KALos EIDOs VISIONary
▼Scene 01:惑星リーズにて_1
「・・・・・・何か妙ね」
敬愛すべき所長がそんな言葉を洩らしたのは、動きを止めてから数千年は経っている古代装置の調査途中。順調に続いた作業が三体目の遺物に向けられていた時だった。
「変わったものでも見つけたんですか?所長」
たまたま近くで作業していたアレイン=フォッグ士官候補生はすかさず問い返す。本来ならば戦艦で研修を行う筈が、何故か研究所所有の調査艦に配属されて半ば作業員化している青年であった。
「ひょっとしてこれが何なのか解ったとか!」
掴んだ話のきっかけは最大限利用するべきであった。何故ならば疑問の言葉を呟いた人は彼の密かな憧れの対象であったから。しかし怠けているのでない証拠に手は止めず、降り積もり水を含んで硬くなった土を払い落とす、単調な作業を続けている。
「そうだったらいいんだけれど。ねぇ、あなたはこれが変だとは思わない?」
琥珀色の瞳が向けられ、意見を求められた。調査艦にいる時はこんなに身近で話をすることが無かったので、アレインは緊張しながら思考を巡らせる。相手の期待に沿う解答をしなければ。自らの愚かさを露呈する事態だけは避けたかった。
しかし残念なことに経験の浅い彼は遺跡調査など初めてで、《何かが変》という様な勘の持ち合わせは皆無である。
「え・・・」
一瞬の間に視線を彷徨わせて必死に答えを探す。とにかく何か答えねばと、所長の手元に目をやったときにふと目に止まったものがあった。同時に、まったくもってありがたいことに、彼女と同じ思いに捕らわれる自分を感じた。
「確かに変ですね。まるで誰かが先に来てたみたいな」
装置のあらゆる窪みには土が詰まっているが、白い指の置かれた操作盤と思しき面では地の黒光りする石がよく見えている。今までの装置に無い特徴だった。
「やっぱりそう思う?でもここに調査が入ったのは今回が初めての筈なのよねぇ」
「では、住人がいるんでしょうか・・・」
ふんわりとした茶色の癖っ毛を傾げてアレインはちょっと考え、有り得ない話だとそれを否定した。
「走査結果では知的生命体の存在は認められなかったですから、何かの動物の仕業じゃないですか」
「こんなに綺麗に、丁寧に?」
「・・・えぇ、まぁ・・・」
馬鹿なことを口走ってしまったと早速後悔したが、所長は小さく笑っただけだった。けれどもやはり、気になる事だったのだろう、手持ちの端末にはしっかりとこの異常を書き込んでいる。いや、僕の失言を記録しているのだろうか?落ち着かない心境を振り払ってアレインは作業に集中することにした。
▼Scene 02 :------
紋章科学研究所が設立されてからはや六年が経つが、今まで全く研究されてこなかった分野である為に研究所の活動と言えば紋章術文明の遺跡を片っ端から調べていく事だった。レゾニアとの関係が未だ安定していない事も関係して地球連邦は《紋章》という新技術に非常に敏感であり、研究所には潤沢に資金がまわってくる。
だからそれこそ手当たり次第、研究員達は紋章遺跡発掘を続けている。最近では子育てに一段落ついた所長自らが宇宙を飛び回っているのであるが、その甲斐あって漸く《紋章科学》という分野が認知されてきた頃でもあった。
そう、紋章『科学』である。研究が始められた当初は紋章術を現代自然科学的に解明する事が研究者達の目的だったのだが、研究が進むにつれ、彼等が紋章術と捉えていたものは『紋章』のほんの一端に過ぎないということが明らかになってきたのだった。古びた遺跡から見出されたそれは、自然科学と同じ規模で広がった別体系の世界としか言えないものだったのだ。当然、研究は雲を掴む様な、余りに巨大すぎるパズルのピ−スを一つ一つ拾って行く作業にも似たものとなり、それはいつ果てるともない地道な研究の連続である。
▼Scene 03 :惑星リーズにて_2
紋章科学研究所の今回の調査対象である遺跡は青天井の下に広がっていた。建造物は殆どが崩れ去り、ぐるりを囲む山々がすっきりと見通せるのは作業者を哀しくさせる程だった。暗色系の瓦礫が多い所為で大地は黒と緑のコントラストに彩られている。この星に季節があるとするなら、心地よい湿度の爽やかな空気に名を付けるならば、それは『春』。
「保存状態が良いとは言い難いけれど、今までに無いタイプの紋章遺跡」
語尾に八分音符の付きそうな口振りで所長は愉しげに記録を付けている。確か、とアレインは彼女の一人息子が学校に通っている事を思い出した。こうして彼女自らが発掘を行う様になったのは割と最近になってからなのだと先輩格の科学士官から聞いたことがある。子供が小さい頃は決して地球を離れなかったというから凄いものだが、だからその分、今の仕事が愉しくてたまらないのかもしれない。
「推定年代は前宇宙歴2000年程度と思われる。この惑星上で人工物が残っているのはここ一カ所だけらしいな」
艦で分析を終えてきた研究員がゆっくりと結果を報告する。どうやらこの星の空気にはリラックス効果があるらしい。時間すらも流れを滞らせているのではないかという錯覚は、大抵の遺跡に共通のものだとはいえ。しかしここで研究員はほんの少し表情を曇らせた。
「あと、四次走査でちょっと妙なものが引っ掛かったんだが・・・エネルギ−反応があってなぁ」
「エネルギ−反応?」
「ああ。丁度、小型航宙船位のやつだ。最初の時には無かったと思うんだが」
「この星の知的生命体の線は薄いけれど・・・外から誰か来たのかしら」
「しかしこの惑星は発見されたばかりだからリ−ズの存在自体、まだ連邦の一部しか知らないぞ」
「そうなのよね。エネルギ−反応のあった場所はどの辺り?」
研究員は彼女の手にするコンピュ−タを顎でしゃくる。
「走査結果は既に所長の端末に送ってある。どうせ自分で確かめに行くんだと思ってね」
「あら、気の利くこと」
「方角的には北北東で、移動機が無いとちょっときつい距離だ。それから、一応武器は持って行くこと。何かあったらことだから」
左向かいに立った研究員は口ではそうは言っているが、多分危険は無いんだろう、とアレインは思う。でなければ研究所の最高責任者をそう易々と行かせる筈がない。ところが単純にそう考える辺りが、彼はまだまだ所長の事を知っていないのだ、ということであったりもする。
無論、それが幸せかどうかは・・・微妙なところであるのだが。
「日が落ちる前までには帰ってきてくれよ」
「・・・それがいい年した大人に言う台詞?」
半眼を向けて頷くことで抗議と承諾の意を器用に伝えた彼女はその場を離れ、かなりの大きさがある金属製の塊を携えて戻ってきた。コ−ドを入力するとそれは自動的に広がって乗物と言えなくもない形状をとり、持ち主はその上に足を載せる。
反重力装置を内蔵した折り畳み式の移動機械は、銀色の機体を柔らかな陽に閃かせて僅かに浮き上がった。操縦系の具合を簡単に確認して端末を繋ぐと、途端に瞬き始めた緑灯が異常無しのお墨付きを出してくれる。
「えぇ、確かにデ−タは来ているわね。それじゃあ」
次の瞬間に機体は、空気の動きと軽やかに舞った黄金の残像を残して本来の能力とは大幅に違う動きを見せ、飛び去った。
「・・・・・・新しい型なんですか?」
「改造に決まってるだろう、所長の」
地上30cmの荷物を積載した動きしか見たことが無かったから、度胆を抜かれた形で思わず尋ねた士官候補生。古株研究員は心地よい一陣の風を身に受けて、眩しそうに目を細めた。
▼Scene 04:惑星リーズにて_3
眼下に敷かれているのは萌え出づる植物と瓦礫の織りなす複雑な模様。現在と過去、生と死が渾然一体となった光景はあまりに長くその状態が続いた為なのか、不思議とのどかである。自作した不可視のエネルギ−場を翼と広げ、彼女は端末から足下の機械に目的地を入力しながらの数Kmを一気に駆け抜けた。
反応の出た場所は星の裏側ではないが、徒歩で行けるような距離でもない。白い雪を戴く一際高い山に向かって針路を取ると、とりたててすることの無くなったイリアはエネルギ−反応の主について、考えを巡らせ始めた。
