ACT・1「だから彼は目覚めたのである」
誰かに呼ばれている。薄暗い闇のぼんやりとした意識の中で彼はそう感じた。その意識すら何時から生じたものなのか定かではなかったが、ひどくここは居心地がよく身じろぎをするのも躊躇われた。
何もしたくない、何も考えたくない。しかしそんな彼の希望は全く無視され、大きな衝撃(?)が全身に走ったかと思うと嫌でも外界との知覚の扉が開かれた。
身体の中を沢山のざらざらとしたものが通り抜けて行く感覚。何も無かった平和な精神に侵入してくる異物が恐ろしく膨大な知識であるという事を認識した頃には、彼は自己が何者であるかという事の自覚を得ざるをえなかった。
真白い部屋にどよめきがわき起こる。
継ぎ目無しの床、広い空間とは対照的に小さく、一つきりの扉。扉を圧倒して壁面の半分以上を占める窓は強化ガラスの三重張りで静かに電灯の光を反射する。微かなうなりと空気の振動は数々のディスプレイを持つ制御卓から発される。
「成功だ」
生命工学の権威と称えられる科学者達は、光を吸収して暗緑に沈む培養液に包まれたそれの姿を強化ガラスの円筒越しに囲んでいた。場に大きな高揚感が広がって行く。
それは澄んだ瞳を開いて外の世界をじっと見つめていた。
白衣の人々が無機質の子宮の中から生み出そうとしたものは思想の実行者となる個体。権威の器でありそれに足る純粋な力を有する、人を超越した人だった。
科学者達はこの場へ至るまでの道程を思い出す。
かつて数え切れない程の遺伝子がサンプリングされ、繋ぎ合わされてこの場で培養されてきた。
しかし、その殆どは人の形を成さず、ほんの一握りの人形達も目を開くことは無く、生に到達する以前の死が繰り返され続けてきた中で奇跡の様に誕生した生命は、だからこのプロジェクトに携わってきた者達に感動を与えるのに充分過ぎる存在だった。
彼が瞼を開きその眼を覗かせた時、場は水を打ったかの如く静まり返った。彼の生命を維持している機械の囁き、緑の液体を気体が通り抜けていく規則的な音、普段は気にも留められないノイズの中で、彼が夢見る様に瞬いたのを人々は見た。
その時、彼の誕生がこの不毛の惑星、ファーゲットに新たなる時代をもたらすものである事を疑う人間は、誰一人としていはしなかった。
三日目。ようやく物の輪郭が判別出来る程になった。色彩は全て緑色が基調。鼓膜はくぐもった振動音を感じ、気泡が髪の間を擦り抜けていって触覚を認識する。にわかに慌ただしくなった研究室の中心で彼は全くの無表情を崩さずにただ外の世界をじっと見つめていた。もはや瞬きの一つもせずに。単に脳と末端神経の伝達に慣れていないだけなのだとわかってはいても、彼の姿は置物の印象を見る者に与えるだろう。
部屋に採光の為の窓は一切無い。以前はいつでも人工の光で照らし出されていたものだったが、しかし彼が意識を持ってからは日に数時間照明が落とされる様になった。それは彼の神経への負担を配慮したものだった。ただ、薄闇の中でも仕事をする者はいる。
時刻は真夜中を回っていた。
ちょうど夜勤にあたっていたイヴィーナは諸機械のチェックを続ける。いずれも異常は無く全てが順調に進んでいる。今までの失敗がまるで嘘の様だ。
オールグリーンを示すディスプレイが彼女の整った顔から喉元辺りをうっすらと照らし出す。マニュアル通りに一通りの手順を済ませてふと見上げると、最後に時計を見てからゆうに二時間が経過していた。
イヴィーナはパネル操作で疲労を訴えている肩と首の為に席を立って簡単なストレッチをする。集中力の欠如は時として惨事を招く。こまめな休憩は非常に重要だ。
薄暗い中での仕事は初めこそ落ち着かなかったが、慣れてしまえばどうというほどのことでもない。彼がじっとイヴィーナ自身のことを見下ろしているのも一般人にとっては充分な恐怖になりうるものであろうが、さして気になる事ではなかった。
ジエ・リヴォース。それが彼に与えられた名である。イヴィーナは感動と羨望を持ってその名を呟いた。超人類、ジエ・リヴォース。
科学者である彼女にとってこの成功体をゆっくりと観察する機会に恵まれた事は喜びであった。彼女は別のプロジェクトのチーフであったのだが、忙しくなり、不足した人手を補う為に臨時にここに組み込まれていた。だからもうこんな機会が訪れることは無いだろう。彼女が見上げるその姿はまるで彫刻の如く整った身体を持っていた。計算され尽くした美だ。だが、まだ一度も外気と接した事の無い肌はとても傷つき易そうにも見えた。
彼は、とイヴィーナは考える。
彼は我々に光明をもたらすのだろうか。
この星での科学者の役割は極めて大きい。政府の多大な援助によって彼等が発展させた生命工学と空間理論の技術は、恐らく他星と比べても群を抜いて優れているだろう。
『人々が生きていく為に』
『新天地を探す為に』
それが、ここで科学者が存在する意義であった。
広範囲から集められた遺伝子から適応性が高く強靱で低コストな使役生物が多種生み出され、昔に比べて随分豊かになったものだ。しかし、それでも大地を、気候をそっくり改良するほどの財力がこの貧しい星にあるわけではない。
灼熱の陽と熱く乾いた空気から身を隠す様にひっそりと生きる人の生活が変わることは無かった。その様な歴史を持つ者達がが母星を疎み、緑薫る新天地を切望することを誰が責められようか。
空間理論の研究は新天地を求める為のもの。
だが、惑星ぐるみの移住に難色を示す者がいない訳ではない。移住による他星との関係への影響を必要以上に懸念する者達、星が貧しいが故に需要のある産業に携わる者達。それらを一つに束ねる為には力ある指導者が必要だった。頭が切れ、大局的に物事を見る目を持ち、駆け引きに長けた類い稀なる指導者が。
私達の悲願は彼によって達成されるのだろうか。
イヴィーナはそっと透明なガラスに触れた。意に反して仄かに人の温もりを伝える。
ジエ・リヴォース、彼はどの様な声の持ち主なのだろう?
水の向こう側で誰かが自分を見ている、女だ。知らない筈のものなのに、頭の何処かがそう答える。人の瞳には弱すぎる光の中でも女の姿が見えるのに驚く。見えない筈なのに、何故見えるのだろう?
