Lunatic Bright Light Right 3



《硬きものをも切り裂くHard Cleave【ハードクリーヴァ】》

 粉雪が舞う、ここは力の場。守護者の消えた吊り橋の向こう側で。
「ディアス、それって・・・・・・」
 日暮れが近い。首に巻いたマフラーに顎を埋め、奪われる熱を少しでも減らそうとしていたレナは尋ねた。戦いの後は特に体温が下がり易い。言葉と一緒に白い息が吐き出され、直ぐに掻き消える。
「ここに来るまでに無理をさせ過ぎただけだ。気にするな」
 輝きの殆ど失われた剣はここ数時間の死闘を物語っていた。力の場の頑強な魔物達は斬っても突いても簡単には斃れない。弾力のある筋繊維と太い骨格を持つ巨人や、金属塊同然の機械を相手どった激しい戦いに、剣は勿論、プリシスのハンマーやパンチまでもが金属疲労の危険を感じさせた。最早使い物にならない武器は、その当然の結果である。
 しかしレナは反駁する。
「でも、でもそれは私の所為でしょう?!」
「いいから早く行け、レナ。クロードがまたへそを曲げるぞ」
 ディアスは、彼にしては珍しい笑みを見せて彼女の肩を押した。
 しぶしぶ翻る常人よりもやや大きな、尖った耳。風変わりな耳の妹の命を救ったのは、利き手の中にある柔らかな微風の感触だ。
「・・・・・・か」
 白い空をふと見上げ、青年は何事かを呟いた。
「似合わないな」



「あ〜〜〜っ!」
 久々に戻った実家でお茶を飲んでいたノエル先生ははたと手を打った。
「ケルメさん!」
「は、はいっ、何でしょうか先生?!」
 普段は師と同じくおっとりとした雰囲気のケルメだが、その師の上げた声に驚いてティースプーンを取り落とした。ケルメの趣味なのか、金色リボンをあしらった華奢な食器が澄んだ音を立てる。それがテーブルの上で跳ねて床に落下するのをクロードが阻止しようと腰を浮かせたが、素早く手を出して受け止めたのはディアスだった。レナが小さく拍手を送り、セリーヌは騒ぎの張本人のノエルに非難がましい視線を送る。
「なんですの、いきなり大声を上げたりして」
「いやぁすいません。そろそろ紀要の出る時期じゃないですか!、と思ったものですから」
「・・・先生方が力の場に行く前にはもう、出てましたけれど・・・」
 ありがとうございます、と受け取ったスプーンで溶け残りの角砂糖をつつきながらケルメは頷いた。
「持ってますか?」
「いえ、私は・・・あ、別に読んでないって訳じゃないんですけれど、毎年貰ってると重いし結構かさばるので・・・」
 ノエルに不真面目な学生だと思われては大変だと思ったのか、彼女は顔を赤くしながら付け加える。こうした動作の端々にノエルに向けられる特別な想いが表れるのだが、ノエル自身はそれに全く気付いていない様子ではいはいと話を聞いている。肝心のノエル以外には彼女の気持ちが十二分に伝わっているのであるが・・・ケルメはそれについて、とうに諦めているらしかった。何とか顔色を戻して先を続けている。
「でも、どこの図書室にも、もう置いてありますよ。先生の論文も読みました」
「キヨウって、ノエルさんはまだこの大学に籍を置いてるんですか?」
 クロードが不思議そうな顔をした。確かノエルは保護区の責任者をしていて、それは大学ではなく市政側の機関に属するものだった筈である。紀要とは大学や研究所が機関自身の研究報告を対外的に行う為に発行する資料なのだが。
「今は籍なんて置いていませんよ。前に勤めていたときも非常勤講師でしたし。
 ところで、まだ、というのはどういう意味なんです?」
「いや、普通、紀要って大学とか研究所とかの研究報告を書くものですよね?」
「そうですね。僕は大学を出ましたから、当然論文を書けばここに提出しますよ。何かおかしいですか?」
 ノエルにはクロードの疑問がよく解らなかった様だ。クロードにも何故ノエルがクロードの疑問を理解出来ないのか解らなかったが、こういう時に役に立ちそうなボーマンはいなかった。しかし、エクスぺルで大学と呼べるような場所はリンガにしかなかったので、ボーマンにクロードの代弁は出来ないかもしれない。
 エクスぺルのことを思い出してから、クロードはエナジーネーデにもまた大学が一つしかないことを思い出した。
「僕の知っている大学紀要というものは、“大学に籍を置いている人”しか書かないものなんです。ここでは“籍を置いていた人”が書くものなんだなぁ、と思って・・・」
「クロードの世界には“大学”が沢山あるんだよね?」
「うん、色んな大学があるよ。僕は士官学校に通っていたから普通の“大学”には行かなかったけれど」
「いいなぁ」
 レナは心底羨ましそうに溜め息をついた。
「そんなにあるのなら、一つくらいアーリアの近くにもあったらよかったのに」
「レナさんは大学に興味があるんですか。・・・だったら、折角だから皆で行きませんか?
 この前は町の中もゆっくり見られなかったでしょう。大学なら案内出来ますよ」
「本当ですか?! 嬉しい!」
「そんなに喜んで貰えるとはちょっと意外ですけど・・・」
「・・・・・・」
 照れたノエルを見て、ケルメは複雑な表情で角砂糖をもう一つ、カップに投入した。


