〜from Sarva〜



 暗い洞窟の奥深くにその生物はひっそりといた。
 誰に干渉するわけでなく、誰に干渉されるでもなく。
 動きの無い空間はまるで時の流れが停止したかのようであった。
 双頭の龍、と人は呼ぶだろう。炎の力を持つ火龍と冷気を操る氷龍。この星に住まう古い生き物の内の一つである。
 彼は、長い時を生きる力を持っていた。
 ある時には、眩い陽の下を生きたこともある。
 しかし今ではそれに倦み、地の底で微睡む様な日々を送るのが彼の生であった。

「凶悪な魔物め、覚悟!」
 一人の人間が剣を振りかざして迫ってくる。自分の何処が「凶悪な魔物」なのかさっぱり覚えは無かったが、放っておけばこの人間が自分を傷つけることは解っていたので、あくまで自衛の為に彼は炎の息を吐いた。しかし、遠慮はしない。岩をも溶かすばかりの炎にさらされたその人間は、逃げたか消し飛んだかした様で、とにかく洞窟内は静かになった。
 何故だろう。彼は不思議に思う。
 今まで、どれ位だか見当もつかない程の時の間、ここに人間が来たことは一度たりとて無かったのだ。それがつい最近(あくまで彼の認識によって、である)あちこちにランプのちらちらする光が灯されるようになり、そして人間がやってくる様になった。彼等は、わけの解らないことを言って彼に危害を与えようとする。その度に、彼は腹を立てつつ人間達を追い払ったのであった。

 鉱山の町、サルバ。
 周囲が豊かな森に囲まれているのに対し、この町は乾燥して埃っぽかった。土がむき出しになった道は、吹き付ける風に微細な砂を混ぜていく。
 ザッ。
 町の入り口は、往来の激しいクロス城への道だ。そのクロスの方向を背にし、一人の旅人が立ち止まった。急いで歩いて来たのだろうか、顔は上気して、かなり汗ばんでいる。まだそれほど暑くなる季節ではないが、旅人の服は黒に近い濃紺の長衣で陽光をよく吸収しそうであった。腰に下げてある剣を見る限り、どうやら彼は剣士である様だ。恐らく、剣士という職業に似合わない長衣は砂漠地方特有のものなのだろう。
 その剣士らしき旅人は、しばらくその場に佇んで町の様子を観察している様だった。町の大きさは、王都クロスに比べれば小さなものだ。しかし、鉱山を中心として発展しているだけあって、辺境に位置するにもかかわらず規模や活気は中の上といったところである。
「お前さん、龍を退治に来なさった方かぇ?」
「・・・はい?僕ですか?」
「そうさ、あんたのことだよ」
「え・・・あ、いや、そのつもりが無いって言ったら嘘なんですけれど・・・まあ、一応」
 背の高い、そこそこかっちりとした体付きの剣士が気弱そうな答えを返したのに、話し掛けて来た老婆は驚いた様だった。無理もないだろう。
 剣士は二十歳そこそこの青年であった。穏やかな顔つきで、所謂戦士特有の鋭い目つきだとか、隙の無い身のこなしだとかとは全く縁のなさそうな旅人にしか見えない。腰に下げた剣と高い背丈だけを見て声を掛けてきたサルバの住人は、少々呆れた様な顔になった。
「ありゃ、てっきり手練の戦士さんだと思ったけど」
「え?」
「お前さん、もう一度聞くけれど・・・本当に龍を倒しに?聞き間違いだったらすいませんねぇ」
「あの、ひょっとしてもう龍は倒されちゃったんですか?」
「いやいや、毎日強そうな戦士さん達が龍の巣に入って行くんだけれども、命からがら出て来る人や、・・・出てこない人、なんてのもいるよ。どうやらお前さん、本気で龍の巣に行こうってぇ人なんだねえ・・・」
 老婆は一人で納得して頷きつつ、ぶつぶついいながら剣士から離れて行った。ぽつねんと残された剣士・・・青年は呟く。
「僕って・・・やっぱり紋章剣士には見えないのかな・・・」