航宙船なのだろう、恐らく。だが惑星リ−ズに降りてくる理由がよく解らない。最も妥当と思われるのは故障や事故による不時着であるのだが、だとすれば救助が必要である。いずれにしても気になって仕方がないのだから、直接行かせた研究員の判断は賢明だったと言えるのか。
作業場所から数十Kmも離れると、そこには森が始まっている。十分に成熟し極相を呈するその周縁にやや速度を落として近づきながら、重なり合った陰樹の枝葉を透かし見ようとした。が、当然地上の様子までは判らない。木々の高さは到底飛び越せるものではなかったから、高度と速度を落として森へと進入する。エネルギ−反応は森の中に示されていたからだ。
湿って肌寒いほどの空気が、森という結界の中には閉じ込められていた。腐葉土の上を這う薄靄はまるで侵入者を惑わす森の息吹に思え、その彼女の呼気すらこの湿度では白い形をとって靄の中に融けていく。畏れを抱かせられながら、けれども不思議と落ち着く空間。それが彼女にとっての森だった。端末の表示を頼りに本来の移動機の動きで薄暗い木々の間を縫いながら、イリアは大きく深呼吸する。そろそろ目的地に着いたはずだ。鬼が出るか蛇が出るか・・・とある理由によって、イリアにはこの奥にいるであろう人物が、単なる遭難者とは思えなかった。
「あら」
この星に他の人工物は無いのではなかったのかしら、と走査担当者に問い返したい衝動にかられる。目の前に広がったのは、木々の途切れたかなり大きな空間だった。そして広がる下草の中に在ったのは、予想していた航宙船だけではなかった。
苔むした物体が数え切れない程に大地から生えている。一つ一つは円筒、角柱、錐状といった様々な形をとっていたが、瞬間の印象は墓地。思わずその一つに近づき、しっとりと露に濡れた苔を爪で剥がすと白い石が現れた。表面には文字らしきものが刻まれており、建造物の一種であることは明白だった。理由は定かではないものの、走査から洩れてしまった場所の様だ。
こんな場所に一体誰が航宙船を降ろしたというのか。イリアは疑問符の塊になって銀色の船の持ち主を探し、一目で見渡せる程の広さの空間に視線を走らせた。航宙船があるのは広場右前方の、森との境だったが、誰もいない。生き物といえば苔の上を素早く移動する虫の様なものだけ。多分航宙船の中に居るのだろうと考えてゆっくりと近づいてみることにする。
その航宙船は、地球ではあまり見たことの無い型であった。こちら側から見える船体に特徴めいたものは認められず、持ち主の推測はつかない。いきなり発進されると困るので慎重に、彼女は移動機をコクピットの前に回してその中を覗き込んだ。大気圏内の為に偏光シ−ルドはかかっていないから、容易に内部の様子が窺える。
並んでいる二つの席のいずれにも操縦者はいない。だが操作盤は明滅しており動力炉は動いていた。このエネルギ−が先程探知されたというわけだ。
操縦者の居場所を考えるよりも先にイリアは思わず笑いを洩らした。操縦席の脇に置いてあったのが数本の酒瓶だったからだ。生憎とラベルが反対側を向いていて銘柄までは判らなかったが、一升も入りそうな大瓶の雰囲気からすると清酒だろう。内二本は空で、一本が半分近くまでも空けられていた。自らも自他共に認める酒飲みとしては、是非ともお近づきになってご相伴にあずかりたいものである。
操縦席の周りには酒瓶だけでなく、実に色々なものが置かれていた。連邦艦では私物の放置など考えられないが、個人所有の航宙船では珍しい事でない。中でも一際目を引いたのは一冊のハ−ドコピ−の本だった。紙製の頁を綴じた、革の装丁のものである。今時、骨董品の蒐集者でもなければこんなものを持ってはいないだろう。地球でもかつては大量の図書が生産されていたものだったが、洋紙と呼ばれる短繊維の紙は劣化が激しく、例え中性紙であっても数百年も経れば繰るそばから崩れる代物となってしまう。この本には果たして抗劣化処置が施してあるのだろうか?保存状態の良さから考えると、マニア向けの復刻版なのかもしれない。瞬時にイリアの頭の中では航宙船の持ち主に『図書フリ−ク』の称号が与えられた。ちなみにその下には小さく『酒飲み』と注記されている。
こうして彼女の観察は続いたが、さして広くない場所から得られた情報は多くなかった。小さく正面の光透過壁を叩いてみても反応は無し。そこで一度航宙船の周囲を回ってみてから再び正面に戻り、イリアは空中静止させた移動機に腰を下ろして持ち主の帰還を待つことにした。ここまで来た以上、手ぶらで帰るのは悔しかったので。
▼Scene 05:惑星リーズにて_4
「誰だ?」
誰何の声は下方からだった。
怪訝そうな顔をした大柄な男が灰色のケ−スを片手に、やや高い場所に位置するコクピットの方を見上げている。正確にはイリアを、であったが。
「私は・・・」
連邦の、と名乗る間も無く、男は何事かを合点したのか鈍く輝く金髪を掻き回して盛大な溜め息をついた。
「解った、LaTECSSだな?ここの遺跡を調査しに来たんだろう。それでこいつのエネルギ−反応が気になって見に来たってところか」
そうなんだろ?、と逆に問われて彼女は頷いた。ちなみにLaTECSSとは紋章科学研究所(Laboratory of Tri-a Emblem's Complex and Systems for Science)の通称である。それは大抵ラティクス、と発音されているが、この命名が創設者達による意図的なものだったのか、それとも単なる偶然だったかは、勿論創設者以外の誰もが知らないことであった。
「えぇ、ご名答よ。でもどうして解ったのかしら?」
「その服を見れば嫌でも判る。・・・やっと先んじたと思ったんだが、三日天下だったな・・・いや、それよりはましか・・・」
男は何やらぶつぶつと呟きながら昇降ハッチの方に回り込んでロックを解除した。
「もう発進するから、そこから退いてくれないか。危ないぞ」
どうやら話をするつもりは無いらしい。さっさと航宙船に乗り込もうとするので、彼女は急いで男の隣まで行くと自分の質問を投げ掛けた。
「ちょっと待って、貴方はどうしてリ−ズにいるの。ここは発見されたばかりの星なのに」
「・・・そうか、もう名前がついたのか」
男は不精髭の目立つ顔を僅かにこちらに向け、肩を竦めた。
「多分俺は発見される前からここにいた。それだけだよ」
「発見される前から?」
「三週間位前からかな。さぁもういいだろう、退いてくれ」
ふいと顔を逸らすと、男は取りつく島もなく大股に船体に消える。
「・・・・・・」
その場に取り残されたイリアもまた肩を竦め、閉まり始めた扉の内側に体を滑り込ませた。
「よくないわ」
足が止まる。
「俺はもうこの星を出るんだ、それでいいだろう。大体何の権利があって・・・」
「貴方、都市遺跡の紋章比較標準を持っているでしょう?」
「・・・驚いた」
振り返った男は素直に言った。明るい色調の三つの瞳がきろりとこちらを向いて、その時初めてイリアは男が地球人でないことを知った。
「気付いたのか」
九割が確信、残りの一割が鎌掛けの言葉だったが、どうやらイリアの推測は正解だった様だ。とするとこの男の正体は、少なくとも事故で不時着した遭難者ではないということになる。図書フリ−クという線も怪しくなってきた。
「明らかに誰かが調べた跡があったから、気になっていたのよ。あのパタ−ンが無いと系統樹が描けないから、困るんだけど」
「比較標準は他にもあっただろ?そっちで間に合わせてくれ」
「遺跡の状態はかなり悪いわ。破損が酷いのくらい、貴方なら、解ってるんじゃないの?」
「・・・ま、確かにな。だが遺跡はLaTECSSだけのものじゃない、渡す義務は無い筈だ」
彼が驚いたのはほんの一瞬の事だったらしい。あっさりと言って閉じたばかりのハッチを再び開いた。出て行ってくれ。三つの瞳が言っていた。
イリアは内心首を傾げる。男が相手を連邦付属機関LaTECSSと知った上でこんな態度をとっているのだとすれば、自分も嫌われたものである。まだこの男の正確な正体は掴みかねていたが、多分ご相伴にはあずかれまい。
相手の言うことは正しく、遺物の所有権は発見者に帰属する場合が多い。それが保護区域でもない、発見されたばかりの星となっては尚更で ---しかも発見される前からいたと言うのだ、この男は!--- 誰が比較標準の持ち主なのかは明白だ。従って裏桜花炸光をお見舞いするにはあたらなかった。
