彼女かい?」
老人にからかう様な声をかけられて顔に血が上る。ミリーにはあの変な人だよ、とだけ囁いた。
「・・・と、とにかく火にでも当たって下さい。寒いでしょう」
しかし老人は首を振った。
「今夜は時間が無いので遠慮しておくよ。ありがとう」
「こんなところで一体何をしているんですか?」
「さぁ、何をしとるんじゃろか?」
「からかわないで下さい」
「まあそんな怖い顔で睨みなさんな。年寄りはもっと大切に扱わないとのう」
「睨んでませんってば。それで何してるんですか?こんな夜中に危ないじゃないですか」
俺の追求に、老人は真っ白な髭をしごきながら困った顔をした。
「いや・・・この村のレミアという女の子を訪ねてきたんじゃ」
「あ・・・でもこの村は・・・」
「解っておるよ、お嬢ちゃん。ここにはもう何も無い・・・それは解っていてもなあ・・・どうしても立ち寄らずにはいられなかったんじゃよ。それだけじゃ」
「じゃあ、レミアちゃんのおじいさんなんですか」
「いや・・・そういうわけでも無いのじゃが・・・ひょっとしたらお前さん方、レミアを知っておるのか」
「ええ、まあ」
「そうか・・・あの子を覚えている者は皆いなくなってしまったかと思ったが・・・本当に奇遇じゃなあ・・・」
老人は泣き笑いのような顔で一人ごち、俺達に向き直ると懐から一つの箱を取り出した。
「もしよければ、これを受け取ってもらえんじゃろうか?」
「これは?」
「儂があの子にあげようと持ってきたものじゃ・・・もうどこに持っていけばよいのかわからなくての。あの子を知っている者に受け取って欲しいんじゃ」
「え・・・でも俺なんかが貰っていいものじゃあ・・・」
「いや、その方があの子も喜ぶじゃろうて」
老人は厳かに、その箱を差し出した。俺はそれを受け取っていいものかどうか迷ったが、隣のミリーが小さく頷く。
「貰ってあげようよ。その方がレミアちゃんが喜ぶっていうなら」
「・・・じゃあ、いただきます」
「ありがとう」
「開けてもいいですか?」
老人は目で肯定した。
「これは・・・!」
簡単な包装の中から出てきたのは雪明かりに輝く銀のハーモニカであった。
「ハーモニカって・・・これってサンタクロースの・・・」
「・・・知っておったのか。これはな、あの子が今日貰うはずだった儂からのプレゼントじゃ。生きておればの」
「でもおじいさんは」
「赤い服を着ていなければソリも無いと?当たり前じゃよ、そんな格好をしたらすぐに見つかってしまう。儂はそれほど派手ではないのでの」
さっきの会話を聞いていたのだろうか、老人、サンタクロースは可笑しそうに笑った。見慣れたあの笑いだ。しかし今、俺とミリーは信じられないものを見ているのである。
「じゃあ、儂はまだ仕事があるので失礼させていただくとするよ。本当にありがとう。お前さん達の行く道に創造神トライアのご加護があらんことを」
そしてサンタクロースはもう一度柔らかい笑顔を見せると、瞬きした次の瞬間にふいとかき消えた。
「消えた・・・」
改めてみれば、足跡一つ残ってはいない。
「俺達、夢見てるのかな、ミリー」
「ラティ、そのハーモニカ貸して」
ミリーは俺から夢ではない証拠にしっかりと感触のあるそれを受け取ると、「ちゃんとあるわ」、そっと唇を当てた。柔らかい音が流れ出す。
「やっぱり夢じゃないんだよな」
銀のハーモニカの音は雪に吸い込まれて響き渡りはしなかった。ただ、静かに小さな曲を奏で続ける。耳を傾けていると哀しさと言い様のない怒りがないまぜとなて心を満たす。まだ小さかったレミア。あの子に開かれた未来は果てしないものだった筈だ。
曲が終わった。
「ミリーって音感あるんだな」
「なによ、悪い?」
「いや」
そうだ、俺達がとるに足らないものかもしれないなんて、どうして思ってしまったのだろう。この村の一つの幸せを消す権利が、誰にあるというのだろう?あれは決して消されてはならないものなんだ。
俺は許さない。もう二度とこんな事を起こさせはしない!
空には星の海が、静かに広がっていた。