Final Misson "Another wiseman called Uriel."
見上げると、無数の緑葉が陽を透かして輝いていた。
穏やかな樹木の香を胸一杯に吸い込むと、例えようのない安堵感が広がる。
(ロークと同じ匂いがする・・・)
苔むした巨石の上で、イリアはそっと目を閉じた。
厚く降り積もった枯れ葉を踏んでロニキスは副官の姿を探していた。
とはいえ、直ぐ近くにいるだろうことは分かっているのでその足取りはゆっくりだ。
遠くの鳥のさえずりと風のそよぎとが絡み合って生に満ちた静けさを作り出す。
大きく広がった木の枝に、彼は自分が包まれているのを感じていた。木の香は、ついこの間旅した星を思い起こさせる。恐らくイリアも同じ思いでこの小さな林に踏み込んだのだろう。暫く歩いて、彼はその場所に辿り着いた。
彼女は眠っているように見えた。そっと近づく。
「ここは・・・綺麗な場所だな」
予想に反して、イリアは直ぐに目を開いた。
「艦長」
「スィード星系第五惑星、メイノニア。こんな温暖な惑星が無人の状態で放置されているなどとは、とても信じられないことだ」
横に立って一緒に梢を見上げる人に気付かれない様、そっと微笑みながらイリアは起き上がった。
「どうしたんですか、艦長。こんな所に」
「いや、な。科学士官達が探していたぞ。さっき発掘した石碑がどうとか言っていたが」
わざわざ艦長自らが呼びに来ることもないだろうに。しかし、彼女はロニキスのそんな性格をよく知っている。案外、何でも自分でやりたがるのだ。
「それなら、後でここも調べないと」
「ここ?」
「ええ。ほら、見て下さい。何かが刻んであるんです」
体の下にある巨石にはうっすらとではあるが複雑なパターンを持つ文様が刻み込まれている。端の方は砕けて判読出来ない。ロニキスは屈んで表面に密生した苔を擦り、模様とも文字とも言えないそれをはっきりと浮かび上がらせた。
「・・・確か、科学班の連中が騒いでいたのも、これと同じ感じのものだったぞ。もっと見てくれは良かったが」
「もしかするとこの星の言語かもしれません、上手く行けば解読出来るかも・・・」
『それ』を間近にして初めて、彼はある事に気が付く。気付いて、直ぐに只の思い付きに過ぎないとその事実を頭の中から抹消しようとしたが無理だった。
既に口は諦めの声を出している。
「いや・・・この文様、雰囲気からするとどうも紋章に似ている気がするな」
「紋章に?」
イリアはちょっと驚いたが、この調査の目的を考えると当たり前の事ではあった筈だ。
「では何らかの紋章術なんですか?」
「いや・・・これ自体には見覚えが無い。意味は解らないんだが、ロークの奴と記し方が何となく似ている気がするんだ」
彼自身、自らの勘が告げたものに対して戸惑っていた。しかし見れば見る程に、これが紋章であるという確信は深まっていく。
「もしかすると、紋章術文明かもしれないな」
しかし、確かめようにもここの住人は既に亡い。イリアは紋章をそっと撫でた。
「さぁ・・・まさしく、神のみぞ知ると言ったところでしょうけれど」
「おいおい、それを解明するのが仕事じゃないか」
この星の空は、淡い紫の混じった青をしていた。その中に白い雲が流れている。
大地には豊かな森と草原が広がり、地球連邦が高等文明の痕跡有りと認定した遺跡が点在している。
その一つであるこの都市は、森の腕に抱かれるようにして微睡んでいた。
「どうしたの?」
遺棄された都市の外辺部に、数人の士官達がいる。
少し離れた林から足早にやってきたイリアの姿を見た何人かの科学士官が、一様にほっとした表情をした。
「中尉、休憩中申し訳ありません。これなんですが・・・内部にエネルギー反応があり、何らかの装置の一種の様なんです。材質は不明。しかしかなりの強度と硬度を持っています」
「それで?」
イリアは先を促す。説明する男性士官は、緊張した面持ちで先を続けた。彼等の足下に広がる穴からは、紋章を刻みつけられた石碑が頭を覗かせている。成程、土の払われたその表面は滑らかで、ロニキスの言った通り見てくれは良い。
「はい、それが・・・先程からこのエネルギー反応が増加しているんです。増加量はゆっくりですが、原因が解りません」
「増加が始まったのは?」
「我々がこれを見つけてから、程なく。ほぼ三十分前からです」
「増加原因は不明、これが何の装置であるかも、勿論解らないのよね?」
「はい」
「エネルギーパターンは?」
「それも、未知のものです。カルナスのデータバンクにもアクセスしましたが、該当するものはありませんでした」
イリアは科学士官から分析機を受け取ると、自身の携帯端末に接続した。
「やっぱりこのパターン・・・確かにどこのデータベースにも無い筈よ」
「判ったんですか?」
科学士官達の目に驚きの色が混じる。だが、彼女にとっては褒められるような事でもなかった。過去に一件だけサンプリングしてあった資料を呼び出し指し示す。
「仮に紋章力とでも呼んでおきましょうか。紋章術の使用者から発せられる力によく似ているわ。紋章術文明の探索ならば当然こういった事態は予測出来た事ね・・・このデータはカルナスに送っておいて」
未知のエネルギーを難なく説明してしまったにもかかわらず、イリアの苦々しい表情に士官達は怪訝そうな顔をする。だがイリアはそれには気付かず解析を進めた。頭の別の所では今回の任務に対する不満を、連邦上層部に対して毒づきながら。
今回、ロニキス達に通達された惑星メイノニア調査任務の目的は、遺跡が紋章術文明のものであるかの解明、及び確定出来た場合にはその解明だった。
レゾニアとの停戦、ロークのウィルス事件解明、そして作戦スターダストの成功という一連の事件の中で、ロークで用いられていた超能力、紋章術の存在が連邦内で明らかになった事は記憶に新しい。未開惑星保護条約によって先進惑星と未開惑星の間の交流は無いに等しかった為に、紋章術とは先進惑星では極一部の研究者にのみ存在を知られていた力であったが、その実態が銀河中に散在する多くの未開惑星に見られる創造神信仰に基づくものである事が判明すると、連邦組織は即座にこの力の解明に乗り出した。
勿論、現存する未開惑星文明については最重要規約である保護条約によってつぶさに調査することは出来ない。だからこそ連邦にとって紋章術とは未知の存在であったわけなのだが、少なくとも連邦が調査に乗り出す以上、法に則った公式な調査以外は行えない。
そこで、既に崩壊した文明から紋章術の使用された痕跡を探し出し研究しようという訳だ。
こうした紋章術文明の学術的考察を目的とした研究の理由には、勿論、停戦したとはいえ未だ気を許すことの出来ないレゾニアを始めとする連邦未加入国家よりも先に、並みの兵器よりも強大な破壊力を持つ紋章術を解明するという大きなものがある。白兵戦における紋章術の有用性は、作戦スターダストによって既に証明済みだった。
しかし、その大義名分の裏には連邦内における紋章術研究イニシアチブの取得という、先進惑星間の思惑が交錯している。
連邦の中心惑星国家たる地球には特にその思いが強く、紋章術を習得した人物が地球人であるのをこれ幸いとばかりにロニキス達が惑星ファーゲットから戻って半月もしない内に調査任務が通達された。ほぼ一月が経った今、戦艦カルナスは惑星メイノニアの軌道上にある。