 エナジーネーデで大学に行く者は決して多いと言えない。
 学ぶ方法は幾らでもあるのだからそれは選択肢の一つでしかない。
 学徒と物好きはさして相違無く。だのに、
 だのに知識の鎖は疑永遠の雪に護られて永らえる。


「すごい、すごいですねぇノエルさん!」
 正門から中央棟に真っ直ぐ延びる道を、お茶会のメンバー全員は歩いていた。レナが残りの四人を引き連れている、というのがより正しい表現ではある。
「ラクール・アカデミーも大きかったですけど、ここってどの位の広さがあるんですか?」
「さぁ・・・とりあえずなんでもかんでも全部ありますからねぇ。というかギヴァウェイは元々、大学と学生の居住区で出来てる様なものなんです」
「学園都市って奴ですか」
「そうそう、それですよ」
 クロードは雪に覆われた木立の間から見え隠れする沢山の建物を眺め、レナの興奮ぶりも仕方ないか、と思った。緑のふんだんな(と言っても年の殆どは白に埋もれている)広大な敷地は、徒歩での移動が困難だとさえ感じさせる。
「なんでもって、例えば?」
「例えばと言われても・・・僕は生物とか化学とかやってましたけど、本当に“なんでも”ですよ。
 政治、経済、医学、法学、・・・他に何がありましたっけ?」
「紋章学はありませんの?」
「ありますね。それからえぇと理学とか史学とか」
「ノエルさん、生物や化学は理学じゃないですか」
「あはは、ですねぇ」
「ほかには、ほかには?」
「まだ言うんですかぁ? ・・・建築学、文学、薬学、工学、情報学、言語学、際物としては軍事防衛学も。
 基本的には何でも有りです。無いから作った、なんていう研究室や講義もありますし」
「じゃあ、お料理や掃除もあるんですか?」
「掃除はよく分かりませんけど、料理関係は栄養学なんかがありますねぇ」
「すごい! 大学ってなんでもあるんですね」
 手を叩いてレナは喜んだ。
「だからなんでもあるって言ったんです」
「それじゃあ、大きくもなるわけだよなぁ・・・」
 マンモス大学もここに極まれり、である。
「でも、この大学にも実は足りないものがあると言われています」
「そうなんですの?」
「はい」
 ノエルはベンチに彫られている意匠を指さした。奇妙な、というよりも面白い生物を模したものであった。
「これは、校章です」
「この像って確か正門にもありましたよね」
 レナがその彫り物に触れながら言う。金属製のそれは外気に冷えきっていたので、直ぐに指を引っ込めたが。
「はい。一説には、既に絶滅した高等知的生命体だとも言われていますが、それにしても、どうして大学のシンボルがこんなに面白いのか・・・。エナジーネーデ七不思議の一つとも言われています。
 まぁつまり、大学に足りないものはセンスだと」
「はぁ・・・」
「そうなんですか・・・」
 冗談なのだろうか? 何ともコメントの仕様がなく一同沈黙したところで、ノエルは尋ねた。
「とりあえず、どこから見ましょうか? ・・・と言っても分からないと思いますから、適当な所から始めちゃいますね」