「ガンデスの奴が、半殺しで帰って来たってよ」
「本当か?かなり出来る奴だって評判だったんだろ?」
「ついさっきさ、魔龍の炎にやられたらしい。全身火傷で坑道の入り口にぶっ倒れてる所を発見されたって話だぜ」
「その龍って双頭なんだってな。片方が炎で、もう片方が氷を吐くんだっだか・・・相手が悪いぜ」
「二頭を相手にしてる様なもんだからな。やーっぱ俺、挑戦するのやめとこうか・・・なんだかんだ言って、命は惜しいし」
 酒場は、昼間にもかかわらず物騒な格好をした男達が大勢たむろしていた。騒々しいことこの上ない。本来の客である鉱夫達は、厄介事を恐れて近付かないのだろう。
「この町って、前も町長の息子がとりつかれたとか何とかで、一騒ぎあったらしいぜ。そいつも、ひょっとしたら龍の仕業なのかもしれねぇな」
 男達は酒を飲みながら、下らない話に花を咲かせている。
 店に金を落としてくれる客としては申し分無いが、酒場のイメージは下がる。昼間からこんな所で酒をかっくらってないで、腕に覚えがあるのならさっさと龍騒ぎを片付けてもらいたいものだ・・・カウンター越しにバーテンはそんな事を考えながらグラスを磨いていた。あること無いことくっちゃべりやがる。これなら、味覚の無い料理人の相手をしている方がずっとましかもしれない。
 バーテンは、それでも営業スマイルを崩さないで今しがた店に入って来た客に陽気な声を掛けた。
「ご注文は?」
「とりあえず、水を一杯お願いします」
 埃っぽいこの町ではよくある事だ。バーテンは手際良く、よく冷えた水を注いで客に出してやった。客は一気に飲み干して、一つ溜め息をつく。
「ふぅ、生き返った・・・何かお昼ご飯のお勧めってありますか?」
「勿論。メニューを見るかい?」
「いえ、お任せします」
「酒は美丈夫のいいのが入ってるよ?」
「そっちは遠慮しておきます。まだ日も高いですからね」
 バーテンはこの新しい客に好感を持って、相手に注意を向けた。この店にいる他のどの男達よりも若い。顔も、どこかのお坊っちゃんといった感じで場に馴染んでいなかった。しかし、ごく自然に帯剣しているところだけは、他の客と同じである。
「お客さんこの辺りの人じゃないね。こんな時期に、何処から来たんだい?」
「クロスの方から・・・それに、こんな時だから来たんですよ」
「ほう。じゃ、お客さんも腕に覚えがあるんだね」
「いやあ、それ程でもないです・・・」
 出された料理を口に運びながら青年は後ろをちらりと見る。その視線からは何の感情も読み取れない。
「あそこにいる人達に比べたら、僕なんてまだまだ経験不足だから。この町に来たのだって、その龍っていうものを一目見てみたいっていうのが目的なんだ。倒せたら、まあ倒してもいいんだけど・・・」
「へえ。物好き、いえ、勉強熱心なんですねえ。でもまあ、気を付けた方がいいですよ。また一人、龍にあぶられたらしいですから」
「じゃあよっぽどその龍が強いんだ」
「集まって来る戦士さんが弱いっていうのも、あると思いますよ。こんな昼間っから酒場に入り浸っていう様な人達ですからねえ・・・」
「うーん、まあ、言われてみればそうかもなぁ」
 バーテンは、声をひそめて言ったつもりだったが、不運なことにこの会話はしっかりと周りに聞かれていたらしい。と、いうよりもこの、場に馴染まない新しい客に他の客達はそれとなく注目していたのである。
「何だ?俺達が弱いってぇ?」
「勝手な事ぬかしてんじゃねぇぞ、この野郎!」
 酔いの回った男達が数人、椅子を蹴って立ち上がるとバーテンと青年に近寄って来た。バーテンはしまった、と口を滑らせたことを悔んだが後の祭りである。
「たかがバーテン風情に俺等の苦労がわかるかってんだ。何ならこの剣の切れ味、てめぇで試してやってもいいんだぜ?」
 いずれも柄の悪そうな者ばかりである。しかも酔っ払っているだけに何をしでかすかわからない。思わず首と胴体泣き別れの図を想像してしまい、バーテンの背に冷や汗が流れた。とにかく面倒事は避けなくてはならない。
「お客さん、その物騒なものをしまって下さいよ。このボトル、私の奢りですから」
 カウンターに出された酒瓶をひったくった男は、つまらなさそうに床に唾を吐いた。
「こんなもんで納得すると思ってんのか?俺等は侮辱されたんだぜ・・・それなりのもんは出してもらわないとなあ!」
 要するに金を出せ、ということらしい。口は災いの門、とはよく言ったものだ。バーテンは困り果てた。鉱夫相手ならば、こんな騒ぎは起きないのに・・・。
「おら、出すのか出さないのか?!」
「・・・その辺にしておきなよ」
「あ?何だお前は」
「確かにこの人の言う通りだね。ろくな奴じゃない」
 溜め息をついてそう言ったのは、男達に囲まれてずっと静かだった青年だった。水を一口飲んでもう一度溜め息をつく。
「あなた達に比べたら、多分僕の方がましな剣士に違いない」
「てめえが剣士だって?それじゃあ、そのましな剣の腕とやらを見せてもらおうじゃねえか!」
 挑発にいきりたった男達の内の一人がついに抜刀した。
「おら、立てよ」
「ここは酒場であって戦場じゃない。そんな事も解らないのかい?」
「ちょっと、お客さんまずいですよ!早く逃げて下さい!」
 バーテンは慌てて青年に囁いたが、彼はにっこりと笑ってこう言った。
「うん、ありがとう。でも大丈夫だから」
「ナメやがって!」
 もう駄目だ!青年が斬られることを予想して、バーテンは目を覆った。
「ぐぅっ!!」
 ばたん、と人の倒れる大きな音。
「こ、こいつっ!」
 様子がおかしい。恐る恐る目の前で何が起こったのかを確かめると、剣を振りかざして襲って来た筈の男が倒れている。
「あれ?お客さん、大丈夫なんですか?」
 聞かなくても一目瞭然である。青年は腰から外した剣を鞘ごと持って立っていた。意外な出来事に残りの三人の男が一瞬茫然とし、そして一斉に青年に武器を向けた。いずれもすっかり逆上してしまっている。
「・・・さすがに三人は辛いなぁ・・・」
 青年は心底困った風に呟くと、もう一本の剣も鞘ごと腰から引き抜いた。二刀流である。
「本当に、やるの?出来れば穏便にしません?」
「黙れ!!」
 それからは、鮮やかの一言である。青年は二本の剣であっという間にならず者達を打ち倒した。勿論、鞘で昏倒させただけである。
 酒場はしん、となってこの騒動に注目していた。そして始めに声を上げたのはバーテンである。
「お客さん、強いんですねえ!すごいですよ!!」
「あ、いや、それほどでも・・・」
「ありがとうございました、是非、私に奢らせて下さい!!あなたなら龍も倒せますよ、きっと!」
「いえ、・・・あの・・・」
 青年は、さっきの立ち回りが嘘の様に口ごもり・・・更にバーテンが感謝の言葉を述べようとすると頭を下げてそれを遮った。
「あの、お騒がせしてすみませんでした!これ、勘定です!じゃっ!!」
 そして、彼はあっと言う間に出て行ってしまった。
 後に残されたバーテンは、不思議そうに首を捻る。どうして出て行ってしまったのだろう?その上剣の腕に似合わず随分と内気な様子の青年は、食べ終わっていない料理に倍の勘定を払って行ったのである。