自分は何物なのだ?どうしてなのか、自分が二人いる様な気がする。ここを当たり前として受け取っている者と、戸惑っている者。頭の中を探ってみても答えは入力されていなかった。微かな焦りと不安が生まれて水槽を満たしたが、それを彼にはどうすることも出来なかった。その一方で、無意識に目の前の女の呟きから、唇の動きから言葉を読み取る術で二つ三つの単語を拾いだすことに成功する。
私の『名』なのだろうか?名という概念に戸惑いながら、それでもどうしてか安心した。ジエ・リヴォース。安心して瞼を閉じると、使われて疲労したまだ弱い神経は直ぐに不活発になった。
生体の休止を示すディスプレイの煌めきにイヴィーナはちょっと注意を払い、邪魔にならない様束ねた銀髪を横に払って作業に戻った。
科学者達は『ジエ』が早期にこれ程の思考を持ち始めるとは思っていなかった。
目が開こうと、身じろぎをしようと、それは肉体の反応であるのだと。実際には意識はあっても身体の反応がそれについていけなかったのであるが、本当は、それは理論通りの事であった。しかし数えきれない失敗の中で物事は理論通りに行くものではないと学んだ科学者達は、それ故に原点に立ち戻る事を忘れてしまったのだ。
話題の主の目の前で交わされる無防備な会話。
「やっと完成しましたなぁ、これが」
液体が鈍い振動を伝える。ガラスを叩いたらしい。
「長年の悲願だったからな。しかしきちんと動くかというのは別問題だ。基礎教育から細心の注意を払って行わなければならんし。金がかかっとるからこれ以上の失敗は許されん。厳しい状況だ」
「しかし全てのデータが理論値を上回っているではないですか、これは素晴らしいことですよ。政府もご満悦らしくて補正予算の方もすんなり通りました。これで滞っていたプロジェクト・アスモデウスの方にも資金が回せます」
「信じられんな」
「はい。これが出来る前は・・・去年などは一昨年よりも更に5%も予算を削減されて。こちらが最近目に見える成果をあげないからといって穀潰しの様な扱いをうけていたんですよ?」
「それがどうだ、出来た途端に気を使い始める。我々がクーデターでも起こすんじゃないかと勘繰っておるのかな?」
「まさか。私達が反旗を翻すべき相手は他にいるではないですか。政府を気にかける必要はありません。ま、どちらにしてもこれが何とかしてくれますよ」
遠い記憶を掘り起こすかの様に、色々な事が解ってきた。内容は主に、自らの背負わされた責務についてだ。何故この間の女と今、目の前の男二人の自分に対する視線が違うのかも理解する。
理解して、彼は何故か軽い嫌悪感を覚えた。
二人の男が動いて、視界が回復する。目で追うと二人は他の働いている者達を気にも留めずに三重の窓の外に、そして去っていく。
幾つかの顔の特徴を拾って検索してみると、この施設の統括者である、と出た。通りで自分を物としか見ていない。
気にくわん。
『ジエ』の自意識は急速に完成しつつあった。彼はまだ生まれたばかりの生命体ではあったが、それは幼子と同義ではない。生まれた時から一個の人格として扱われるべき個体、というものは自然界にはまず存在しない特異なものである。『親』達はそれを学んでおくべきであった。
確かに、その予測をすることは不可能に近いことだ。サンプルを創ること自体が困難を極めるのだから。そして、科学者達は不器用で、その他の人間はただ冷たかった。力を持ちすぎた個は、たったそれだけの事で星の運命・・・行く末を変える。
狭所にいい加減ストレスも溜まってきた頃、彼に一言の断りもなく世界を取り巻いていたものが棄てられた。
色彩観の転換。今までの緑に沈んだ世界から鮮やかさが甦っていく。どうしてこの鮮やかさを忘れていたのか、それが彼の最初の感動であったかもしれない。
だが急に息苦しさに襲われ激しく咳き込んだ。肺を満たしていた液体が口から溢れ出る。際限なく咳は出続け、今や異物として認識されたものを全て排出するまでは止まらないのだろう。緑の液体はひどく生臭く、嘔吐感を喚起した。胃から逆流した液体も唾液と一緒になって滑り落ちる。幸い胃にはそれ以外何も入っていなかったので更なる失態を演じる事は無かったが、周囲の人間の微かな笑いを聞き取って、ひどく屈辱的な気分を味わった。
勿論、『ジエ』の直接的な生みの親達が、彼に嘲笑を浴びせる訳は無い。彼等は自らの子供とも言える者に並々ならぬ愛着を持っていた。今の笑いも赤子が大気に適応しようとするさまに生命の逞しさを感じてのものだったのだ。ただ、いたずらに知識のみを有するジエに、今の状況でそうした人心の機微まで解れというのは酷な事だ。ケースの床に踞って苦痛に喉を鳴らしながら、嫌悪感は募っていった。
そして苦痛は急速に克服される。速くなった鼓動が収まる頃には創造者に対する不審をお首にも出さずに、ただ無表情に次の指示を待つ人形の様相を彼は呈した。
彼はある意味ただの木偶人形であったのだろう。少なくとも、今はまだ。
ACT・2「やはり彼は生まれながらの孤独を克服出来なかった」
「いいか、ジエ。君がこれから働く場所は一筋縄ではいかない世界だ。見てくれ」
真っ白な壁と机に囲まれてやはり純白の制服に身を包んだ教官はディスプレイの画像を次々と切り替えながらジエにインプットされていない最近の政界の人間達の顔と名は勿論、所属する政党、経歴、何処から調べ上げたのか趣味、交友関係、複数の口座番号まで示していく。普通の者にはとても覚えられるスピードではないが、ジエには少しゆっくり感じる程のものだった。記憶しようと思うだけでいい、直ぐに書き込まれて保存される。
「皆、外面だけはいい。いずれ君が公の場に出ることになれば殆どがすりよってくるだろう。だがそうした連中は君をいかに味方に引き入れるか、政府の機密事項の断片を手に入れるか、それしか考えてない」
「はい」
「いかに彼等をやりすごし、出し抜き、こちらの意向に沿う様に動かすか。その能力が非常に問われる。君は彼等の頂点に立ち、操らなくてはならないんだ」
ジエが理解したことを確かめると、教官は画像に示されていない現在の勢力関係についての講義を始めた。
ジエに施された教育は、正に帝王学と呼ぶに相応しい程、多彩で貴重なものであった。周囲は惜しげもなく彼に知識を与える。見返りが約束されているのだから当然の事であった。
教育期間は長くはなかったが短くもない。その間彼に与えられたのは特別にしつらえられた場所だった。
そこには窓があった。窓の外には無論電磁シールドが張り巡らされ、扉は分厚い合金で作られている。逃げられない様に。そこには自分たちの創造物を信じようという姿勢は皆無であった。
愛着を持つということと信じるということは、まるで別個のものなのだ。
とある日のスケジュールを終えてジエはぐったりと長椅子に倒れ込む様にしてかけた。記憶する事は容易な事であったが、その代わりにひどく精神を消耗する。目を閉じると直ぐに深い眠りに落ちた。眠りの中で、覚え込んだ情報は彼のものとして再吸収される。
ジエは恐ろしいほど優秀であった。教えられた事は全て自分の一部とし、その立ち居振る舞いは独特の雰囲気を持って人を惹き付ける。他者の上に立つ為に生まれてきた者であった。
随分眠ったと思ったが、目を覚ましたのは三時間程後の事だった。
机の上には透明な水差しが薄く落とした照明に浮かび上がっている。手を伸ばして華奢な持ち手を取り、注ぎ口を噛んで中の液体を流し込んだ。どうして今日はこんなに落ち着かないのだろう。冷たいものが喉を通り抜けて体内へ落ちて行っても喉の渇きはまるで癒された感じがしなかった。
明日は、彼が公の場へ出る日である。出て、人々に超人類としての能力を示す日だ。
緊張しているのか、自分が?