 案内された中央棟には、学長室を筆頭に事務、教務など大学の運営にかかわる施設と、幾つかの研究室や講義室が入っていた。ノエル曰く、中央棟に研究室を構えている教授達はかなりの発言権を持っているとか。ここの助手はおっちょこちょいで、とか、ここの教授は学長の弱みを握っていると聞きますねぇ、などと、研究室を一つ通りがかる度にノエルは色々と話してくれた。案外噂好きらしい。
「ここは、特に古い時代の貴重書が置いてある図書室です」
 奥まった場所にある図書室は、十分に暖房の効いている他の場所に比べて少し温度が低く乾燥していた。
 入り口の床にはBookという文字と、本を持ったキャラクターが淡い色合いで描かれている。この大学は何かとキャラクターを作るのが好きな様だ。受付のある辺りから一見するとこぢんまりとした印象を受けるが、古めかしい書架は複雑に入り組んでどこまでも続いており、図書室としてはかなりの蔵書数であることが窺える。
 閲覧用の机では、学生が山のような資料に埋もれながらレポートに精を出していた。
「結構広いですけど、図書室はここだけですか?」
「いえ、専門毎に幾つもありますよ・・・あ、チサトさん」
「あら、みんなも来たの」
 近くの書架の陰から赤毛が覗き、メモを手にした新聞記者が眠たそうに手を振った。仕事と正義の味方の両立は中々に大変な様である。
 ご苦労様です、と声を掛けてからノエルは受け付けに置いてあった時計を見て、時間の経過具合に気付いたらしい。レナ他三人の方を見て言った。
「それじゃあ、ここらへんで自由行動にしましょうか。後は適当に宿に帰るということで。
 僕も用事がありますし」
「なら私は、買い物をして参りますわ」
「わかりました。僕はここで本を見てみるよ・・・レナはどうするんだい?」
「他の所を見に行ってみる。クロードも一緒に行かない?」
「ごめん、少し調べてみたい事があるんだ」
「そう・・・なら、後で一回戻ってくるから、その時に終わってたら行かない?」
「うん。早めに終わらせるよ」
 微笑みあう二人に、熱いですわ、と呟くとセリーヌは去っていった。
「ディアスはどうするの?・・・あら、どこに行っちゃったのかしら?」
 周囲を見回したレナは、遠くの方に見慣れた長身があるのを見つけた。
「何してるのかな」


 何となくレナに連れてこられたいういささか情けない成り行き。彼にしては珍しく気を回して、というよりも面倒で、どこかうたた寝でも出来る場所はないかと書架の奥に足を向けていた。所々に座り心地のよさそうな長椅子が置かれていたので、一番人目につかなそうなのを選んで横になった。重なり合った紙の匂いは悪くない。
 そこは丁度、ネーデからエナジーネーデ移行期の史実に関する数少ない書物が収められた一角であった。
 公共図書館ならば十賢者の情報を求める人々が佇んでいる様な区分だが、ここは一切データベース化されていない、使い難さで有名な大学図書室。学生は大抵、通信網を介してノースシティにあるエンサイクロペディアを利用するのでここを訪れるものはあまりない。
 だが意識の途切れが回復すると、本を抱えたチサトが見下ろしていた。
「ちょっと、こんな所で寝ないでよ。私が使うんですから!」
 身体を起こすと隣にどさり、と分厚い書籍が幾つも下ろされた。「寝るんだったら退いてくれない?」とチサトは腕を組んで不届きな利用者に宣告する。眠いのに寝られない彼女自身の恨みもかなり混じっているだろう。
「そんなに眠ければ、もっと別の所に行って頂戴。
 でも、手前はやめた方がいいわ。多分注意されるから」
 この男を怒る度胸のある者はいないだろうと思いつつ、しかし忠告してしまうのが人の良い彼女なのである。


 各棟に散在する専門分野別の図書室とは違い、ここは完璧な情報保存技術が確立される以前に出版された、しかもネ−デからエナジーネーデへの移住、というネーデ文明一大転換期の百数十年間に限定して著された書籍の全てが置かれている。これは“同年代”として数百、数千万年の単位が容易に括られてしまうネーデ史の時代区分としては異常なものであるが、れっきとした理由がある。
 何故かこの時代の刊行物の殆どが残っていない、という理由が。
 移住の際に何らかの不手際があったのか、意図的なものであったのか、理由は定かでない。しかしこの時代に発行された書籍が、その全てを掻き集めてもこの決して大きいとは言えない図書室をさえ完全に満たしてはいない事、それだけは事実だった。最上段も最下段にも一冊の本すら入っていない。
 更に不可思議なのが、膨大な量になるだろう逐次刊行物の類である新聞や雑誌が一切残っていない事である。後に発行される筈の縮小版やその時期の年鑑も無く、出版物の空白期とも言えるこの奇妙な時代は、その奇妙さ故に一つの《図書室》を与えられるという破格の待遇を受けていた。例え利用者が僅少であったとしても。
 書架に収められた図書は、同じ頃に発行されているにもかかわらず装丁の新しいものがあれば、今にも崩れてしまいそうなほど古いものもあった。全ての本はその原子配列記録(実際には分子単位の情報に圧縮されているものもある)である“構成情報”が記録された時点での姿を持つので、見た目では年代の容易な判断は出来かねる。
 古くなって利用に無理が生じれば、司書は何度でもその図書を再構成して取り換える。
 だからこの貴重書の宝庫は、大学が開校されてからずっと時の動きにくい場所であった。偶然新しい構成情報が発見される、等の微々たるコレクションの変動から全く動かない、とは決めつけられないが。