 坑道に靴音がこだまする。
 龍の鋭敏な聴覚は、靴音の主が遥か遠くにいる時からそれを聞き付けていた。
 また人間か。
 今までやってきた人間に、龍は全く傷を負わされていなかった。しかしひっきりなしにちょっかいをかけ続けられて、そのストレスは最高潮に達している。おまけに最近はこの洞窟に住んでいた餌が人間のせいで減り、空腹の嫌な感覚が長く続いている。
 龍は、イライラしながらこの人間が到着するのを待った。
 ついに、人間が姿を現わす。黒衣の男だった。
 ランプの灯が坑道に長く踊った影を落とし、今にも飛びかかって来ると思われた人間は、しかし龍と十分な距離をとって話し掛けて来た。
「あのー・・・僕、一応、龍の巣の双頭龍を倒しにきた者なんですけども・・・君、双頭龍、だよね?」
「?」
 龍は二対の目を瞬しばたたかせた。どうも勝手が違う。
「今日はその・・・君と闘うつもりは無いんだ。君が人間の言葉が解るらしいって話を聞いたから、来たんだけど・・・ここは、丁度広げようとしてる坑道の通り道なんだよ。だから何人も戦士が来て君を倒そうとしてるんだ。だから、ここから離れた方がいいよ・・・僕は明日もう一度来るけど、そのときにまだ君がいたら、闘うから」
 勝手な言い分に、龍は鼻をならした。よくよく見れば、話し掛けているのは若造ではないか。答えの代わりに、龍は猛烈な吹雪を吐いてやった。普通の人間がこれをくらえば、たちまち凍え死ぬ程の吹雪だ。こいつならひとたまりもあるまい。
 ところが、龍の予想は外れた。人間は情けない悲鳴を上げながらも、機敏な動きでそれをかわしたのである。そして一目散に逃げて行ってしまった。
 何だったんだ、今のは。
 それが、正直な所の龍の気持ちであった。