「わかったわ。貴方の言う通り、権利はそちらにあるんだし・・・何も言えないわよね。研究がどれだけ遅れても、誰の所為でもないってことに、なるだけで」
そして周りから愚痴られるのはこの私なのよねぇ。彼女は溜め息混じりでそう呟いて、足どりだけは軽やかに惑星リ−ズの地表に降り立った。まだ開いているハッチ越しにお決まりの言葉を投げ掛け、一時の出会いを締め括ろうと振り返る。
「《よい旅を》、若い考古学者さん」
「・・・あんた、勘がいいんだな」
「そうかしら?」
別に何を狙ったわけでなく、彼女の常識に照らし合わせてみて他に選択肢が無かっただけだった。首を傾げたイリアに向かい、男は何故か渋面を作ってみせた。
「・・・気が変わった。持って行ってくれ」
灰色のケ−スを開き、資料を保管する透明容器を取り出すとこちらまでやってきて、ぶっきらぼうにその手を突き出した。中には爪の先ほどの黒い石が入っている。
「そいつは取り外し可能な、あの装置の起動要素らしい。唯一無傷で残ってたんだが・・・ここで俺が突っぱねたらあんたも色々困ることがあるだろうしな。誰かに言われてここまで来たんだろ?」
「え?・・・・・・まぁ」
何と答えていいものか戸惑うイリアには気付かず、男は一つ溜め息をつく。
「一応言っておくが俺はな、LaTECSSが好きじゃあないんだ。その辺は覚えておいてくれよ」
「あら、どうして?」
「どうしてって・・・」
話したくなさそうな口振りだったが、興味深そうな顔で見上げる彼女と目が合うとその意志は緩んだ様だった。
「こいつを譲る代わりに怒らないで聞いてくれよ?」
「ええ、勿論」
「・・・それじゃ言うがな。
遺跡ってやつは、その星の文化の名残りだ。紋章だけが記録されているわけじゃない。それなのにLaTECSSときたら金があるのをいいことに、手当たり次第に掘り返していきやがる」
男は目の前一杯に広がった石柱群を愛しそうに見遣った。
「例えばこの遺跡、ここは自然崇拝に基づく『森』の聖域だ。この場所に人々は、森を讚えその恵みを請う祈りの言葉を埋め込んだ・・・何世代にも渡ってな。年代鑑定からするとこの風習は、あの大きな都市の造られた時代になっても、つまり文明が高度化してからも続いていた。自然崇拝と都市レベルの関係は考古学的に見ても興味深い題材なんだが・・・こんなこと直接紋章術には関係ないからな」
三つの視線が突き刺さる。
「そう、無視だ。
素晴らしい遺跡を目の前にしながら、必要なものしか調べない。
・・・その上、紋章という限定された研究分野から出来てくるのが武器ばかりだったら、嫌いにもなるだろう?ま、こいつは個人的な見解に過ぎないが。あんたにそいつを譲ったのも、悪いが、関りあいになりたくないって理由も含まれてる」
声音は淡々としていた。むしろ冷たいと言ってもいい程だった。しかし彼女よりも随分と若いであろうその男の眼は、熱っぽく輝いていた。
しかしイリアは別段その言葉に感銘を受けた風も無く、男に軽く頷き返す。
「成程、よく解ったわ。でもLaTECSSの性質上、仕方のないことではあるわね」
「・・・確かにそうなんだろうがな。
・・・・・・と、まぁ言うことも言ったことだし、こいつはあんたのものだ」
整えられていない指先に比較標準を握らせると、今度こそ男は振り返らずに船の奥へと消えて行ったが、その後ろ姿が妙に彼女の癇に障ったのは紛れもない事実であった。
▼Scene 06: 惑星リーズにて_5
「流石は所長、ちゃんと暗くなる前に帰ってきた」
「まぁ、ね」
妙に疲れた顔で帰って来た紋章科学研究所所長は、研究員の軽口にさして反応するでなく、御自慢の移動機にロックを掛けて一足先に調査艦に引き上げてしまった。そろそろ本日の作業終了時刻ではあったのだが、彼女がエネルギ−源について何も言わずに『上がって』しまったので、周囲はその行動に少なからず疑問を覚えたのであった。
アレインは赤色を帯びてきた空を見上げる。恐らくはこの視線の近くに待機しているだろう調査艦《パッシェン》は、影も形も見えはしない。
「どうしたんでしょうね、何だか元気が無かったみたいですけど」
「う〜ん、一体何を見たんだろう。無事に帰ってきたってことは、特に危険なことは無かったんだろうが・・・・・・それにしてもこの遺跡、比較標準がまだ見つからないぞ。報告した方がいいんだろうなぁ、やっぱり」
「比較標準?なんですかそれ」
アレインがやっとその名を思い出した古株研究員、ヤ−レン=リンムゥは灰色の保管ケ−スの中身を整理していた。彼は手を休めようとはしなかったが、研究所のことなど殆ど知らないアレインの質問には答えてくれた。
「元々、全銀河に広がった紋章術の起源は同じだと考えられているんだがね、同じ紋章術とは言ってもその星その星で細かい部分は独自の進化を遂げているんだ。その変化部分が明確で他の資料と比較出来る遺物のことを俺達は《紋章比較標準》と呼んでる」
「紋章ならここの装置に沢山刻まれてるんじゃないですか?」
「破損が酷いし意味の解らない紋章ばかりで、他のやつと比較出来る場所がないんだよ。そんなもん比較標準にはならんだろ」
「へぇ、そういうものなんですか」
それにしても、こんなに訳の解らない線の集合体から判別できる部分なんてそもそも見つかるんだろうか。研究者というものは凄いものだとアレインは思いながら、パッシェンとの通信を開いて転送要請を行なった。
▼Scene 07:調査艦《パッシェン》にて_1
「今日は学校の友達と海に行ってきたんだ。家の近くの海なんて全然綺麗じゃないと思ってたけど、ちょっと街から離れただけで海が結構青かったよ。写真、入れといたから見てね」
画面の中には一人の少年が、その年頃に特有の活発な口振りで彼女に語りかけてくる。薄青い色の壁を背景にして、母親そっくりの金髪がよく映えていた。今日は一人で録画しているのだろう、少年は停止ボタンを押そうと身を屈めかけたが再びこちらを覗き込んで一つ注文を付け足した。
「あ、そだ。母さんも写真送ってよ、母さん普段どんな所で仕事してるのか見てみたいからさ。じゃね!」
録画はそこで途切れ、次に海を背にして笑う少年達の画像が何枚か続く。
地球から届いたばかりのメッセ−ジの差出人はクロ−ド。目を細めて眺めていたイリアは、これから作成する返信の内容を口の中で転がしながら自室の取り散らかった机の上の整理を始めた。そこにも一枚のハードコピーされた写真が置いてある。少年を挟んで彼女自身と、既に三カ月は会っていないその伴侶が写っていた。
幾ら録画技術が優れても、写真には写真にしか無い表現がある。音と動きを削ぎ落として捉えた一瞬は、それを見る者に想像する余地を与えてくれる。眺める時の心理状態によって感じることが違うとでもいうのか・・・今、この平面で微笑んでいる三人の家族像は揺るぎない自分の足場となってくれている様だ。
短い電子音が来客を告げた。
「休憩中済まんな、所長」
開けたドアの向こうには、痩せぎすでその鷹揚な性格とは裏腹に、一見神経質そうな顔立ちのヤ−レンが立っていた。
「どうしたの、何か問題でも起きた?」
「いや、そういうわけじゃないんだが。結局例のエネルギ−源は何だったのかと思ってな」
短く刈った東洋人特有のつやのある漆黒の髪の毛を掻きながら、ヤ−レンはゆっくりと言う。元々走査結果を彼女に報告した本人であるから、気になっていたのだろう。何も言わずに上がってしまったことに漸く気付いてイリアは両手を合わせた。
「ごっめんなさい、すっかり貴方に言うの忘れてた!」
「はぁ・・・それで何があったんだ?」
「それを言う前に、丁度いい所に来てくれたわ、一緒に写真撮ってくれないかしら」
「写真?」
「クロ−ドに送りたいのよ。『私のお仕事』と一緒にね」
「何だい、それ」
高々と突き出した手の中にある物体を受け取り、その中身をまじまじと見てお仕事=比較標準の意味を理解したヤ−レンは仰天する。あれだけ探して見つからなかったものが、どうして今日の作業に殆どいなかった彼女の手にあるのか。
「一寸待て、それ本物なのか?一体どこにあったんだ?!」