 貴重書の件を別にしても、ギヴァウェイ大学の専門図書室集合体=大学図書館とは大変興味深い施設である。
 この図書室に限った事ではなく、データベース化されていない大学図書館をエンサイクロペディアと比して使い難い、遅れている、と言う者は多い。確かに内容がコンピュータで閲覧出来る訳でなく、各図書室を一々訪れなければ図書を利用することが出来ない。だからキィワードを含む文章をまとめる事はおろか、それを主題とした蔵書を特定する事すら出来ない。辛うじて機械を用いる事が出来るのは、最低限の情報しか持たない蔵書目録のみ。
 しかし現在に至るまで、誰もそのシステムを直そうとはしなかった。人々の内で学術機関の図書館が使い易くてもよいことはないという、見解の一致があったからなのか。それはエナジーネーデの発展速度をただ徒に早めるだけに過ぎない・・・加速度的な発展は、停滞よりも破滅に近いという、そんな不文律でも存在したのか。
 エナジーネーデの安定と引き換えに学徒達は不親切な図書室に嘆きながらレポートを綴る。
 見つからない資料。
 不足する情報。
 伝達され損なう知識。
 記録として残されていたとしても、情報の殆どは個々の市民の目の触れない場所に存在する。
 だから同じ研究は時代を越えて幾度も幾度も幾度も繰り返され、同じ結果を何回もはじき出す。
 安定の対価は様々な、一寸した不便さの積み重ねの連続だとでもいうのか。そんな小さな悲喜劇が延々と続けられ、時間はきつく螺旋を巻いて、それでも辛うじて前進していく。
 ただし、身の不運を嘆くしか出来ない者達は、この場所こそが一個の厳選され集積されたデータベースだという事に気付かない者達でもある。
 ネーデの歴史は、あまりに長いもので、しかも記録の保存法が確立されてからの期間が圧倒的に長い。つまり現存する資料の量は天文学的数字に上り、必要な情報を見つけるのが実は難しい。
  大海から最も美しい鰯を探せと言われたら、困惑するだろう。同じ事だ。
 歴史はその長さ故に幾度もの人災、そして天災に見舞われ、ネーディアンの英知はそれなりに失われた。だが流される血は新たなる造血に勝らず、文明は歴史と共に成長し続けたのであった。そして大学は成長し続け、寄り添う図書館もまた同じであった。制限された機能の中で、学術に向く様に特化された。
 だから大学で学ぶという点に於て、この図書室は、実は便利と言われるエンサイクロペディアに勝る。
 公共図書館であるエンサイクロペディアには新しい書籍や需要の高い情報が配架され、または内容をコンピュータに認識させる処理が施されて様々な操作利用が可能である。その分、“構成情報”から全く展開されていない、つまり識別記号を指定して請求しない限り内容確認の出来ない記録が圧倒的に多い。
 対して大学図書館はその専門毎に《図書室》という形で独自の分類法に基づき情報を整理、集積している。基幹となるのはエンサイクロペディアが使用しているのと同じ《ネーデ全記録資料“構成情報”データベース》であるが、そこから展開・再構成されるのは《真に厳選された》専門書、専門雑誌はもとより画像記録、音声記録、テクニカル・レポート、博士論文、更には種々の用途のプログラムや諸々のデータベースそのものにまで及ぶのだ。
 全ての利用者に求める資料を提供出来るように。
 そして全ての資料に利用されぬものが無いように。
 それは何処でも、限られた空間しか与えられない書を司る者の願う事である。歴代の専門司書達が選書に選書を重ねた蔵書達は、その一冊一冊が気の遠くなる長さのネーデ史そのものに匹敵する価値を持つ。
 意図的か否かにかかわらず、莫大な情報に学徒が溺れないよう守ってきたのは《図書室》であった。
 実に不思議で誇られるべき効用ではないか。
 その事実を知って上辺の簡便さに惑わされない者達は、ここに資料を求め、或いは同時に巨大な二次資料、三次資料として、この《図書室》群を頻繁に利用する為に足を運ぶのである。