 次の日。
 約束通り、その人間はやってきた。龍がまだその場にいるのを見ると、がっかりしたらしく溜め息をついた。
「やっぱり、何処かに行ってくれるわけないよなあ・・・闘うしかないのか」
 誰が何処かになんぞ行くものか。人間風情が、馬鹿にするのも程がある。龍は鋭い咆哮で人間を威嚇した。これで大抵の人間は怖気付く。
 ところが、この人間は咆哮を気にすることもなく二振りの小剣をすらりと引き抜いて構えた。意外に肝の座った人間であるらしい。昨日の様子からは想像もつかないことではあったが。
 その内に、龍は異常を察した。人間の気配が静まって行き、代わりに剣の輝きが増した気がする。今までの人間とはどうやら違うのではないか?龍がそう首を巡らせた時。
「行くよっ!」
 ついに人間が打ちかかってきた。
 二振りの剣の光が確実に龍を狙ってくる。完全に油断していた龍は、あっという間に幾つかの深い傷を負わされた。苦しみ紛れに炎を吐き散らすが、人間はなんなくこれをかわし、更に攻撃を加えてくる。
 昨日の人間と同じ奴なのだろうか?龍は必死に冷静さを取り戻して相手を観察した。本来、強大な力を持つ彼にとって人間をあしらう事はさして苦ではない。直ぐに、体勢を立て直すことが出来た。
 人間は恐ろしく集中しているのだろう、座った瞳は昨日とは別人だ。ひたすら龍の攻撃をかいくぐりながら機を窺っている。
 紋章剣、龍は人間の用いている剣術の名を思い出した。神の力を借りた剣術だ。なるほど、人間にしてはこいつは出来る奴らしい。だが、自分を倒すのには不十分だ。龍は長い首を人間に打ち付けて、吹っ飛ばそうとした。
「させるかっ!」
 しかし人間はその力を利用して首に斬り付ける。龍は間一髪で、自分から刃に体当たりするのを止めた。
 人間は、嬉々として闘っている様に見える。どうして、こいつは逃げろなどと忠告をしに来たのだろうか。
 激しい攻防を続けながら龍は考える。紋章術、もしこの神の力を人間が、より自在に操れる様になったなら・・・自分は恐らく殺されてしまうだろう。少なくとも、こいつが言った通りならばこの「人間の邪魔になる場所」にいる限りは。それはこいつを殺したとしても変わらない。その事実に今まで気付かなかったのは、それまでここにきた人間が弱すぎたせいだ。
 剣先に目を突かれそうになって慌てて身を引いた。しかし、こちらも鋭い牙で相手の二の腕に傷を負わせてやる。赤い血が滴った。
 人間はキッっとこちらを睨み付ける。紋章力を高めているらしい。剣が力を蓄えて光り輝く。
「ツインスタッブ!」
 かすっただけなのに、見た目によらず大きな衝撃を受けた。龍はその時、この人間の持つ力を解析、理解し、少なからず驚いた。
 このままここで人間を殺すことは簡単だ。いや、簡単な筈だ。彼等はまださした力を持っていない。だがそれを続けることは可能なのだろうか。仮に人間の言う通りここから出ていくとしても・・・一体何処へ行けと言うのだろう。安住の地が見つかるという保証は何処にもない。
 確実に生き延びたい、龍はそう思った。だが、その為にはどうすればいい?
 その時。
「頑張ってー!」
 この場に何ともそぐわない声が洞窟内にこだました。高い、人間の女の声である。数人の男女が後ろの方で何やらがやがやとこの剣士に声援を送っているらしい。途端に、次の攻撃を繰り出そうとしていた人間の表情が一変した。険しい表情は全く影を潜め、夢から覚めた様な惚けた顔になる。そしてタンッ、と後退って龍の間合いから逃れると観客達の方を向いた。
「ちょっと、・・・邪魔しないでもらえるかな?」
「あれ?邪魔、でしたか?」
「・・・集中出来ないじゃないか」
「あ、すいません」
 突然止んだ攻撃の嵐に龍は再度目を瞬しばたたかせた。人間達は、離れた場所で話し込んでいる様だ。
 これは、願ってもないチャンスではないか。龍は決断を迫られていた。手段を選ばずに生き延びるか、役に立たない誇りによって破滅の見える道を歩むのか。

 答えは単純であった。双頭竜がどういった行動に出たのかは、周知の通りである。







 これはですね・・・超豪華ペーパー(無料配布本)にのっけたアシュトン短編です。
 「アシュトン本を作って欲しい」というリクエスト(!)にあまりに嬉しくて書いた話でもあります。アシュトンは嫌いじゃないです。うちのアシュトン=アンカースは二重人格ですけどね(爆)一応、これを初めて相方さんに見せた時、私のアシュトンへの好意が伝わった様でしたので、これはアシュトン話と言ってもよいのでしょう。だがしかし、何ヶ月もほったらかしにしておいたお陰で当時の自分がこれにどう手を入れていこうと考えていたのかが曖昧になり、手直しもままならず・・・。で、殆ど元のまま(汗)なんだこりゃ、って感じですよね。
 まぁ、私の主張としては、
「アシュトンは二重人格に違いない」ということと、
「双頭竜の心理はきっとこうだ!」ということです。
 それにしても、この辺のトークもペーパーと変わってませんね・・・まぁ、再録だからいいか・・・。



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