驚きだった。自分は人を統括する為に生まれてきたのだ。何をしり込みする必要があるのだろう。彼は自分の感情を一笑に付してただ空中を凝視しながら静かに夜を明かした。
どの世の中でも、儀式めいた催しを行う場はいささか古めかしい雰囲気が漂うものだ。高い天井から下がる豪奢なシャンデリアは天然石の床にきららかな反射をもたらす。
今はまだ人は殆どいない。ただ、パーティの準備をする制服姿の者達が忙しくテーブルを調えているだけだ。食器の触れ合うカチャカチャという音は結構響く。
壇上に立って周囲を睥睨する老人がいた。足が弱いのか、杖で身体を支えているが眼光だけは異様に鋭い。会席の主催者の様であるが、誰もこの男に話し掛けようとはせず彼の方もそれを当たり前に思っているらしい。ただじっと場を検分しているだけである。
だが正面扉からやってきた一人の男は周囲から孤立した雰囲気をまるで気にせずにこの老人に近づいて来た。面識があるのか、老人はじろりとそちらを見て鼻をならす。
「念願がやっと叶いますねえ、ヴォルガー教授」
「何じゃ、首相の第三秘書がこんな所に何の用かな?」
「いえ、様子を見てこいと言われまして。我らが首相は超人類と名高い彼に、トップの座を奪われるのが怖いらしいです。残念ながら、この会にも出席しませんしね」
メッセージです、と手渡されたディスクを無造作に近くのテーブルに放り出してヴォルガーと呼ばれた老人は首相秘書を名乗る黒ずくめの男に軽蔑に近い眼差しをくれる。
「ジエはトップにはならんよ、あくまで補佐じゃ。ジエが集めた力を人間のトップが行使する。奴にはよい話だと思うが」
秘書は高い背を隣に合わせて少し屈め、さて?と首を傾げた。
「首相がどう思うかは今日のパーティー次第です。それに、所詮は人じゃない。何時暴走を始めるかひやひやしているんですよ」
「我々を侮辱する気かね?」
「そんなつもりは微塵もありません。ただの可能性を述べただけです。一般論をね」
ぎっと射すくめられて首相秘書は首を振った。
「暴走暴走とどいつもこいつもありもしない心配をするがな。ならば人間はどうなのだ?人間の方が余程信用できんし、遥かに愚行に走りやすい。歴史を紐解いてみてもそれは明らかではないか。我々はこれからの時代に向けて最も安全かつ効果的な発展へこのファーゲットを導く手段として、ジエを創ったのだ。何を心配する必要がある」
「そんなに噛み付かないで下さい。私の言っているのは本当にごく一般的なものです。世論を軽んじる事が、どんなに恐ろしいことかはそちらも解っているでしょう」
「今更お前さんにくどくど言われる筋合いはない。戻ったら雇い主に言っておけ。そんなに及び腰ならば他の奴等に貸し出してしまうからなと」
「勘弁して下さいよ。・・・解りました。確かにそう伝えます」
ここから逃れる口実が出来たのでさっさと身を翻そうとする秘書を見もしないで、相変わらず人で満杯になるであろうホールの方を向いてヴォルガーは呟いた。
「暴走するかもしれん、ということは我々も考えたのだよ、君」
入れ替わりに話題の主がホールへと入ってくる。ヴォルガーは彼を愛おしそうに目を細めてこちらへ、と手招きした。ジエは足音も立てずに壇上へ登り、隣に立った。
「彼は?」
「首相の第三秘書だよ。お前が優秀すぎることに懸念して様子を見に来た様だ」
「ミラン・バート・・・首相秘書、と言うには少々油断のならない雑用係」
「その通りだ。上の懐刀と言ったところか。敵に回すのだったら初めに始末しておきたいタイプだな」
「覚えておきます」
覚えておく、本当は初めから知っていたのだろうに。
盛装したジエは創り主よりも遥かに場を超越した存在感で静かに周囲を見回している。
これが暴走するだと?儂はまずその可能性を考え、そして否定したよ。これは恐ろしい程の成功作品なのだから。
ヴォルガーは強い確信を持って含み笑いを洩らし、作品に向き直った。
「さて、今日はお前の初の晴れ舞台だ。期待しているぞ」
「・・・・・・はい」
そして首相を含む周囲の予想とは裏腹に、ジエは実に早いペースで人心を掌握して行った。
無表情な事が多い顔が、人前に出ると途端に人好きのする仕草を表す様になる。パーティで交わす会話は上品で、流暢で、非の打ち所が無かった。そしてしきりにかけられる政治的な質問にもそつなく答える。
中二階から吹き抜けのホールを見下ろしてミランはジエの様子をずっと観察していた。
「なーんだ。結構上手くやってるじゃないか。政府もいいものを手に入れたよなあ」
あんなのが量産されたら俺なんか厄介払いだよ、とそんな想像をして首を振る。やな想像しちまったぜ。
だが、何かが気に入らない。ジエが人間でないという事になのだろうか、そうではないだろう。ジエの立場が、非常に危ういものに思えて仕方がないからだ。
補佐をさせ続けるという科学者の言葉。本当にそうなのだろうか?