 そんな《図書室》もディアスにとっては単なる昼寝部屋でしかない。
 チサトに追われた彼が安眠できる場所を求めて歩いていると、木製の書架の谷間、どこからか聞き覚えのある声が流れてきた。ひそめた小さな声は無数の頁の重なりに吸い込まれていくが、歯切れよく聞き取りやすい。
「───実験器具に紋章を付与し実験系を外界と分離、孤立系とすることで、紋章力の拡散を抑制するレザード式練金法でのみ生成し得る重魔法鉱物の中で有用なのが──────その特性は紋章律の大シンボルに従う為──────紋章と重魔法鉱物の相性を以下に示した───参考文献──────」
 書名すら判読できない本を閉じて書架に戻すと、『新・立体紋章論と物性』と書かれたやはり古そうな本を取り出して索引を捲る。やがて目的の頁を発見すると、彼女は録音機のスイッチを入れて再びヴォイスメモをとり始めた。
「──────k2-l6,+6┐4、親和係数、RD5.555、PHI0.083、M9.588───以下省略、第8章を請求すること。
 ・・・9.588、か」
 近づくと、静かな空間には結構な音が響く。古めかしい大きな脚立の上で考えに耽っていた相手はかなり驚いたのか、筆記具状の録音機を取り落とした。傷跡の多い右手が一瞬宙を泳いだが、ディアスはそれを受け止めずにただ見送った。
「・・・・・・吃驚した」
「何をしている?」
「見れば分かるだろう」
 防寒用の襟の高い服に頑丈な編み上げ靴を履いた姿は、ギヴァウェイにあっては全く珍しくないものであったが、しかし学生とも研究者ともつかない雰囲気はこの学舎と異質だった。尤も、ディアスの方が余程異質ではあるのだが。
 寒気対策の為なのか髪は下ろされており、水の流れの様なそれは、思ったよりも長かった。
「解らんな」
「じゃあ説明しても解らないだろ。
 “カノ2,ラグズ6ー6交叉4求心屈折型”混成紋章力場におけるミスリルの雷物質(サンデルマター)吸着、そのエネルギー選択幅の係数が手持ちの資料と違ってるみたいでさ。自分で実験値を出してみたのはいいんだが、誰も研究してないから同意を求める相手がいない。今のと違うってことは、昔の本なら正確な数値があるかもしれないと思ったんだが、遡っても遡っても見つからない。あんまりエンサイクロペディアのレファレンサーにせっつくのも可哀相だと思ったから、極め付けに古いものを調べに来たんだ。
 つまり、探し物をしていた」
「・・・・・・」
「・・・人が自分の母校にいて何が悪いのさ、あんたがここに居るほうが余程おかしいよ。
 何か用事でもあるの?」
 本を片手にぎしぎしと脚立を降り、床に転がったものを拾う。武器職人は疲れた顔でぼやいた。長時間こんな場所にいたのか、乾燥した空気に声が一層擦れている。眼は、これ以上は無いと言う程に血走っていた。
「あぁ。丁度よかった」
 ディアスは長々しい説明をまるで聞いていなかった風に、腰に下げた剣を外すと相手に渡した。
「不具合が生じてな」
「これはまた」
 彼女は鞘から抜いた刃に人差し指を当て、軽く引くが薄皮一枚に微かな傷がついたのみ。 まだ一週間と経っていないのに、すっかり切れ味というものが失せていた。おまけに半分より先が無い。不思議な出来事に好奇心を抱いたのか、ざらりと荒れた感触に不快感を覚えたのか、立派な眉が顰められたが直ぐに破顔した。
「凄いなあ、凄い! こんなのは見たこともないよ」
 背を向けると狭い通路なのにも頓着せずに、片手で大きな傷のある柄を握って何度も振った。ディアスは黙っていた。勢いのついた剣の重さに多少手許は覚つかないが、少なくとも握り慣れている事に気が付いたのだ。
 やがて彼女は、動きを止めてひっそりと言った。
「俺は、あんたにはひどい鈍を送呈したみたいだな」
「いいや」
 否定する。真面目に言ったつもりであったが、ふとレナの言葉が脳裏をよぎった。『ディアスはちょっと言葉が足りないのよ。あと一言付け加えるようにしたら、きっと皆とも、もっと上手くやっていけるわ』そんな事を、前線基地で言われた事がある。温かなお節介というものだ。人を思いやる方法などとうに忘れてしまったが、この何ヶ月かで少しは思い出した。敵でない人間と上手くやっていくのは、悪いことではない。
 それに、自分はこの武器職人に、もっと言うことがあったのだ。
「俺は礼を言わなくてはならない。それのお陰で大切な仲間を一人、守ることが出来た」
 レナを捉えた守護者の攻撃を、顎の様な関節に剣を突き立てることで阻止出来た。それは咄嗟の判断であったが、硬く鈍い音を立てて刃が砕けた時に総毛だったのを思い出す。
「仲間の代りに、その剣が折れてくれた」
「これが、人を・・・・・・そうか、よかった」
「色々と失礼な事を言ったのを詫びさせてほしい。真実がどうあれ、言うべきではなかった事だ」
「謝る必要なんて、もうどこにも無いよ」
 図書室で相対している。相対する、構図自体は前と少しも変わっていないのに、この刺の無い雰囲気は何だろう。静かで温かい、充実した。背中を向けている彼女の持つブリーズホープに目をやると、充血はしているが蒼い眼がぼやけて映り、こちらを見ていた。きっと彼自身のアルビノもかくやという虹彩も同じ様に映っている筈だ。この視線のぶつかる点は紫色なのだろうか。
「これは引き取っていいのかな?」
「いや」
 ぼんやりとした蒼い影がブリーズホープの上を凝視していた。
「もしも修理が出来るのなら、頼みたいと思った。時間はかかっても構わんし、勿論、代価は払う」
 一呼吸の間をおいての依頼に、これは予想外の申し出だったのか、動作の止まった彼女は意味が解らなかった様であった。無理もない。ディアスは少しだけ同情してから驚いた。よくも自分に、随分と普通の感情が残っていたものだ。
 彼女は「何故」とは言わず、別の事を尋ねた。
「一体これで何を斬った?」
「力の場の魔物を」
「どの位?」
「普通に」
 どこか遠くを見ている様な、心ここに在らず、といった笑われ方をされる。
「そんなことで壊れる様な武器でも、あんたはまた使いたいと思うのか」
「そうだ」
「嬉しいな。ただ、それだと何度修理したって同じ事だ。 もっとよく話を聞かせてくれ・・・何をどういうふうにぶった切ったのかを。色々と検討しなけりゃならない事があるが、それさえすればもっと使えるものを造ってやれる」
「受けて貰えるのか?」
「あぁ・・・当然の事さ。じゃ、場所を移そうか」
「ありがたい。だがその前に一つ、訊いておきたいことがある」
「何」
「名を知らない」
 本当だった。初めに話した時には訊きたいとも思わなかったのだから。だが頼み事をした以上、知らないという訳にいかない。
「今まで要らなかったのに今更? 嫌だね」
「そういう訳にはいかない」
「わかったよ」
 黒い外套と長髪と、風変わりな耳とが翻る。レナと似たようなコントラスト。意識が現実から逸れた一瞬に、いつの間にやら鞘に収まった長剣を抱え直して彼女は短く自分の名を告げた。それからミラージュは微かに肩を竦めた様だった。
「訊いたからには覚えといてくれ、また自己紹介するのは御免だからな。行くよ」