だから当然、任務に対して十分な準備を行う時間が無かったのであった。
イリアが何やらご機嫌斜めなことが分かったらしい。脇から見ていたロニキスが苦笑してみせた。
「他に何か、判りましたか? この遺跡の機能とか」
控え目に、まだ少女といってもいい様な士官が尋ねる。いや、士官候補生だ。確かこれが初めての航宙だった筈だが・・・彼女は表情を僅かに緩めた。
「これだけデータが不足していると何とも言えないわね・・・ここは経験者に聞くのが一番でしょう」
「経験者?」
少女は訳が解らないといった表情をした。ロニキスが惑星ロークで紋章術を会得したという事実は一般には殆ど全くと言っていい程知られていないことである。イリアは少女に意味あり気に頷くと隣を向いた。
「艦長、どう見ますか?」
いきなり話を振られて吃驚したのはロニキスである。
「なんだ、いきなり」
「仕方ないじゃありませんか、他にどうしようもないんですから。データを用意する暇なんて無かったんですよ?」
そのデータもどうせ俺を解析して作る気だったんだろう、ロニキスは心の中でぼやきながらも他に手は無いので石碑を観察しようとする。
「よく見えないな。下に降りるぞ」
無造作に降りて行こうとする艦長に、慌てて保安部員が一人、従った。
穴の斜面はそれ程急ではなく、所々で剥き出しになった岩が足掛かりとなってくれたので降りるのは大して苦でなかった。
湿った土を踏みしめて底まで辿り着くと、石碑は身の丈の三倍程はあった。円柱形のそれの表面を、紋章がびっしりととり囲んでいる。どこが始まりでどこが終わりかも解らないそれを掌で確かめながらロニキスは次第に険しくなる己が表情を感じていた。
「済まないが、この石碑を細かく記録しておいてくれ。表面の紋様を全て、一片たりとも漏らさぬ様にな」
「わかりました」
保安部員にそう命じておいてから、彼は石碑に手を置くと目を閉じて全神経をそこに集中させた。
科学班の言う通り、確かに微弱ながらエネルギーの流れを感じる。
この感覚には覚えがある。イリアの解析は正しい、これは紋章力だ。
もう自分以外の紋章力を感じることも無いと、そう思っていたのだが・・・それも一月限りだったな、と密かに彼が苦笑した時だった。
指先から右手首に這い上がってきたのは冷たい感触。
ロニキスは思わず手を石碑から引き剥がした。
(こいつは・・・)
目の前の石の塊が、まるで邪悪な意志を内包している様な気がして彼は目を見開いた。全身、総毛立っている。
「イリア、エネルギー反応はどうなってる!?」
「増加量が増えています。爆発的に・・・とは言いませんが、かなり急速に」
「嫌な予感がする。直ぐにここから離れよう」
「わかりました」
「機材はいい。測定機も回したままにしておいてくれ」
艦長の指示に、調査員達は作業を始める。疑問を挟む者は無い。彼の勘が絶対であるということを信じていたからだ。
いや、一人例外がいた。
「博士、どうして艦長はここが危険だと解るんですか?」
イリアは驚いて疑問を投げ掛けた先程の士官候補生を見つめた。確か、と記憶を探って名を思い出す。カウザーといったか。
十五才という若さだ、かなり優秀なのだろう。しかし、おずおずとではあるが疑問を素直に疑問としてぶつけてくるあたりが若く、同時に初めての航宙ということで波風を立てまいとただ黙っている若者らしくはなかった。この時イリアの感じたのは主に後者である。
彼女達二人の周りには、たまたま人がいなかった。イリアは小声で言う。
「だから、経験者だからよ」
「その経験、って何なんですか?」
「今は駄目、時間がないから。そんなに知りたいのなら艦長に直接聞いてみなさい。勿論、後でね」
カウザーは自分の質問がこの様な時にするには不適切なものであるという事に気付いたらしく、すいません、と俯いて作業に戻った。
ロニキスが穴の底から戻ってくる。しかし彼は何も言わずに右手を握ったり開いたりしながら、警戒の眼差しを石碑に向けていた。
「艦長!転送目標のロックオンが出来ないそうです」
「何だと、ジャミングか?」
「はい、転送機に異常は無いそうです。ここから半径一五〇mにわたって未確認パターンのエネルギーフィールドが広がっており、我々が動かないと転送は出来ません」
部下の報告に、彼の眉はしかめられる。嫌な予感は的中しつつある様だ。
ロニキスの手元にある資料によると、彼の率いる調査隊は「第三次」という文字を冠している。つまり、この惑星には第一次、第二次の調査隊が既に送られてきている、という事である。ところが、それにもかかわらず惑星メイノニアの擁した文明の実態は明らかになっていない。数万年前までに滅びたらしいという基本的な情報がデータベースに登録されているだけだ。
それは何故か。
不審に思ったロニキスは、彼独自の方法でその疑問を解消しようとした。つまり合法的でない手段を用いて連邦深部のデータベースから情報を引き出したのである。
結果、判明した事実にロニキスは眉を顰めざるを得なかった・・・
「皆、ここでは転送が出来ないらしい。作業は全て中断、急いでここを離れるぞ!」
「しかしデータをまだ転送していませんが・・・」
「そんなものはいい、後で幾らでも手に入るだろう。行くぞ」
緊張感はじわじわと高まってくる。多分、間に合わないだろう・・・が、諦めるわけにはいかない。
この星の太陽は頭上で燦々と光り輝いていた。
「カウザー候補生も、もう行きなさい。後はいいから」
「あ、はい」
イリアがカウザーを促して立ち上がる。石碑の紋章力は、既に一定のエネルギー値で安定していた。
彼女は自分が技を繰り出す瞬間を思い起こしてみる。気を高め、高まったら方向性をイメージしながら練り上げる。恐らく、このエネルギーの安定は「何か」の発動が間近に迫っていることを表しているのではないか。
上官であり戦友でもある彼も、解っているに違いない。
何が起こるか全く見当がつかなかったが、彼女は冷静にその事実を受け止め、せめてもの抵抗に全身の気を高めた。こうすることで紋章術の効果を軽減出来るということは、実戦で覚えた。
何も警告は発さない。いたずらに恐慌をひき起こしたくはなかったからだ。
瞬間、刻まれた紋章が光を持った。
同時に、この場にいた全員が同じ感覚を感じた。全身の力が抜け、指先から痺れる様な冷たさが浸入してくる。
膝をつかずに何とか踏みとどまれたのは、ロニキスとイリアだけだった。
温かい陽が降り注ぐ、平和そのものの風景は全く変わっていないのに、身体はゾッとする程の危険を感じて警告を発している。このままでは死ぬ、と。
「艦長っ」
「これは、何が起こってるんですか・・・?」
あちこちで必死にそう絞り出す声が上がる。が、力ない。
「皆、耐えるんだ。気をしっかり持て!」
ロニキスは部下達を叱咤するが、その彼の顔色も青ざめている。急激に体力と精神力が失われているのだろう、イリアは確信した。何故ならば彼女も徐々に怠く、重くなってくる全身を感じていたから。
運悪く、彼等は位相光線銃を携帯していなかった。カルナスからの走査では、調査区域を危険と判断する材料が発見出来なかった為だ。もし位相光線銃があれば、石碑を原子レベルから分解することも出来たであろうが、それは言っても詮無いことだった。
急がなければ手遅れになる。どうすればいい・・・どうすれば?