仮に『ジエ』も科学者もそのつもりだったとしても、自らよりも遥かに有能なものを見せ続けられるということに周囲の人間は果たして耐えられるのだろうか。人間のプライド故の愚かさを、ミランは痛いほど知っていた。この業界も、もう随分長い。
それに万が一ジエが失敗したとしたら。
にこやかにどこぞの婦人と談笑していた彼はどうなってしまうのか。ミランにどうこう言えた義理ではないが、『ここ』を知っているからこそ彼の行く末が妙に気にかかるのである。そんなにお節介な性格ではなかった筈なのだが。
ふと気付くとジエの姿を見失っていた。
俺としたことが、と毒づきながらきらびやかな人々の中を探すが、きらきらしい光の反射に紛れて再び探し出すのは困難な事であった。
「どなたかお探しですか?」
「あ・・・・・・あぁ、いえ、もう見付かりましたから」
いつの間に背後をとられていたのか。ミランの瞳孔は一瞬拡大した。その動揺を知ってか知らずか相手はにこやかに笑っている。
「どうです?よろしければ向こうでお話でも。私達は十分に話し合う必要があるでしょう?」
「かー、参ったな。完璧だわ、あれは」
一時間に及ぶ長い話が終わって開放されると、ミランはグラスのアルコール飲料を一息に飲み下して感嘆の溜め息をついた。この自分の些細な心配などまるで必要はない様だ。
さて、一体何と報告するべきか?
ジエが公式に補佐職に就いてから、政府の支持率は上昇の一途を辿っている。
数度に渡る行政改革、減税、表向きは首相が打ち出したとされる数々の政策はその殆どがジエの発案によるものであった。今日も会議室には彼の声が響き渡る。
「これらの資料からも判るように、ファーゲットが地球連邦に加盟しているメリットはほとんどありません。一律の加盟金、航宙艦の供出や技術提供などの負担に対しファーゲットの得たものは数々の規制と流通ルート、そして僅かな安全保障・・・しかも正規ルートでの資源は全体的に高く、現在は輸入のほぼ8割を他の方面から頼っており、仮に加盟していなくても連邦加盟国との交易は不可能なことではない。もし、現在の無駄をこれ以上続けるならば、ファーゲットの発展はあり得ないと私は考えます」
「要するに君の言いたいのは連邦からの脱退、ということかね?」
会議卓の隅の方に座っていた男性が信じられないという風に呟き、それに周りの者が反応して部屋は騒めいた。当然の反応だ、とジエは冷静に周囲を分析しながら相手の反論を予測する。その内に一人がやや大きい声で発言するが、やはり予測済みの回答であった。
「それは幾ら何でも非現実的だぞ、今、地球連邦との関係悪化によって周囲から警戒されるのは我々にとって非常にまずい事だ」
「いえ、そうではありません。連邦の援助を受けるのです。ファーゲットの惑星評価は、残念ながら援助を受けるレベルに十分達しています。何故今まで援助を申し出なかったのかが不思議な位に」
「他惑星移住計画が成功すれば、その必要は無いではないか」
「解っているのですか?未開惑星保護条約がある限り、条件に合った惑星を探し出すのは実質的に不可能です!どの星系国家にも属さない、知的生物のいない、それも未開拓で温暖な惑星などある訳がありません」
「しかし・・・」
「援助を申し出るべきです。その時に惑星の事を持ち出せる可能性はゼロではないですし、何より惑星改造が可能ならば問題は全て解決するでしょう」
再びどよめき。
部屋の中心に位置する席に掛けていたこの国の最高責任者は最初戸惑った様な顔をしていたが、やがて形だけは重々しく発言した。
「しかし、リヴォース、ファーゲットにもプライドというものがある。・・・あの地球に泣きつくのは我々にとって精神的な苦痛を伴う事だ」
賛同する声。ジエは息を吸い込んだ。
「その事についても私は言いたいのです。今のファーゲットの国力を考えると幾つかの技術分野において地球水準よりも勝っているとはいえ、地球に侵攻するというファーゲット中枢に共通した方針の実行は不可能。仮に行ったとすれば国民に多大なる被害を及ぼす結果となるでしょう。その上、この地球侵攻の思想・・・は約300年も昔のあの発見に基づいたものであり大局的に物事を捉えるべき為政者としては、この方針はファーゲットより完全に排除すべきものではないでしょうか。地球連邦と共存していく・・・それこそがファーゲットのよりよい発展に繋がると私は考えます」
今までとは比べものにならぬ程の動揺が走り抜ける。いま、ジエは周囲の設定しようとした自らの存在意義を、根底から覆えす発言をしたのであった。
超人類ジエ・リヴォースの存在意義。
巨額の公費を投入して作られた彼の表向きの理由はイヴィーナ達に知らされたそれ、すなわち「他惑星移住計画の実行者」。しかし極々小数のファーゲットの重鎮のみが知る彼に与えられた本当の意味は「地球侵攻の実行者」であった。この二つの意味付けは似て非なるものであり、無論ジエは最初からその両方を理解している。
だが、ジエには為政者としての優れた資質があった。「地球侵略計画」・・・この様な計画が立てられている事を一体ファーゲット住民のどれだけが知っているというのだろうか?現在この宇宙で強大な力を有する地球に牙を向ける、それは無力な者達にとてつもない被害を及ぼすことだろう。単に方針だからとそれに従うだけの無能さはいかに人に従順であれという命令を受けた彼も、流石に持ち合わせてはいなかった。
彼はこの計画の起源を知っていた。そして中枢が300年も昔の発見に基づくこれを温め続けていた理由も、解っていた。
「・・・・・・何を言うかと思えば、そんな突拍子も無い事を。計画は数百年をかけて我々ファーゲット政府の先人達が築き上げてきたものなのだぞ。それを君の一存で潰そうと言うのか?」
首相は重々しく口を開いた。とはいえ、ジエには彼がいかに動揺しているかがはっきりと判る。まさかその為に創られたジエがこんな事を言うとは夢にも思っていなかったのだろう。
「勿論、私の一存とは言いません。しかし国民がこの計画を知らされていないのは事実。少なくともはっきりとした計画として存在する以上は、情報開示を行った後に国民投票を行い、その上で計画を進めるか否かを決定すべきではないでしょうか」
「侵略計画を公表する・・・愚かの極みだな」
「解っています。が、手続き上は必要な事・・・公表すると同時にこの計画は中止されることになるでしょう」
ジエはただ淡々と意見を述べる。彼が話すことが単なる事実であるいうことは向こうにも解っているらしい。一同がしんと静まり返って二人のやりとりを見守る中で首相はそれにあっさりとケリをつけた。