 『代金が正当に支払われた場合以外において、クロード一行に武器を供給しない様に』
 代金。正当な代価。
 代価とは何か。
 そんな事はともかく、名前を教えると、何となく逃げられなくなる気がするのが嫌だ。


「あんたの使い方に合う様にカスタマイズする。この街を出る迄に時間はどの位ある?」
「明朝、発つ」
「急いだ方がいいが、それだけあれば何とかなる。問題は場所だけど・・・」
「武器の製造は禁止されているのではないか?」
「あぁ。だが神聖なる学舎はね、一種の治外法権でもあるのさ・・・不思議なことに。
 それに製造じゃなく、修理だから」
 抑えた色合いの赤い絨毯に柔らかく窓から光が射し込み、外の寒さを忘れさせる。工学系の研究室が入っている棟を確かな足取りで進みながら、彼女はディアスがろくな反応を示さないのに頓着せず、独り言の様に喋っていた。
「フィーナルが落ちて、そこから仕入れる筈のものがごっそりと無くなった。
 それに気付いたのと、まぁ色々あって、丁度手が空いていたからここに調達しに来たんだ。調べものはついででね」
 機能性材料調整室と掲げられた広くはないが狭くもない部屋に辿り着く。
「待たせて悪いけど、先にこっちの用事を済ませさせてくれ」
「ああ」
 薄汚れた机に沢山の硝子器具と金属片の数々に、ノースシティの研究所で見た様なディスプレイが幾つかあり、部屋の角には錆だらけのロッカーと圧縮ガスのシリンダー。別の角には傷一つ無い銀色の扉。古めかしいのか新しいのか判然としない空間でネーデ人によく見られる若葉色の髪をした女性が一人、機械の長ったらしい積算処理でも待っているのか机の隅で頬杖をついている。
 待っててくれ、とディアスに指示してミラージュは彼女の隣に立った。
「あれ、こんにちは。・・・この忙しいのにやっぱり来たんですね」
「ああ。メリィ、後生だからCmn15〜30番の機能分子を分けてくれないか?」
 疲れた顔で、メリィ、と呼ばれた女性は手を振った。
「その件なら何度もお断りした筈です。Cmナンバーズは生成に特別手間が掛かるって知ってるでしょう?
 ウチにもやっとこ作ったのが5gあるかないかなんですから」
「そんなに溜め込んでるなら尚更頼むよ、10μでいいから。
 何賢者か知らないけどフィーナルの製作所が全部止まってるのは知ってるだろう」
「二十だろうが三十だろうが知ったこっちゃありません」
 白衣の袖を気怠げに大きく振りあげ、机に落下させると女性は断言した。相当に機嫌が悪いのであろうが、憔悴もしている。
「駄目なものは駄目です。フィーナルが落ちたって言われましても、仕入れがきかなくなったという条件としては、こちらも同じなんです。まったく、一気に材料が入ってこなくなった所為でそんな事も考えられない連中から打診がガンガン来るんですよね。一昨日は防衛軍に、ヘラッシュの調整に使うんだとかで紋章錯体を軒並み持ってかれましたよ、しかも学生ごと! これ以上の貴方の様な手合は断わらないと、教授に殺されるのは私なんです。それ以前に過労で死にますが」
「それでもここには、他では手に入らないものがある。ケチだね」
「あのねぇ、こんな研究室レベルの設備でナンバー全部揃えるのに私がどれだけ残業させられてるか知ってるんですか? お金で買えるものじゃないんだから当然です。しかも15〜30を10ずつって・・・結局150も持ってくって事じゃないですか! そんなに大量に!!」
「じゃあ5でいいから」
「だ・め・で・す!!!」
「いいのかねぇ、設計主にそんなこと言って。ここに俺が作り直したCmn5の設計図があるんだけど」
 組んだ腕を解いてディスクを取り出した相手に、女性の顔色が変わった。ディスクをミラージュの手から奪い取ると読み取り機に突っ込んで、画面に見入る。
「冗談、5って欠番・・・マジですか?」
「嘘ついてどうするんだよ」
「ミスリル薄膜上のダイレクトな回路形成なんて、ホントに動くんでしょうね?!」
「さぁ? 理論上はとりあえず動いた。少なくともうちのシミュレータでは」
「バグってんじゃないですか?」
「バグってるのは多分そっちのやつ。ミスリルの係数をこっちの実験値で直したら絶対動く。