「まぁまぁ、とりあえず写真からね。話はその後で・・・あ、どうせ撮るならブリッジの方がいいかも♪」
どうやら写真を撮らないと状況説明をしてくれないらしいので、ヤ−レンはやむなく引き摺られるままに艦橋まで赴くこととなってしまった。尚且つ、すっかりいいように使われてしまっているアレインをカメラマンに任命して何枚かの写真を苦労して撮った後、地球に送るメッセ−ジの相談にまでのせられて・・・結局それを送ってしまうまで、話はお預けになってしまったのであった。
▼Scene 08:調査艦《パッシェン》にて_2
「別に大した事があった訳ではないの」
彼女のオリジナルプログラムライブラリ、通称『酒蔵』に納められている酒類のプログラムは、その完成度において他者の追随を許さない。しかし、玉の光については特に気に入りの一品であるが為にプログラムを作るつもりはないらしく、時折惑星ロ−クから現物を密輸しているという噂もあるのだが、無論真偽のほどは定かでない。
合成機からそんな自作プログラムの一つである『船中八策』を取り出しながら、イリアはぽつりぽつりと森の中での出来事について、この信頼する研究所設立当初からの仲間に話して聞かせた。それは彼を驚かせるに十分なものであったが、事情を諒解したヤ−レンは何よりも比較標準が無事に手に入ったことに安堵したのであった。
「にしても、まさか先を越されていたとはな・・・しかし連邦よりも先に個人で未開惑星を見つけるなんて凄い奴もいたもんだ。その上、君よりも若かったんだろ?」
「えぇ。でもただ者じゃないわ・・・まだあの眼が頭から離れない」
「確かにテトラジェネスに睨まれたら、中々に恐いものがあるね」
「恐いというよりは印象的という方が正しいかも。一度見たら忘れられない感じで」
「きっと君みたいな眼をしていたんだな」
ヤ−レンは何やら愉しそうに笑ったが、その意味がイリアにはよく解らなかった。短い、整えられていない爪がラウンジの柔らかい照明をほんのりと反射して、その内に押さえ込まれた硝子瓶は重たい音を立てた。
「しっかし、よりにもよって君にLaTECSSの悪口言うなんて恐いもの知らずもいたもんだ。あぁ、テトラジェネスの彼は知らなかったんだっけね・・・君も人が悪い・・・」
「言いそびれたのよ」
「そりゃあそうだろうな」
然も有りなんといった表情を浮かべた後に、急に真顔に戻る。
「何かさぁ、『墓荒し』って侮辱された感じだな。そう思わないか?」
「え?」
注がれた酒を傾けながら、ヤ−レンは憮然として言った。
「『掘り返す』だって?全く失礼な表現だ。
俺が君だったらそう思うね。その三つ目男の顔が見てみたいよ、全く」
「はぁ・・・まぁ、確かにね。私もちょっとはかちんときたけれど・・・」
腹が立ってしかたのなさそうな昔からの研究仲間は、ひょっとすると彼女以上に自分の仕事に誇りを持っているのかもしれなかった。少し嬉しくなる。
「・・・でも、ある意味では事実なのよ。それは」
これからも大きな財源を基に、個人の研究者とは比べものにならない速さで発掘は行なわれていくだろう。それは正しいことなのだろうか。地球人ではありえない視線が、心の琴線を強く弾く。自分の正義は正しいのだろうか、と問い掛けずにはいられなくする。
「ある意味では、か。だが考古学者に何が言えるんだ?
奴らだって掘り返していることにゃ変わりない。静かに寝かせておけばいいものを、無理矢理叩き起こしてるんだから」
相手が自分の事を心配してくれているのは解った。だから悪戯めかしてこう付け加える。
「解っているわ。ただ彼が、随分と大真面目だったものだから。
・・・それにしても、一体あれは誰だったのかしら?」
「テトラジェネスの考古学者ったって、そんなに少ない数ではないだろうからな。最近見かけた本の中にもテトラジェネスの考古学者ってのがいたし。・・・そういえばかなり若かったぞ」
ちょっと貸してみ、とヤーレンはイリアの手元にあった端末を奪い取り、軽い音を立てて操作した。
「これこれ、エルネスト・レヴィードって新進気鋭の考古学者だよ。遺跡発掘にかけてはとんでもない勘を持っててな、現場の奴等にはかなり知られてる。
走査に引っ掛からない遺跡を次々に嗅ぎ当てる奴なんだよ、これが」
ここで彼は肩を竦めた。
「でもってアンチLaTECSSらしい」
「あら、私が見たの、この人よ」
「な・・・本当か?!」
ヤーレンの寄越した何かの書誌データの、著者紹介の欄に映っているのは紛れもないあの男の顔だった。油断の無い目に、画面の中にいるそれがどうしてそこにいるのか、不思議な気がしてイリアはまじまじとそれを見つめた。しかし間違いない。
「嘘を言っても仕方ないでしょう」
「それはそうだが・・・」
それっきり、相手は言葉を途切らせた。どうやら爆笑している様だ。
「何が可笑しいのよ?」
「いや・・・別に・・・」
「笑ってるじゃない」
「何でもないって・・・あぁ、腸捻転になるかと思った。
きっと向こうも、そろそろ君の正体に気づいて仰天してるんじゃないかな」
「でも、私の顔くらい知っているでしょうに。アンチLaTECSS なら尚更」
「君、公の場にはあまり出てこないし、顔写真を殆ど出さないから案外知らなかったんじゃないかな。いやぁ、実にありそうな話だよ」
実に可笑しいったらありゃあしない、と尚も彼は、笑いを収めようとはしなかった。
▼Scene 09:惑星リルフィオにて
「こいつが一体誰だって?!!」
「だから言っただろう。LaTECSSの所長だって」
補給に立ち寄ったとある惑星で、エルネストは愕然とした。
「お前がここ一ヶ月か発掘に出ている最中に、ナントカってシステムの発表があった訳だ。そん時、珍しく顔が出てたから、見たいだろうと思って録っといてやった」
彼と同じくテトラジェネスの陽気な整備工は航宙船の上部に張り付いたままで、活動的な考古学者の問に答える。数年前からの顔馴染みであり、エルネストがこの近辺に足を伸ばす際には必ず立ち寄ることにしている業者であった。整備工は船体の打診の合間合間に無駄口を叩く。
「それなんだろう? お前の言ってた、権威を振りかざす不届き者とやらは。結構な美人だけどよ」
「・・・もう少し早く見せてくれればな・・・」
「は、全然嬉しそうじゃないな。折角録っといたのに」
しかし格納庫の片隅で頭を抱えて船体に寄りかかった彼を、誰が責められよう。彼の頭の中には数日前の会話が克明に刻まれていたのであるから。エルネストは相当苦労して、礼の言葉を吐き出した。
「わかってる・・・感謝してるよ」
「どうだか」
整備工に全く悪気は無い。普段の自分なら、ありがたく感謝の意を表明して酒の一杯でも奢ったことだろう。けれどもいかんせん間が悪過ぎた。これだったら知らないままでいた方が、精神衛生が保たれるという点ではましである。
手元の画面の中で微笑んでいたのは、数日前に惑星リーズで出会ったあの研究員に他ならない・・・自分の発言を撤回するつもりは欠片も無かったが、まさか張本人に向かって自説を披露していたとは、笑い事では済まされない。実は調査艦《パッシェン》においては笑い事で済まされていたのだが、ともかく、エルネストの心中はとんでもないことになっていた。何の事は無い、相手の身分を確かめなかった自分が迂闊だったのだ。
「あぁぁぁ・・・不味い。非っ常〜に不味いだろ、これは」
後悔先に立たず。そして後悔役に立たず。しかもてっきり同年代か年下かと思っていた相手が、まさか八歳も年長だったとは。色々な意味でのショックによって、エルネストは整備工が仕事を終えて帰って行ったことすら気付かなかった。
疲れていた為もあったのか、夜の街が最高に活気を帯びる頃になってもまだ、彼は格納庫でぼんやりとしていた。
▼Scene 10:地球にて
Kaleidoscope。新しい動力機関で未だ試作段階にあるとはいうものの、紋章科学初めての応用作品だということで連邦中の技術関係者から注目を集めている。何でも内蔵した紋章に対する使い手の親和力によって生まれる紋章力の流れをエネルギーに転換するという、よく解らない理論の体現であるらしい。だが、所詮兵器に利用されるのは目に見えている。
しかも噂だけが先行して、実際は実用に程遠い状況らしい。
・・・口先だけという訳か?