そこで、彼女は一つの可能性に気付いた。ロニキスに目を走らせると、どうやら同じことを考えているらしい。視線が交わった。
「シルベストリ・・・はか・・・せ?」
息も絶え絶えの少女を守る為にも、イリアは輝く石碑に向かって走り始めた。
先に完成したロニキスの呪紋によって大地が動かされ、出現した土の柱は凄まじい力で石碑を穴の底から持ち上げようとした。地属性呪紋、アースグレイブである。だが、石碑は根を張っているかの如く頑なに動かされるのを拒み、土の柱は圧力に砕け散る。
「アースグレイブ!!」
元々、他に比べてそれ程攻撃力のある呪紋ではないからロニキスは早口に、間髪を入れず何度も呪紋を唱えた。そしてついに彼の力は石碑に打ち勝ち、轟音を立てながらイリアが攻撃を加えやすい位置にまで石碑を押し上げる。
目線と同じ位置になったそれに向かってイリアは技を繰り出そうとした。身体から抜けていく力を纏め上げるのは酷く大変な事だったが、それでも何とか一つの気の形が出来上がる。
(材質は不明。しかし、かなりの強度と硬度を持っています)
無論格闘用の武器など持ってきているわけが無く、咄嗟に両手にはめた物は危険物取り扱い用のグローブだった。
でも、やるしかない・・・。
「玄武霸王拳っっ!」
ガキィィンッ!
一撃目、石碑は石とは思えない音を立てた。だが壊れない。
イリアは諦めなかった。連続技の二撃目、三撃目を間髪入れずに叩き込む。
石碑の受けた衝撃を吸収しきれずに急ごしらえの大地の柱は轟音を立てて崩れ落ち、巻き込まれる形で彼女の身体も落下した。
「イリアッ!」
遠くでロニキスの叫ぶ声がする。どうあってもこれを砕かなくては。全身をしたたかに石碑に打ち付けても、彼女は直ぐに立ち上がってこの攻撃の成果を見た。微かな亀裂が認められる。
もう一度。
「練気拳っっ!!」
ゴッ!!
この連続攻撃に、ついに石碑の一部が抉り取られた。それとほぼ同時にイリアは精神力を使い果たし、まるで操り人形の糸が切れた様にその場に崩れたのだった。
「イリア、大丈夫か?!」
ロニキスは逸早く石碑の「紋章術」が停止したことを感知し、イリアの元へと駆けつける。
石碑に刻まれた紋章は砕けている。やはり、彼女も気付いたのだとロニキスは納得し、そっと抱き起こした。今のは全く見事な連携であった。
先程に彼女がこうして横たわっていた石碑には何の力も感じなかった。それは何故か。
これが、その答えだ。砕かれ、中断された紋章。紋章術は一定の、力を持つパターンによって発生する。ということは紋章を乱せば力は無くなるという訳だ。
もしも砕くことによって一度発動した紋章が暴走したら・・・と思うとゾッとしなかったが、手段は無かった。単に賭けに勝ったというだけだが、喜ばしい事ではある。
他の部下達が近づいてくる気配は無い。まだ立ち上がれないのだろう。
「イリア、しっかりしろ。イリア」
腕の中のイリアも気を失ったままだ。ミリーがいれば回復呪紋をかけられるのに・・・攻撃呪紋しか習得出来ない己を恨めしく思う。ひょっとしたら力尽きてしまっているのか?
実際、ロニキスは相当な疲労を感じていた。体力と精神力、いわば生命力を削り取られながら術を発動させることは恐ろしく神経を磨り減らす。それも何度もだ、意識を保っていられる方がおかしい程の疲労である。
幸いにしてイリアの身体はまだ温かく、それだけが救いだった。
「・・・・・・艦長?」
誰かが自分を抱きしめている。馴染みのある感触に、意識の戻った彼女は声をかける。
相手はその呼びかけにはっとして彼女の顔を覗き込み、心から安堵した様だった。
惑星メイノニアに派遣された第一次、第二次調査隊はいずれも転送降下後数時間の内に消息を絶っている。原因は不明。ただしその前後には謎のエネルギーフィールドが発生して調査員の転送収容を不可能にしている。このフィールドは十数日間消えることはなく、消失後に何度探査しても調査員の痕跡を見つけることは出来なかった。
それだけの理由ではなかったのだが、幾つかの不幸な偶然が重なった結果、調査は打ち切られ、発見されてから半世紀が経つにもかかわらず惑星メイノニアは連邦管轄の辺境の一惑星として放置されていたのである。調査によって判明したのは、この星の文明が既に崩壊している事と、その崩壊が数万年前までに起こっていたという事くらいだ。
無論、この様な入植可能の温暖な惑星がただ放置されていることは異例である。理由は学術的な文明の価値、とでも言えるだろうか。それに、調査隊の消える様な危険な星に入植するわけにはいかないだろう。
そして忘れ去られていたかに見えた惑星メイノニアが再び調査されるきっかけとなったのが、ロークで起こった一連の事件であった、という訳なのであった。
「三人、か・・・」
十二人の調査隊の内、三人までもが犠牲となった。ロニキスは沈痛の面持ちで生き残った部下達を見回した。いずれも生気の失せた顔をしている。半分は意識も戻っていない。被害はかなり深刻である。
石碑を無力化した後、彼等はカルナスと連絡をとろうと試みたが通信機は全く繋がらない。
転送はともかく、通信が出来ないとなると降下員の無事を知らせることが出来ない。それと同時にロニキス達は、自分達がどんな状況に置かれているのかも把握出来ないのだ。エネルギーフィールドの範囲に変化はあったのか、それは物理的に通行可能なものなのか。そうした情報が一切入ってこなくなる。
そして、勿論カルナスに戻ることも不可能であった。
問題はこれからどうするか、ということである。
本来ならば、調査はひとまず打ち切らなければならない。戻ってから対策を立てるなりなんなりすればいいのであるが、この状況でそれは無理だ。戻れないのだから。
「私達は、これからどうすればいいんでしょうか」
保安部員のラーノ=キム大尉が発言した。屈強な体格に意志の強そうな双眸を持つ彼は、比較的「石碑」の攻撃によるダメージを受けていない。といっても、しばらくは立ち上がることすら出来なかったのだが。
彼は、それを口惜しがっている風であった。同時に、あの攻撃の中で石碑を無力化したロニキスやイリアに向ける視線は複雑である。
ロニキスは頭を掻く。他に選択肢が無かったとはいえ、紋章術を使ったことが悔やまれた。イリアも同じ心境である。異質の力は、それも強い力はそれを知らない者に恐怖を与えるものだ。そして、ラーノは今回カルナスに配属されたばかりだった。