 ・・・ていうか5番を持ってくるのが本件なんだけどね。これがあれば3、4、7番は必要無くなるからって、先生に頼まれたから。
 ただ微妙なもんだからモノだけ送るのはどうかと思ったし、何なら調整にも付き合おうと思ってたんだけど」
 辛辣な言葉を投げていたメリィにやっと理解の色が浮かび、長い溜め息をついて目の前の机に額をぶつけた。景気のいい音がする。余程疲れているらしいが、ディアスが十賢者の所為でこんなに参っているネーデ人を見るのは初めてだったかもしれない。
「なんだ、そうだったんですか。そんな話聞かされてませんでしたよ」
「でも、そっちの気前があんまり悪いんだったら、帰ろうかねぇ。足代も出してくれないんだから。
 言っとくけど俺は善人じゃないんで、貰うもの貰えないなら帰るよ」
「勘弁して下さい・・・本当にここの材料は行き先が決まってるから死守しないとまずいんですってば。
 全部フィーナルの所為なんですよ? 欠落した動力系の再編成には巨大基板使うし、賢者連中が妙なエネルギーフィールド作るから遮断された気候制御システム多数で応急の増設計画が進んでるし、フィーナルのトランスポートだって事が終われば中身ごとそっくり造り直し。トランスポートだけで済むかどうか。
 エナジーネーデのインフラがこんなに打撃を受けるなんて前代未聞じゃないですか。その上フィーナルがそっくり使えないから、回路形成の材料を作れる場所で稼動してるのはここだけ。他の人達は手が離せないし飛ばされるし、先生はセントラルシティに行ってて不在。私の裁量でどうしろっていうんです・・・」
 メリィは泣きそうな顔で一気にここまでを言い切り、後ろの方で傍観していたディアスに充血した双眸で訴えた。
「ちょっとこの人に何か言ってやって下さいよ。こうやっていつも研究室から略奪してくんですから!」
  今の長台詞は彼への説明も兼ねていたらしい。 しかし彼には特に言葉が見つからなかった。
「貴方も敵なんですね・・・」
 沈黙を別の意味に解釈してはらはらと涙を流しかねない勢いの彼女の攻撃は功を奏した。略奪者は困った顔をして譲歩したからだ。
「仕方ないな。じゃあ1にまけてやるから、工場と基礎材料を借してくれよ。これなら安いものだと思うけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 ・・・ま・・・・・・まぁ、それくらいなら何とか・・・。
 生成用の機械は2台動いてますが、今日は誰も入らないから他を使うのは構いませんけど・・・変なことしませんよね?
 あぁ、答えなくていいです。こっちに被害がこなければ、何をして下さっても結構ですから」
「話がわかるね」
 それが目当てだったのだと、嬉しそうな目が物語っていた。相手の方が一枚上手だった様だ。最初にふっかける、これぞ交渉の極意。設計図のディスクを取り出して仕舞うと、どこか釈然としない表情でメリィはストック溶液の希釈を始めた。
「・・・博士、0.5くらいにまかりませんか?」
「0.9」
「0.6」
「0.85」
「やっぱり0.65までしか・・・」
「0.8」
「私に首くくらせるんですか? 鬼、悪魔、ケチ!」
「ったく、ケチはどっちだい。0.7」
 言い捨てたミラージュは奥の扉を開き、ディアスは呼ばれる。その部屋の中は非常に明るく、白かった。
「お見苦しくて済まなかったね。だが彼女にも同情の余地がある。エナジーネーデは街ごとに機能が集中してるから、どれが欠けても結構深刻な事態になるのさ。ま、連中がファンシティでも乗っ取ってくれればここも平和だったんだが」
「・・・構わん」
「土足厳禁だから履き替えて、そこに座って」
 彼が座るのを見届けると、相手も腰をかけた。
 その姿は、細工師でも武器職人でもなく、何故か医者を連想させた。医者にかかった事は少なくないから、きっとその印象は正しいだろうとディアスは思った。人ではなく、剣を癒すのだ。赤くて蒼い眼が少し笑った。
「さて、待たせたね。
 カスタマイズするからには、あんたに合った様に造らなければならない。
 色々と調べることがあるから、協力してくれよ」