少々苛立たしい気持ちでエルネストは、収集した資料を目の届かない場所へと追い遣った。自分が何故こんなに苛々するのか、それは彼自身にもよく解らない。
肩を強く叩かれた。振り返ると、懇意にしている地質学者だ。とは言っても直に会ったのは一年振りといったところだろうか。
「お前がこんな所に顔を見せるなんて、珍しいじゃないか」
年に数回行われる考古学学会だが、こうやって直に会うことにこそ『学会』というイベントの意味があるのかもしれない。だが今回の開催地は地球だった。
「たまには、な」
嘘をつけ、本当はれっきとした理由があったくせに。こいつはあくまでついでに過ぎない。
でなければ誰がこんな場所に、と自分で自分にそう毒づきながら、若き考古学者は今までろくに目を通してもいなかったレジュメに見入る振りをした。案の定、興味のそそられない内容ばかりだ。
これだったらついさっき入手した、例の研究所のリーフレットの方が余程面白い。不本意ながら、この嘆かわしい現状を認めざるを得なかった。だからまぁ、自分は独りでそらへと出るのだ。
彼の意識は既に次の目的地へと飛んでいる。
▼Scene 11:エルネストの自機にて
今度こそ邪魔の入らない有意義な発掘をしたいものだ。
自機の操縦席で、彼は周囲の走査を開始した。大した精度は期待出来ないが、それでもちょっとしたものは発見出来る。例えば、軌道上に浮かぶ連邦艦の存在程度なら。
協調性が無いと言われることは多い。しかしそれは当然のことだろう。彼にとって他人は邪魔なのである。走査結果を前にして、考古学者は暫し考え込んだ。ついでに片手が酒瓶に伸びる。
連邦艦が計三隻。予想済みといえば、その通りの結果ではあった。この惑星で大規模な情報集積機関が見つけ出されたのは、随分以前のことである。それ以来遺跡の解読作業は続いており、その作業にもまたLaTECSSは関与している。静かに調査をするにはいささか騒がし過ぎる環境かもしれなかったが、エルネストは溜息をついて降下準備を始めた。勿論、連邦艦の様に転送降下というわけにはいかない。
その作業を進める中で、エルネストは奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
虫の知らせ、といったものを彼は甘く見てはいなかった。今まで勘に救われた事が多々あったのに加え、遺跡発掘は勘が頼りである。しかし、それをおしてでも彼には調べてみたいものがあった。そういう時は、彼は自らの欲求に逆らわない。生半可な倫理や規範などで彼の欲求を止めことが出来ないのと同じ様に、今回の胸騒ぎもまた、その程度のものでしかなかった。機会があったならば、彼に尋ねてみるといい。好奇心は猫をも殺すのかと。彼はこう答えるのではないか。
確かに殺すだろう。しかし、俺は猫よりもしぶといんだ。
▼Scene 12:惑星メイノニアにて_1
胸騒ぎはどうやら杞憂であった様だ。
天候に恵まれ、遺跡都市周辺に佇む巨大な環状列石を調べながらエルネストは至福の時を過ごしていた。非常に整った文字が完全な形で石柱群には残っている。見た目は脆い火成岩の様であるが、表面に処理が施されているらしく、恐ろしく美しい。また、不思議なことに蘚苔類の様な植物による侵蝕の具合も微々たるものであった。惑星リーズで観察した遺物の破損具合と比較してみると、気になる点は数多い。
彼は腹這いになって柱の基礎部分に刻まれた文字を見ていたが、無理な姿勢はあまり長く続けられるものでなく、三十分程で立ち上がり大きく伸びをした。なだらかな丘陵から見渡す景色は清々しく、空気は実に旨かった。穏やかな風が重厚な黄金色の髪を縫って吹き抜けていき、午睡には丁度よい陽射しの具合。
静かなのはいい。自分が口を噤むだけで、世界を聴くことが出来るのではないかという錯覚を覚える。空気が風になって様々なものにぶつかる音が不規則に聞こえ、陽の音すら聞こえる気がする。偉大なる機械音やざわめきからくる活気、そして創造力溢れる音楽は無いが、得難い静寂こそが今の彼にとっては好ましいものであった。
一番知りたかった事についての手掛かりは既に知れ、やはりここに来てよかったと思えた。あとは地道にこれを辿って行けばいい。そうすれば、彼の学説に花を添える重要な素材となるであろう。恐らくそれは連邦とは全く違ったアプローチの方法で、この文明の在り方を述べるものでもある筈だ。
愉快であり、寂しくもあり、そして哀しくもあった。どうしてこんなにも沢山の素材を、もっと色々なものにしないのだろうか。同じものを造って、一体何が楽しいのだろう。巨大な石の柱に寄り掛かって薄い青紫色の空を見上げる。空が紫色の大地で生きた人々は、空を見て何を思い考えたのだろうか。演劇や文学に、それは反映されただろうか。空の女神の瞳は何色だったのだろう。
過去に思いを馳せれば疑問は尽きず、答えをくれる人との縁は無く。額の眼だけで流れる雲を追っていたエルネストは、その時はたと気が付いた。
紋章科学も一つのアプローチの仕方か。
今まで誰もやろうとしなかったことを始めたという意味では、そうだ。何しろ紋章自体が連邦において、つまり考古学においても未知であり、現在も既知ではないのだから。博物的な紋章の収集を試みた研究は幾つかあったが、体系的な研究を大々的に試みた者はいなかった。あのLaTECSS所長が現れるまでは。それは、画期的な出来事である。
では何故、自分はあんなにもあれを毛嫌いするのか。
遺跡を掘り返し、兵器を産み出す悪辣な機関だから。しかしそれが詭弁であることは解っていた。問題は兵器ではなく、技術、そう、科学技術なのだろう。余りにも観念的な理由過ぎて、彼自身が目を背けていたかった幼稚な感情が、紋章科学という分野を認めていなかったのだ。知る為ではなく、利用する為の遺跡発掘が許せないという単純な感情が。
過去を理解せず、利用しようするヒトの浅はかさの露呈を信じたくはなかったのだ。崇高でなくていい、せめて思慮深くあれという・・・それが理由なのだろう。
・・・そして付け加えるならばもう一つ、彼女は独りではない。
あの細い後ろ姿に、微かな羨望と嫉妬を覚える。目の前に先人の造った道こそ無いが、開拓する腕は一対ではないのだ。彼女と邂逅してから、共同研究者、仲間でもいい、そんなものの存在を夢想する様になってしまった。余りにも今更なことだが。
自分がどう思おうが多勢に無勢、相手に与えられるダメージなど全くの無に等しい。だから毛嫌いしたって構わないのである。そう、自分がどう思おうが、意味は生まれない。
どうしてこんなに愚昧になってしまったのか、苦笑してエルネストは眼を閉じた。
丁度よい温かさが心地よい。これで中々、独りでも幸せなのかもしれない。
▼Scene 13:惑星メイノニアにて_2
災難は突然上から降ってきた、らしい。と言うのもその時、彼の意識は浅い眠りの中にあったからだ。
かさりという足音に身を起こそうとした瞬間に空中高く放り出され、そして大地に叩きつけられた。脇腹が熱い。焼きごてでも当てられているのかと疑いたくなったが、痛み自体はあまり感じなかった。痛い?きっと痛いのだろうな。認識はあるのだがどうも実感を伴わず、そんな状況が却って危機感を煽る。
眼を開けると、天地の逆転した視界に映るのは灼赤の毛並みであった。どうやら自分は肉食獣の一種に襲われたらしい。どうしてこんな場所に、という疑問を抱いている暇は無かった。
何故か逆上している獣は鋭い鉤爪による最初の一撃を綺麗に決めて、反対側に抜けたばかりだった。そして軽やかな音と共に反転し、一体何をそんなに怒っているのか鋭く息を吐き出して、悔しそうな低い唸りを上げる。獣が彼を仕留めようとしているのは、残念ながら現実である様だった。
本当に迂闊であったと、彼は舌打ちした。しかし誰が彼を責められようか、見晴らしのよいこの場所は森林とは相当な距離にある、安全極まりない場所であったのだから。
この状態を挽回するには、体勢が悪すぎた。おまけに身体は痺れた様に動かない。意外にあっけない最期だったな、という諦観が広がった。心残りは、ありすぎて一々数えていられない程だ。