「とりあえず、犠牲者を防腐フィールドで包まなくてはな。今はろくに動ける者も少ないから、これからどうするかということは、一段落したら考えよう。・・・作業が出来そうなものは、私とキム、イリア、それから・・・」
「あたし、いえ、私も大丈夫です!」
「カウザー候補生・・・いや、君はまだ休んでいたほうがいい」
「私は平気です。ほら、歩けますから」
名乗り出た少女を見てロニキスは体力の消耗を心配したが、彼女はパッと立ち上がってみせた。
紋章術に一度も触れたことの無い者ばかりといえども、紋章術への耐性には相当な個人差があるらしい。死ぬ者もいれば、再び立ち上がれる者もいる。
「すいません・・・私も歩けるようです」
「ドクター! それはありがたい」
かつて、カルナス艦医としてロークを襲ったウィルスを解析し、ドーンを診た彼もまた、この難を逃れた者だった。
「まあ、一応私の仕事ですからね・・・じゃあ、早速はじめましょう。早くしないと腐敗が始まってしまう」
艦医、ドールド=フィレクトは顔をしかめながら腰をあげ、土埃の付いた服を払った。
犠牲者に特に外傷は無かった。
「死因は何だ?ドクター」
ロニキスが聞くと、フィレクトは首を傾げた。
「いや・・・よく解りません。傷はありませんし、脳にも損傷はみられない。ただ、膜電位の消失が多くの細胞に見られまして、これが体機能停止の直接的な原因だと考えられます。この状況を見ると、三人とも最初に脳神経がやられたのでしょう。・・・そうですね、死因というならばそれは呼吸困難ですが、毒物の検出も無くその原因については不明です。
ただ、眉唾とはいえテレパスからの攻撃を受けたという死亡例には、確かこういった特異な死に方があったと記憶しています」
「生命力を奪う呪紋、か・・・」
「そうですね。結局はエレクトロンの動きが生物を動かしているのですから・・・生命力を奪われた、というのが一番的確な表現なのかも知れません」
遺体を遮光性の袋に入れ、防腐フィールドを張る。既にラーノとカウザーが三人目を運んで来ていた。
「ああ、そこに下ろしてくれ」
ドクターの指示通りに遺体が横たえられる。カウザーがそれの足を握っていた手を気味悪そうに見てぶるっと震える。
「どうした、カウザー候補生」
「いえ、何でもないです」
「死体は初めてか?」
「は、はい・・・」
「まあ、そんなに怖がることもあるまい。我々もいずれこうなるのだからな」
隣に立っていたイリアが軽く睨む。
「艦長、不謹慎ですわ」
こんな子を怖がらせて、そんな表情がありありと表れている。
「そういうつもりじゃないんだがな・・・。死んでしまったものでも、さっきまでは生きていた同僚だ。死んでしまったからこそ、丁寧に扱わねばならんと思うんだ。たとえ、それがたまたま面識の薄い者だったとしてもな。・・・すまん、いらん説教だったな」
「いえ、艦長。以後気を付けます!」
士官候補生というのは皆こうだったかな・・・生きて帰れるかもわからない状況で、こんなに元気に上官に返事をする。ロニキスは自分の事を思い出そうとしたが、諦めた。今、彼の頭は過去の記憶を掘り起こせる程に鮮明ではなかったのだ。
五人は最初に調査用の機材を設置した辺りに、作業を続けるフィレクトを囲むようにして座った。しっかりとした休息を取らない限り、元の調子には戻りそうにない。
「それじゃあ、これからどうするか考えるか。キム大尉、他の連中を呼んできてくれ。こちらの方が色々あって何かと便利だろう」
「わかりました」
「私も行ってきます」
遺体の処置を終えたドクターが、気付け薬などを抱えてラーノの後をついていった。医者というものは、自分がどんなに疲れていようとも患者の為ならば精力を惜しまない。それは偉大な存在だ。
恐らくはフィレクト同様にロニキスは酷い眠気を感じていたが、ここで眠るわけにはいかなかった。ロニキスにもやらなければならないことが沢山あった。その上、この失われた都市でどれだけの時間が残されているか解らないのだ。あの石碑の様な仕掛けがもう無いとは言えないし、なにより第一次、第二次調査隊の行方は不明である。エネルギーフィールドが晴れた後も、彼等の発信機は発見されなかった。彼等に一体何が起こったというのか。
「イリア、緊急避難信号を出してくれ。・・・届くかどうかはわからんが」
「はい。ついでにエネルギーフィールドの測定もやってみます」
「頼む」
ここに機材を持ち込んでおいて助かった。長期調査のつもりで薬や食料も多めに運ばせてあったので、これでしばらくは食い繋ぐことが出来るだろう。
回転の鈍い頭を振って意識をはっきりさせる。ふと、向かいに座っていたカウザーと目が合った。少女はずっとこちらを見ていたらしい。目が合うと、慌てて逸らす。
「何かな?」
ドクター達は他の調査員を連れてくるのにてこずっているらしく、まだ戻ってこない。
ロニキスは内心、この士官候補生を気にかけていた。彼女はまだ若い少女である。戦場ならばともかく、こんな得体の知れない場所で死なせてしまうことになったら自分はきっと後悔するだろう。他にも何人か候補生は乗艦していたが、調査隊に同行したのは彼女一人だった。
カウザー、ウィズ=ロット=カウザーは居心地悪そうにしていた。無理もない。一躍連邦中に名の知れ渡ったロニキス=J=ケニー大佐と差し向いでいるのだから。
「いえ、何でも無いです!」
ウィズは、怖じ気づく自分を叱咤していた。が、目の前の艦長は藍色の瞳に険しい表情を宿らせ、そのくせ顔は冷静そのものなのだ。自分などがとても声を掛けられるような人ではない。
ウィズ=L=カウザーは感受性が強かった。ロニキス発した紋章力を気迫として、はっきりと感じてしまったのだ。その上彼女ははっきりと見ていた。艦長の発した声に従って大地が動くのを。
それが何なのか、確かめたかった。が、聞ける筈もない。
「そうか・・・」
黙ってしまった少女に首を傾げながら、ロニキスは次にするべき行動について考えを巡らせはじめた。
一方、イリアはカルナスへの通信を今一度試み、やはり繋がらないのを確認すると緊急避難信号を発した。それからこの場にある機材で判るかぎりの情報を集めにかかる。
まずはカルナスへの転送を阻んだエネルギーフィールドの解析だ。
パネル操作を行いながら、イリアは眉をしかめる。駄目だ、よく判らない。多分通信を阻害すると同時に転送機のロックオンを阻害しているのとは別の、恐らくは第二のフィールドが測定を阻害しているのだろう。得体の知れない二重のフィールドのまっただ中に自分達はいるのだ。