 翌朝に彼女が宿屋のフロント気付で寄越したのはハードクリーヴァという、ブリーズホープの刀身と虹色の鉱石を用いて造られたものであった。
 しっかりとした造りの直刃の剣は、どんなに固いものでも打ち砕くという。
 朝の厳しい寒さの中でハードクリーヴァを手に馴染ませながら、“ソーサリーグローブが落ちた時”を、彼は考えた。
 自分は一体何をしただろう?
 レナと出会う前の自分は、目的の無い殺戮を重ねていただけではなかったか。
 とすれば。
 少なくとも自分に、この地の人々を罵る資格はあったのだろうか。
    ────── 赤い眼をした、人々を。
 雪はゆっくり降っている。多分明日も明後日も。


→Next







後書きですが、もう言葉が打ち止めという感じです。

書きたい事は全部書きました。まとまらないのはもうどうしようもないです。
でも本当に・・・まとまってないですね・・・。
ちなみにほのぼの、ではなく甘々になりました。ケルメさんの紅茶が(爆)

ディアスもなんとか出てきたし、よかったです。
でも、今回は殆ど脱線していたな、という自覚はあります。
気合いは入れたのですけどね。
一度UPしたものは恥ずかしくて読み返せない性質なので、話に整合性が無くなっていなければよいのですが。

という訳で以下は脱線内容についてです。


エンサイクロペディアとギヴァウェイ大学専門図書室集合体=大学図書館>

知り合いに読まれたら笑われそうな内容です。
あと、用語関係の方は誤用などがありそうですが、図書館関係の方には謝っておきます。あくまで一プレイヤーの戯言ですので。でも、それでも懲りずにエナジーネーデ図書館ネタはまた書きたいです。
エナジーネーデにおける図書館考察は全く楽しいので。
というよりもエナジーネーデでいかにして図書館制度が成立しているのかが気になっているだけなのですが。
日本の国立国会図書館の蔵書数が727万冊ですからね。どう考えてもエナジーネーデの歴史の長さから見て普通の図書館が成立する訳ないでしょう、と思ってしまうのです。スペースの点でも、方法の面でも。
37億年前のシークレット情報が残っている時点で既に怪しさ大爆発。
そんな事をいちいち突っ込んでもしょうがない、という事は承知しているのですが、ゲームの様な状況を仮定するのが面白いんですね。
メディア論とか資料組織法とか、想像するのが結構楽しいのです。
ちなみにエンサイクロペディアが公共図書館なのかは謎ですが、とにかくハイテクらしいので国会図書館と公共図書館を兼ねた様なものだろう、と推測しました。

図書館と言えば、リンガの図書館が開架式でしかも誰でも利用出来るあたりが凄いです。
ラクール・アカデミーって太っ腹と言うか懐が深いと言うか。
あとエクスペルの文化水準が相当高いということが解りますね。
まぁ閉架式だと入れないし閲覧できないのでゲームとしては全く面白くないでしょうけれど(笑)


機能性材料調整室>

この辺りはオリジナルもいいところの設定です。
当然、物の名称などは全て適当です。
十賢者の所為で本当に大変な人達もいるだろう、という事が書きたかった、その舞台に過ぎません。
遊んでいるネーデ人ばかりではないでしょう、ということです。
ゲーム中でフィーナルからの避難者がいなかった様に思いますが、フィーナルというのはどんな機能を持った都市だったのでしょうか。私のイメージとしては工業など第二次産業系都市なのですが・・・。
ミラージュさんはギヴァウェイ大学に行ってたと思います。
部屋にも修士博士連中の集合写真の様なものがあった様ななかった様な。


ディアス>

ディアスは飯と就寝が趣味なので、寝ない人間が理解出来ないのではないかと勝手に思っています。



本当に混迷に混迷を重ねている気がします。どこに行き着くのだろう・・・。



趣味でどうしてこんなに消耗するのか(汗) 00.08.31 11:51 P.M. 良



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