「その意見は決をとるまでもなく受け入れられない。君の言う事は先人達の悲願を潰す事でもあるのだ。ファーゲット人の真の母星を取り戻すという願いを。これはファーゲット民族全体の願いでもある。我々は、我々の星を取り戻すだけなのだ。・・・リヴォース、君はファーゲット民族では無いから解らないだけなのだ。我々は君を責められない、それは仕方の無いことだ。確かに君の意見にも一理ある。ただ多少の論理を超越した精神というものが、人間にはあるのだよ。・・・君とは違ってね」
そうきたか。ジエは自分が負けた事を知った。
人間と自分との違いを持ち出されては、反論の余地がある筈が無い。ここは引き下がるより他、彼にとる道は残されていない。
「解りました。以後はその事を考慮した発言を心掛けます」
「ああ、そうしてくれ」
彼はあくまでトップの補佐であり、何一つ強行に決定することは出来ない。あっさりと引き下がったジエに首相は満足げに頷いた。どうやら、いまのやりとりによってジエへの不信感を高める事は無かったらしい。単に人間では無いものの愚かな思考を正してやった、その位の事だろう。それは他の者達にも共通していた。
だが、ジエは中枢の人間が民族性ごときに揺り動かされる程に人間的では無い事を知っていた。大体いい加減かびの生えそうな計画がいまだ生き続けているという事自体がおかしな事なのである。
彼はは、実はあちこちから地球侵略計画の真意についての情報収集を行っていた。そこで浮かび上がってきたのは富だ。侵略が成功すれば中枢部には莫大な利益がと権力が転がり込む。・・・その侵略の大義名分をそう簡単に手放す筈は無いのである。
やはり下らぬ欲や感情が政治を歪めるのか。ジエは心の中で軽い溜め息をついた。私などはそんな心が無ければよいのにと思うのに、どうして実体の無い妄想にに現実を見失ってしまうのだろうか、人間というものは。
計画破棄の提案は、一方でジエの人間に対するある種のテストであった。無論、彼はそれの出来る立場にはないし結果を知ったところで何をする事も出来ないのだが、純粋に人の反応を彼は見てみたかった。好奇心とでもいうのだろうか。あるいは探求心と。
その結果は今、ここにある。やはり彼らは私とは違う・・・この事実を受け入れ次の思考に役立てることが自らに課せられた使命なのだ。本当にそれでいいのかとジエの感情を司っている部分が不満を洩らしたが、彼はこれを黙殺した。
ACT・3「彼には元々、選択の余地などありはしなかったのだ」
会議の閉会後、それぞれの議員の散り際に「これだから人間の心が解らんやつは・・・」ひそひそと囁かれる陰口をジエは幾つか耳にした。彼の聴覚は人の何倍もある。
(私情をここに持ち込まない為に作られたというのが私なのだ。それを今更何を言うのだ!)
拳を机に叩き付けたい気分だったが、精緻な細工のこの机を破壊する気にはなれなかった。どうやら最近自分は感情的傾向にある様だ。
自らの創造主どもの愚かしさが目に付くようになってきたのはこの部屋に出入りする様になってから、割と直ぐの事である。本来ならば理論で動く筈の科学者達までもが時折彼の意見に反対した。彼は驚き、呆れ、そして腹を立てた。大きな部屋は相変わらずそのままであったし、自然、鬱屈が溜まる。
「大分イラついているみたいですね」
最近、妙に彼にまとわりついているミランが軽く片手を挙げた。恐らく彼の事をそれとなく監視しているのだろうが、他の政治家連中と比べるとジエにとっては幾分気を楽に出来る相手には違いない。
ジエにもあてがわれている、ファーゲット人によく見られる短く刈った銀髪に青い瞳。一見するとミラン・バートはおっとりとしたやや気弱げな青年であるが、しかしその実体は超一級の諜報員ということだ。ジエ自身はミランのそうした一面を見たことは無かったが、データに基づき警戒は怠っていない。
ジエはミランの何を考えているのかよく解らない表情を解析しようとしながら机上に広げた資料を手早くまとめ始める。ミランがどの程度までを上に報告しているのかは判らないが、所詮大した話題でもないので今自分の感じている心情をそのまま言葉に直す。
「私には彼等の反応が理解出来ない。理論的には私が正しい筈なのだが」
ミランはちょっと襟章を直す仕草をした。あまりに自然な動作だったので確信は無かったが、恐らく盗聴器の感度を上げたのだろう。
「手伝いましょうか?」
「いや・・・それよりこんな所で油を売っていてもいいのか?首相はもうとっくに行ってしまったが」
「ああ、俺はいいんです。第三秘書なんていらない位第一、第二が優秀ですから。俺の役目は油を売る事」
ミランは自分がジエを監視している事を堂々と口に出す。それでいて茫洋としたとした表情は一切崩していない。やはりただものではない様だ。
「私の話など聞いてもつまらないと思うぞ」
「いえ、大変興味深いと思いますよ」
ミランは気弱そうにそう言うと丁寧に掻き集めたプレートの束を彼に手渡した。
「何だか私の秘書の様だな」
「首相直通の通信回線とでも思って下さい・・・そうそう、全く驚きましたよさっきは。随分と思い切った発言をなさるんですね。流石に教授もびっくりなさるんじゃないですか?」
「ああ。だから、もうこの話題には触れない事にするさ。蒸し返さなければ皆、自然と忘れるだろう・・・いや、意図的に、か?私と人との違いを持ち出されてはどうしようもない。所詮私は人間の道具に過ぎないのだから」
多分、一笑に付されてしまうだろう、と目の前の相手の方を見た途端に目が合った。ミランは更に会議の記録ディスクを彼に渡す。
「そんな寂しいことをいわないで下さいよ。今までの政治がうまく行ったのは、みんなあなたの功績ではないですか?」
「そんなつもりで言ったのではない。厳然たる、単なる事実・・・幾ら自信を持ったとしても所詮私は彼らの被造物だ。ありがとう、首相には見当違いの進言をしてしまって反省していると伝えておいてくれ。これからはこの様な事が無いようにすると」
「Mr.リヴォースがそう伝えたいのなら」
「私は伝えたい事しか言わないさ。頼むよ」
ジエは誰が見ても惚れ惚れとする様な笑みを浮かべて一瞬ミランを圧倒すると会議室を出ていった。
「しまった、逃げられちまったなあ・・・」
ミランがそう気付いても後の祭りである。彼は軽く舌打ちをし、それでいて大して残念そうな顔もせずに首を振った。どうして俺はあいつに礼を述べられる様な事を言ってしまうのだろう?立場上、常に監視を怠ってはならない人間。しかしミランにとって、ジエはまったく良く出来た人間であった。
まさか俺は奴に心酔してしまったのだろうか。
まあ、気に入っていないと言ったら嘘になるんだろうな・・・だからといって仕事の手を抜いたりはしないが。彼は愛用のインカムを取り出すと、先程手渡したディスクの裏に貼り付けた発信機に周波数を合わせ始めた。
「さて、ありもしない惑星の探査に血税を浪費する事にしようか・・・」
自室に戻ったジエは会議の記録をさらさら見直す気にならず、一月程前に提出させたきりの惑星探査計画表を画面に呼びだした。