漠然とした不安が広がる。
こんな時、ラティ達がいてくれたらいいのに・・・彼女は惑星ロークにいる仲間達のことを想った。
おっとりとしているように見えながら、いざという時は強靱な意志を見せるラティクス。いつでも明るい笑顔で周りまで明るくしてくれるミリー。無愛想に見えながら実はお節介で頼りになるシウス。穏やかな微笑みの下に堅い意志を秘めたヨシュア。よく相談にのってくれたマーヴェル。
彼等がいれば、何も怖いものなど無い。けれども彼等は遠い星にいる。そして、時の彼方に。
知らず知らずの内に、彼女は爪を噛んでいた。そして自分自身に言い聞かせる。大丈夫、ここには彼がいるではないか。今迄彼と一緒に何度も危機を脱してきた。それは事実だ。
今回も、きっと何とかなる。動揺を収める為に深く呼吸をして、彼女は今自分に出来ることは何かを考え始めた。一つ一つ手順を組み立てていく。
まずは石碑の紋章術(と、彼女は断定した)が発動している最中の紋章力の動きを表示させた。ディスプレイには紋章力が暫定的な数値化処理を施されて表示される。
予想通り、術の発動中に紋章力の変化は無い。画面を切り替える。
次に表示されたのは、その場全体(一〇〇m四方)の記録だ。調査隊全員の生体活動状況が表される。この数値は術の発動と共に低下を始め、イリアが石碑を無力化するまで続いた。犠牲者の生体活動はほぼゼロにまで低下している。
連邦において「生命力」という力は概念上で存在はしても、はっきりとした理論証明があるわけではない。フィレクトの言った様に電流であると考えられる場面もあるのだが、それは推測の域を出ていない。もしこれが判れば吸い取られた生命力がどこかに流れているのか、そして何かに使われているのか、それともただ削られただけなのかが解るのだが。だからイリアには推測することしか出来なかった。
多分、生命力の吸収は、誰かが何らかの目的を持って行ったものだ。突如発生した二重のフィールドは私達の存在に反応して作られたとしか考えられない。
だが一体、何の為に?
イリアは霞む目を覚まそうと髪を乱暴に引っ張った。何本かが指に絡んでついてくるが痛みは感じない。
これ以上は何をやっても成果は得られないと悟って、彼女は息を吐くとディスプレイを消した。今頃、艦長は今後の方針を皆に説明しているだろう。戻らなくては。
もはや歩いている感覚すらはっきりしないものになってきている。イリアは真っ直ぐ歩くのに相当な注意を払わなければならなかった。随分長く歩いた気がしたが、実際には数十メートルも無い。ようやく瓦礫の間から艦長を前に集まっている者達の姿が見えた。
「緊急避難信号は出したが、こちらからの通信が出来ない以上、届いているとは思えない。そして通信を阻害しているものが何かは判らないが、この状況がいつまで続くのかも判らない。ひょっとしたら通信の出来ない範囲は案外狭いのかもしれないが、それはいまシルベストリ中尉が調査中で・・・」
「残念ながら、それは判りませんでした」
短く言い切ってイリアは座り込んだ。上体を支えているのも大変だ。
「我々は通信を阻害しているフィールドの中にいるらしく、あらゆる測定機器が正常に動作しません。フィールドの範囲も何も判らないのです」
ならばどうすればいいのだ、諦めの色が皆の表情に浮かぶ。この場合、全員が疲労しているのが幸いした。恐慌を起こす気力すら無い。
「すまんが、測定が出来ないというのは?」
「先程、フィールドの強さ、大きさを測ろうとしたんです。通信を妨害するものでしたら、エネルギーパターンが不明でも測定は可能ですから。現に、カルナスの方でも初めのフィールドは確認できていましたし。ところが、これが全く・・・」
「だから、まっただ中、ということか」
「ええ」
「そうか・・・まあ、フィールドの範囲は判るかもしれない。恐らくは、ではあるが」
ロニキスは皆を見回した。
「それはどうして?」
「あぁ、その疑問はもっともだが、まずはこれを見てくれ」
カルナス乗艦歴の長い通信士官に頷いて、彼は手持ちのコンピュータから一つの記録を呼び出す。鮮明な惑星メイノニアのホログラフィが目の前に浮かび上がった。それは直ぐに模式図へと切り替えられ、数段階の拡大を受ける。
「この図に示されている範囲が恐らくフィールドの存在する場所だ」
「・・・しかし、これは私達の調査した位置とは違いませんか?」
通信士官は首を傾げる。イリアもまた、同じ事に気付いていた。
「ああ、その通り」
「艦長、それならこれは何なんですか?それと、どこからこんなものを入手したんです」
「気が短かくなってないか? ドクター」
「あ・・・すいません」
彼は頭をかく。何でも単刀直入なフィレクトらしい物言いだ。ロニキスはかつてラティクス達にドーンの病状を宣告した彼を思い出した。思いやりが無いわけではない。むしろ人を焦らす様なことを嫌っているのだ。
「これは、第二次調査隊が記録したものなんだ。半世紀も前にな。この映像に示されたフィールド発生地点にも『失われた都市』があって、そのほぼ全域が覆われている。つまり我々を覆っているこのフィールドも、多分都市全域に及んでいるものなのだろう」
「それで、その調査隊はどうなったんです?戻ってきたのですか?」
「戻ってこなかった。未だに消息不明だ」
イリアは激しい怒りを覚えた。そんな過去があるのだと判っていたら、三人も人が死ぬことはなかったかもしれないのだ。
「ならば、上はそれを知っていながら艦長にこの任務を与えたと? 何も教えずに? 艦長は知っていたんですか!」
「私自身は知らされていなかったさ。残念ながら、そういう事だ」
「でも艦長はこれを調べていた。こんなものどこにあったんですか、私が調べたときには何も出てきませんでしたよ」
「まあそれは色々と、な。とにかく、今言いたいのは確証は無いながらもフィールドの範囲がこの都市全体に広がっているだろうということだ。それを踏まえた上で、問題はこれからどうするか、という事なんだが」
言葉を切ってロニキスは、物言いたげな少女を見た。
「何かいい案があるかな?カウザー候補生」
発言を促されたウィズ=L=カウザーは自分の考えていることが、果たして馬鹿な考えでなければいいがと思いながら口を開く。自分の意見を皆の前で言うのは初めてだった。
「わ、私は、まずこのフィールドから出ることが出来るかを試してみたらいいのではないかと思います。ここは都市の外辺部だから、移動機を使えば往復・・・往復三十分もあれば確認出来るのではないでしょうか・・・」