しかし覚悟を決めたその時、黄金の光粒子が視界一杯に広がった。
温かいような、冷たいような。いや、彼の身体の血の気を失った部分は温められ、熱い傷口は優しく冷まされているかの様な。死の瞬間がやってきたかと覚悟を決めたが、妙に安らかな気持ちだ。本能は命の危険を既に知らせていない。
このまま安寧の眠りへと意識を落とし込みたいのは山々であったが、悲しいかな、動く体は反射的に跳ね起きてヒトのヒトたる所以、二足歩行の体勢を形作った。そして右手には、ついさっき十分な効果を果たさなかった得物を握り締める。瞬時の動きに頭がくらくらしたが、まぁ許容範囲であろう。
対峙した獣はエルネストの身を取り巻いた光に一瞬怯んだのか動きを止めていたが、彼が起き上がった為に再び威嚇の体勢をとった。そして一気に跳躍し、彼の喉元を狙う。
勝負に時間はかからなかった。
エルネストの手から伸びた金属糸が獣に絡みつき、締め上げた。暴れれば暴れる程、糸は分厚い毛皮をも切り裂いて肉に喰い込んでいく。ついに獣は動くのを止め、全身から血を流しながら不服そうに一声吼えた。そんな様子に止めを刺すのも不憫な気がしてどうしたものかと思ったが、それよりもまず、気になることがある。
乾いて、小刻みな音がした。
「お見事」
小さな賞賛の声。
全てがスローモーションであった彼の時間はようやっと外界と協調し始め、通常レベルの情報が脳に流れ込んでくる。最初に認知したのは声を掛けた人物像でなく、陽光を受けて燦然と輝く物体だった。それから、地面に置いたその細長い物体を自分の脚にもたれ掛けさせている人物へと目が移り、脚から頭へ視界を移動させていって、記憶にある顔を見出した。
「でも、独りっていうのは・・・」
失血が災いしたか、どうしても名前が思い出せない。そもそも自分はその名を知っていたろうか。忘れてしまったというなら、とるに足らない記憶だったのか。けれど悪戯っぽい声を自分は覚えている。覚えている。過去に聞いた一つのフレーズが泡となって意識表層で弾け、『紋章比較標準を持っているでしょう?』そう覚えて・・・いや、思い出した。彼女は沈痛な面持ちで首を振った。
「誰にも煩わされない代わり、誰も煩わすことが出来ないのね。
こうして運が強くない限りは、残念な結果を迎えなければならないって訳か」
何年もの後にこの言葉をエルネストは身をもって体験することになるのだが、それはまた別の話だ。
「強運ね、貴方」
心底驚いた様な声。それでいてどこか小馬鹿にされている様な気もしたが、先入観の所為だろう。涼やかな目元は既に笑っており、実に状況にそぐわなかった。悔しいから、舌で唇を湿しながら応じる。
「お陰様で」
身体は楽になっていたが、喉はからからだった。敵味方はどうあれ、少なくとも生命の危険をもたらす相手でないという状況だけが、今のエルネストにとっては重要な事であった。
「でも、血がまだ止まっていないわ」
彼女は両腕を使って細長い物体を実に重そうに地面から持ち上げ、先端をエルネストへと向けた。何だろう、と疑問が脳裏を掠めるよりも先に、彼女の手にあるものが銃であるらしいことに気付く。
眼も眩まんばかりの輝きは、その銀の細長いつつから発されたものだった。
幾ら俺が反紋章科学的思想を持っているからと言って、何も物理的に攻撃することはないだろう。目を閉じて一瞬の内に、彼は相手に向かって精一杯の抗議をした。
無論心の中で。
「・・・ひょっとして撃たれるとでも思ったの?」
聞こえてくるのは、今度こそ彼女本人の感情が直接的に伝わってくる・・・呆れた様な声。
「自分が敵だっていう自覚はある、ってとこなんじゃないか?」
それに応じる怪訝そうな声。
薄目を開けた。
「失礼ね、一日に二回なんて、出血大サービスなのに」
今度は銃に身体をもたせ掛ける様にして、彼女は立っていた。何故なのか、酷く疲れて見える。そして、たった今気付いたことだったが、ライトブロンドの髪には銀色の環の様なものが埋もれていて、そこから生えた極細の長い管が銃と繋がっていた。隣には、いつの間にやってきたのか黒い髪の男も立っている。
男は銃に付けられていた何かの計器を睨んでいたが、その表情はみるみる明るくなった。
「やった、変換効率が3%の大台に乗ったぞ!」
「幾つ?」
「3.000105」
「測定誤差」
「・・・やっぱりそうかなぁ」
彼女は肩を竦めた。
「どちらにしても、まだまだ実用には程遠いわよね。効率悪過ぎよ」
「システムなのか、配線なのか・・・畜生、原因さえ解ればな」
「両方でしょう」
力無い応答をしてから、イリアは状況が呑み込めずに立ち尽くしているエルネストに向かい、こう尋ねた。
「どう、試作ヒールスターの味は?」
「・・・何だ、それは?」
「今のやつよ。まだ傷は残ってる?」
そう言われて深紅に染まった服の内側に手を当てると、脇腹の傷口がすっかり塞がっていた。
「・・・治っているが・・・・・・」
そういえば襲われた時に一度、光に包まれたと思ったら身体が軽くなっていた。会話の断片から察するに、あの現象は彼女が引き起こしたものらしい。何がどうなっているのかさっぱり理解出来ず、顔色にこそ出さなかったものの、エルネストは軽い混乱状態に陥った。対して相手の方はあからさまにほっとした表情を浮かべている。尚も気になることに、後ろで男が『成功してよかった』と呟いていた。
「本当に、助かってよかった。
でも少し心配だから、私達の艦でメディカルチェックを受けたほうがいいわ」
「待て、ちょっと訊いてもいいか?何が何だかよく解らん!
・・・大体どうしてこんな場所に人がいるんだ」
「・・・知りたい?」
「勿論」
きっぱりと答えると、何故か彼女は微妙な顔をした。そして曖昧な、実に曖昧な笑みを浮かべる。
「なら、一刻も早くメディカルルームに行くことね。変なウィルス貰ってたら、大変よ。それに・・・」
「それに、何だ?」
「いえ、何でもないわ。そうね・・・この生物は私達が何とかするから、とりあえず貴方をパッシェンに転送しましょうね」
どうしてこう、人の不安を煽る様な仕草ばかりしてくれるのか。からかわれているとしか思えない。
「助けてくれたのは感謝するが、事情説明くらいはしてくれたっていいだろ?!おい一体何が・・・」
エルネストが一歩踏み出したのとイリアが指を鳴らしたのは同時であり、彼は三度、光に包まれた。
今度の光は黄金ではなく、冷たい青い光であった。
▼Scene 14:調査艦《パッシェン》にて_3
一度、深呼吸をした。
それでも足りず、もう一度。
「臨床試験を、したことが、無かったって?」
「でも、動物実験は、きっちり、済んでいたわよ♪」
いかにも冷静に相手は答えているが、そんな態度には誤魔化されない。
「俺の身に何かあったらどうしてくれたんだ!」
「その時は、どうせ助からない命だったと思って諦めるわ。残念ながら、ね」
最初に会ったときの大人しさがまるで嘘の様に、彼女は軽やかな口調でそう言い放った。医療ベッドに身を横たえたままで、エルネストは己の幸運を信じてもいないあらゆる神に感謝する。
有無を言わさず転送収容された調査艦で、全てのメディカルチェックを終了した後、彼女はすっかり洗浄された金属糸を持ってやってきた。案外と所長の地位は暇なのか、直々のお出ましである。
「助からなかったってなぁ」
「でも実際、他に手が無かったのが事実で。
私が貴方を発見した場所は、貴方のいた場所から結構距離があったから」
「・・・助けてもらっておいてなんだが、俺を襲っていた奴を撃てばよかっただろ。その万華鏡で」
エルネストは溜め息をついた。彼を救った光は、彼があれ程までに嫌った筈の紋章科学の賜物であり、試作段階だろうが臨床試験をしようがするまいが、それが事実である。けれどもどうして、万華鏡・・・カレイドスコープは傷を癒したのか。攻撃に用いられてくれた方が、彼にとってはまだしも救いであっただろうに。何故、それはあまりにも平和的な利用をされたのだ?