惑星探査計画は、他惑星移住計画の前段階として政府が地球侵略計画から国民の目を反らす為に恒常的に打ち出しているものだ。隠れ蓑といっても民衆を欺く為には本格的な内容が要求される。
この計画に基いてこれまでに数十回以上深宇宙に浮かぶ様々な惑星に調査団が派遣されていたが、勿論彼がこの仕事を指示するようになってからも成果は全くと言っていい程上がっていなかった。幾らファーゲットのワープ技術が優れているとはいえ、深宇宙探査は通常の航宙よりもずっと金がかかる。深宇宙でなければもう少し負担は軽いのだが、と思ってみても連邦の版図に入らない場所で探すより他ない。
折角この間の外注手続きの簡略化で浮かせた資金の殆どがこの下らない政策に消えていく。やや滞納気味の連邦債務に当てようと思っていたのだが・・・。
画面を見つめる彼の顔は自然と苦くなる。先程ミランに見せた笑顔の片鱗は全く無い。
・・・その上、万が一惑星を発見したとしてもこの入植計画には結局は連邦の邪魔が入るだろう。そうなったとしたら、宣戦布告にはもってこいの材料だ。そして突入するのは勝ち目のない戦争。その戦争に彼は勝たなくてはならない。周囲はそれを望んでいるのだ。ジエにとってそれは重すぎる期待であったし勝手な言い分でもあった。
ファーゲットが地球に付き従う事は絶対にこの星の発展に役立つというのに、どうしてこう人間は欲に自分を見失うのか。ファーゲットの一般市民が地球に対してさして反発感情を抱いていないことは様々な調査結果を見ても明らかであるというのに。
せめてファーゲットが連邦の援助を受ける気になってくれれば、状況は平和的解決へと向かうのかも知れないのだ。しかし、連邦も連邦である。自己申告制の公的援助など普通の民族的なプライドとやらを持つ国家ならば余程の事が無い限り受けようなどとは思わないだろうに、それに気付きもせず貧しい星々にも緑豊かな惑星と同等の責務を負わせる。せめてこの責務だけでもなければ産業的には決して貧しくないファーゲットのことだ、時間はかかるかもしれないがもう少しましな環境に住まう事も不可能ではない。その上歳入と歳出がほぼ平衡状態の現状では、何かの拍子に蓄えを食い潰していく事になりかねない。その時、僅かな余裕を研究と開発に注いできたこの国は成り立たなくなる。連邦がそれに気付いて援助を差し向けたとしても、一度乱れた治安、流れ出た人的資源、国への不信感は取り返しのつかない損失となり、復興は容易なことではないだろう。
それなのに、それなのに私は一体ここで何をしているのか。
計画表の探査領域に若干の変更を加え、諸機関へと通達を出す・・・これもファーゲット政府の寿命を縮める行為の内の一つである。
やはり早急に地球進出を行うしか自分に取るべき道は残されていないのだろうか?このままでは生殺しだ。
だが、とジエは葛藤した。自分に最初から与えられていた存在意義とはいえ、この計画は明らかに間違ってる。私には本当にこれに抗う力はないのだろうか。この星のよりよい発展に貢献する事も又、重要な存在意義ではなかったのか。私はそちらを優先的に考え、だからこそ今日の行動に出たのであるのだから。
答えは何処にもありはしなかった。どちらの実行がより楽であるのか・・・ただそれだけである。
絶望的な気分で画面を切り、照明を全て落としてジエはただ座っていた。窓の外から入ってくる衛星の反射光が明るい。
彼は疲れていた。彼は孤独な存在であったので自分で自身を癒してやらなければならなかったが、果たしてどうすればいいのかが解らなかった。
自分への完全な敗北。彼は初めての途方もない挫折を経験していた。
一人でいると段々と冷静さが失われて行き、客観的でなくなる。思考は空回りを始めて生産的な内容を一切思い付かない。
答えは一つしかなかった。
「ただ、感情的にそれに迎合出来ないだけだ・・・」
また自分が二人いる。人が入力しようとした内容に従順な理論的な者、そして彼個人の所有物である感情的な者。両方共に彼であるが、そのどちらもがあくまで片割れ同士であった為に彼は無意味な自問自答をなかなか中断出来ずにいた。
不意に閉塞感に胸が一杯になり、この部屋にいることがどうしても我慢ならなくなってしまった。衝動的に立ち上がって荒野を一杯に映す窓を開いて身を乗り出す。
すっかり冷え切った風がタワーを駆け登ってきた。流れ込んだ風は部屋中を荒れ狂い、机上の水差しをひっくり返してもまだ飽き足らずに容赦なく彼の身体に体当たりを続けて体温を奪っていった。冷たさに全てが支配されるお陰で他の思考が滞る。この星の者達と全く変わらない銀の髪をなぶらせながらジエはその自虐的な感覚を暫く楽しみ、不毛の大地に遠慮がちに瞬く街の灯を見つめていた。
数日後。あの会議でのジエの問題発言は既に『親』達に伝わっていた。
その親達の中で最も強い権限を持つ者、ヴォルガーは人からそれの内容を聞かされた時に自分が何を説明されようとしているのか理解出来なかった。
高価な安楽椅子に身を沈め煙草に似た嗜好品をくゆらせて報告を受けていた彼の動きが止まり、直後煙草は揉み消される。事務的な無感動さでメモを読み上げていたヴォルガー直属の助手は、目の前で上司が氷の様になって行くのを無気味な思いで見守った。これは怒りだ。助手は直感した。
「ジエが、そんな事を言ったのか・・・そうか」
怒鳴り始めるかと思ったが彼は意外にも冷静さを欠いてはいない。実際、ヴォルガーの思考は素早くジエの行動の分析を始めている。
「ケスタフ、至急チームの連中を招集してくれ」
「今、直ぐにですか?」
思わず問い返してしまってから助手はしまった、と気付くとヴォルガーの返答を待たずに慌てて招集をかけに行った。直ぐに、とは言ったものの全員のスケジュールの調整には数時間程かかるだろう。下手をすると今日中に全員が集まるのは無理かもしれない。
彼は既に自分の思考へと没頭していた。
ジエが地球侵略に異議を唱えただと?馬鹿な、有り得るはずがない。我々はその為にジエを創ったのだ。存在の意味付けが足りなかったのか・・・どちらにしても我々が行った意味付け以外の行動を行う様では失敗としか言えない。少しでもずれるということは即ち暴走の危険性があるという事を示しているのだ。これだけ、生涯の殆どを費やしてやっと生み出したものなのだから、彼にとってジエの予想外の行動というものはあってはならない事であった。
あの捉え所の無いミラン・バートは一体何と言うだろうか。鬼の首でも取った様にあること無いこと首相にでも告げ口をするのだろう。話によればジエは首相に説得されて発言を撤回したということだが、ジエにとってそうした汚点は極力残してはいけないものなのだ。政府はさっさとジエに侵略計画を遂行させるべきだったと、ヴォルガーは憎しみを込めて舌打ちした。
ファーゲットの中の事にばかり目が行ってしまうのは解るが、ジエは儂等が地球を取り戻すために創ったものなのだ!