語尾が先細りで風に掻き消される。言い終わった直後に、ウィズはそれが変なことではなかったかと心配になったが幸いにして誰の機嫌も損ねるようなことはなかったらしい。
ロニキスが頷いて、彼女の意見に同意を示した。
「そうだな、まずはそこから始めるのがいいだろう。通信が回復すればカルナスに収容してもらって問題は解決する。・・・駄目だったらその時考えればいい」
「誰が行くんですか? 私の見る限りここに居るのは皆、休息の必要のある者ばかりです」
「私が行こう」
「駄目です。そういうことは御自分の顔を見てから言って下さい」
「だがドクター」
「死にそうな顔じゃないですか。医者としてそれは認められません!」
さすがにメディカルルームを任されるだけのことはある。フィレクトの言葉にロニキスは困った様な表情をした。
「じゃあ誰が行くんだ。我々にはどれだけの時間があるのか判らないというのに」
「少なくとも艦長以外の人ですね。あ、でも中尉も駄目ですから」
「私も?」
「当たり前です。少しでも元気な人にしてもらいますからね!」
艦医はずばりと言い切り、さっさと最もダメージが軽いとされる二人を選び出した。ダメージが軽いというよりは回復が早いんですがね、と言いながら医者が名前を挙げたその二人にしぶしぶロニキスはフィールドの探索を命じたのであった。
フィレクトから与えられた薬を飲み、ロニキスは機材の陰で休息をとっていた。通信を試みに行った二人が戻ってくるまでの短い時間である。眠らなければと思うのだが、どうにも寝つけない。全身は泥の様に重いのに、である。そのくせ物を考える程、脳が活発であるかというとそうでもない。
ただ目を閉じてぼんやりとしていた。
少し離れた所で、やはりイリアも休んでいた。彼女はカルナスの乗組員をこんな状況に追い込んだ連邦のお偉方に深い怒りを感じながら、考え事をしている。
彼女の意識は初めてこの任務がロニキスの名前で通達された時に飛んだ。
「惑星メイノニア調査任務・・・か」
グラスを傾けると透明な氷が澄んだ音を立てた。
お気に入りのバーでお気に入りの酒を飲む。彼女の心安まる数少ない時間の内の一つだ。
しかし今、イリアはカウンターに小さな携帯端末を広げている。ディスプレイは新しい任務を表示し、そこには艦長が彼女を再び副官として選んだことが書かれていた。艦長とは勿論彼女の艦、カルナスのロニキス=J=ケニー大佐のことだ。
気怠げに再びグラスを傾ける。酔いは全く回っていなかった。
「本当にいいんですか? 艦長・・・」
小さく呟く。
惑星ファーゲットで展開された作戦スターダストを遂行し終え、諸々の事後処理が全て完了してから一週間と経っていないのに、どうして休暇の一つも与えられないで次の任務なのか。
「ちょっと調べておこうかしら・・・でも、面倒よねぇ」
「何が面倒だって?」
背後から声が降ってきた。慌てて振り向くと、そこにはよく見慣れた顔。
「艦長!どうしてこんな所に?」
「どうして、と言われてもなぁ。ここにくれば君に会えるんじゃないかと思ってね。邪魔だったか?」
「いえ、とんでもありません」
「じゃあ、隣、いいかな」
ロニキスはイリアの右隣に座ると、彼女と同じ物を、と注文した。
しばらく二人は無言でグラスの中身を空ける。店の隅に置いてあった古い時計が九時を打った時、彼女はふと気が付いた。
「そういえば久しぶりですね。艦長とこうやってお酒を飲むのは」
地球に帰還してからは何かと忙しくて、二人が顔を付き合わせる時間が極端に少なくなっていた。任務以外の時間では、それはむしろ普通の事である。しかし惑星ロークでの冒険、そう、任務抜きで行動を共にしたということは、何となく二人を離れがたいものにしていた。
「ああ。ロークにいた時はずっと君の顔を見ていたから、居ないとなると何だか妙な気持ちだよ」
「確かに。毎日でしたからね」
顔を見合わせて小さく笑う。小説の様な、そうロニキスの表現した世界が今も現実に存在し、彼等の知人がそこに生きていることを、二人はよく知っている。そして自分達がその世界に受け入れられていたことも。
「何だか、もうラティ達が懐かしくなりました。今頃、どうしてるんでしょうか・・・」
「手紙の一つも出せればいいんだが、そうもいかないしな。ところで、もう次の任務の連絡は伝わったか?」
「メイノニア調査ですよね。ええ、貰っています。それで艦長に聞きたかったんですけど、どうしてまたこんな時期に命令が?」
「・・・やはり、紋章術関係の事なんだろうな。
だがはっきりしたことは俺にもよく解らないんだ。命令はテヌー提督からのものでな」
「テヌー? ベイズ提督じゃないんですか」
「ああ。もしベイズ提督からのものだったら直接確かめてもいいんだが・・・ここはとりあえず大人しくしておこうと思ってね。だから何も聞かずに引き受けた。というより俺に選択権は無いんだかな」
ベイズ、テヌー両提督の不和は、大抵の士官ならば知っている事だった。
「だから、休暇がとれるのは少し先になってしまうんだが・・・済まないな」
「別に気にしませんよ」
こんな小さなことにいちいち済まなそうな顔をする上司が、イリアは好きだ。
「ひょっとしたら、その事を言いにわざわざここまで?」
「いや、まあ・・・それと君の顔も見たくてな」
「それは光栄ですわ」
イリアはにこりと微笑った。
「私の方も、艦長に会えて丁度良かったです。これを、渡そうと思って・・・」
「これは?」
手渡された記憶媒体を不思議そうに見るロニキスは、イリアの次の言葉を待った。
「転属願です。研究機関への」
イリアはそっと、ロニキスの表情を窺った。実は、どんな反応を返されるか内心不安ではあったのだ。
戦艦カルナスで、彼の副官となってから数年が経つ。彼を救った事は沢山あったし、彼に救われたことも沢山あった。艦長が良き副官と出会えるという事は、非常に重要な事である。ロニキスがこの転属願をどの様に受け取るのか・・・本来この書類は、認められなくても文句は言えないものだった。
ロニキスは少し驚いた風だった。手の中の記憶媒体とイリアの顔を見比べる。だが、その顔は次第に静かな笑みへと変わった。
「そうか。何か面白い研究対象が見つかったんだな・・・許可しよう」
彼はイリアに自分の前髪が触れそうな程顔を近づけて言葉を続けた。
「・・・で、何なんだ?君の知的好奇心をくすぐるものは?」