「それが、カレイドスコープにはヒールスターしかセットアップしてなくて。あれが唯一まともに、というより安全に動作する拡張システムだったから」
エルネストの内心に勿論気付く訳がなく、彼女は更に説明を付け加えた。
「元々、今回私達があそこをうろついていたのはカレイドスコープの実用試験の為。・・・随分軽量化したんだけど、やっぱり実際に持ち歩くには難があったわ。形状も考えないと」
が、エルネストは尚も不審気な視線のままである。そして胡散臭げに所長の方を向き直った。
「なぁ、偶然にしては出来過ぎてやしないか?」
所長の表情には瞬時にして冷ややかな色が混じり、敵に回したくはない剣呑さで問い返す。
「・・・まさか、あの生き物を私達がけしかけたとでも思ってるんじゃないでしょうね」
「可能性としては、挙げておく必要がある」
「あのタイミングは本当に偶然よ。まぁ、試験地を検討した時にどこかで見た様なエネルギー反応があったから、いるのかな、と思って来てみた訳ではあるのだけれど」
「だと、いいんだが」
「嫌われたものね」
自分の蒔いた種ながらエルネストは修羅場を覚悟したが、意に反して彼女はころころと笑い始めた。
「でも確かに『はい、けしかけました』なんて言うはずが無いでしょうね。用心深いのは、いいことよ。
他に訊きたいことはあるかしら。新進気鋭の考古学者さん」
どうやら完全に相手にしていないらしい。エルネストはうんざりした。一刻も早く、自分の居場所に戻りたい。
「俺のことを知っているのか」
「多少はね」
しかし彼には一つだけ尋ねておきたいことがあった。機会は恐らく今しかない。
自分の感覚を信じてみろ。目の前にいる女性、所長である彼女は果たして欲に憑かれているか?むしろ、研究者としての熱心さが感じられたのは、気の所為だったのか?機関の長は、特に新しい機関の中心に位置する者の面構えは、機関そのものを表す。だとすれば、目の前の彼女であるところのLaTECSSとは一体何なのだ?
それは如何にして存在するに至り、何故紋章科学を打ち建てようとする?
彼にとって、この疑問は是非とも解明しておきたいものであった。
「一つ、訊いてもいいか?」
「えぇ、どうぞ」
彼女はまた、興味深げな表情を見せた。その顔に向かってエルネストは問いかける。
「どうして遺跡の形態に過ぎなかった紋章を科学にしようとする、紋章科学研究所は。
その目的は・・・いや、あなた自身の動機と目的は一体何なんだ?イリア=シルベストリ所長」
▼Intermediate
----------------------- そう、こんな記憶の断片が、我々の頭の片隅には在った訳なのです。
思えば奇妙な縁が続いたのも、実は、未来に起こる大きな出会いの予兆に過ぎなかったのだろう。或いはその為の布石でもいい。
教え子であったオペラはKaleidoscope-Systemを搭載した多目的銃『カレイドコープ』に興味を示す様になり、それは彼女の身を守る上で大いに役立った。もっとも、彼女は守りよりも華々しい攻撃にこそ意味を見出しているきらいがあったので、結局俺にとって因縁のヒールスターはデフォルトのまま、さして使われることはなかったが。
とにもかくにも、紋章科学は益々発展したという訳だ。それが俺にとってどんな意味を持っていたのかは、俺自身にもよく解らない。が、そんなに癪に障るものではなかった事だけは事実だった。
▼Outerspace
「面会人があるとは聞いていたけれど、貴方だったのね」
「久し振りだな」
紋章科学研究所にある彼女の執務室を訪れると、イリアは机上に山と積まれた資料から顔を上げて入ってきた二人の方を見た。息子に比べれば多少髪の輝きに曇りが見えるかもしれない。しかし九年という歳月も、エルネストの記憶にあった彼女をさして変容させてはいなかった。彼自身が過去に戻ってしまった様な錯覚すら覚える。
「そうね。お疲れ様、とでも言うべきなのかしら?
まさか貴方がクロ−ドと旅していたなんて、不思議な縁よね。そちらの方は・・・チサトさん、かしら」
クロ−ドから話を聞いていたのだろうか、彼女は立ち上がるとエルネストの隣に立っていた新聞記者に向かって片手を差し出した。その仕草の一つ一つもまた、昔と変わっていない。
「初めまして。クロ−ドがご迷惑を掛けなかったかしら?」
「いえ、私の方こそクロ−ド君にはお世話になってます。あの・・・こちらこそ初めまして」
緊張気味だったらしいチサトはぎこちなく右手を出して軽い握手を交わす。イリアは改めて二人に向き直ると、何かに気付いた様だった。
「クロ−ドは一緒じゃないのね。何か貴方達の個人的な用件なのかしら?」
「あぁ」
エルネストは頷いた。
「あの、これなんですけれど・・・」
彼の視線に促されて、チサトが取り出したものは一枚のカ−ドであった。清冽な銀色をしたそれを見て、イリアは怪訝そうな顔をした。こんな話の展開では、話が呑み込めないのも当然である。過去の経験があったので、イリアを話の見えない状況に置けたことにエルネストは微かな可笑しさを覚えた。実に不謹慎ではあったものの。
しかしこれはチサトの問題だ。話し始めるのは彼女でなければならない。
「何かしら」
「あの・・・エナジ−ネ−デの、遺産です」
「イサン?」
「はい・・・」
チサトは助けを求める様にエルネストを見た。本来、人と話すことはむしろ得意であった彼女だったが、一連の出来事によって受けた精神的な打撃からは回復していないらしく未だ思考が支離滅裂になりがちなのだろう。
エルネストはチサトの手からオリハルコンの単結晶から造り出されたカ−ド、S_D-Memoryをゆっくりと取り上げて照明に閃かせる。
「エナジーネーデのことはクロードから聞いて知っていると思うが」
「えぇ、知っているわ。当然、ね・・・」
「これはチサトの言った通りに、エナジーネーデの遺産らしい。・・・或いはネ−デプ−ルにおけるミ−ムの集合体・・・いや、ネ−デプ−ルそのものとでも言うべきかな。こいつは一種の記録媒体なんだ」
「ネーデのミーム・・・あら、そうなの」
二人の言わんとしていることが解ったのか、解らないのか。イリアは急に視線を逸らすと二人に白衣の背を向けて窓際まで歩いていき、外をじっと見つめている様だった。僅かな沈黙を経てから、
「そうなのね。
あぁそういえば。・・・ミ−ム学からすれば、神もまた一つのミ−ムに過ぎないのではなかったかしら?」
「・・・その通りだよ。そして、それを否定するのが、あなたの仕事だ」
チサトが不思議そうな顔をしたが口を挟もうとはせず、代わりにテトラジェネスの方に、もの問いたげな視線を向ける。だが彼は何も言わず、白い影の次の言葉を待った。
「私の仕事、か。
・・・何年も何年もかかって、未だに神がミ−ムでないことを立証出来ないの。そして結局、証明出来なかったのかしら。・・・あの人はいってしまった。今更言っても詮無い事だけど」
微かに震えている肩に、ネ−ディアンは息を呑む。『あの人』が一体誰を指しているのかに、漸く気付いたからだった。そして自分がいかに残酷な事を頼もうとしているのかを、今一度思い知らされる。隣に立っているテトラジェネスにも、無論解っている筈だった。
それでも、この考古学者はチサトが困っていた時、この場所を頼れと今まさにチサトの立っている機関を推薦した。そこにはきっと当然の根拠があることを、信じたかった。でなければとても居た堪れない。
「未だに信じられないし、信じたくもない。状況証拠だけだから・・・だから、まだ生きてるんじゃないかと思っていたりして。往生際が悪いかもね」
ゆっくりと振り返ってイリアは微笑んだが、それはあまりにも無理矢理なものだった。
エルネストもまた、今更ながらに後悔する。だが自分の判断は決して間違ってない。その確信だけが自信となって、彼は科学者の琥珀色の瞳を真っ直ぐ見ていた。
彼女は酸素を求める様に微かな音を立てて息を吸った。
「話を聞くわ。そのネ−デの遺産を私に見せて、どうしようというつもりなの?」
「・・・このカ−ドは、私がネ−デ市長から託されたものなんです」
チサトが口を開いて密やかに言葉を紡ぎ始めた。
「集められ得る限りのネ−ディアンの思考とその結果を、崩壊するエナジ−ネ−デの外へ移したのだと・・・そしてこのカ−ドは、その場所を示すものだと聞きました。
この行為が正しいことなのか、私には判りません。自らの驕りによって滅亡を招いたネ−デの有していたものを、果たして外に出してよいものか」
自らの言葉と共に彼女は思い出していた。残された時間は僅かと知った時、滅び行くネーデの最後の統治者が、何処か痛い様な眼差しをこのMemoryに注いでいた。
「恐らく市長も悩んだと思います。そして、私も。
きっと、こんなものは壊すべきなのでしょう。
ただこの手の中で握り潰すには、私にはこれが大き過ぎるんです」
震えた声の先を、エルネストが続けた。
「どちらにしろ、現在の連邦ではこいつを・・・S_D-Memoryを読み取る技術は無い筈だ。ここだけの話、空間の揺らぎで記録するなんてとんでもない方法らしいからな。
俺達がLaTECSSに依頼したいのは、この記録媒体の保管」
「いずれこの世界の技術がネ−デと同等になれば、これのもたらす影響も最小限で済むと思います。その時まで、預かっては貰えないでしょうか?