地球・・・特に天才と称される第一線の科学者達の間で、その本当の母星は憧れの地であった。数え切れない程の重なり合った生態系を持つ大地と海、昼でも鳥の舞える空。地球環境の全てが興味深いものである。豊かでないこの星で、科学者達は生命工学と空間理論以外の研究を志す事が出来なかった。ただひたすらに既存の技術の躍進にのみ励む・・・学びたい、そう思う人々にとってそれは苦痛でしかなかった。
初めて彼等がそれを知ったのは300年も昔の事だった。その頃は地球も一介の惑星に過ぎなかったが、それを発見した者達はそれがどれ程重要な事かが解っていなかった。中枢は侵略をその頃からの悲願であると定義しているが、実際にはそれは嘘だ。本当に彼等が地球を疎み始めたのは地球連邦加盟後の事である。断わりようの無い連邦のやり口に、連邦加盟のその瞬間から、ファーゲット人の反感は高まっていった。無論、民衆のそれは一時的なものであったが、特に科学者についてそれは当てはまりにくい。政府の苦しくなった財源に研究費は削られ、それでやっと開発した技術は余程念を入れて隠蔽しない限り直ぐに地球側に技術供出という形で流れ出てしまう。
おまけにファーゲット社会の上層に位置するこの科学者の反感はかなり直接的に政治に影響する。地球は知らないうちに同胞から刃を向けられる状況を作り出していたのだ。
ジエ、必ず儂がお前を本来在るべき姿へと戻してやる。
ヴォルガーの目にはうっすらと狂気の炎が燃えていた。
ACT・4「至上命令は結果的に誤った変更をなされ、彼はそれに従った」
ミランは固い靴音を立てて足早に廊下を歩いていた。目指しているのは地下深い科学セクションの集中管理室。
「科学者連中が早速突っ走りやがって・・・一体何をやらかそうってんだ」
彼のインカムからはヴォルガーの声が流れ続けていた。専門用語ばかりで内容の把握が難しいが、その断片から大体の状況を何とか推察しようと努力する。
これで傍受が出来るという事はジエが側にいる、という事だ。
神経回路の変更・・・だと?
ミランの表情は固い。
「ヴォルガー教授と話がしたい」
「教授は今、重要な実験の最中でして誰ともお会いになりません」
科学セクションのエントランスラウンジで案内係は愛想よく、しかしきっぱりとミランの要求をはねつけた。だがミランはあきらめない。
「集中管理室か?」
「はい」
「教授はこちらに無届けでジエの整備を行おうとしている。規定では、彼の就任後はいかなる修正も委員会の同意がいる筈だ。直ぐに取り次いでくれ」
「委員会の特別監査証を提示して頂ければお通ししますが」
「IDだけでは無理なのか?話くらいは出来るだろう」
「いえ・・・通常ならばお取り次ぎは出来ますが、昨日からリヴォース・プロジェクトチームは最重要会合を行っておりまして・・・」
みなまで聞かずにミランはカウンターで考え込んだ。耳元ではインカムが次第に実行へと近づいていく実験の手順の最終確認を行っている。確かに、微かに聞こえてくる声の中には聞き覚えのある声が多い。
特別監査証などもう間に合わない。ミランは解った、と案内係に一言残してラウンジの隅で端末を取り出し、即刻報告を始める。
ヴォルガー、確かにジエは初めて意図せぬ動きを見せた。だから今回の行動は恐らく咎められはしないだろう。だが明らかに政府の不信感を買うぞ、それは確実だ。
・・・そして、ジエ。お前は本当に、道具なんだな。
報告を終えると、後はただインカムに意識を集中させた。
まただ。また私を疎外して物事が動いていく。
朝一番に呼び出されたかと思うといきなり私の中身を少し変える、とそう宣言された。その『少し』が一体どの様なものなのか、一切の説明は無い。私の創り主達は自分達の考えることこそが正しいと信じているが、政府と学者達による私の為の委員会を通すというそんな基本的な手続きすら踏んでいないのを知っている。
ヴォルガー達は我慢がならないのだ、この私の出来に。委員会を通せば審議にはかなりの時間がかかり、その上科学者達が私に施そうとしている変更は委員会の者達には必要性の理解出来ないもの・・・既にミラン辺りがヴォルガーを止めようと動いているだろうが、手続き上間に合わないのはもう解っていた。
だからジエは集中管理室、自分の誕生した部屋の中でただ括目して待っている。
招集から実行までがあまりにも早すぎる為、場は混乱の極みにあった。本来は一朝一夕に準備出来る様なものではない。それを政府に見咎められる前に無理矢理実行してしまおうという事なのだからヴォルガーも随分な強行手段に出たものだ。そのヴォルガーは、僅かに時間が空くとこちらにやってきた。
「・・・ヴォルガー教授?」
「ジエ、お前が優秀すぎるということが、儂等には誤算だった」
彼の目はもはやジエを見ているのではなく、その後ろに描いていた未来に向けられていた。自分がここに来る前に果たしてどんな議論が交わされたのか。それを知る術は無いが、自分そのものに対して何の感情もヴォルガーが抱いていない事に気付くとジエは戦慄した。恐らく、この男は狂っている。
ヴォルガーはゆっくりと語りかけた。
「お前に非は無い。儂等がお前の出来の良さに見合ったプログラムをしなかったのが不味かったのだ」
「私は・・・どうすればよかったのですか?」
ジエの問は無視された。目の前の科学者は独白を続ける。