藍の瞳。それを琥珀の瞳で見返しながらイリアは指先でロニキスの頬に軽く触れる。
「それが紋章術なんです。艦長」
「ほう、それは確かに面白いかもしれないな。しかしそんなものが研究出来るとは意外だが」
「そうでもありません。今回の命令ではありませんが、作戦スターダスト以降、紋章術を解明しようという積極的な動きがあることは確かです。実は、私も誘われているんですよ」
「誘われているのか?」
「ええ。多分、艦長に遠慮して話が直接行かないんだと思います。でも私自身、紋章術には興味がありますから」
イリアは改めて相手の瞳を見つめた。
「神の力を借りるという紋章術を、科学で解明してみたい・・・馬鹿げていますか?」
「いや、そうは思わないさ」
「たとえ、それで神の存在を立証するようなことになっても・・・?」
藍色は、揺れなかった。ロニキスは、自分の頬にかかる手をそっと握る。
「あぁ、それでも未知のものに脅えて何もしないよりはずっとマシさ。君はやりたいことをやればいい」
「・・・ありがとうございます」
目を伏せると、微かな後悔の念がわいた。次の任務が二人が艦長と副官という立場にある、恐らく最後の任務になるだろう。ゆっくりと二人の距離は元に戻り、イリアは再びグラスを傾けることでその思いを、飲み下した。
「それじゃあ、俺はもう行くから」
「帰るんですか?」
「いや、飯がまだでな。これからその辺で食べようと思って。イリアはもう済ませたんだろう?」
「私?・・・まだですけど」
ロニキスはこの酒好きの部下に呆れた顔をした。強いかどうかは別として、彼自身は酒を余り嗜まない。
「君は何も食べないで飲んでたのか?こんなところで」
「昼が遅かったんですよ。もしよろしければ、御一緒していいですか?」
「ああ、喜んで。夕食くらい、俺が奢ろう。転属祝いだ」
「そんな、まだ決まったわけでもないのに」
「俺がいいと言えば決まったようなものさ。何が食べたい?」
「じゃあ、中華料理なんてどうでしょう」
「お、いいね♪」
連れ立って店を出れば、昼間の様な明るさの大通りだ。黒一枚の空は甚だ面白みに欠けるが、じきに星の海原を目にすることが出来る。それが、二人の最後の任務なのだ。
いつの間にか随分と時間が経った様だ。目を開ければ、周りは茜色に染まっていた。
ロニキスははっとして身を起こした。この星の自転周期はおよそ二十時間だ、太陽の傾きからすると既に四時間は経過しているだろう。
帰ってきたら起こせと言ったのに、医者の使命感とやらで伝えなかったのだろうかと思ったがそれは打ち消した。フィレクトにだってことの重大性は解っているだろうし、多分、彼は眠っているのだろう。
確かめる為に急いで立ち上がり機材の陰から出ると、野外用の椅子に座ったユリウス=ラプツァー中尉が一人、通信卓でカルナスとだろうか、交信を試みていた。もっとも、普段よくやる音声による呼び出しではない。周囲を起こさぬ様に予め登録してある呼び出し信号による呼び出しを続けている。
彼女の男の様な名は、一族の習慣だという。そんなことを思い出しながらロニキスはかなり軽くなった体で近づいて、気になっていたことを聞いた。
「作業中済まないが、街の外に行った連中は戻って来たか?」
ラプツァーは手を休め、上官の方を向いた。
「いえ・・・それが、まだ・・・」
「まだ?」
それは驚きだったが、同時に薄々と予感していたことでもある。もし帰って来ていたら、こんなに静かな筈がない。
「何時間経ったかわかるか?」
「四時間と十八分です。心配になって彼等の通信機に呼び出しをかけているんですが、やはり応答はありません」
なるほど、ラプツァー中尉の交信はカルナスに向かって行われていたものではなかったのか。そうロニキスは納得して更に聞く。
「君は、ずっと起きていたのか?」
「いえ、皆と交代で1時間ずつ・・・やはり、全員が寝てしまってはまずいだろうということで・・・」
「私ばかりずっと寝ていて済まなかったな。何ならこれから代わるが・・・」
「ああ、いえ、いいんです。艦長に比べたら全然疲れていませんから、気にしないでください」
黒髪の美人にこう微笑まれては返す言葉も無い。ロニキスは諦めて引き下がった。
「それにしても、四時間経っても帰って来ないとなるとこれは問題だな。何かあったと考えるしかないかもしれん」
「何か、とは・・・」
「最悪なことも有りうるということだな。これからどうしたものやら・・・」
ラプツァーは長い黒髪をたおやかな外見に似合わず粗っぽく掻き上げると何やら長い長い溜め息をついた。
「艦長は、緊張感というものが無いんですか」
「無い様に見えるか?」
「はい。思いっっ切り無さそうに見えます」
どうして自分はいつもいつもそういう風に見られてしまうのだろうか、と内心ロニキスは首を捻ったが明快に答えが返ってくるものでもない。とりあえずまいったな、とだけ口に出した。
「それで艦長、現在ここにいるのは七人です。もしも元気がおありになるのなら、さっさとこれからどうするのか考えた方が得策だと思いますけれども」
話しながらラプツァーは調査隊の名簿を表示させた。初めの「石碑」の犠牲者と、行方不明者の欄が暗くなり、無事な七人が確認できる。
「ここにいるのは私と君、イリアとフィレクトと科学班がコール少尉、テリルダ少尉、カウザー候補生、か」
「ええ。そうですね」
「さて、これからどうするかということだが・・・やはり偵察に行った二人を捜しに行かなくてはな」
「こんな事なら発煙筒でも持って行ってもらえばよかったですね」
「発煙筒か、そりゃいいな。移動機はあと何台残っている?」
「三機です。艦長、行くんですか?」
「ああ。眠っている連中は起こさなくていい、直ぐに戻って来るから。もしも今日中に戻って来なかったら後の事はイリアに任せてくれ」
ロニキスは積み上げられた機材の中から折り畳み式の地上用移動装置を引っ張り出した。今は夕方、一気に暗くなるだろう。そう考えて照明装置も持って行く。
「艦長、お気を付けて」
「大丈夫だ。まさか、今生の別れという訳でもないだろう」
「だといいんですが・・・」
ラプツァーは話し相手を失って心細そうに見えたが、あえてロニキスは背を向け、移動機を発進させた。反重力によって地面から僅かに浮き上がった移動機は滑らかに速度を上げて行く。たちまちキャンプは遠ざかって見えなくなった。
行く手には見渡す限り、都市の残骸が広がっている。