クロ−ドのお母様なら、安心してお任せ出来ると思ったんです」
「保管、ねぇ」
白い照明の下、何やら物憂げに考え込んでいるイリアの俯いた顔が、一体何を思っているのか二人には判断出来かねていた。彼女が拒否する可能性は、やはり無きにしも非ずである。
「やっぱり、こんなお願い引き受けては頂けないでしょうか」
相手は何か言おうと口を開きかけたが、結局言葉にはならなかった。身を切る様な雰囲気に屈せず、チサトはイリアに向かって言った。恐らく彼女にとって最も言いにくいことを。だがチサトには逃げるつもりなどなかった。
チサトもまた、闘っているのだから。
「カルナスのことは知っています。私には何の言葉もありません。
でも、私自身にもこれを、どうしたらいいのか解らなくて。それで、ここに来たんです。
・・・勿論・・・ご迷惑なら、このまま帰ります」
「あ・・・ごめんなさい、誤解しないでね。貴女は何の遠慮もしなくていいの。別に貴女やエナジーネーデそのものに、私が攻撃的な感情を持っている訳ではないから。これは、私自身の問題なのよ」
イリアはやっと、静かにそう答えた。しかし言葉の上手く伝わらなかったもどかしさにチサトは唇を噛む。
「違います、そうじゃありません。私達がもっと強ければ、自らを律することが出来ていれば、あんなことにはならなかったんです!私は、恨まれて当然の人間なんです!!」
「チサトさん、違うのよ」
「何も、違いません。クロード君にも本当に申し訳が立たなくて・・・」
雫が一滴、継ぎ目の無い床に落ちた。これまで気丈に振舞ってきていたが、溢れんばかりの悲しみに心が耐えられなくなったのか。が、エルネストには咄嗟にかける言葉が見つからなかった。代わりにイリアの声がそっと響く。
「貴女は本当に辛かったのね。家族も帰る所も失って」
「大丈夫です、あなたに比べたら私なんて全然・・・っ!」
先は続かないで、小さな嗚咽となった。幾ら止めようとしても、全身が言うことを聞かない。眼の奥に破裂した水道管でもあるのかと思う程に、涙は勝手に湧き上がって頬を濡らす。
彼女がこんなにも大きな悲しみを持っていたことに気付かなかった自分を、エルネストは恥じた。あまりにも今までの彼女は自然に、毅然と振舞っていたので。
「いい?貴女は貴女のしてきたことを、生きてきたことを誇りに思わなければならなくてよ?これからもね」
「・・・・・・?」
チサトがはっとして顔を上げると、何時の間にかオリハルコンのカードは科学者の手にあった。エナジーネーデの最期の煌めきは最早チサトの手を離れて、既に彼女の一部ではなかったのだ。クロードの笑顔はこの人譲りだったのだと、彼女はその瞬間に悟った。
「・・・これはLaTECSSが責任をもって預かるから、貴女は貴女の好きなように生きなさい。
過去を捨てないで。でも、縛られないで。時間はいつだって過ぎているものだから、無駄にしてはいけないのよ」
それからじろりとテトラジェネスの方を見た。
「エルネスト、駄目でしょう!仲間をこんなに泣かせてしまっては。まったく、クロードも一体何をやっていたのかしら?」
「あ、あぁ・・・済まん・・・」
「それにしても頼りないわねぇ。そんなことじゃ、噂の貴族のお嬢様にもさぞかし迷惑を掛けているんじゃなくて?」
どうして矛先がいきなりこちらに向くんだ、と面喰うエルネストであったが、確かに一理はあるのかもしれない。
「あの・・・ありがとうございます・・・本当に、ありがとうございました・・・」
「大した事じゃないわ、チサトさん。本来なら喜んで引き取らせて頂くべきものなのだから・・・私もまだまだ未熟ということね。過去に囚われるべきでないのは、私の方かもしれない」
さぁ、涙を拭いてね。美人が台無しだわ、とチサトの青い瞳を一度覗き込んで、それから彼女は、骨董品らしい壁掛け型の時計を見遣った。
「具体的な話については、また後日ということでいいかしら。この後、ちょっと用事があるのよ」
「多忙だな」
「そうじゃないわ、クロードが来るの。何でも可愛い彼女を紹介してくれるんですって。
・・・そういえばこの事は、貴方達以外には知らない様ね」
「・・・はい。元々、私に託されたものだったので。
どうしたらいいのか困って、彼に相談したんです。そうしたら、ここなら安全に預かってくれるのではないかと。出来れば、クロードやレナ達には黙っておいてもらえませんか。いずれ時期を見て、私の方から皆にはきちんと話したいんです」
「わかったわ。クロード達には秘密にしておいてあげる」
退室しようと扉を開いたエルネストを追いかける様に、最後にイリアはもう一つの問を発した。
「エルネストは、どうしてここを彼女に紹介したの?」
彼は動きを止め、どう答えたものかを考えた。直感、それが答えなのだが、言葉で上手く表現するのは難しい。
「さぁ・・・ここだったら、多分躍起になって遺産を抉じ開けようとはしないと思ったからだ」
「良識があると認めてもらえたのかしら。初めて会った時とはえらい違いなのねぇ」
「・・・そいつは言わないでくれ」
「いえ、光栄だと言っているのよ?」
含みのある笑顔を前に、この性格がクロードに遺伝しなくてよかったと、エルネストはつくづくそう感じた。こんなのが二人もいたら、それは笑えない冗談以外の何者でもないだろう。
・・・確かに魅力的ではあるのだろうが。
独りになってから、イリアはカードを見た。
「ミーム、ね」
人の心を媒介にして成長し、進化を続ける思考パターン。そして文化の遺伝子でもある。
どうしてこのカードが遺されたのか、何となく彼女には解る気がした。これまで駆け抜けてきた無数の遺跡の様に、人は何かを遺したいのだろう。geneでもmemeでも、それは何でもいい。
何でもいいから、そこに可能な限り克明に刻印しなければならない。在った証を。パターンを。
・・・・・・そう、物事の本質は全て、無限に変化しうる紋章に過ぎないのかもしれない。
連続する時の彼方に停滞と進化を繰り返しながら、どうして私達は紋章を伝えようとするのか。
果てに何者かが待っているのか。
いるとすれば、それが、神なのか。
だとすれば、自分は神に問いかけるためのミームを生み出すべきなのかもしれない。彼女は独りごちた。
「運命って、やっぱりそんなに簡単なものじゃないみたいです。
ちょっと甘かったですかね、艦長・・・・・・」
けれどここで泣くわけにはいかなかった。折角クロードが、彼女を連れてくるのだから。
「俺は思うんだが、彼女にとっても悪い事ばかりではなかったと思う。何しろあんなに可愛くて気立てのいい彼女が、息子に出来たんだ」
「そうかしら・・・だったらいいけれど・・・」
「そう思っても罰は当たらないだろう」
重荷から解放されたにもかかわらず浮かない顔をしていた彼女だったが、ついに何かが吹っ切れた様だった。
「うん。ありがとね、エルネスト」
「それで、これからどうするんだ?」
「私は・・・特に考えてないわ。ここじゃ、知り合いも殆どいないし・・・ノエル達はエクスペルだしね。私もエクスペルに行こうかな・・・」
未開惑星保護条約のことなどまるで無視した発言にエルネストは苦笑する。
「もし暇だったら、俺がこれから加わる調査団に一緒に参加するか? LaTECSSの奴等と合同の調査なんだが・・・これが興味深い遺跡でな」
「え?エルネストって考古学関係だったわよね・・・ここは、紋章科学で・・・」
「何事も学際的にということだ。何も今に始まったことじゃない」
ここでやっと、彼女に挑戦的なまなざしが戻ってくる。
「へぇ・・・面白そうじゃない。是非、参加させてもらうわ!」
いい兆候だ。この時はまだ、彼女が仕掛けという仕掛けを作動させてしまうという特異体質だとは知らなかったので、エルネストはついて来いとブリーフィングルームへの通路を指差した。
それはきっと、これから始まる未来への階。
先に広がる視界こそが、正にKAL-EIDO VISIONARYの予期の通りに。
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