「まさかお前があんな事をするとは・・・地球侵略計画、あれは絶対不可侵のものだったのだ。だが我々は基本的な事にばかり気を取られて肝心な事を忘れてしまった。そうだ、あれは絶対不可侵である筈なのに至上命令には勝てなかったのだ!」
至上命令。ここに立ち尽くす超人の頭脳の奥底に入力されていた言葉は「あらゆるファーゲットの発展に尽くすこと」。これは如何なる命令よりも強制力を発する。「人を傷つけてはならない」「人の命令に従わなくてはならない」そういった、機械ならば最上級に位置される命令の更に二段階程上に、これは設定されていた。当たり前の話である。そうでなければ戦争を起こすなど出来ないのだから。そして至上命令の直ぐ下に位置していたのが「地球侵略計画を遂行すること」であった。
だが機械や生体兵器と決定的に違い、感情を持つ人造人間は出来が悪いと感情に行動が左右されやすい。暴走の危険性はここから生まれるのであり、それ故科学者達は自らが創ったものでありながら彼を完全に信頼することが出来なかったのだが、もしジエの感情が強ければ彼は人に囲まれた状況で、どうしても人の意に沿う行動を取り易くなる。この間の場合ならば至上命令よりも「人の命令に従わなくてはならない」という命令に裏打ちされた「地球侵略計画を遂行すること」という命令の方が実行され易いという事だ。
しかし、ジエはそうはしなかった。自分の存在を危うくしてまでも至上命令に従ったのだ。科学者達は、どこかジエを甘く見ていた。その過小評価を彼は見事に打ち破ったのである。
「儂等にとってお前の出来は誇るべきものでありながら、全くどうしようもないものになってしまった・・・儂等が幾ら計画をお前に強制したところでお前は絶対に遂行しないだろう、その頭脳を駆使して何か方法を考えて遂行しなかった筈だ。誤算だ、とんでもない誤算だ!」
その読みは、ジエがあの夜の葛藤の末に最終的に辿り着いた決意と全く同じであった。ジエは無表情さを崩さなかったが、ヴォルガーにとってそんなことは関係ない。
「その上ここまで神経回路が発達してしまった以上、命令の順序を入れ替えるのは短い時間では不可能。お前はきっと直ぐに計画を行わないで済む方法を考えるだろう。だが委員会を通せる程に洗練された案が思いつかなかったのでな・・・政府については心配しなくていい、奴等にとっても侵略計画は都合がいいからな。我々がどうするか、解るか?」
ジエは答えなかった。
「簡単な事だ・・・あと一つだけ、命令を増やせばいい。本当の至上命令をな」
ヴォルガーは引きつけでも起こしたかの様に笑うと夢遊病者のごとく唐突にジエから離れて自分の仕事に戻ってしまった。
取り残された彼は、ただ静かに周囲の全てに怒りを感じていた。
二人の自分・・・理論的な者と感情的な者・・・この二者の立場は全く逆のものだったのだ。周囲の期待に萎縮する感情的な者と、至上命令を遵守する理論的な者。何のことはない、私は初めからよく出来ていた。それなのに単なる創り主の非によって不良品の烙印を押されたのだ。本当に私は道具だ。それでも受け入れるしかない自分という存在をこの世から抹殺してやりたかった。
そんな気持ちで無意識に服の隠しに手をやると、何か固いものが触った。出てきたのはまだ目を通していないあの時の記録ディスク。
こうなる事は解っていたのだ。それでもせずにはいられなかった・・・ファーゲットの発展の為に。妙に懐かしい気持ちでディスクを裏返して、ジエはうっすらと笑った。
『ミラン、聞いているのだろう?』
いきなり話しかけられて彼は一瞬驚く。
「やっと気付いたか・・・奴にしては遅すぎるな」
一連のやりとりを全て傍受していた彼は、ラウンジでそうひとりごちた。その顔には科学者達に対する嫌悪感がありありと浮かんでいる。
『今、やっと気付いたよ。・・・普段なら直ぐに解るはずなのにな』
インカムから聞こえるのは、ジエの疲れ切った声だった。だが淡々と続く。
『もう時間が無い。ミラン、筋違いだと思うし君にとって全く馬鹿げている話だとは思うのだが・・・聞かなかったことにしてくれても構わない。だが君にしか言うことが出来ないから、言う』
一度深くブレス音が入る。
『どんな命令が入れられるかは知らないが、もし私が民衆を無視して侵略計画を進め始めたら何とかして私を殺して欲しい。頼む、どんな手段を使ってもいい。だから』
ノイズ。そして彼の言葉は途切れたまま、再び繋がることは無かった。
今、ミラン・バートはファーゲットの中枢を司る建造物を見上げていた。周囲は零下を指しており、風が物凄い勢いで荒れ狂ってミランの体温を奪っていく。
衛星が煌々と光を放つこの夜、彼は辞表を叩きつけ自由の身となった。
「リヴォース・・・お前の遺言、聞いてやるよ」
ジエに付加された命令は『地球を疎み、憎む事』だった。この命令を理論的・感情的に実行するための神経回路が短期間で形成され、再びミランの目の前に現れた彼は、そのたった一つの命令によって掌を返した様に地球侵略に熱心になることになる。
周囲への態度は今までのものと変化はない。人好きのする仕種、そしてそのカリスマ性。だがミランはジエから、彼の持つ人間への嫌悪感、いや憎悪をしばしば感じた。以前の強い意志を持ちながら常に自制の出来ていた彼に比べ、今はかなり感情を表に出すようになって時折粗暴さすら感じる様になった。
だから彼は決意したのだ。初めて会った時から妙に気に入ってしまったあの一人の人間の為に。
そして、彼はこのファーゲットで初めて対リヴォース政権のレジスタンスを組織する。