見慣れない光沢を放つ建材が、まるで大きな力で薙ぎ倒されたかの様に砕け、崩れている。比較的大きな砕片にはひしゃげた金具が付いていたり、びっしりと細工が施された痕のようなものも見受けられた。過去に一体何が起きて、この文明を崩壊させたのであろうか。
幸い、幹線とおぼしき道は瓦礫の中でも確認することが出来たのでロニキスはそれにそって移動する。通信は出来ない、よって機械によって現在位置を把握することが出来ない。出来るだけ迷わないルートをとったのは、彼も先行した二人も変わらないだろう。実際、彼は二人に幹線から離れるなと命じておいた。
都市の残骸がしだいにまばらになっていき、緑がいよいよ濃くなってくる。十五分程、走らせただろうか。周囲は柔らかい闇に包まれ、空には星が瞬き始めた。風がそよぐ。
「キム大尉、ヨーク中尉! いたら返事をしてくれ!!」
向こうからこちらを見つけ易い様にロニキスは点灯し、呼びかけた。しかし答えは無い。いないのか、答えられない状況にいるのか。ロニキスは後者の可能性をあえて考えずに更に進んだ。道は殆ど大地と同化して草原が広がり始めている。もはや都市部とは言えないだろう。ここで彼はカルナスとの交信を試みた。だが応答は無い。
前方に目を凝らせば草原の中程に立つ沢山の細長いものが見える。明らかに何らかの目的を持って作られた人工物だ。等間隔に、切れ目無く都市部を囲むように立てられている。カルナスからの走査結果では、一定の人工物が都市の中心から何層か同心円状に広がっていたので、恐らく目の前のこれらはその内の一層なのであろう。多分、最も外側の。
ここを越えればカルナスとの通信が回復するという保障は何処にも無かったが、行ってみるより他はない。そして、先に都市から出ようとした二人も勿論ここを越えようとしたであろう。
遺跡群は見るからに不気味な雰囲気を湛えていた。夜という光の乏しい空間がそう感じさせるのか、それとも一人でいるという事実に怯えているのか。絶対に何かが起こるだろうという確信の中でロニキスは慎重に移動機を進ませた。
近付いてみると、どうやらその細長いものは大地に打ち込まれた杭の様だ。ストーンヘンジの巨大版とでも形容出来るかもしれない。そして、内と外、二層の列を作って続いていた。一列に見えたのは遠くからだったのと、暗さのせいだろう。「石碑」の三倍はあろうかという建造物は都市の崩壊しきった建造物とは時の流れが違うかと疑う程、光を当てたその表面は美しく磨き上げられたばかりの様に反射した。しかし、書き込まれた紋章は沈黙したままだ。一瞬、ここで引き返そうかという考えが閃いたが、ここで何もしなければ何も変わらない。そう自分を戒めた。
「行くしか、ないか」
ロニキスは十分な注意を周囲に払いながら、石柱の横を通過する。内側の石柱と外側のそれとの間は十メートル程あった。そこも草原の一部であり、地面には膝を隠す丈の草が他の場所と同じ様に生い茂っている。
「************」
唐突に頭の中に音が響き、ロニキスは立ち止まる。いや、音ではない。頭の中にだけ、謎の言葉は残響していた。どうやら、ロニキスに反応して何らかの装置が作動したのだろう。
「*** *** ****** ************ **
****** ** ******* ****** *******
***** * * ******* ***」
翻訳装置を介さない声の意味は解らないが、何らかの警告と思われた。
文明が崩壊しても、一部の都市システムは生きている。その事実にロニキスは苦笑した。そのお陰で俺は三人の部下を失い、・・・いや、五人かもしれないが・・・地球に帰ることもままならない状況に陥っている。壊れない物は、壊れるものより厄介なのかもしれないな。使い手のいない道具など、動かないに越したことはない。
通信は出来ない。そして、どうやら都市の外に出ることにも文句があるらしい。このまま自分がこの声を無視して前に進んだら、次はレーザーでも飛んでくるのだろうか? 先の二人ならばどうしたろう。
どちらにしてもロニキスのとるべき行動は一つであった。ガンガンと頭蓋骨に反響するような音を無視して前に進むだけだ。本当は一気に通り抜けたかったが、逸る気持ちを抑え、冷静さを保とうと努力しながら徒歩程度の速さで更に数メートルを進む。
「** ** ************************************ **************」
大音量(?)で警告装置はそう告げた。その言葉(?)の終わるか終わらないかの内に、いきなり高い重力をかけられたかの如く全身が重くなり次いで全く動かなくなる。
ロニキスは渾身の力を振り絞ってこれに対抗するが、身体は全く動かない。屹立する石塔の幾本かは息を吹き返して、何かを実行すべく書き込まれた紋章をなぞっている様だ。自分も二人の中尉と同じ道を辿ったことを、ロニキスは閃光に包まれて悟った。
目映いばかりの光は、すぐに柔らかい闇へと変わる。立ち並ぶ石塔をあるか無いかの星明かりが照らし出すその下に、既に動くものは無かった。
→Next
後書きです・・・とは言ってもまだ完結していませんし、これから暫くは完結しない話ですが。
とにかくイリアさんとロニキスのカップリングっぽい話が書いてみたかったので書いてみた話です。
この二人ってゲームでは何とも淡泊だった気がするので(笑)
そしてとりあえず私の中ではいい感じになったので、目的は達成出来ました。
ので、完結していないのに更新してしまいました。
実は書き始めたのが相当昔なのに全く完結する気配を見せず、しかしながらストーリー的には導入部であるにもかかわらず妙にかさばるので、勿体無くて更新してしまったというのが実情です。私の頭の中にはこんなネタがあるのですよ、という感じです。昔は古いワープロを使っていたので漢字変換が出来ない文字があり、文章全体の漢字の使い方がいつも以上に一定してないのですが、全くこの量になると推敲もままなりません。結構努力はしましたが・・・あとあまりにも昔の文章が入っていると推敲し辛いものだと思いました。
小ネタも幾つか入れられたので、ちょっと嬉しいです。
負の反対属性が雷なんだな〜という事とか、物凄く自己満足。
勿論、サブタイトルからわかる様に、この先もう少し趣味に走りたいとは思っています。
FFではありませんが、「召喚」がキーワード(爆)
そういえばFF10はまだ購入していません。
実は英語のつづりを確かめてません(爆) 2001.08.20 11:30 P.M. 良
BACK